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最近、テツの散歩が短くなってきた。昔は私が「もう帰ろうよ」と言っても、まだ先へ行こうとしたのに。今では家を出て、ゆっくりゆっくり歩いて、近所を一周するだけ。途中で立ち止まる事も増えた。ママ「テツ、もう少し歩いた方がいいんじゃない?」テツ「……なんで?」ママ「歩かないと筋肉落ちちゃうでしょ」テツ「もう16歳だよ」ママ「16歳だからでしょ」テツ「そうなの?」そうなの、と言いながら、私はスマホを取り出した。最近の私の検索履歴は、ほとんどテツのことで埋まっている。「老犬筋力低下
日本人にとって、瑩山禅師は、最大の仏教改革者「ご先祖様崇拝」!伝教大師最澄の始めた「日本天台宗、達磨派」を継承して、古来からの「白山天台」の古寺・ルートを用いて、日本列島隅々まで、布教した。…そのお陰で、道元和尚の主著『正法眼蔵』が、現代にまで伝わり、残った。現在の日本仏教史は、瑩山禅師の偉大なお働きに対して、気が付いていない。何よりも、日本曹洞宗自身が、見方を変えなければ、ならない。瑩山禅師は、ご自分の「高祖」を「道元」和尚ではなく、「如浄」禅師に据えた。「如浄禅師の
地によって倒れた者は、かならず空によって起きる『第十七恁麼』17-2-3a(正法眼蔵)shobougenzo.blogspot.com
任運騰騰(にんうんとうとう)任運騰騰という禅語がある。風に任せ、縁に任せて生きるように、あるがままを受け入れて生きること、という意味である。私たちは、物事を自分の思い通りにしようと懸命に力を入れる。こうあるべきだ、こうならなければ困る、と強く思い込み、その通りにならないと、苦しみや焦りを感じてしまう。しかし、世の中には自分の力だけではどうにもならないことがたくさんある。任運騰騰とは、そうした流れに、無理に逆らわず身を任せてみなさい、という教えである。
令和八年九月長月恵林寺土曜坐禅会のお知らせです...会場は、恵林寺本堂です。坐禅時間は、25分程度の坐禅を二回。途中、小休が入ります。初めての方・坐禅にはまだまだ不慣れな方は、随時、30分~1時間程度、別室にて作法、坐禅のやり方などをお教え致しますので、余裕を持ってなるべく早めにお越しください。また、特別な準備は必要ありませんが、足を組みますので、動きやすいゆったりとした服装で御願い致します。坐禅会後、住職・古川周賢老大師からの御挨拶と短い法話がございます。
malta執持録2026-9-1(丸田和夫:だちゃかん――百二歳の父が遺したことば.kindle版、幻冬舎、2026年8月31日.)義父が亡くなって、まもなく二年になる。このたび、義父が遺した数々のことばをまとめた電子書籍『だちゃかん百二歳の父が遺したことば』を、2026年8月31日に出版することができた。本をまとめながら、義父が遺してくれた言葉を何度も読み返した。以前なら仕事として誰かのために使っていた時間を、いまは自分の暮らしのために使っている。そう考えてみると、掃除も炊事
理念古流武術を習得してゆく上で作法、術技に籠められた先人の叡智を受け取り日本人としての矜持を保ちながら人格の向上を目指す。禅には次のような教えがある「威儀即仏法作法是宗旨」それは次のように読み替えることも可能だ「威儀即武道作法是流派」我ら真剣道居合者は威儀を整え、礼式を守り、日本最古の兵法書「闘戦経」に示された「神武」を身につけ、己一人の修行から一歩進めて、いささかなりとも社会に生産寄与できる者でありたいと念願する。他と競うことなく、比較せず、一心に不息不断の精進心をもって行う修行
