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井原忠政著「真田武士心得(2)関ヶ原純情」が、11月10日付で刊行されたので、購入して読みました。表紙(あらすじ)(目次)(感想など)真田武士心得(さなだもののふこころえ)の第1巻「右近純情」が面白く、第2巻「関ヶ原純情」も発売と同時に購入しました。第2巻は、第1巻(その拙ブログ記事)よりストーリーにスピード感があり、より面白くなっていました。主人公の鈴木右近は実在の人物ですが、史料がほとんどないので、著者が、自由に人物造
長野市松代にある真田邸に行ってきました!!玄関です。座って眺めたときに、美しく見えるように造られている庭園です。表座敷の縁側から、録画しました。こちらは御役所。玄関の左手にあります。御屋敷を背にして、左手にある土蔵。土蔵の隣には竹林。右折すると、御屋敷の全景が眺められます。1週間程、この御屋敷で生活してみたい!!と思ったワタクシです。御屋敷を堪能したあとは、竹風堂にGO!!
松代城跡に行ってきました。建物やお掘りなど現存していたら、さぞかし素晴らしいものだったことでしょう。何故か、太鼓橋を渡らない!お掘りが気になるワタクシは、お堀沿いに歩いてみました。そして、更に気になる石垣を抜ける門。前方には井戸がありました。その先には、先ほどの太鼓橋の反対側にあたる門がありました。北不明門です。振り返ると、こんな眺めです。です。この石垣の先に、石垣を抜ける門が小さく見えます。本丸を通り、太鼓門に来ました。逆ルートも面白き!!です。振り返るとこちら。本
お城や陣屋を構成する「城郭建造物」の中に建つ「蔵」(全国「城郭内の蔵」を巡るシリーズ)を採り上げてお届けしています。お城(陣屋や代官所含む)には、「天守」「櫓」「御殿(能舞台や茶室等含む)」「門」「番所」の他に、戦闘に使用する武器類、生活を維持していく為のお金等の財産、命を繋ぐ米などの食物類、その他生活に必要な物品等々を保管しておく「蔵」や「納屋」が必ず設けられていました。元々は、そのようなモノを保管しておく「蔵・納屋」が独自に築かれていましたが、江戸時代に入り平和な時代になってくる
まいどおおきに!Hola¿Que’tal?!こんばんは¿調子どうですか?日曜日のお出かけ世間のお盆休みも最終日なんで道路も空いてるやろうと思いドライブする事に目指すは真田家の第二の故郷高野山の麓の九度山町へ九度山の道の駅は何回も来てるけど前から知ってたんですがすっかり忘れてたあるブロガーさんが紹介されてて思い出した南海高野線の九度山の駅構内にあるおにぎりスタンドくどにまず
こんにちは、ゆっこです♪松本•長野旅の最終日には、朝から松代に行ってきました。長野駅からアルピコ交通長野で50分程です。長野のバスは、あちこちでアルピコを見ました。松代は、かつてはJRの駅があったのですが廃線になり、かつての駅舎がバス停になっています。なかなか趣のある駅舎でいいなあ、と思いましたが、存続について議論がされているようですね。古いですから、取り壊しか、改修して保存するかなんでしょうね。松代は、かつては真田氏の城下町として栄えた歴史ある町です。松代城跡や、真田氏や家臣の
真田信之を藩祖とする松代藩主真田家の墓所が長國寺にあります。見学は予約が必要で1000円かかりますが、住職の話は面白く、霊廟・墓所を観られたら、充分おつりが来ます。文化財の修理には国・県から補助金がある様ですが、長國寺も資金を用意しなければなりませんから、当然です。長國寺真田信之が上田から松代に移封される時、長谷寺(上田市)の住職を開山として松代に建立されたのが長國寺です。両方ともチョウコクジと読みます。現在の本堂は1886年に再建されたもので、しゃちほこは廃藩後に取り壊され
