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(武相荘内のカフェ)今日は久しぶりに・・・白州次郎氏と、白洲正子さんご夫妻が暮らした旧邸宅「武相荘」へ行ってきました。1942年から約40年以上にわたって暮らしていたその時代にタイムスリップ・・おふたりの美学に触れられる素敵な所です自然豊かなお庭で、、、緑に包まれながら大きく深呼吸するだけで幸せな気持ちになります。旧白州邸武相荘東京都町田市熊ヶ谷駐車場ありです大きなタケノコも発見!
Comment:使用過多で”廃”印を5面(側面と底)に刻印された。→使用許可されなくなった江戸時代の枡で。分量不足のところへの口回りに<添え木>で、より美的・芸術的となっております。◆余談ですが、古美術業界で超有名な”伝説の人◯◯”さん(骨董商のこと・76歳の方/知人/来店者※)が、以前に目の前で買い付け時の唯一の目撃者の私が<目撃作品>と”優劣をつけられない”&”それ以上の良さの作品”と自負する紹介です。(その時の<買上額=仕入額>も認知しての)___________________
■福島県より「たらの芽」をたくさん頂いたそして真ん中の白いのがアミガサタケだろう。春を一番感じるのは山菜である。そして「たけのこ」も然り。そういうことが一番の贅沢であると日々思っております。たくさん取った「ふきのとう」を天ぷらに余った分は「ふき味噌」にする。その味噌も自家製である。■山あいの高級旅館なんかに行くと山奥なのに海の幸いっぱいの刺身の盛り合わせとステーキなんかできたり正直うんざりしますね。イワナの塩焼きと、山菜の天ぷらと、ギンギンに冷やした日
上品な海老シーフードドリアが食べたくて白洲次郎さんのおウチ武相荘へ新緑のこんなところを通ってあら筍階段上がってつつじが綺麗次郎の屋外バーガレージ?門の横の新聞入れが臼なのね門をくぐって振り向くとこんな感じ次郎さんのウチの離れがレストランになってるあら~12時前なのにウエイティングだわこの茅葺の屋根が母屋ミュージアムになってる主に白洲正子関係が展示されていたかなカフェの横の階段を上がるとコチラもプライベートバー大きな次郎と正子の写真うわ~
桜も散って新緑の美しい季節になりました今日はひさしぶりに友人とおでかけです東京都町田市にある武相荘(ぶあいそう)白洲次郎と白洲正子が戦争中の昭和18年に引っ越してきて生涯を過ごした家です武相荘武蔵と相模の境にある家不愛想な主人の住む家…そんな理由づけから白洲次郎自身が名付けたそうです茅葺の家正子が集めた器や着物書斎が公開されていますルイヴィトンのバッグも愛用していたようです生まれながらにして身についたセンスが磨き抜かれあふれている家
母と姪っ子2人と、その息子と武相荘へ行った。ゆっくり旧居を見て回る。庭も素敵。
今日は友達と町田・鶴川にある白洲正子邸「武相荘」に行って来ました。朝は肌寒く感じましたが春らしい晴天で昼ごろにはポカポカ暖かくおでかけ日和となりました。昔は養蚕農家だった家を改築した白洲邸。白州次郎の愛用車。次郎も正子もお坊ちゃま、お嬢様でおハイソ(死語)ですよね。でも二人とも単なるお金持ちではなくて白州次郎は戦後GHQと渡り合った骨太の実業家正子は、日本美を追求し続けた随筆家。残念ながら白洲邸の中の撮影は不可でしたが正子の審美眼を通して選び抜かれた品だなぁという感じ
年とって咲く花が一番美しい永遠のものだ(白洲正子)
妙見口から一庫ダム方面へ。「道の駅いながわ」んとこをキュッと曲がって三田へ。三田藩主九鬼家の菩提寺、「心月院」に来たのだ!ここに、白洲次郎と正子夫妻のお墓があります。右が次郎で左が正子のもの。正子がデザインしたという墓石には、次郎の「葬式無用戒名不用」という遺言を受け、戒名は刻まれていません。白洲家は元々、三田藩の儒学者の家柄であったため、ここにお墓があるみたい。白洲家の墓地には、次郎の父・文平や次郎の祖父・退蔵のお墓もあります。この「PEPPY
駆け出し編集者だった頃(中略)意を決してダイヤルを回した。大作家にも電話で依頼が当たり前の時代だった。モシモシ白洲正子先生でしょうか、私これこれこういう者です、◯月号でお原稿をいただけないでしょうか…「あ、今忙しいの」、ガチャン。終了。(秋山礼子「白洲邸の姉と正子さんの思い出」「波3月号」新潮社)
人々の生活を潤し、独特の水の文化を育んできた「琵琶湖」。極上の景色から、白洲正子が愛した観音、豊かな食文化、暮らしを彩る伝統の技まで琵琶湖ならではの美に迫る!20年目に突入!これからも暮らしの中のさまざまな「美」を伝えます!写真家が見守り続ける琵琶湖の極上の景色▽春先に起こる不思議な現象「琵琶湖の深呼吸」とは?▽随筆家・白洲正子が「近江でいちばん美しい」と称賛した国宝の十一面観音の魅力▽湖魚の豊かな食文化