半田愛子ってこんな人。知らないうちに脳力が花開く英語コースで今、英語の本を読んでいるんですが、その名もTheWayofZen禅について外国人がどのように捉えていたのか、どのように捉えているのか知ることができそうな本。まだ、最初のところを読み始めたばかりですが、生徒さんが「第二次世界大戦後のことなんてもう、今の私たちが知ろうとしたら本からしか無理ですよね。しかも当時の外国人の視点なんて。」と呟きまして。おお!すごい!そうですよね、と私も思いました。今
お月様が見える朝am6;28外は爽やか犀川上空にお月様太陽とお月様お見合いしています。山の方⛰️am7;45県内は晴れ間がでるものの午後は所々でにわか雨や雷雨となる。白山・曇時々晴立山・晴のち曇金沢の気温35度💦版画作業おやすみコツコツ頑張れよ…版画気合いだ!エイエイオ〜👍毎日毎日飽きずに飽きない朝食ポポー食べ放題状態😍北國新聞🗞️さぁ〜2学期笑顔再開我が孫たちも学校です。みんな元気な顔を見れるかな?また、汗だらけで赤い顔して帰ってく
「青山緑水」(せいざんりょくすい)「青山緑水」とは、「青々とした山と緑の水」を指す禅語であり、自然の美しさと調和を象徴する言葉である。しかし、この言葉に込められた意味は単なる景色の描写にとどまらず、深い精神的な示唆を含んでいる。禅の世界では、青山は不動の心、緑水は流れる心を象徴するとされる。山はどっしりと構え、季節が巡ってもその本質を変えない。一方で、水は自在に形を変え、流れながらも常に清らかである。この二つが同時に存在することで、調和の美が生まれるのだ。人の心もま
<第110話>多江は直美の夫を看護していました。実は吾郎は脚気でした。広島の予備病院に運ばれて来たときにはもう手遅れでした。吾郎はボタンを多江に託します。直美が真剣にボタン付けをしているのを見たくて、つい引っぱって…またつけてもらって、と呟きます。りんは、ボタンをつけてきてあげて、つけて帰ってきて、と直美を送り出します。直美は二人で暮らした家に戻り、泣きながら軍服にボタンをつけます。埴生の宿の歌声とともに吾郎が現れました。直美はりんの家に戻り、明日
禅インコさまNo.11喫茶去(きっさこ)ズグロシロハラインコさまのまるちゃんまずはお茶でも飲みなさいどのような立場の人でもお茶を飲んでこの瞬間を大切にしましょう
無とは量子の揺らぎであり実在(有)とは量子情報であるそれが現代物理学の結論だ無意識とは「重ね合わせ」であり人間における現実とは意識の発動である無意識とは、無にあらず無意識とは無限の現実を内包する「量子力学的重ね合わせ」の揺らぎであり現実とはその中の励起した波動の一つに過ぎない無意識は無限の揺らぎを湛える広大な湖であり現実は湖面に現れる小波のようなもの人の人生とは意識の発動(小波)が起こす一現象に過ぎない可能性は無限?まんざら嘘でもない
あなたを縛っているのは誰だ人としてどう生きれば善く生きられるのか他者から信頼される人になれるのか他者から選ばれる人格者になれるのかそんなことばかりを追及して生きてきました。思いやりを持ち優しさを忘れず困っている人を助け間違っていることには屈さず礼節をわきまえ善悪の判断を正しくできるよう日々努める。儒教や武士道に触れ
瑩山禅師は、自分が「嗣法」した宗教が、「道元和尚のと、全く、異なる」のが、明確に理解していたので、最晩年に、如浄禅師を「高祖」に据えて、『如浄禅師語録』を「正典」として、「仏塔・ストーパ・土饅頭」を築き、「五老峰」と名付けて「聖地」と定め、これを護ることを厳命した。後に、江戸時代に、中国大陸から、本家・臨済宗が、「黄檗宗」として、押し寄せたので、「高祖」が「無名の如浄禅師」では、参加の優秀な僧侶たちが、黄檗宗に、宗旨替えをするのを、防止するために、中国人ではない、日
