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私は今、とても元気に暮らしています。この月のうちには、いよいよ婚姻届けを出す予定です。来年度からは、これまでとはまったく違う日常が始まります。パートナーはフィリピンの女性です。穏やかで、明るくて、人の気持ちにとても敏感な人です。一緒にいると「この国で生きていくのも悪くないな」と素直に思えます。これからは、そんな私とパートナーの二人で、セブ市やシャルガオ島に来られる方のお世話をしていきたいと考えています。観光案内や長期滞在のお手伝いも可能です観光案内だけでなく
私たちは気づかないうちに、いつも誰かと自分を比べています。学校に通っているあの子、就職が決まったあの子、楽しそうに友達と過ごしているあの子。そして、その比較の矛先はやがて自分自身にも向けられます。「うちの子はどうして…」「私はもっとこうすべきだったのでは…」そんなふうに、自分を追い込んでしまうことがあります。しかし、私は長い支援の中で、ひとつ強く感じてきたことがあります。それは、人はそもそも比べられる存在ではないということです。性格も、育ってきた環境も、抱えている不安も、回復のペー
昨日、ひとつとても小さな出来事がありました。それは周りの人から見れば本当にささやかな変化です。けれど、支援の現場では、その小さな変化こそが前に進むための大切な印になります。長いあいだ家族以外と会話をすることがほとんどなかったある若い方が、昨日、私に向かって少しだけ明るい声で挨拶をしてくれました。ただそれだけのことです。特別な会話が続いたわけでもありませんし、劇的な出来事が起きたわけでもありません。しかし、その一言が強く心に残りました。人は、外からは分からない苦しみや不安を抱え
読んでくださった皆さんは、きっと疑問に思うかもしれません。どうして僕は、あんなにも長い間いじめを受け続けたのか?と。小学校の頃、先生は母にこう言っていたそうです。「みんなとうまく関われません。周りと仲良くできるといいですね」と。母からも何度も聞かれました。「どうしてみんなと仲良くできないの?」と。でも当時の僕には、その理由が全く分かりませんでした。ただ一つだけ、心の奥でずっと叫んでいたことがあります。同級生が怖かった。それだけだった。小学校でも、中
初めまして、虎と言います。お察しの通り阪神タイガースの熱狂的なファンです。その阪神の試合に今年は十五試合も観戦できて、とても満足な一年でした。日本一は来年ということで。さて、僕はこの団体でお世話になったものです。もう15年近く前になりますね。今では2人の子どもの父親です。可愛い奥さんもいますよ。仕事は毎日大変ですけれど、不登校や引きこもっていた時のことを考えたら、毎日感謝な日々ですね。僕はいじめられていました。小学校2年の時、いじめが原因で目を怪我しました
不登校やひきこもりの相談を受けていると、よく「この子のやる気を出させるにはどうしたらいいですか?」と聞かれます。けれど、僕たちはいつもこうお伝えしています。「やる気よりも、まず環境です」と。教室に入るだけで強い緊張に襲われる。家から駅まで歩くだけで、他人の視線が怖くて一歩が出なくなる。家族との会話でさえ、責められているように感じてしまう。そんな状態で「もっと頑張りなさい」「やる気を出しなさい」と言われても、心と身体はますます固まってしまいます。これは意志や根
「これからの人生」を一緒に歩んでくれる人を探しています。僕はいま、これからの人生についてよく考えるようになりました。30年近く引きこもってしまった僕は、すでに60歳を超えています。最近は周りから「背中が曲がってきたよ」と言われることも増え、体力の衰えも自分でもはっきり分かるようになってきました。そんな折、仲間のエイジさんが婚約をしました。とても素敵な女性で、エイジさんは以前より明るく前向きになったように見えます。それは僕だけではなく、周りの誰