雑誌も図書館から借りてきます前はウン十年の間購読していた「芸術新潮」ですが年金暮らしにはきつい出費となっちゃった、購読をやめました、ジジババ二人合わせての年金もわずかで生活するのが精いっぱい!ボロは着てても心は錦~~♪ってなところです(笑)ヒマラヤの山奥深くに棲まう雪豹は全世界での推定生息数は8000頭ぐらい生息しているそうです、険しい
「こころの声を聴く」河合隼雄対話集新潮社1995年1月25日発行この河合隼雄対話集の目次は読書のよろこび、語り合うたのしみ―――河合隼雄河合隼雄さんはスイスユング研究所より、日本人で初めてユング派精神分析家の資格を取得した。京都大学名誉教授(臨床心理学)著書に昔話と日本人の心」「明恵夢を生きる」、「とりかえばや、男と女」、「こころの処方箋」など多数ある1魂のリアリズム対話者山田太一「対談の後で」山
こんにちは。ほどほどでやめるほどほどで満足する斎藤茂太「続いい言葉は、いい人生をつくる」より「ほどほど」という言葉、昔から、とても好きです。『書その2629』こんにちは。頑張らないでへこたれないで樹木希林さんの言葉何度も書いている言葉です。『書その2531』…ameblo.jp自分自身の生き様を振り返ってみると、とかく「
白洲正子著「ほんもの白洲次郎のことなど」友人に教えてもらった1冊。随筆集です。白洲次郎はもちろんのこと、青山二郎、小林秀雄、吉田茂。。。。登場する人物の顔ぶれが普通じゃない(笑)
白洲正子さんについて昔の映像が流れていました。ふと聞き入ると白洲正子さんのことでした。改めて素敵な女性を見た感じがしました。彼女は明治43年に生まれ、樺山伯爵家の二女として東京に生まれました。夫はあの実業家白洲次郎さんです。彼女は88歳で亡くなりました。美意識が非常にお二人とも高く「武相荘」(東京町田)というところで最期まで素敵な生活をしました。能への造形が深く14歳で女性初の能舞台に立ったようです。「ものはほどほどに投げやりが美しい」といった美意
白洲正子さんの本からです。白州次郎さんもいいけど白洲正子さんもね。なんかいいんですよね。「たしなみ」という言葉もね。言葉と思考を楽しむ。ありがとうございます。
古文も読まず、サクッと対談と現代語訳で問題を説いて、家にかえってじっくり白洲正子さんの文章を堪能しましょう。TikTok-MakeYourDaywww.tiktok.com
他者貢献しながら自己受容をしていく:アドラー心理学の智慧アドラー心理学ELM黒澤いくこですこんにちは!友人や家族や職場の人など・・・私たち沢山の人と繋がってるし支えられているんですが繋がりに対する視点を変えるとこんな考えがあったんだ♡という言葉をいただいたのでシェアしますね。********************この前コーチングの大大大先輩とランチをしていたら「いくこさんのソウルグループは誰なの?」って聞かれたんです。彼の言
玉は磨かねば光らないのです。玉をもっていると自覚してそれで安心していたのでは、一日たりとも、今度は玉のほうが人を許さなくなります。「たしなみについて」白洲正子:著よりこの本一冊徹頭徹尾この口調で、端的にして余計は語らず。出したからには退かずの姿勢が背骨に一本通っている。姿勢は自身にも向くが、他者にも否応のなさで突きつけられ、そのフィールド以外でのやりとりに進ませる気配がない。
若くとも、一所にじっとしているならば、それはすでに老いたのです。「たしなみについて」白洲正子:著より「真に名人と自らゆるす人は、いつも初診の時の心構えを忘れず、しじゅうはげみを怠りません。それが芸の若さを保つ所以です。功成り名とげて身退く、というのは、すでに引退という一つの行動をしているわけになります。隠居をして急に老衰するような老人は勝手に老いぼれたらいいのです。人間のできた人なら、隠居することすら、一つの仕事となる筈です。ごもっとも。そして凡人に及べぬ知見。現役を退く
日本ブログ村に参加していますよろしければクリックお願いしますにほんブログ村2025/12/23(火)無料で楽しめる庭園が目についたさっそく、グーグルマップで確認鶴川香山園という庭園は、鶴川駅の目の前にあるようだ奥さんに行ったことある?って聞いたら、行ったことあってたいしたこと無いとの返事だったなら、1人で出かけてくるか1人運転は奥さんが気にするから、電車で行くつもり当日の朝、近くで寄れる所探すなら、一緒に車で行ってもイイと言い出したので探してみると、無料ではないが武相