あるてみすてんぷるの沙羅です。「悟りたいから瞑想をしています。」そんな言葉を聞いた時、私は少し違和感を覚えます。もちろん、瞑想そのものを否定しているわけではありません。瞑想によって心を静め、自分の内側を見つめることはとても大切な時間です。けれども「悟りたいから瞑想する」となると、少し話が違ってくるように思うのです。なぜなら悟りたいという思いそのものが執着になってしまうことがあるからです。もっと霊的に成長したい。もっと高い境地へ行きたい。特別な体験をしたい。悟った人になりた
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・セラピストだより2026年8月31日号悟りたいから瞑想する・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あるてみすてんぷるの沙羅です。「悟りたいから瞑想をしています。」そんな言葉を聞いた時、私は少し違和感を覚えます。もちろん、瞑想そのものを否定しているわけではありません。瞑想によって心を静め、自分の内側を見つめることはとても大切な時間です。けれども「悟りたいから瞑想する
処暑(しょしょ)天地始粛(てんちはじめてさむし)おはよう、こんにちは、こんばんは。そして、ありがとうございます。今日で、色々あった8月も終わり。しかし、地震、大雨、土砂崩れ……、天変地異が甚だしかった。我が家も、少しずつ緊急時の用意をしているが、いつ何事あるか分からないので、来月のうちに、また点検しようと思う。さて、先日、「動禅」という言葉を知った。文字通り、動く禅である。禅とは、精神を統一して、真理を追究すること。坐すことのみでは無いらしい。禅的な心持ちで
おはようございます。お越し頂きありがとうございます。豪雨大丈夫でしたか?北陸地方も豪雨続いて、被害状況もどうなんだろう。こちらは風が吹いてて…土日はレイキ練習会で受け取り時は、寝落ちして夜中時目が覚めて、また二度寝して。朝は生徒さんが流してくれて。夏バテ気味で、ぐっすり眠れました。主人がね「いつまで寝てるんだ!」って面倒な奴。別にお出掛けするわけじゃないしるんるん君をブラッシングしたかったようでしたが本日るんるん君トリミングだし。値段は変わらないと思うし。昨日のヨガ
月白風清(げっぱくふうせい)「月白風清」とは、澄みきった月の光と清らかな風を表す、静かな美しさに満ちた禅語である。月は夜を照らし、風は空気を洗う。どちらも音を立てず、ただ自然に存在し、世界をやわらかく整えていく。その静けさの中に、人の心を澄ませる力がある。忙しい日々の中で、私たちはつい心が濁り、ざわつくことが多い。怒りや焦りが胸に渦巻くと、物事が正しく見えなくなり、誰かの言葉にも過敏に反応してしまう。しかし、ふと夜空を見上げ、白く輝く月をながめていると、なぜか心がゆっくり落ち
近年「日本天台宗・達摩派」の研究が、「日本天台宗・達摩派、初祖・大日能忍」は「中国禅」で密教色は少ない!だから、1241年、春に、道元和尚の傘下に入った。これは、「義介」まで、保った。「天台密教」の禅にしたのは、五祖「瑩山」禅師である。だから、「義介」禅師は、瑩山禅師への「嗣法」は、なかなか、しながった!臨済宗「栄西」禅師は、「密教兼修」の僧である。「東福寺」の「圓爾,弁円」禅師も、「密教兼修」の僧である。・・・奈良の<東>大寺、藤原氏の興<福>寺を超える威
大切なモノはすぐ目の前にありましたスポーツ観戦が好きでいつも心躍らせながら見入っていますサッカーW杯野球のWBCや日本シリーズ夏季・冬季オリンピックその他高校野球や高校サッカー阪神タイガース大相撲なんかもかなり一生懸命見てますその都度鍛え抜かれた技術や戦術その場の駆け引きなんかに一喜一