■自己理解によって見えた本当の原因東大大学院の研究室で周りから叱責されても、当時の僕は自分の行動のどこが問題なのか理解できませんでした。「教授たちは僕に嫉妬している」「研究仲間は僕を排除したいだけだ」——そう思い込み、心の中で恨みを膨らませながら生きてきました。しかし、30年近く引きこもったあと支援とつながり、そこで初めて知ったのです。問題は周りではなく、僕自身の思考の癖や行動の特徴にあったということを。世界がひっくり返るほどの衝撃でした。■自己理解を得て
最も大切なことは、やはり「自己理解」だと今ははっきり思います。でも、当時の僕にはそれがまったくできていませんでした。東大の大学院にいた頃、研究室での人間関係やコミュニケーションがうまくいかず、周囲から「一緒に研究はできない」と言われてしまいました。しかし、その理由を自分では理解できませんでした。研究成果をなぜ共有しないのか。研究道具が壊れていたのに修理の手続きをせず放置していたこと。研究内容を他の研究団体にうっかり漏らしてしまったこと。さまざまな注意を受けましたが、当
一般社団法人青年生活教育支援センター主任スタッフ青木美久(あおきよしひさ)ひきこもりは“怠け”ではありません。脳の安全装置の話です。今日は、親御さんから本当によく寄せられる質問をひとつ取り上げたいと思います。それは、「うちの子は怠けているだけでしょうか?」というものです。「怠け」ではなく、脳の安全装置が働いている状態まず、これだけは最初にお伝えしたいことがあります。ひきこもりは怠けではありません。脳の「安全装置」が働いている状態です。怒られたり、否定されたり、比較
不登校・ひきこもりの子どもたちへ支援で本当に大切なこと不登校やひきこもりの相談を受けていると、「この子は変われるのでしょうか」というお母様の不安に出会います。長いあいだ動けずにいる姿を見ると、先が見えなくなるのも当然です。しかし支援の現場で多くの子どもたちに関わってきて感じるのは、どの子も“変わる力”を持っているということです。ただし、その変化はすべての子が同じように、同じスピードで起きるわけではありません。ゆっくり動き出す子もいれば、時間が必
一般社団法人青年生活教育支援センター主任スタッフ青木美久(あおきよしひさ)できないは一歩目今日は支援とは関係ないようで、実はとても大切な話をします。実は今朝、プロフィール写真を整えようとして、なかなかうまく扱えずに苦戦していました。方法を変えてもうまくいかない。「どうしてできないんだろう…」そんな気持ちになりました。大人でも、手が止まってしまう瞬間はたくさんあります。人は誰でも「できない」がある私自身でさえ、こうしてつまずくのです。ましてや、ひきこもりや不登校の若
訪問支援という仕事は、実は「玄関チャイムを押すまで」がいちばん苦しい時間です。相手が会ってくれるか分からない。不安が強くなって暴れてしまうかもしれない。怒られるかもしれない。家族の負担を増やしてしまうかもしれない。そんな思いが頭の中をぐるぐる回り続けます。それでも僕たちは、玄関先まで行くことを選びます。なぜなら、扉の向こうにいる若者たちは、僕たちの何倍も、何十倍も大きな不安とたたかっているからです。今回支援している彼も、最初は息を潜めるように部屋にこもっていました
6時に起きて、いつも通りのメールチェックから1日が始まった。フィリピンと日本を行き来する生活の中で、毎朝届いているのは支援に関する相談メールだ。今日だけで3通の相談が届いていた。ひとつは高校1年生の男の子のお母さん。「もう学校に行けそうにありません。どうしたらいいか分からない」と絞り出すような内容だった。もうひとつは20代後半の男性。「働きたい気持ちはあるのに、外に出ると体が固まってしまう」と、長い時間悩んでいる様子が伝わってくる。そして3通目は、先日訪問し
6時に起床。7時から東京の仮事務所で打ち合わせと、フィリピンへ送る荷物の整理を進める。そのあと、バスで羽田空港から成田空港へ移動。成田空港に着くと、あまりの混雑ぶりに思わず「今日って何日?」と確かめるほどだった。ちょうど高校生の修学旅行の団体と遭遇し、行き先は台湾らしい。「静岡高校?」と書かれた札を見て調べると、伝統ある進学校とのこと。どこか落ち着いた生徒たちの雰囲気に納得した。その後スタッフと合流し、最終打ち合わせを済ませてチェックイン。急いで税関提出用の書類を