気になっていた『武相荘の四季』を本屋さんから手に入れてきた。故白洲次郎・正子夫妻の旧宅を一般に公開したとき武相荘と名付けた。東京都町田市にある。町田市が東京都に属すことになった経緯はいろいろあるらしいが、地図でみると盲腸のように神奈川県に突出している。不思議な町だ。(←ここんとこダジャレじゃないから、よろしく)なぜ武相荘と名付けたかは、もうお分かりだと思うが、武蔵国の「武」と相模国の「相」が合わさって武相荘(ぶあいそう)。白洲夫妻の自分に向けたセルフイメージかもしれない
この間テレビで町田を取り上げていて、白洲次郎の武相荘を見たので行ってみたくなり、早速行ってみる事にする。町田と言いながら、小田急線の町田駅からは遠くて、鶴川駅からなら15分程で行ける様なので鶴川駅へ。ここは鶴川香山園があった所だ。その時は武相荘には気づかなかったのだ。マップを見ると、住宅地の中を行く道と、広い車の通るまっすぐな道を行くコースが出てきて、お勧めは住宅地の方なので、そっちを選ぶ。直ぐに階段を上りその後も結構急な坂を上って行く。降りてくる人に次々とすれ違うが、毎日大変だなあと思うほ
2026年1月17日(土)。天気晴れ。かなり寒いというわけでもなく、都心の気温は15度だったそうです。昼食は、「鶴川街道」沿いの「モスバーガー鶴川店」にて。なぜ、ここにいるのか。というのは、「モスバーガー」から「鶴川街道」を渡った向こう側の丘の麓にある「武相荘」に来たからです。「武相荘」とは、戦前は実業家、戦後はGHQとの終戦連絡事務局次長や経済安定本部次長を歴任し、吉田茂首相に随行してサンフランシスコ講和条約締結にも立ち会った白洲次郎と、随筆家・白洲正子夫妻の家です。白洲次郎は、神戸一
昨今世の中は、また白洲次郎正子ブームの様相を呈しているようで、白洲ご夫妻の著作や出版物の再版が、相次ぐらしいです。10年ごとに、ブーム再来!(白洲正子没後これで3回目)いまだ根強い人気で、いずれも相当数の売れ行きだとか以下は、現在の荒廃した日本の状況から、私たちが強く願い求めるものを、示唆しているような気がします。二人の生き方やライフスタイル。溜飲が下がるというか、言いたいことはソレなのよどこかの国の政治家に、聞かせてやりたい『この二人の何ものにも媚びない毅然とした生き方は、現代人
親しくしている本屋さん、年末年始の休みが明けて初日ということで所用ついで立ち寄った。ギャラリーも模様替え、新春企画は大津絵の絵手紙。大津絵は前から気になっていた。中尾千重さんという大津絵画家の方が長年知人と取り交わした絵手紙を譲り受けて今回の展示となった。当世風でもある絵も文言も機知と洒脱が効いていて飽きることはない。オレもこんな「かろみ」を身につけたいものだ。今回の展示は、それだけではなく、店主たちの並々ならぬ気合を感じる。「春はあけぼの」と題する自作の和紙工芸。織
白洲正子さん白洲正子(しらすまさこ)あだ名:韋駄天お正1910年1月7日生まれ、1998年12月26日、満88歳没。東京府東京市麹町区(現:東京都千代田区)生まれの随筆家、評論家。父:樺山愛輔(実業家、政治家、華族、貴族院伯爵議員)父方の祖父:樺山資紀(海軍軍人(海軍大将)、政治家)母方の祖父:川村純義(海軍軍人(海軍大将))姉:近藤泰子夫:白洲次郎(実業家、貿易庁長官、内閣総理大臣秘書官、吉田茂の側近)長男:白洲春正次男:白洲兼正兼正の妻:明子(小林秀雄の
1月7日は七種粥(ななくさがゆ)。なずな(ぺんぺん草)、すずな(かぶ)、すずしろ(大根)など春の七種をおかゆに入れて食べれば万病が防げるとのおまじないの日。この日は『橋のない川』の住井すゑ(すえ)が生まれた日(1902年)で、随筆家の白洲正子の誕生日でもある。樺山正子は1910年、東京で生まれた。祖父は元薩摩藩士で海軍大将、伯爵になった人物。父親は鉄鋼会社や銀行の役員で、後に貴族院議員になった。正子は次女だった。4歳のころから能を習っていたという正子は、14歳で米国留学。18歳のとき帰国した
ご訪問ありがとうございます。年末から年始にかけて読んでいた本図書館から借りたらまず栞選び『姥玉みっつ』時は江戸、還暦越えた3人の婆様たちは幼馴染なれど性格が全く違い、ぶつかり合いながら良いところは認めあい、にぎやかに暮らしている。主人公の婆様は毒舌で人とのかかわりが苦手、静かに暮らしたいのに事件に巻き込まれ少女の面倒をみるうちに・・・自分と重なるところが多くて共感しながら読みました。こんな老後は楽しそう。『手のなかの虹』『名人は危うきに遊ぶ