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和泉市国分町の国分寺が、奈良時代に建立された和泉国分寺の後継寺院だが、石柱があるだけで礎石などは残っていないようだった。
天守台の石垣は築城から400年以上経過していた為、破壊が進んでいて崩落の危険があり天守台の立ち入りは禁止されていました。しかし4年間に渡る石垣の修復によって天守台石垣の上に立つ事が出来るようになりました展望台からは大和郡山市や山々が望め平城京太極殿や薬師寺が見えるようですが分かりませんでした天守台櫓角部の転用石は羅城門の礎石だと伝わっています
コチラ、郡山城跡の2024年の桜まつりと金魚の続きです。ここは、前記事でも少し紹介した、郡山城極楽橋からの眺めです。さすが橋の真上からの眺めは絶景です。名古屋城と比べ石垣は高くない方ですが、それでも高所恐怖症の人にはキツイかも。伊勢神宮の宇治橋と雰囲気が似てますね。橋の距離は短いですが、中々の眺めです。誰も通らないと沢山撮影しがちですが、誰か来たのでここらで立ち去ります。橋は一部、凹凸がある箇所があるので躓かないよう注意して歩く必要があります。橋を渡った東側の敷地には
松林の中にひっそりと居並ぶ苔むした礎石〈そせき〉、備中国分尼寺跡のこうした風景は吉備路風土記の丘の見どころの一つとなっています。しかし、五重塔がそびえる備中国分寺や、巨大な石室が口を開けるこうもり塚古墳からやや離れていることもあって訪れる人も少ないのが現状です。そこで、備中国分尼寺跡の全貌を明らかにしてその魅力を全国に発信しようと、大正11年(1922)に国の史跡に指定されて以来はじめてとなる発掘調査が行なわれました。国分寺(金光明四天王護国の寺)と国分尼寺(法華滅罪の寺)は、奈良時代の聖
世界遺産・白川郷への途中立ち寄った道の駅「白川郷」には合掌造りの実物大模型が展示されていて、合掌造りの建築の作業の様子が分かり易く見学できるようになっていました。もちろん、白川郷の現地でも実際の合掌造りの内部を見学することはできますし、過去の訪問時、見学しましたが、ここで見学した合掌造り建築の最初の共同作業「石場カチ」の櫓は初めて見ました。にほんブログ村世界遺産部門のランキングに参加しています。このブログが気に入ったら1日1回、こちらに応援クリックして頂けると嬉しいです。↓
サグラダ・ファミリア聖堂、2026年ついに完成スペインサグラダ・ファミリア聖堂、2026年ついに完成スペインスペインのバルセロナにあるサグラダ・ファミリア聖堂が、着工から140年あまりを経て2026年、ついに完成する。-(1/2)www.cnn.co.jp礎石を据えて144年ぶり…ガウディ設計のスペイン大聖堂、2026年に完工https://news.yahoo.co.jp/articles/815417c391300155b7ae797a11a40cf56cdfdc85
播磨・城山城その3最終章中世の山城である主郭部へ突入しました。あらかじめ申し上げておきますが、ご期待に副える遺構はありません。そして後は、下山するだけです。現地説明板赤松満佑自害し落城後、山名宗全(持豊)(応仁の乱西軍総大将)の統治を経て再び赤松氏の城となったが、天文年間(1532~1555)に尼子晴久(山陰山陽十一カ国のうち、八カ国の守護を兼任し、当時の中国地方随一の大大名)に攻め込まれて陥落し播磨攻略の拠点とされた。しかし、尼子軍が撤退するといつしか廃城となった。
城を観る今回は...(撮影2021/07/13)岩崎城(尾張国)〜隅櫓跡〜隅櫓跡のッ礎石ねッ。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
・良い天気でしたね。kurimarometalの生活の中心・優先事項は趣味・お稽古事なので、余った時間で各種の手続きや家のDIY作業・投資活動等をしてFIRE生活を楽しんでいます。・さて中部・関西観光として最初に名古屋城編です。家を8時頃に出発して、10時前に駅近くの駐車場に到着。駐車場所を探しましたが、近隣で一番安い所なので満車状態。少し待ってたら、駐車しているトラックに乗り込む人がいたので「車動きますか?」と問いかける。返事は「すいません。まだ動かないです。」・仕方ないと諦
