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真田歴史館・真田氏館跡・御屋敷公園から、次に行ったのは長谷寺(ちょうこくじ)。曹洞宗真田山種月院長谷寺天文16年(1547年)、真田幸隆が上州の長源寺から伝為晃運和尚を招いて創建。開基は真田幸隆。標高880mある山深い場所なので、桜が咲いていました。遠路はるばる来てくれたねと言っているかのように桜が綺麗に咲いていました。本堂真田幸隆戦国時代の武将。信濃國小県郡真田の領主、武田氏の家臣で武田二十四将の一人。真田家中興の祖。海野平の戦いに敗北で上野國へ逃亡。武田晴信の誘
関西の旅「野球と歴史とお友達」2日目の忘備録になります。この日は、宿泊した「河内松原駅」から出発。大阪の歴史建造物を見学に行こうと電車に乗りました。あまり関西に詳しくないので、色々と調べながらの移動です。本来は大阪城を見学した後、オリックスのファーム球場である「杉本商事SS」で2軍の試合を観る予定でした。河内松原駅から近鉄電車に乗り「天王寺駅」で乗り換えたとき、何気なくぶらり歩いておりました。あべのハルカスも立派です。東京にある渋谷ヒカリエ(DeNAの本社が入っているビル
大河ドラマ『真田丸』、見終わりましたいや〜見応えがあって面白かったですその割に見終わるまでに時間がかかったのはTVerで『ガリレオ』見たりHuluで『十角館の殺人』見たり忙しかったのさ〜真田昌幸役の草刈正雄さんがダントツで素敵でしたな家康を追い詰めた武田信玄とその家臣だった真田信繁は確かに!戦国最強だったのだろうなオープンニングの赤備え軍団もなんかすごくカッコいいしささてと次は途中まで観てた『風林火山』をみよう内容忘れちゃったから最初から!
信州上田への旅。上田高校からはすぐ近くの、上田城跡公園へ。桜の季節なのに残念な工事中。右から北櫓、東虎口櫓、南櫓。ここの枝垂れ桜は満開。内堀は桜の谷。巨大な六文銭の兜。真田神社。本丸内の桜は蕾が多かった。
今月の初旬所用にて上田市に行きました。メイン目的とは無関係だったのですが、ちょっと早めに着いてしまったので上田城跡公園で少し遊んで行きました上田城と言えば、真田幸村(本名・真田信繁)など真田家で有名なお城です。遊具エリアで少し遊んでから城跡エリアに行くと、何やらちょっと派手目な和風衣装を身に付けた人が。近付くと「殿方たちはどちらからお越しになられた?」的な感じの芝居口調で話しかけて来ました。どうやら、地元のおもてなし隊の方のようで、真田十勇士・霧隠才蔵さん
大阪城梅林にて家康は、駿府で大御所政治豊臣討伐に向けて戦の準備をしていた。国友村に大量の鉄砲、大砲を注文していた。さらに1614年6月英国から最新の大砲カルバリン砲を購入オランダにも大砲を注文していた。狙うは、豊臣の大坂城一方豊臣の方は、指揮を出してくれる大名がいない。大坂五人衆といわれる人のみ家康が各大名に証文を書かせて、豊臣に援軍をしないように約束をしていたようだ。先手先手で豊臣を倒す準備をしていた。豊臣は後出に回っていた。1614年11月
先日3/6~8間の2泊3日、「春のお城めぐり」ツアー(長野、山梨)をしてきました。前回の「お城紀行」では、4城目として「武田信玄」が攻城したものの落とすことができず撤退した戦いで「砥石崩れ」と言われた「砥石(といし)城」へ向かい登城を始めたものの、思わぬ雪中行軍となり途中で断念しましたことを報告しました。そこで時間ができた分、麓に「真田氏」が築いた「上田城」(長野県上田市)へ向かい、特に前回ジックリと見なかった「尼ケ淵」を中心に見学しました。「上田城」の歴史と城主ですが、1583年