群馬県から長野県に入り、まずは上田城跡公園。真田家ゆかりのお城です。といっても天守は現存しません。駐車場から城跡公園へ見事なしだれ桜です。二の丸橋から公園内へ左:南櫓右:東虎口櫓門この櫓は有料で入場できます。私も入場しましたが写真は撮ってません。門をくぐると真ん前に真田神社巨大な六文銭の兜伊勢神宮内宮遥拝所真田井戸実際は敵に攻め込まれたときの逃げ道や物資の運搬のための抜け道として造られたみたい。西櫓の写真撮ってなかった。西櫓から
どうしても行きたかった【名胡桃城址】まで0泊2日で行ってきましたようやく、真田の六城を全部まわったー六城攻城記念の御城印もGETしたぜ
真田家で有名な上田城ですね。こちらは桜でも有名ですね。1000本桜というだけ桜があるらしいですが。。。お城の中は人が多くて全然撮影にならないのでこちらで撮影しました。こちらは本来は堀なのでしょうがね。現在は広場か駐車場か?という雰囲気でした。枝垂れ桜も綺麗です。そして、染井吉野良い感じです
戦国時代の家紋の中でも特に有名な「六文銭(六連銭)」は、真田家の象徴として知られています。一般的には「三途の川の渡し賃」としての意味が語られ、真田家が「死をも恐れぬ覚悟」を示していたとされています。しかし、実はこの解釈は後世の創作であり、六文銭の本当の由来は別のところにあるのです。今回は、六文銭の本当の意味を紐解き、そこから見えてくる真田家の精神を探っていきます。1.六文銭は「三途の川の渡し賃」ではない?「六文銭=死の覚悟」という説は広く知られていますが、歴史的な記録を調べると、この
2016年2月2日(9年前)☆☆☆早い段階で、是非、一度”松代”にお出かけください!!☆☆☆皆さん、おはようございます。2月に入って初営業日を迎えたToday!!上田の現在の天気は、風がありGodamnColdですが、Prettyniceblueskyが広がっています。さて、昨日は「真田丸」第四話を見て、すっかり戦国武将MindになったMindのまま、真田信之公の松代に行ってきました。第四話では、やはり徳川家康が印象に残ったので、何となく家康Mindで真田宝物館&真田邸に
使用機材紹介OLYMPUSOM-DE-M10MarkⅣM.ZUIKODIGTALED12-200mmF3.5-6.3PanasonicLEICADGVARIO-ELMARIT8-18mmF2.8-4ASPH.H-E08018撮影日2025年1月22日長野県長野市松代町松代前日群馬県富岡市と甘楽町までプチ遠征したのでこの日は近場で何か撮ろうと考えた。病み上がりだしあまり歩き回れないので隣町の松代の真田邸に行ってみる事にした。松代は昨年何度
戦国末期西上州は北条氏・武田氏(の意を受けた真田氏)の覇権争いの地でした。北条氏の名胡桃城奪取が豊臣秀吉の惣無事令に違反したという事で、小田原攻めに発展して北条氏滅亡。西上州は真田昌幸のものとなりました。真田昌幸は上田、長男信幸(後に信之)は半独立的に沼田という統治形態です。関ケ原後すべてを継承した上田藩主真田信之は、長男信吉に支藩として沼田藩を継がせます。歴代沼田藩主です。初代信之(初代上田藩主、後初代松代藩主:墓は松代)2代信吉(信之長男)3代熊之助(4歳で藩主7
今年の「六十六発の鎮魂の花火」は、6月7日(土)です。4回目のテーマは「楽」。この花火を打ち上げることが今年の目標でもあります❣️真田昌幸公の命日が6月4日ということから初回は6月4日に打ち上げました。コロナ禍の最中だったこともあり、前向きになれることをやりたかったのです。紀州九度山真田砦とオールドストリームコーヒーさんに募金箱を設置しています!今年のテーマ入りのバナーを作りました初回と2回目まではクラウドファンディングで資金を募りましたが、3回目からは紀州戦国屋商店(ネットショッ