【8/133日目①】朝起きたらこんな景色ー!空も広くていい感じ!青空が広く晴れ渡るという感じではなかったけど、やっぱり空が広いのがいいよね。できれば、こんなに空が広いところに住みたかったなあ。でも、そんなところに住んだら、旅やキャンプに行かなかったかもしれないからな~どっちが幸せだか判断つかないな。んで、向かったのはこちら。史跡長者原廃寺跡。まあ、簡単に言うと、長者原寺の跡地ってことですね。(爆いや、冗談、冗談。wikiによると、藤原秀衡の御用商人
先週の取材旅行の最後の目的地は、ほぼ40年ぶりの太宰府天満宮。江戸時代から続く戯作者に共通の「いつか菅原物を書いてみたい」という野望は、その端くれの私にもあるので、いつかその時に菅丞相のお怒りに触れぬよう、雨の中のお参り。その後、社務所の横にそれてみたら、まるで、そこで待っていてくれたかのような遺構の前に出た。大正6年から昭和15年までここにあったという歌舞伎小屋「梅楽座」の礎石で、この石が回り舞台の心棒を支えていたのだという。観ていたら、当時の賑わいや舞台の響きや歓声の幻が頭の
静岡市駿河区大谷に残る古代の寺院跡で、平成20年に塔跡が見つかり、駿河国分寺の最有力候補となっている。現地は道路などで分断されているが、多くの礎石が整然と並んでいる。
本日もお読みいただきありがとうございます。1月のことです。以前から何回か前を通り過ぎ、生憎いつも閉まっていて、(普通に営業されている)いつか入ってみたいと思っていたかもがわカフェ🦆この日は開いていたので、入ってみることにしました。階段を登ります。店内は広々としていて、天井が高い。懐かしい感じのストーブが置いてありますこの日は気温の低い日でしたが、店内は温かい。先ずは珈琲☕なみなみと淹れて下さいましたランチセットのスープハニーマスタードチキン(だったかな)ご飯
高層の木造建築を建てる場合には中央に心柱を立てるのが当時のやり方でしたしかし安土城天主の中央の一つだけ礎石がなく空いた穴があるだけでこの穴の上に宝塔があり穴には壺が入っていたと推測されているようです。しかし発掘調査で穴には壺のカケラもなかったのでしょうか?
5年前UPしたブログを再UPしました。『難波パークスのイルミネーション2』昨日の続きです。2018年12月27日に訪問しました。下図6階⑦の所です。現在位置にあるマップです。7階です。上マップ⑬の所です。7階から見た滝…ameblo.jp前回の続きです。今回は外枡形跡から本丸です。下図B付近です。本丸の外枡形跡と考えられる場所です。多くの石が三原城築城で運ばれたようです。しかし、このように残っている石もあります。外枡形とは本丸の敷地の外側に枡形があるも
劈開が美しい蛍石(フローライト)フローライトの語源はラテン語溶けてfluere流れるからきているだそうです原石はサイコロ形(六面体)八面体のものは産出量が少ないだそうです宝石として流通しているのは人工的に八面体にしているものが多いとか…ーいろんな図鑑サイト参照ーこんにちは前回の記事に載せたお写真に鷽という鳥さんが映ってましたね同じお写真を使った過去記事があります2023年6月頃の記事です
皆様、こんばんは☆今日も一日お疲れ様でした!今日の南関東は曇り空ながら昼間はなんとか天気は保ちました。気になるのは…未だ余震の続く能登半島の状況。徐々に余震の震度は小さくなっていますが、それでも雨が降り☔地盤が弱っている中での山間部は大変かと思います。もう少し…事態の収束まで時間が掛かると思います。避難所での生活も大変かと思いますが乗り越えて頂きたいなと思います今日は…昨日の続きですが姪が生まれた妹の所に挨拶に行った帰りに鎌倉の長谷に寄って来ました江ノ電の長谷駅を降
『この世をばわが世とぞ思ふ望月のかけたることもなしと思へば』〝この世で自分の思うようにならないものはない。満月に欠けるもののないように・・・〟西暦1018年旧暦9月16日に詠まれた歌であり、その1000年後の2018年の中秋の満月の日🌕に多くの新聞📰も取り上げ話題になりました。えーろうも何となく胸騒ぎがしてSNSにアップしたりしましたが、、なぜ?虫の知らせだったのか理由が分かりました!!www.facebook.com/share/AsXWginEkAhDFko6/?mib
一年間のスピードが早かったですね。今年も多くの皆様の御縁をいただきましたことに感謝申し上げます🙏。今年も残りわすがとなり、新しい辰年か皆様にとって良い年でありますよう、お祈り申しあげます。🎍🐉
