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1か月前に要介護2と認定された母は、再調査にて要介護5になった。私のかかりつけ医で「要介護5の母を自宅介護している」という話をするとすごく驚かれた。「それはさぞかし大変でしょう。無理はしないで。」と労いの言葉をいただいた。確かに慣れない下の世話は大変だし、常に誰かが近くで見守っていないといけないので時間を拘束される。ただ、家族で協力もできているしケアマネさんのおかげで介護サービスもしっかり受けている。寝たきりのため徘徊の恐れもない。うちよりもっともっと大変な介護生活をしている方はたくさん
昨日のお話の続きです。生徒さんのお母様が癌を患ってから10年近くの歳月が経ち、齢九十を超えてからも尚もお元気だったのですが、次第にご容体が悪くなり、とうとう入院されたとお聞きした時、何かわたしにできることはないものかと考えました。勿論、癌が悪化したというわけでありません。ですが、年齢的にみても、もうそう長くはないだろうという予感が、このとき、恐らく誰の胸にも去来したことと思います。そんなある日、わたしは夢の中で見知らぬ女性の姿を見ました。夢か
看取り士、ペット看取り士ペットロスカウンセラーアニマルコミュニケーターグレートプレゼンターの和です虐待…それがわたしの原点❗️幼少期から続いた継母からの壮絶な虐待…今も忘れられないあの日継母から数日間食事がもらえずお腹を空かせていたわたしにそっとご飯をわけてくれた真っ白なスピッツのシロわたしはペットに助けられ,育てられ、愛や優しさ…その命を通して贈り物を頂いてきましたわたしが経験したこと学んだことをお伝えしてすべてのペットが幸せに暮らし最期愛され抱きしめられて旅
登場人物紹介くわしくはこちら登場人物紹介2022年1月母の入院をきっかけに認知症の父の介護が始まりました泊まり込みワンオペ在宅介護とショートステイ併用期を経て…2023年1月父、特別養護老人ホームに入所しました特養入所への道母は今も入院中母の入院2023年3月実家じまい完了実家じまい2023年12月父、覚醒不良看取りケアに移行看取りケア期2024年1月父、永眠しましたこちらもどうぞ介護スタートから今までの経緯入院中の母と面会しまし
こんにちは心の居場所グリーフカウンセラーかたはらみえです今日もお越し頂きありがとうございます人生会議(ACP)かしこまってしなきゃどんなふうに会議をしたら心配ご無用実はすでに日々語り合ってるんですね何が好き何が苦手⁇どんな言葉を座右の銘にしてますか❓大切にしていること心穏やかになれる場所🍀🍀🍀今まで落ち込んだ時どなたが支えでしたかなどなどかしこまった会議でなくて大丈夫なんとなくの日常会話の中にも大切な気持ちこころ発見質問🙋🏻♀️①人生会議はいつ
母が看取り期に入り、私は正直ほっとしたというか、やっと終わりが迎えられるなあという感じです。「最期やから後悔のないように」と、本当に心の底から母のことを私のことを思って声をかけてくださいます。はて?後悔とは?朝ドラの主人公、とらちゃんの「はて?」を引用そして、家族の、「〜してあげたい」がそれぞれ違います。「最期やから〜してあげたいやん?」と共感を求められ、まあうん。そうやな…と、なんか私は変に冷静です。「最期やからハイ」(ランナーズハイ的な?)ものを感じてしまいます。何十年か
私は自分が癌になったショックは少なく、両親に私まで癌になってしまって申し訳ない気持ちでいっぱいでした。特に父に伝えるのには堪えました。父の涙を見るのは2回目でした。祖母が亡くなった時と私の乳がん告知。そこから私も抗がん剤治療をしながら、2回程一週違いで父も抗がん剤を再開する事になり、まだ副作用が抜けきらない身体で父のケモの付き添いに。私の抗がん剤も父と同じドセタキセルだったのもあり、副作用も親子だねぇ、色んな副作用出るタイミングも同じだよ笑味覚障害も「コレすっごい不味い!コレなら食べれる
こんばんはアフターケアラーぷらっと〜心の休憩所です。4月21日にアフターケアラーの皆さんで、泣いて笑って語りあいました。12時から19時まで出入り自由にしてますぷらっと立ち寄った方名古屋から新幹線で来てくれた方まだ、少人数のコミュニティですが中身の濃い話ししてますよ。新しい方がなるべく入りやすいように駅で待ち合わせしたり工夫してますよ。zoomでも対応しています。
昨日、地域で介護者の会を主催されてる知り合いから、新しく刷り上がった市民向けに配布する会報を母がお世話になってる特養さんとうちのご近所の地域包括さんにお届けするよう頼まれ、お預かりしまして、昨日新しい会報、母との面会前に特養さんの事務員さんにお受け取り頂きましたが、今日は野暮用で出掛ける前にご近所にある地域包括さん寄りましたが、顔馴染みの職員さん見当たらなかったのでテイクフリーのLUCKに新しい会報を勝手に入れてましたら、後ろから失礼ながら見覚え無いお若い女性職員さんにこんにちはい