※こちらの記事は、令和3年7月30日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第47弾として、「上田(うえだ)城の戦い」について、ビジネス的視点で学んでいこうと思います。※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。【合戦シリーズの過去記事(抜粋)】江古田原沼袋合戦権現山の戦い第一次国府台の合戦川越城の合戦志賀城の合戦郡山城の合戦厳島の合戦四万十川の合戦今山の合戦耳川の合戦金ヶ崎城の合戦一言坂の合戦三方ヶ原の合戦叡山焼
桑折駅から11時54分発の白石行に乗り、12時15分に白石駅到着。東北旅行者アルアルで、電車降りるとき、段差につまずく。山城攻略後のためか踏ん張る事ができず、ホーム反対側の手すりにまで到達。派手な音とアクションで、乗客らの注目を浴びる。。皆さんもお気を付けて下さい↓駅前交番町としての雰囲気作りヨシ↓駅中の甲冑レプリカ白石駅でレンタサイクルし、白石城(しろいしじょう)へ。↓当信寺先に、道中にある当信寺に立ち寄ろう。↓白石城二ノ丸大手二ノ門(移築)当信寺山門は、白石城東門の移築
情報解禁‼️ついに講談が世界の『KODAN』になりました。3/2.3日に放送されました☺️番組名:「SAMURAIWISDOM-THESANADA-」放送局:NHKWORLDJAPAN※番組は以下のサイトより無料でご覧いただけます。https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/tv/timetide/20240302/3022045/SAMURAIWISDOM—THESANADA—-TimeandTide-TV|NHKW
2月8日(木)JR大阪駅から環状線外回り線に乗って、6駅「玉造(たまつくり)」駅へ。「玉造」っていう名前の由来は、昔、勾玉を作っていた所だったから…とか。駅からてくてく…。三光神社は、真田信繁(幸村)が大阪冬の陣で築いた真田丸の跡地。大坂城の南側に位置しています。地名として「真田」があるんですね。三光神社。駅からわりと近かったです。真田家の家紋「六文銭」の旗が目立っていて、わかりやすい真田信繁(幸村)の銅像があり
私は歴史探偵というNHKの番組を録画して時々見てます。で、たまたま、今日録画から見たのが、大阪夏の陣・冬の陣の話でした。豊臣VS家康というより、家康VS牢人、だって話で・・・バーチャル映像でバンバン鉄砲を撃ってるところが描かれていたり・・・っていう内容だったんです。で、結局、江戸時代前に武士が戦に負けて、失業しちゃって牢人になって、食べていかれないから背水の陣で「一旗上げてやる~~、ラストチャンスだ~~」となって大坂夏の陣・冬の陣が成立してしまった・・・という内容でし
(旧)睦月十二日幸村が身罷りし地ぞ松ヶ枝を背に影落とす安居天神雲端一心寺から逢坂(国道25号線)を挟んだ正面に安居天満宮というのがある。この場所が大坂の陣において徳川軍を苦しめ続けた真田信繁(幸村)終焉の地なのである。ちなみに、お骨佛の寺一心寺は、当時の徳川軍の陣営が置かれた場所。拝殿に参拝し、ふと横を見れば松の木に寄りかかるように幸村像がある。風情のある西側の鳥居(松屋町筋沿い)
🍀2月11日🍀前日に引き続き、岡崎公園へ主人は、仕事で、私1人で行きました🚙駐車場🅿で、静岡ドラマ館最終日以来の知り合いにバッタリ会って、一緒に向かいました。😋🚶🚶やっぱり、おかざき屋リニューアルオープンの粗品が気になり、再度訪問しました。😋ジャスト1000円購入で(笑)、こちらをいただきました。❤️真田信繁の紙兜❤️徳川家康💜狙いでしたが、敵方でした😂真田推しの知人にプレゼント🎁します😋
先日上田に行きましたので真田繋がりでの紹介。大阪の三光神社。大坂の陣の真田丸跡近く。風格ある真田信繁。漢として魅力十分であります