日本の天神地祇(王統譜)とは、「天神=メソポタミア・中国経由の日本人(徐市・国狭槌尊の系譜)、狛犬は両方角なし」。「地神=メソポタミア・ユダヤ系・インド経由の日本人(クナト王ほかシャカ族・ナーガ族などの八大龍王の系譜など)、狛犬は両方角あり」「ハイブリッド地神=大山積・大山祇=地神寄りですが、天神地祇の両方に理解を示す日本人(国常立尊に始まる系譜)、狛犬は阿形が角なし・吽形が角あり」だと分かってきました。天神の主な人達は、神武天皇・高皇産霊尊などの徐市系日本人たち地神の主な人
撮影日:2023年12月2日「池田城跡公園」を「東門(大手門)」から入ると眼の前に現れるのが「てるてる坊主の照子さん」。朝ドラ「てるてる家族」の放送終了を記念してなかにし礼さんの原作「てるてる坊主の照子さん」の文学碑が設置されたらしいです。私はこのドラマは観てませんが・・・てるてる坊主の照子さん「礎石」が綺麗に並んでいたので撮影しました。でも子供が遊ぶにはちょっと危ないですね!整列!!天守の形をした「展望休憩舎
久しぶりに法隆寺に行きました。10年ぶりくらいでしょうか。聖徳太子への興味から古代史の世界に誘われた私にとって、斑鳩や明日香は「聖地」のような場所でした。現在の法隆寺は、聖徳太子が創建したものではありません。聖徳太子が斑鳩宮に移ったのは推古13年(605年)。同時に完成したと言われる斑鳩寺(法隆寺)は、聖徳太子の死後約50年後日本書紀によれば「一舎も残らず燃えた」と記されています。つまり現在の法隆寺は再建されたものです。そ
床下の湿気防止と伝統構法建物だからこその補強補助のために、ポンプ車を使って床下コンクリートをしました。
※2023年11月19日訪問※という事で『仙台城大手門跡発掘調査成果一般向け遺跡見学会』に参加させて頂きました✨昭和20年の仙台空襲まで現存し、残された古写真などでも存在が確認されていた大手門ですが、発掘調査によって改めて遺構を発見することが出来た事は、今後の復元に向けて大きな前進ですねさて、今回久々に大手門跡付近まで足を伸ばしたので、古写真と現在の大手門跡付近を見比べてみました【大手門側面(南側)と脇櫓】【大手門正面(東側)】仙台城の大手門は、全国的に見ても非常に大規模で豪華な
※2023年11月19日訪問※石組側溝を見学し、続いては【大手門礎石跡】を見学させて頂きます✨😌✨▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼礎石跡が3箇所確認されました。いずれも礎石は確認されず、根固め石のみが確認されました。根固め石は、建物の重さを支える礎石が沈下したいように礎石の周囲に詰められる石です。礎石跡は3箇所とも、埋設管設置に伴う急角度の掘削によって大半が削られている事がわかりました。今回確認された根固め石は5~18cm程度の礫で構成されています。大手門側面の古写真を見る
敷き土台と大床差しの取替えが終了しました。これからは、礎石に建つ柱のジャッキアップ調整です。柱の根継ぎも終了です。
古民家の独特な足固めとして敷き土台がありますが、敷地に水分が多いと敷き土台下の敷石が劣化している場合があり、この現場ので敷石は砂岩なので劣化が著しくその為敷き土台も痛みがあるため、敷き土台は取り替えします。その前に、敷石の天端をレベル調整するためモルタルで調整しました。明日からは敷き土台の加工に取り掛かります。
今日は、通院の後で近所をぶらり。太宰府の筑前国分寺跡を見てきました。晩ごはんは、無性にそばが食べたくて、ウエストに行きました。
八幡神社2023.9.12参拝目的の神社は円勝寺の隣に鎮座寺には寄らず神社のみの参拝◆進入禁止◆進入禁止なのはきっと車なのでまたいで通っちゃいますいつものように鳥居の方から歩いてきている◆長い参道と気になる注連縄◆その昔流鏑馬が行われていたという注連縄が大木2本に結ばれている鳥居のような意味を持つのだろうか…2つ目の注連縄これも大木2本に結ばれている◆鳥居と私◆曇っていたけど晴れ間が出て来た苔が綺麗です◆説明ば~ん!!◆地名の行方市八木蒔は「なめがたし
※2023年8月6日訪問※天守門を支える【礎石】について見て行きましょう✨▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼浜松市では平成21年度から天守門跡の発掘調査を行い、建物の痕跡を確認した。「安政元年(1854)浜松城絵図」の天守門が描かれている場所からは、長軸1.0~1.4m、短軸0.9~0.7mほどの扁平な礎石が4箇所と、礎石の抜取穴2箇所が発見され、門柱の配置や門扉の大きさが確認された。また、建物の屋根瓦や鯱瓦の一部、土塀の瓦も多数確認された。門の両側の石垣上部からは、壁から剥がれ落