戦国武将や公家など歴史上の有名人物の家名を継ぐ人を見た時、「きっと〇〇もこんな顔」や「流石××の血筋」なんて安易に思ってしまいます。しかし、実は「家名」は守られても「血筋」は全く別のケースも多々あります。例えば真田家。江戸時代の大名家としては「真田幸村」の名で高名な信繁の兄「真田信之」の家が松代藩10万石として幕末まで続きます。信之の次男信政、信政の6男幸道と代を重ねていきますが、6代藩主「真田幸弘」には女子2人しか成人せず、彦根藩
(。・x・)ゞクポ寒くなってきたクポヽ(*´∇`)ノ冬クポヽ(´Д`;≡;´Д`)丿負けたクポ真田家に負けたクポヾ(。`Д´。)ノ彡おかしいクポ盟主を守ってたはずクポヾ(。`Д´。)ノ彡城守りのもーぐりクポもーぐりの城は焼かれてたクポもーぐりの城が焼かれてなければ盟主守れたクポ育成期間イベントが明日までクポヾ(。`Д´。)ノ彡飛龍付けるクポ
最近、また真田家の本を読んでるんだけど。読めば読むほど知りたいことがいろいろ出てくる。今も、新しい研究が進んでるのかな?私も、もっと知りたーい!大河ドラマ「真田丸」から約8年。真田信繁の名称も、前よりは定着したかな?それでもやっぱり、真田信繁(幸村)って感じで。まぁ私だってずーっと「幸村さま」って呼んでたから。今さらどう呼んだらいいのかって、ちょっと気にしてるんだけど。やっぱり正式な名前で定着してほしいなぁとは思う。11月3日は上田真田まつり。でも、ことしは行かない
(。・x・)ゞクポ急激に冷えたようなそれほど寒くない様なヾ(。`Д´。)ノ彡寒暖差の罠クポみんな体調に気を付けるクポ影城主クエも忘れずに終わらせるクポヽ(*´∇`)ノブログ見て貰えてるクポもーぐりがいない時に来てくれてたクポよーし、読者にいい所を見せるクポまがみんAが現れたクポヾ(。`Д´。)ノ彡まがみん狩りクポ城の前に出城を立てられているクポヾ(。`Д´。)ノ彡一夜城クポCもBもいるクポ増えすぎた偽まがみんは焼き払うクポ
(。・x・)ゞクポきょうは雨クポ寒いのクポ~足元から冷えてくるクポヾ(。`Д´。)ノ彡真冬の寒さクポ扇風機をしまわねば……日曜に出した扇風機をしまわねば……ヽ(´Д`;≡;´Д`)丿季節はどうしたクポヾ(。`Д´。)ノ彡真田幸村を迎え撃つクポ幸村若いクポヾ(。`Д´。)ノ彡槍対決クポ幸村って槍を使ってたクポ?槍を持っててもしっくりくるイメージはあるけどいつやり使ってたのか分からないクポ寺に引きこもってたクポヽ(*´∇`)ノまがみんが来
(。・x・)ゞクポ寒暖差で体調が悪いクポヾ(。`Д´。)ノ彡段差クポヽ(*´∇`)ノ勝ったクポ~激戦だったクポ陣壊されながら上位盟主を攻めたクポヽ(*´∇`)ノ4つ倒せたクポ~激戦だったクポ激戦州だとイーロン・マスクがお金をくれるクポヾ(。`Д´。)ノ彡もーぐりにもよこすクポ普通に収賄罪で捕まる気もするクポヽ(´Д`;≡;´Д`)丿贈賄?買収?クポ
(。・x・)ゞクポ合戦中クポ出城が~。゚(゚´Д`゚)゚。むしられたクポ~出城が焼けても合戦は続くクポヾ(。`Д´。)ノ彡ここからが本気クポヾ(。`Д´。)ノ彡万物をつけたクポおかしいクポ飛龍衝天はどこ行ったのクポヾ(。`Д´。)ノ彡相馬が4枚犠牲になったクポ盟主戦で活躍できる気がするクポヾ(。`Д´。)ノ彡盟主攻めクポ
(。・x・)ゞクポなんか暑いクポヾ(。`Д´。)ノ彡扇風機をつけるクポおかしいクポ掃除してしまったはずの扇風機が稼働しているクポヾ(。`Д´。)ノ彡蚊もいるクポヽ(*´∇`)ノ真田家と合戦クポ真田家を攻めるのクポヾ(。`Д´。)ノ彡父親か、息子か、どっちにしても家康は負けるクポヾ(。`Д´。)ノ彡もーぐりは負けないクポ―ヽ(´Д`;≡;´Д`)丿毛をむしられるクポ毟られるのは嫌クポ。゚(゚´Д`゚)゚。