今、明日の帰国の準備を終えて、静かなホテルの部屋でこの文章を書いています。今日は、思いがけない出来事がありました。夕方、30代の息子さんを持つお母様から、一本の電話がかかってきました。「今から来ていただけませんか?」帰国前で慌ただしい時間ではありました。しかし、息子さんが以前から私たちのブログを読んでくださっていたと伺い、今の状況もお聞きして、何かお力になれるかもしれないと思い、迷わずご自宅へ向かいました。ところが向かう途中で、お母様から再び連絡が入りました。
お母さんに連れられて現れた彼は、マスクにサングラスという“ひきこもっていた子たちの典型的な外出スタイル”でした。挨拶を交わしたあと、見たい映画を尋ねました。「国宝」一瞬聞き間違えたと思い、「鬼滅の刃じゃないの?」と聞き返すと、彼はもう一度はっきりと言いました。「国宝」慌てて調べると、歌舞伎を題材にした映画で、ネット上には好意的なレビューがずらり。お母さんは「今とても話題なんです」と教えてくれました。上映時間を確認すると、有料席しか空いていませんでしたが、すぐに購入しま
人権教育啓発推進センターが発行する月刊誌「アイユ」11月号では、岐阜県飛騨市長の都竹淳也さんにインタビュー。自治体初となる市営の児童精神科診療所を開設し市内の全小中学校に作業療法士と連携した発達支援のための〈学校作業療法室〉を設置するなど、画期的な取り組みを実施しています。ご自身の息子さんも障害を持っていて、〈自分事〉として考えて欲しいと訴えてきました。過疎先進地の飛騨市から全国のロールモデルを生み出している都竹市長の取り組みを2回に分けてお伝えします☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆町:市
初めて彼と会った翌日、僕はフィリピンに戻りました。シャルガオ島の就労支援施設――日本食レストランの様子を見て、そこで働く青年たちと交流し、またすぐ日本に帰国する予定でした。その間もお母様とはメールで連絡を取り続けていました。すると、訪問した翌日から、彼は頻繁にお母様の携帯にメールを送るようになったのです。「目を大きくする整形がしたい」「映像が学べる学校に行きたい」「違う街に引っ越してやり直したい」「体を鍛えたい」今まで胸の中に溜めていた思いが、一気に溢れ出たようでした。
翌日の午前、お母様から一通のメールが届きました。「息子が『今度はいつ来るの?』と聞いてきました。なんと返事をすればいいでしょうか?」前日、玄関の向こうで息を潜めていた彼。その彼が、自分からそんな言葉を口にしたことに、まず驚きと希望を感じました。僕はすぐに返信しました。「いつでも行きます。ただ、3日後にはフィリピンに戻らなければいけません。その前なら何時でも伺えます。」この返事をそのままお母様から彼に伝えていただきました。しばらくして、お母様から再びメールが届きま
彼と初めて会えたのは今年の8月でした。そこに至るまでには、いくつもの小さな壁がありました。中学から不登校になり、通信制高校も続けられず、家庭にひきこもって過ごしてきた彼。診断名は「選択性緘黙」。唯一のつながりは、お母さんとのスマホのメールだけでした。5月にお母様から相談をいただき、8月に初回訪問を予定していましたが、本人にはまだ伝えないようお願いしていました。突然知らない人が来ることは、大きな恐怖になるからです。しかし、その話をしてしまい、強い不安と怒りから暴れて
中学から不登校となり、通信制高校に進学するも中断。以来、家庭の中にひきこもって過ごしてきた少年です。診断名は「選択性緘黙」。家庭では、お母さんとのやり取りは携帯のメールだけでした。今年の5月、お母様からご相談のメールをいただきました。何度もやり取りを重ね、8月に面談をする予定になりました。ただ、その時点でお子さんには外部の支援団体に問い合わせをしていることは伝えないようお願いしていました。突然知らない人が来ることは、大きな恐怖につながるからです。しかし残念ながら話してしまい、強い
日本で人の目が気になり、動けなくなってしまう若者たちがいます。家から出られない。人と話せない。自信がなく、未来が見えない。僕たちも同じ経験をしてきました。だからこそ、たどり着いた答えがあります。「知らない場所に行くと、人はもう一度やり直せる」ということです。20年前、僕たち自身がそうでした。人間関係に疲れ、他人の視線におびえ、日本で生活するだけで苦しい毎日。そんな中で、思い切って海外に出たとき、初めて“自由に息を吸える感覚”を味わいました。そこでは誰も僕たちの過去を