以前、車椅子の移動で畳がボロボロになって困っているという記事を書いたのですが↓↓↓『今、一番困っていること!』義父が入院先の病院から退院することになって急遽、準備した介護ベッドや車椅子。急に決まったので本当にバタバタでした。そして、最近のもっぱらの悩み…ameblo.jpあのときに買ったデスクマット。↓↓↓アレ、買って正解でした。というか大大大大大正解でしたこれね!【Amazon.co.jp限定】クモリ(Kumori)デスクマット厚み2mmチェア
また排便の話です。苦手な方はご注意ください。私が自宅に戻っていた週末、妹よりLINEが。「あけるたびウンチ」おむつを開けるたびにパッドに便がついていて、トイレットペーパーでお尻をふきとらないとならないそう。週末は金曜日にヘルパーさんが来るだけで土曜、日曜とサービスがなにも来ないので家族でなんとかするしかない。恐らく出口付近に便が下りてきてたまっているのだろう。自力で出すことが出来ないので少しづつ漏れ出てしまうのかもしれない。次に訪看さんが来るのが火曜日なのでそれまでどうす
日常で役立つ哲学の教えは?ちょうど最近、テレビで特集があった、大好きな坂本龍一さんの話。闘病にあたって、後悔が生じる、どうして、もっと自分に目をむけなかったのか。彼はまだまだやりたいことがたくさんあったのに、なんて惜しい。絵ちやんは、冷めていて、だから、自分が生きてい幸せとは、どうしても、思えない。こんな生きずらい人生にくらべたら、坂本龍一さんの功績は、輝かしいものだったろう。どうして、生きずらい自分が生きているのかわからない。私の父だって、やりたいことがたくさんあった。
家業の料理教室に長年通って下さっているわたしにとっては大事な愛弟子でもある生徒さんのお母様が、先般、身罷られました。わたくしは直接お会いしたことは一度もなかったのですが、実は生徒さんを通じてとあるご縁を結ばせて頂いておりました。今回はこの生徒さんのお母様とわたしが施した魔法に関するお話です。ちょっと長いので2回に分けますね。****************************それはこの方が癌を患ったことが発覚し、娘である生徒さんから相談を受けたことが
在宅医療というと、家にいる人に医療を施すものと思われがちです。しかし、私たちの考える在宅医療は、医療は3割程度に過ぎず、残りの7割は生活をみることだと考えています。医師によっては「在宅でもしものことがあればどうするのか」という点ばかりを気にして、入院選択をする人もいます。しかし、過剰な治療は、本人に苦痛を与えることもあります。本人らしい生活を奪うことにもなりかねません。病が治っても、入院生活をしているうちに認知症が進行する、筋力が衰えるなど
父が他界したのはちょうど1週間前だ。病院から呼び出しがあり、弟家族と車で向かった。臨終には間に合わず到着時すでに心臓は止まっていた。それからー怒涛のごとく物事は進んだ。葬儀会社の手配から打合せ、親類縁者への連絡、喪主としての通夜・葬儀のとり行い。その間仕事の手も休めず、週後半は出勤して複数の最終面接をこなした。気丈なふるまいを続け、正直さすがに疲れた、、起き抜けの体は鉛のように重い。休む間もなく、合間に区役所への連絡、手続き相談、訪問アポ、年金事務所への連絡
こんにちは心の居場所グリーフカウンセラーかたはらみえです今日もお越しくださりありがとうございます時間のあり方あ〜時間がないどうしよう・・今、ヒマだしなんでこの人こんなに急ぐと⁉️のんびりな人やね〜さまざなな背景と感情・思考によって時間の感覚も変化好きな事をしてる時の30分あっという間飲食店で待つ30分まだ?まだ⁈まだ⁉️なが〜〜い‼️
ご無沙汰しております。また日常が忙しくて放置してしまいました。続きを書きます。陳述書、長いんです。陳述書って、地裁、高裁、最高裁を合わせても唯一、裁判において、自分の意見を言える、出せる文章なんですよね。だからここぞとばかりにたくさん書いて、これでもカットして、弁護士さんに添削してもらってこの文章ができています。でも弁護士さんはほぼ手直しせずに私の文章と言いますか、内容共々、尊重してくださったので、あの時のことをありのまま私目線で書いた文章になります。今回の記
登場人物紹介くわしくはこちら登場人物紹介2022年1月母の入院をきっかけに認知症の父の介護が始まりました泊まり込みワンオペ在宅介護とショートステイ併用期を経て…2023年1月父、特別養護老人ホームに入所しました特養入所への道母は今も入院中母の入院2023年3月実家じまい完了実家じまい2023年12月父、覚醒不良看取りケアに移行看取りケア期2024年1月父、永眠しましたこちらもどうぞ介護スタートから今までの経緯入院中の母に面会に行き
ご来訪ありがとうございます「死」は人生最大のエンターテイメント死から生を感じるマニアあゆたまです【今日は掃除機かけなかったんだね】仕事が休みなのに疲れていていつもはかけている掃除機をかけずに横になっていた日帰宅した旦那さんが「今日は掃除機かけなかったんだね」と一言あなたならこの言葉をどう受け止めますか?講座に来てくださったクライアントさんは以前はこの言葉を「休みのくせに掃除機もかけずに
