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ああああ、この手の写真を見ると昔を思い出して胸が痛みます僕は学校に行けませんでした。それは学校に怖くて行けなかったからです。学校に行けない子どもたちの何割かは、学校に本当に行きたくないわけではないと思います。中には、今の制度の学校には馴染めないという子どもたちや、ただ単に怠けたいという子どもいるとは思います。でも学校に戻りたいとおもっている子どもも多いのではと僕は思うのです。子どもが不登校になった時に大切なことは、その理由を周りが知ろうとすることだと思うの
このイラストも悲しいな。ひとりぼっち。小学校から不登校だった僕が抱える困難さはいろいろあったわけです。ひきこもりから回復して、フィリピンの大学に進んで、僕の人生は一変しました。そして、彼女ができて、就職をして日本に帰国したのです。大学に入れてからは、楽しいことの方が圧倒的に多かったです。小学校から22歳まではこの先どうなるのか、皆目見当がつかず、もやもやした思いに絶えず支配されていました。しかし、今回22歳までの母親とだけの人生を振り返ってみると、やはり大変なことが山ほど
このイラスト見ると悲しくなります。あっ宣伝です。支援する人を募集しています。たくさんの人は支援できません。また状況が大変な人も支援者の体力が持たないということで、できないそうです。それではどんな人の支援が1番できそうかというと、高校生で行けなくなりつつある人。現在高校1年でこの4月から高校に通っていたけれど、数回程度で行けなくなった人たち。特に学校に行きたいけれど、不安や恐怖心が先に立っていけない人や不本意な高校に入ってしまい、もうどうすることもできないと格段落
・他人をとても怖がること。・常識を持ち合わせなかったこと。・清潔にしていなかったこと。・考え方がおかしかったこと。僕が抱える問題でした。小学校から22歳まで母親以外と関わってこなかった人間の状況でしょうか。自分が抱える問題を書き出しましたが、これらが問題だとはひきこもっていた当時は自分で思わなかったわけです。だって、他人と比較しなかったわけですから。お風呂には入っていました。体は洗っていました。ボデイブラシにボデイシャンプーをつけて胸あたりを数回擦っておしまい
気づけば10日間だれもブログを書いていないわけでして、私が書きます。今までとにかく会社内でお荷物にならないようにと一生懸命でした。少しは仕事に慣れてきた僕です。そうしますと周りが見えてきますね。僕は小学校から22歳までひきこもっていたわけです。それがフィリピンの大学を出て就職をして今東京に住んでいます。「昔のことは忘れてきました。」と何度か書いていますが、やはり時々は昔の記憶が思い出されて、そのことで不安になったりはします。そんな時には、一緒に住んでいる彼女が受
皆さま🍀2025年5月17日(土)一般社団法人ABASPEAKS「はったつFES.2025」〜第7回歩こう話そうTALK&WALKのお誘いです🍀はったつFES.2025「はったつFES.2025」開催いたします🎉毎年、世界自閉症啓発デーに合わせて開催しておりますイベントが、今年で第7回目となりました。🔹もっと具体的...poweredbyPeatix:Morethanaticket.peatix.comABASPEAKSは、応用行動分析学により、発達
こんにちは✨ひらいこどものいえオープンモンテッソーリスクールです☺️今日は新しくオセロが届きました!お話を聞いてゲームに参加できるようこちらも伝え方を工夫して提供していきます!指導員、全力で勝ちに行かせていただきます🔥
こんにちは✨ひらいこどものいえオープンモンテッソーリスクールです♫当施設はビルの2階にございます。ご案内はレミちゃんというマスコットがしております!2階に登っていただくとすぐにひらいこどものいえの扉がございます。そこではレミちゃんと、レオくんがお出迎えです☺️今日も楽しくみんなで過ごしましょー!