主祭神長江襲津彦命、事代主命室町時代、戦国時代には永原大宮と称されました。慶長20年(1615年)5月6日、道明寺の戦いの後に真田信繁が当社に立ち寄って戦勝を祈願し、馬場で休息。その際、当社に旗と刀が奉納されいます。応援お願いします(♡ᴗ͈ˬᴗ͈)ペコリ。:.゚⬇【P10倍★2/1024時間限定】zippoライター真田信繁真田幸村六文銭家紋おしゃれzippoライタージッポオイルジッポライター200200番クロムサテーナ刻印レーザー紋章オリジナル
真田昌幸、真田信繁隊、真田十勇士
vol.468中小企業の財務経営改善に強い!経営”守備”専門コーチ"すずしん"こと、鈴木伸治(すずきしんじ)です。NHKオンデマンドで1月から配信された大河ドラマ『真田丸』をようやく見終わりました。三谷幸喜の脚本、そして、堺雅人をはじめとする豪華な俳優陣の素晴らしい演技でとても楽しませてもらいました戦国時代が舞台になっているだけで、時代劇ではありませんね。ヒューマンドラマそのものです。中小企業の経営者にとっては、リーダ
昨年の11月29日から大河ドラマ「どうする家康」の総集編ということで「”家康”のでき事と所縁ある”お城”を振り返ろう」シリーズを始めました。途中約1ケ月の中断があり2024年に突入してしまいましたが、引続き最後まで完結したいと思いますので、「家康ファン」「どうする家康ファン」「戦国時代ファン」の方は暫くお付き合いください。<「家康」等の出来事>「小牧・長久手の戦い」で「織田信雄」が「秀吉」と和睦に応じてしまったことで、梯子を外された「家康」は、一旦和睦を受け入れて「家康」の次男「於義丸」
戦国時代を生きた真田昌幸は武田信玄の愛弟子でした。昌幸は信玄の兵法を受け継ぎ、師匠の信玄から、「我が目である。」と言われました。武田家がそのまま存続していれば昌幸は重臣として一生を終えたでしょう。しかし、勝頼の代になり、武田は滅亡。小大名である真田家は武田家滅亡後、北条、徳川、上杉と主君を次々替えます。時代を生き抜く所業とはいえ、その処世術から、「表裏卑怯の者」と秀吉から言われます。次男信繁は上杉の人質になったこともあり、越後で過ごします。詳細はわかっていませんが俸禄を
※武田信繁公首清め井戸…典厩寺境内内にあります信繁公は、信玄の退却を見届け、川中島八幡原信玄本陣まで移動、そこで壮烈な討ち死にを遂げます家臣たちは、信繁公の首と胴体を鶴巣寺(典厩寺)まで運びこの井戸で首を清めたと伝わっています信玄公は、信繁公の変わり果てた姿を見て、信繁公を抱きしめ号泣したと言われています武田信繁公の墓典厩寺2️⃣戦国武将の墓・供養塔シリーズ戦乱の時代は、おおまかに言うと応仁の乱(1467年応仁元年)から大坂の陣(1615
※典厩寺山門…左手には閻魔堂が見えます典厩寺山門は、3代松代藩主幸道公の長國寺霊屋の門を万延元年(1860)に移築したものと伝わります武田信繁公の墓典厩寺1️⃣戦国武将の墓・供養塔シリーズ戦乱の時代は、おおまかに言うと応仁の乱(1467年応仁元年)から大坂の陣(1615年)までで3つのカテゴリに分類されると思います。1️⃣戦国時代応仁の乱(応仁元年1466年)から室町幕府の滅亡、織田信長政権の成立(天正元年1573年)2️⃣安土
NHKの大河ドラマ『真田丸』。2016年に放送された作品です。一昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が放送されるまで、『真田丸』は私の中の大河ドラマランキングでNo.1でした(^^)そんな『真田丸』ですが、昨年までNHKオンデマンドで観ることはできませんでした。大人の事情というやつです。昨年、『鎌倉殿の13人』も大人の事情で配信停止となった時期がありました。配信停止のニュースを聞いた多くの視聴者がNHKに苦情の電話を入れ、割と早くに復活したということがありました。