母は熱が出た日からちょっとだけ元気が無いように見えるが食欲はある。いつもプリンやゼリーなど冷たいものばかり食べているのでたまには温かいものにしようととろみをつけたスープなどを作ってみる。マグカップに冷ましたスープを入れて渡すと左手で持って自分で口に運ぶ。ただ、口いっぱいにスープを含んで一気に飲み込もうとするので危なっかしい。ある程度口に入れたらマグカップを口から離してあげるようにして介助する。覚醒度合いとしては先日「もう一杯!」と言った日が一番のピークで少しずつ下がってきている
ご来訪ありがとうございます「死」は人生最大のエンターテイメント死から生を感じるマニアあゆたまです【幸せになることが目的】/今の現実はすべて自分が選択してきたことの結果\この言葉を聞いたときに「その選択をしてきた自分」を”責められている”と感じる人が少なからず居るように思いますでもそれってめちゃくちゃもったいない!誰も(もちろんわたしも)そんなことひとつも責めていません今の望まない現実を
話しは遡りますが、昨日午後ご近所の地域包括さんの昔からの顔馴染みの職員さんより、来月行われる地域交流サロンのチラシが出来たので配って欲しいとのお電話頂きまして、それぐらいならお易い御用なんで、何十枚かチラシをお預かりしまして、かれこれうちの末っ子が小1の時からの知り合いで地域で顔が広い知り合い方いるのですがその方もにも何枚か配って欲しいと電話でお願いしましたら、そちらもオッケー頂きましたが、その方のお宅、母がお世話になってる特養さんのすぐ近くなんで、今日母の特養さんに母の面会に伺
ご来訪ありがとうございます「死」は人生最大のエンターテイメント死から生を感じるマニアあゆたまです【頭では分かるけど、気が重い】ここ数日で何人かの方から「頭では分かるんだけど実際にやるとなると気が重い…」というような反応を頂きましたお伝えした内容は人それぞれ違うのですが共通していたのは「苦手な相手との関わり方」という点です「鏡は先に笑わない」「相手は変えられない」だから相手との
年が明けた気がしないまま気が付けば2月になっていた。時間経過の感覚がおかしくて1週間があっという間に感じるのに母の病気が見つかってからまだ2か月しか経っていないのか・・・とも思う。妹担当の週末、前回は昏迷状態で入れなかったため久々の入浴サービス。入浴後に「気持ちよかった?」と聞くと母は難しい顔をしていたそう。その後咳が出てきて発熱。もしかしたらお風呂がぬるかったかもしれない。緊急で訪問診療医に来てもらう。「今の時点では肺炎などの重篤な状態ではない」とのことで咳止めのシロップを処方して
我が家は、夫婦2人。夫52歳。妻56歳。夫は、長野県出身。妻は、神奈川県出身。最後にどちらか1人になったら…私たちに子供がいないのと、ほぼ会わない親戚に頼るより委託サービスを頼もうと思ってます。10年前に、葬儀会社が運営するサービスの会員になっていて、日々のことは問い合わせ出来たり、相続の話も手続きもサポートしてもらえます。ただ、葬儀後の常識的な範囲だから、急な入院の手続きや財産管理を、後見人を立てるのも思案中。公証役場で、大まかな話を公証人から、以前公的遺言書を作成した
話しが遡りますたが、先日、アポ無しで児童相談所さんの職員さんが我が家に来訪されましたが、その日に、旦那に児童相談所さんの職員さんが突然お見えになったことを報告しましたが、旦那に児童相談所の方が我が家の子育てに介入することを知ってたか訊きましたら数日前に、娘の在籍する小学校から旦那に児童相談所の方にも相談すると連絡があったそうで旦那いわく、前日に私に小学校から連絡があったことと、児童相談所さんが我が家の子育てに参入❓してくれると夕食中に私に言ったそうですが、私、聞いた覚えが無いのと、モラ
札幌ファミケアプリズム翠吉田綾子です疲れた心を癒せるのは時間がかかる32年の母のケア生活を終えて5年・・・ようやく今少しずつ心が解放されつつあり、自分の気持ちや感情、思考など、抑えられていた『自分』というものが少しずつ顔を出してきた感じです。そんな気持ちを書いた5年前の記事を見つけたので加筆修正してお送りします。時期を見返すとあの頃の感情と今は少しだけ違っていることに気づき、少しずつ自分の変化がわかります。長い長い介護生活で、私は自分の気
甥子が昨年末に結婚した。弟が離婚し、1歳に満たない年齢で家に転がり込んで来た甥。弟に代わり自分の子ように育てたのが母だった。当時から仕事に留学にと奔走していた私は、年の離れた姉的な存在で甥の遊び相手をした。早いもので彼は30歳になり、そして結婚した!それまでの付き合いがすべて短く終わってたので正直結婚にこぎつけるとは思っていなかった。父の葬儀に甥がお嫁さんを連れて来た。生前父は暖かくなったら家に招いて食事をしようと仕切りに話していた。実現せず残念だ。父の遺骨を