みなさまこんにちは✨昨日の4月8日は火曜日クラスの療育でした😉🌟ひらいこどものいえでは◍自由に遊べるフリータイム(約90分)◍みんなで一緒に集まって遊ぶおあつまりの時間(約30分)合計約120分間の構成で療育を提供しております。フリータイム(約90分)の時間には個別療育も含まれており、お子様一人一人に応じた療育を行っております。またおあつまりの時間(約30分)では、お歌やゲームなどを集団療育の形で行っております。※発達の段階に応じて、若干時間は異なります昨日の火曜日
僕は小学校から22歳までひきこもっていました。つまり義務教育そして高校、大学卒業時までひきこもっていたことになります。これだけの時間ひきこもっていますと、僕は色々な問題を抱えてしまいました。1つ目は他人をとても怖がるということです。母親以外誰とも会話しませんでしたから。確か、精神科と歯医者と耳鼻科に行ったくらいです。それと不登校の居場所にも行ったような記憶があります。通信制高校に通っていた時には、ひきこもり支援団体の事務所に行って、話をした記憶もあります。その程度
こんにちは✨ひらいこどものいえオープンモンテッソーリスクールです!今日は待ち合いスペースのイラストをリニューアルしたお知らせです☺️ひらいこどものいえでは療育開始の5分前から入室をお願いしております。少し早く着いてしまったときなどにご利用いただく待ち合いスペース!信号についてのお話や小学校のお話ができるようイラストを変更しました🚥ひらいこどものいえのキャラクターれおくんと一緒に療育開始まで遊びましょう♪壁だけではなく絵本も用意してあります📚保護者の方向けの本もございますのでお
この写真僕は好きですね似合ってますよ。青木さんの見立てですよね母親が実家を売却して、都内にマンションを購入しました。古くて小さいマンションです。僕と彼女の為に購入してくれたのです。そこに母が引っ越してきました。「田舎にさようならをしたよ。ご近所さんとの関わり合いも切れて良かったと思っている。」と母親はほっとしたような感じで僕に話してくれました。「田舎は息苦しいね。今回引っ越しをしてみて、お前がひきこもる原因も少しはわかった気がしたよ。」と母。「それで、
こんにちはなひらいこどものいえオープンモンテッソーリスクールです♪本日、入学式の小学校もあったようで緊張している様子の新1年生の姿を見かけました!遅くなりましたが、ご入園、ご入学おめでとうございます㊗️ひらいこどものいえでも今年から入園する子、入学する子がいます!新しい環境にドキドキしてるかな?施設の近くの桜もきれいに咲いて新たな門出をお祝いしているようでした👏そんな中、絵カードの作成を頑張っている指導員を発見🔍絵カードは子どもたちの好きなものを作成しているとのことです!!子
みなさまこんにちは✨こちらのブログでは日々の療育に関する豆知識や、お教室の日常などを、ひらいこどものいえの指導員がアップしていきます😊どんな内容がアップされるかはお楽しみに…!!
―5年目の今、伝えたい“安心して話せる場所”の大切さ―発達障がいと診断されてから、気がつけばもう5年が経ちました。診断を受けた当初は、戸惑いと不安でいっぱいでしたが、診察や支援制度、ピアサポートなどを通じて、少しずつ自分の道を歩けるようになってきました。「発達障害啓発週間」と聞いて思い出した、自分の歩み4月2日は「世界自閉症啓発デー」、そしてその日から1週間は「発達障害啓発週間」とされています。この時期になると、関連書籍のキャンペーンやイベントも増え、情
青木さんに聞いたところ、支援している20代の青年は頑張って支援プログラムをこなしているそうです。ただ、経験がとても不足していて、日常生活で色々と指摘することが多くあるそうです。あまりにも一度に色々と指摘すると混乱したり、自信を無くしたりするので加減しながら指摘しているそうです。その青年の何が問題でそれに対してどの様な支援をこの団体はしているのか、そして3ヶ月後、6ヶ月後、一年後にどの様な状況になっているのかを報告すれば、この団体がおこなっている支援の内容がわかり、そして成果
障害者枠の仕事ではなく、一般就労の仕事につきたいと願っている青年です。フィリピンの元気回復ツアーに昨年の6月に参加して、最初のツアーでフィリピン人との交流を通して元気と優しさをもらった彼です。生きている希望がなかった彼ですが、フィリピン人の人たちの朗らかさと、前向きな生き方に、「まだ自分は大丈夫だ。」と感じました。そして人生の楽しみ方を彼らから教わった彼です。日本にいた時にはこうでなければいけないという考えに縛られていた彼です。そんな呪縛から解き放たれた彼は、「
20代の若者が今フィリピンで支援を受けています。彼は中学生から学校に行けなくなりました。中学終了後は選択肢が通信制高校しかなくて、通信制高校に進みました。登校日は週2回で、授業が終わったら帰宅という生活で、1年間クラスの人たちとの交流は何もなかったということでした。そんな感じの緩やかな通信制高校でしたから、修了することができました。通信制高校終了後は大学へ進学したかったのですが、不安が強くひきこもってしまいます。それからネットで私たちの支援に出会いました。彼はご両親
リテラシーは、能力本来読解力理解力の意味ですが特定分野での知識や理解力とその知識を使う能力の意味で使われます。リテラシーに大脳辺縁系が関わっていますが前頭葉の思考番地に側頭葉の言語中枢に中頭葉の海馬と扁桃体が関わっていますが読解力は、言語中枢と海馬の記憶機能と扁桃体の人格形成から思考番地に脳で情報伝達去れますが読解力理解力が低い記憶力も弱いと思考方法が理解出来ない。リテラシーが低い人は、知的障害を伴う発達障害の可能性と知的障害を伴わない発達障害と言う可能性も在りますね。リテラシーが低い