2024.9.11~9.142回目のキャンピングカー車中泊旅行は、長野・群馬・山梨を周りました9月10日19:50自宅発20:00丸亀製麺夕食22:30内津峠PA0:50辰野PA1:50姨捨SA車中泊9月11日6:40姨捨SA発7;00デニーズ長野更埴店朝食9:30姨捨駅10;10日本遺産センター10;45姨捨棚田12:00道の駅上田道と川おとぎの里12:45すき家上田材木店昼食14
気がつけば私は今の仕事を30年ぐらいはやっているそしてその中で小さい会社だからこそいろんなものが大きい会社に比べれば不足している人、お金、物などなど戦国時代の真田家みたく弱小の大名と同じかもしれない普通の大名、大大名と同じようなことはそもそもできないだからその分頭を使わなくてはいけない何かいろんなものを考えたり感じたりそれをやらなければ潰れてしまう滅んでしまうだから仕事をしていてもいろんなことが起きるトラブルが起きたり機械が壊
また写真日記かな。^^きのうは祭日で、しかも敬老の日だというのに、朝から働かせられるGGヤンパ。^^放課後デイで昔の文武学校を見学に行きました。きのうは無料の日でした!文武学校なので、施設はかなり広いです。剣術から槍術から、もちろん砲術などなど、170年ほど前に開校した松代藩の学校跡です。日本人って不思議な民族ですね。こういう場所に来ると、自然と襟を糺すようで、言われなくてもこうして靴の向きを直します。この日は白人も中国
24年の父娘二人旅は、次女と真田をめぐる旅。群馬の3つの城跡をめぐり、潜龍院あとを見損ねて、ついでにタイヤのホイールに傷だけつけて、向かうは高崎。真田とは関係ないのですが、次女が、高崎の美術館で開催されている、ある展覧会をどうしても見たいと言うので、今晩のお宿は高崎にすることにしました。やってきたのは、高崎駅の新幹線口のほうにある、ホテルココ・グラン高崎。なんと、足立区に本社をおく、木本製菓というお菓子屋さんが経営するホテルです。「ココグラン」ブランドは、高崎に加えて、北千住と上野に合
24年の父娘旅は次女の番。二人で真田めぐりの旅に出ています。岩櫃城をあとにしたのが、12時20分頃。グーグルで検索して、近くでランチのお店はないかと探してやってきたのが手打ちラーメンと焼肉のお店。が、まさかの大行列で、全然入れる気がしません。ちょっと待ったのですが、ちょうど、お客さんが入れ替わったばかりで、皆これから注文という感じだったので、あきらめて、またグーグルのお世話になり、別のお店に行くも、なんとお盆で休業でした...。焼肉屋とお休みだった店の間に見つけた蕎麦屋に行
8月中旬に次女と二人で、「真田をめぐる旅」に出かけてきました。我が家恒例の、父娘旅です。旅に行きたいところも、長女(沖縄)と次女(歴史をめぐる旅)では個性が出ておもしろいです。沼田をあとにした僕らは、沼田からほど近いところにある名胡桃城へ。いや、正直いって、NHK大河ドラマの真田丸は全部見たものの、このお城の存在なんて覚えていません。が、これまた歴史では重要な役割を果たしたお城なんですね。駐車場のすぐそこに、案内所があってそこで、名胡桃城の案内ビデオが流れていたのですが、むしろ、そこ
今年も行ってまいりました。父娘二人旅。昨年は長女の番で、沖縄に行ってきました『【長女と沖縄】台風の上をひとっとび!』我が家恒例の父娘二人旅。昨年は次女と四国旅を楽しみました。『【次女と高知旅1】反省からのスタート』全くもって、本当にしっかりしないといけないなと思いました。…ameblo.jpで今年は次女の番。やってきたのは群馬県は沼田市です。あ、別にJRで来たわけではないです。台風七号が関東に接近だと世間を騒がせていた、8月15日。朝6時45分に家を出発して、車で高