鹿児島市南の郊外、谷山地区。「あの~、このあたりに秀頼公のお墓が…」「ええ、知ってますよ、クルマですか、この道を…」そして、個人宅の敷地内へ。門扉が設けられ、緑濃い樹木に守られ。おぉ、これか、秀頼さんか!石碑に「伝秀頼公由緒地」と刻まれている。「本当かどうかよりも、昔からこの家で代々大切に守り伝えられ来た墓ですから、これからもずっとだいじにしていきたいです」と所有者の方。秀頼の首塚は、京都・清凉寺に。ところが、秀頼さんは大阪城では死なず、薩摩の島津
どうする家康を見ていたら真田幸村が出てこない真田信繁という名の武将はいるのだが??お父さん?弟?改名?好きな武将ランキングにも登場する真田幸村さん大坂の陣には居たはず調べたところ真田幸村さんは「真田信繁」というのが本当の名前幸村という名で呼ばれるようになったのはなんと亡くなって50年ほど経ってから亡くなって57年後講談で大人気となった『難波戦記』その中の大阪の陣で田舎の小さな大名に過ぎなかった「真田幸村」が徳川家康を追い詰めた話が人気を集めその後「真田幸村」の活
今年に入ってまだ3日目なのですが、能登地方での最大震度7という大地震!その救援物資搬送中の海上保安庁機と日本航空機との羽田空港での衝突!大きな災害、事故が続いています!亡くなられた方々にはお悔やみ申し上げます。避難されている方々、負傷された方々にはお見舞い申し上げます。少し暗雲垂れ込める年明けですが、ここでサラリと初詣等に行ってきた模様を紹介させていただきますm(__)m今年の私の初詣は2か所です(^^)まず紹介しますのは、安居神社(大阪市天王寺区)でして、元和元年
大河ドラマどうする家康第48回「神の君へ」2023.12.17放送NHK総合BSプレミアムこんばんは~まさかのギリギリ年内になってしまいましたが今年の大河ドラマ『どうする家康』の最終回!はや2週間前の放送ですから、うろ覚えの方々、ご一緒に復習してまいりましょう冒頭、有名な遺訓が出てきましたね。『人の一生は重荷を負うて遠き道をゆくが如し』これ、後世の創作説もありますが。家康の一生を語るうえのイメージにぴったりハマっているので。偽物でも好きです実際に家康が、あそこ
【こんや放送!】#どうする家康でも登場!関ヶ原&大坂の陣がVRでよみがえる⚔️真田信繁が大活躍した「大坂の陣」。家康を追いつめた#真田丸の戦いを徹底調査!ナレーションは千姫役#原菜乃華さん。決戦!戦国VR関ヶ原&大坂の陣📺30日(土)夜7:00[NHKBS]もしも、戦国の合戦を体験することができるとしたら!?関ヶ原の戦いと大坂の陣をVRでよみがえらせる歴史プロジェクト。徳川家康や真田信繁、誰も知らない戦国を目撃する関ヶ原の戦い
『大河ドラマ「どうする家康」-NHK』で戦闘あっさりの大坂の陣で、激しく戦い華々しく散る真田信繁(幸村)を味わいたくて読んだ下巻天正壬午の乱で真田はどう生き残るのか?信玄の娘に淡い恋心を抱く幸村の想いは届くのか?真田幸村〈下〉(人物文庫)レビュー下巻は、本能寺の変で織田信長が亡くなり、その混乱から幕を開ける旧武田領の甲斐国・信濃国を巡る争い天正壬午の乱の始まりから終わりまでが描かれています。タイトルが真田幸村なので、大坂の陣で万に一つの確率もないくらいの逆転を掛
・駅前の小さな新刊書店で購入。帯の色が落ちているが本は新品同然である。・大河ドラマ『どうする家康』で日向亘氏が演じた真田信繁に興味を持つ。・信繁の人生、花押の変遷、真田丸の構造、大阪の陣の布陣の考察等々充実の一冊である。・大阪夏の陣で東軍(家康・秀忠と諸大名)がかなり苦戦していた事を初めて知る(情報共有できず陣形が崩れたり同士討ちが起きていた事等)。・大河ドラマに出てこなかった人物(本多忠朝や大野治房等)に興味を持つ。・平山氏には信繁の妻女や子女について一冊書いてほしい。平山