まだ人生を楽しむことはできます長らく青木の体調が思わしくなく、僕が団体を引っ張ってきました。そんな中、今度は僕の体調が良くなくなってきました。検査の為に一時的に日本に帰りました。その結果しばらく経過観察が必要だと医師から言われた僕です。幸い、青木の体調が瑞分と良くなってきて、支援に戻ることができるまでになっています。しばらくの間、青木に任せて休養をとらせていただきます。1ヶ月ほどゆっくりとさせていただきます。5月、6月とそれぞれ支援を受けにフィリピンに来られる人たちが
夜中の途中覚醒続き、夜中に洗濯物してる私仕事先では。。。令和七年度の新体制が始まりました!まだ、3月やと、思うものの、しゃーないですわ職場の座席移動もすんごかった。総勢200名近い人達が一気に動き出しました。。なんの行事や、これ。。と、わたしの分掌も変わるのでのんびりと、わたしは移動✌️職場でも、発達障害のため、いろいろ支障がある私。だけど。。。発達障害支援のプロの方がなんとお隣の席になりましためっちゃ嬉しい😃さっそくに、仕事のスケジュール管理について、やりやすい
こんばんは新しい事にチャレンジするのが我が社ですが、チャレンジの度に会社なんて無いとなかった事にしようとするのは辞めていただきたいと考えるブラッディーマリーの森久美子です学生時代、法政大学文学部史学科に通っていて趣味が神社仏閣巡りなのですが先日、松陰神社に行きましたガチの趣味すら女性はとふんわりにされてきており、このままでは勉強させてもらえない国になる危機感から教育コンサルタントの会社を作った次第です。普通に勉強をさせてもらえずに趣味もふんわりにされますが、今でこれですから先が思いやら
こんにちは。心理カウンセラーの伊藤憲治です。周りの子供や親御さんを見て、「もしかしてADHDかも?」と思ったことはありませんか?ADHDは個人差が大きく、見た目や行動だけでは判断できません。でも、「この子、落ち着きがないな」「親御さん、大変そうだな」と感じたとき、どう接するのがベストなのか迷うこともありますよね。今回は、ADHDの可能性がある他人の子供や親御さんに対して、どのように接するのが良いのかをお話しします。1.まずは決めつけないことADHDは外から見てすぐに判
体力と健康の管理もお願いしています。私は働きたいんです。働いてお給料をもらうことが夢です。働いてもらったお金で、自分の好きなものを買います。お世話になった家族にもお金を差し上げることができます。これは私からの謝罪です。だから自分なりに一生懸命頑張ってきましたよ。でもダメでした。何をやってもダメな自分ということがわかったのです。自分に失望しました。フィリピンに来たらなんとかなるだろうという淡い期待は見事に打ち砕かれましたから。私は失望しても私を支援
銀行に行く準備中私ダメ人間なのです。「何をやてもダメなオレ。」って、ヒロさんが良く言っていましたよ。それもリズムとメロディをつけて、自虐ネタの様に歌っていましたよ。ヒロさんは、フィリピンで高校と大学を出ました。家を建てました。そして雑貨店も経営しています。6歳になる男の子もいます。全て自力でおこないました。「何をやってもダメなオレ。」って違うじゃないですか!!「何をやってもダメなオレ。」は私ですよ。そう長く思っていましたよ。常識の欠如。他人の
みんなといれば楽しい。私のブログなんて誰も読んではくれないだろうと思っていました。だって、失敗しましたとか支援を受けても変われないとか。そんな内容ばかりの文章を誰が読んでくれるのかと思ったから。6年間ひきこもった青年が今フィリピンに来ています。そしてフィリピンで就職活動をしています。昨年の6月に来た時のことを私はよく覚えていますよ。手が震えていました。身体全体も小刻みに震えていました。話すこともうまくできない青年でした。それが・・・・。今は普通に
先日このブログで6年間ひきこもった彼が大きく変わったとかきました。日本から離れてフィリピンに行くことじたい、彼にとっては大きな覚悟が必要だったでしょう。成田までの電車に乗ること。成田空港で人混みの中にいること。満席の飛行機内に4時間耐え続けること。6年間ひきこもった彼には大きな試練でした。それでもなんとかしたいと強く願っていた彼は、大きな一歩を踏み出しました。それだけでも支援者の僕たちには満足でした。そこからゆっくりと1歩1歩確実に前進していけ
1回目のフィリピン旅行を終えて、成田空港内のレストランにて彼は同級生と交わるのがとても苦手でした。何を話せば良いのか分からずに、気づけば友達の輪に入れなくなっていたのです。それでも、なんとか大学まで頑張って出ました。卒業後は就職もしたのですが、短期間で不安が大きくなり職場に行けなくなってしまいそのまま退職したのです。退職後はそれでも次の就職先を探したのです。それと同時に病院にもかかりました。色々と検査を受けたら、ASDと診断を受けました。それで就労移行支援サー
支援している生徒が支援プログラムの一環としてサーフィンをしました。また機会があればやってみたいとのことでした。彼は中学校から学校に行けなくなってしまいました。周りの同級生とうまくやっていけないことから、自分がみんなから嫌われているのではないか?自分が何かみんなと違っているのではないかと不安が強くなり、怖くて学校に行けなくなったのです。中学卒業後は通信制高校しか選択肢がなくて、通信制高校に進みました。しかし、彼が望んでいた様な支援は受けられなく、通信制高