(問答)百丈復問五峯、併却咽喉唇吻、作麼生道。峯云、和尚也須併却。丈云、無人處斫額望汝。(語句)欲得親切、莫將問來問。妙手無多子。匹馬單鎗、千里萬里、千人萬人。(語釈)・百丈bǎizhàng…禅匠の名・五峯wǔfēng…禅匠の名・併却bìngquè…ふさぐ・咽喉yànhóu…のど・唇吻chúnwěn…くち・作麼生zuòmeshēng…どうやって・道dào…言う、述べる・云yún…言う、述べる・須xū…~すべきで
最近、AIの授業や講演、研究会に呼ばれることが多くなったのだが、AIの使い方などの話をしているわけではない。AI時代においての「人間」のあり方といった、時代の流れの中での「人間とは何か?」の話をさせてもらっている。今の自分にとってAIは日常、研究、自分の作品制作と、無くてはならないものだ。自分自身が時代の中でどんどん変化していることでもあるのだが、AIによって「人間とは何か?」がどんどん膨張し考えるようになった。先月のこの場所で「武術」と「禅」から見えるAIについて書いたが、AI
お盆も過ぎて、もうすぐ九月だというのに、当地福岡では、日中は猛暑日、夜は熱帯夜の連続です。少しづつ気候変動はしてるとは云え、お盆過ぎれば何となく暑さも和らぎ、朝夕は多少なりともひんやりしていたものですが、全くその気配もありません。おまけに、一滴の雨も降らず、何日か前に、梅雨明け五十日振りに、夕方から夜にかけ、ゲリラ豪雨的な雨は降ったものの、その後は又湿度まで加わって、ムンムンの猛暑復活。気が滅入ってきます。北陸の豪雨被害を思えば、こんな事言ってられませんが~~。自然は、癒しでもあるけど
古池や蛙飛びこむ水の音思い浮かぶ情景に人もいなければ蛙もいない(諸法無我)。そこには観るものと観られるものの(自他の)境界がない(無分別智)。そして静寂と音と情景も互いに妨げることなく溶け合っている(涅槃寂静:事事無礙法界)。さらに静と動が融合した瞬間があるのみで、過去や未来もなく、而今そのもの(諸法実相)。自己の本性も空(相依性縁起によって創出された現象であり単体では実体がない。自己と世界は一体であり私なる単体はそこに存在しな
悟っても悟らなくても、悟りに妨げられ迷いに妨げられるのである『第十七恁麼』17-2-2a(正法眼蔵)shobougenzo.blogspot.com悟っても悟らなくても、悟りに妨げられ迷いに妨げられるのである『第十七恁麼』17-2-2b(聞書抄)shobougenzo.blogspot.com
『禅ごよみ365日:毎日に感謝したくなる』より印象に残った禅語についてです。読み:りゅうすいかんだんなし(流水、間断なし)解説:流れる水は途切れることなく、流れ続けている。努力、精進をととめてはいけない。同じ様な禅語として「清流無間断」というのもあるようです。本書の解説では、努力、精進をしつづけていくこと。長い人生で、努力、精進は”小さく””コツコツ”がいい。とどまらずに続けていくこととあります。2025年6月から、資格試験の勉強をしており、宅建士、マンション管理士、管理
体露金風(たいろきんぷう)「体露金風」。秋になると、よく用いられる禅語である。体露とは、宇宙の本質がそのまま現れることを意味する。金風とは、秋風のことだ。秋になると、木々は錦のように美しく色づき、稲穂は黄金色に実る。その豊かな実りをもたらすのが、秋風である。私たちは、美しい紅葉を見て「きれいだな」と感じる。それだけで終わってしまうことが多い。しかし禅は、もう一歩深く考えることを教える。この紅葉は、なぜここにあるのか。春に芽吹き、夏に葉を茂らせ、秋に色づく。
ZENN名取事務所公演。骨太の作品で定評がある。再演なのだね。禅を海外に紹介した鈴木大拙。その息子(実子ではない)で。〈東京ブギウギ〉の作詞者アラン。2人の関係性を綴っている。禅が関係しているだけに。渋い作品だった。