テレビに東大の同級生が出ていました。少し悲しくなりました。40年前、私は東京大学のある研究室に所属していました。そこは当時、国をあげて力を注いでいた最先端の分野で、常に「海外に遅れてはいけない」という緊張感が漂っていました。研究室全体が張りつめた空気に包まれ、皆が高いプレッシャーの中で働いていました。そんな環境で、報告・連絡・相談が苦手だった私は、周りのペースについていくことができませんでした。今振り返れば、私は研究室の流れを乱す“厄介な存在”のように見えていたのだと思います
🌿訪問支援のご案内私たちは、日本全国どこへでもご依頼があればご自宅に訪問し、お子さんやご家族と直接お会いしてサポートを行っています。毎年3月・4月は、季節の変わり目とともに環境が大きく変化する時期です。ひきこもりや不登校の状態にあるお子さんが、「このままでいいのだろうか」「みんなは進んでいるのに自分だけ止まっている」という不安や焦りを感じやすい季節でもあります。その気持ちは、周囲にはなかなか理解されにくいものです。「置いて行かれた」という感覚から、深い孤独や自己否定の思いに苦し
エイジさん今年もサンタになりますか?今週もたくさんの出会いがありました。日本から相談をくださったお母さん、初めて面談をしたご家族、そしてフィリピンの地で新しい挑戦を始めた若者たち。ひとりひとりの中に、小さな変化や前進が確かに見えた一週間でした。誰かの言葉にうなずけるようになったり、少し笑顔が増えたり。そんな小さな一歩が、私たちにとっては何よりの喜びです。ある青年は、アルバイトに登録するところまで頑張りました。けれど、いざ当日になるとどうしても足がすくみ、あと一歩のところで外に出
他人の目が気になるから、ひきこもった僕たちです。家から出ることさえ出来なくなった僕たちです。外に出ると、誰かの視線や言葉が気になって、息が苦しくなる。だから、部屋の中が一番安心できる場所になってしまいました。でも、自分のことを誰も知らない場所なら……一歩外に踏み出すことができるのでは?そう考えた僕たちは、日本から離れて、海外へと場所を移しました。アメリカに行った人も、中国に行った人もいます。そして僕たちは、フィリピンに支援の拠点をつくりました。あれからおよそ20年。たくさ
子供らの卒業した高校の親の集まりに出席。有志による卒業生親の食事会。お店は音音元々は子供の在学中に有志の親の会に参加していて、その流れで卒業後も年に一回食事会が開催。主な出席者は歴代の親の会の役員さん方かな。私は何の役員もしてない一般人。保護者のお一人がご自身の経験談から本を出版されたとの事不登校・うつ病の苦しみにさようなら:娘から教わったことAmazon(アマゾン)299円◇◇◇◇当時(もう15年前ね)の子供らの高校は不登校経験者が7割と言われ、中高で不登校となったり
中学から不登校となり、通信制高校に進学するも中断。以来、家庭の中にひきこもって過ごしてきた少年です。診断名は「選択性緘黙」。家庭ではお母さんと携帯のメールでのみやり取りをしていました。今年の5月、お母様からご相談のメールをいただきました。何度もやり取りを重ね、8月に面談をさせていただくことになりました。ただ、お子さんには外部の支援団体に問い合わせていることはまだ伝えないようお願いしていました。突然知らない人が来ることは、大きな恐怖になるからです。しかし残念ながら話してしまい、強い
その少年は、生きものが大好きだと言ってくれました。ビオトープを見るのも好き。潮だまりをじっと見つめて、そこに生きる小さな命を観察するのが楽しいのだそうです。道に生えている草を見つけては、「これ、食べられるのかな?」と調べてみる。そんな姿に、思わず「すごいな」と何度も口にしてしまいました。彼の愛用している図鑑は、もうボロボロ。ページをめくりすぎて、角がすり切れているのだそうです。きっと何度も、何度も見返したのでしょうね。青木が僕に教えてくれました。「昔、本屋でフィリピンの海の生き