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ブログを読んで下さり、ありがとうございます。日々、感じたことを淡々と記しています。同じように癌で、或いはその他の死に関わるような病気と共に生きている方と共に一緒に頑張っていきたい、そして、家族や大切な人たちが幸せに生きてくれたらという願いを込めて、ブログを綴っています。(経緯)2024年6月に肺がんステージ4と診断され、一時は癌性リンパ管症による呼吸不全で医師より「死を覚悟」するよう伝えられましたが、何とか回復し、現在は分子標的薬タグリッソによる治療と生活改善、運動、サプリメント、代替療
2024年6月に肺がんステージ4と診断され、一時は癌性リンパ管症による呼吸不全で、医師より「死を覚悟」するよう伝えられたほど、状態は悪化。何とかその状態からは回復し、現在は分子標的薬タグリッソと生活改善、運動、サプリメント、代替療法を取り入れてがんサバイバーを目指しています。昨日はお彼岸ということもあり、母、姉、妻、そして、中学校を休んだ息子、私の5人でお墓参りにいってきました。花粉症がひどいこの時期、例年なら避けて花粉症が治まる5月頃に個別にお墓参りに行っていたのですが、こうして家族で揃う
2024年6月に肺癌ステージ4と診断され、癌性リンパ管症による呼吸不全で一時は医師より「死を覚悟」するよう伝えれましたが、何とかその状態から回復し、現在は分子標的薬タグリッソによる単剤での治療と生活改善、運動、サプリメント、代替療法などを取り入れて、がんサバイバーを目指しています。昨日は久しぶりに勤務している保育園に行ってきました。もともと銀座の料理人だったのですが、お店の閉店を期に縁があって、保育園の調理の仕事をしていました。昨年5月末に発症し、癌性リンパ管症の後遺症で呼吸不全が良くなら
2024年6月に肺がんステージ4と診断され、癌性リンパ管症による呼吸不全で一時は医師より「死を開催」するよう伝えられましたが、何とか回復し、現在は分子標的薬タグリッソによる単剤での治療と、生活改善、運動、サプリメント、代替療法を行い、がんサバイバーを目指しています。昨日は離婚し、遠く離れた実の娘と前妻のご両親に会うために長野県に行ってきました。医師より「死を覚悟」するよう伝えられ、喉に穴を開け直接、肺に管を通す手術をするか(その場合には意識のない寝たきり状態となることを説明)、そのまま死を
入院してから医師より「死を覚悟」するよう伝えられたまでの心境を振り返ってみました。前半はこちらで紹介しています。『入院〜死を覚悟した日までの心境を振り返る①』おはようございます。今日からは暖かくなるみたいですね。三寒四温とはよく表現したものだなと感じさせてくれます。今週は初夏を感じさせるような日が来るとのこと。春を…ameblo.jp入院してから4日目になると、もはや仰向けになることも出来なくなりました。身体を横にすると肺が圧迫されるように苦しくなり、ベッドを背もたれにし、常に状態をお越し
いつもご拝読頂きましてありがとうございます。いいね!やコメントを頂けると本当に励みになります。いつもは9時半には就寝し、4時には起きるのですが、今朝は寝坊してしまいました!(これまでの経緯)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー2024年6月に肺癌ステージ4と診断され、一時は癌性リンパ管症による呼吸不全で医師より「死を覚悟」するように伝えられた状態から何とか回復し、現在は分子標的薬タグリッソの単剤での治療と生活改善、運動、サプリメント、代替療法などを取り入れて、癌の克
2024年6月に肺癌ステージ4と診断、一時は癌性リンパ管症による呼吸不全で医師より「死を覚悟」するように伝えられ、おかげで離婚し6年間会えていなかった実娘とも会うことが出来、妻や姉、母、師の優しさをあらためて実感し、そう考えると「死」を目前にしたことで、良いことばかりが起きています。昨日は日本で最初の国営公園として有名な(息子から聞いて知ったのですが)国営武蔵丘陵森林公園に行ってきました。今、住んでいるところからは車で30分もしない距離です。引き篭もりがちな息子がお昼を食べた後に何故か森林公
いつもイイね&閲覧ありがとうございます💕寒い日が続きますね相変わらず咳は出でますが、痰を出し切ったり、オプソを飲むと治ります。(病状はあまり変わり映えしないのですが、生存確認になっているのでブログ更新します)耳の下のリンパ、首回りの皮下腫瘍がもりもりと少し大きくなってる気がします今はがん性リンパ管症の方が心配なので、EC療法がとにかく肺にさえ効いてくれたらと願っていますそうそう、年末に新薬がまた承認されましたね作用機序が難しくてよくわからないですけど、こんなの開発で
2024年6月に肺癌ステージ4と診断され、癌性リンパ管症による呼吸不全で一時は命の危機に。死を目の当たりにし、『生きるとは、死ぬとは』を考える機会に恵まれ、残りの時間を精一杯生きることに専念しています。今朝は『人生って何だろう?』ということを考えていました。「人生はまるで旅のようだ」と表現する人がいますが、私も同じように感じました。人生において『肉体』というものを考えた時、それはマイカーに似ているのではないかと。車は運転する人がいて、運転する人の目的の場所に向かいます。運転する人が何を求め
ガンについて家族や職場の人、親戚と話すと、たまに今はいい薬ができてるから良くなるとか、長く生きれるとか言われます。ただステージ4で、脳転移、癌性胸水、癌性リンパ管症になっていて、今は割と体調がいいだけで、治療しないと2、3か月と言われてたのが、今生きていられるだけでいいや、そんなに長くは生きれないとか、治ることはないと言ってしまいます。言ってしまっていつも自己嫌悪に陥ってしまいます。
2024年6月に肺癌ステージ4と診断され、癌性リンパ管症による呼吸不全で一時は自発呼吸では生きられない状態まで悪化し、医師からは「死を覚悟するように」と伝えられました。その後、医師も驚くほどの奇跡的な回復をし、約1カ月の入院を経て、退院することが出来ました。回復後、自分の存在とは何なのか?死ぬとは、生きるとは何なのか?といった思いが自分の中に溢れ、入院中、毎朝、瞑想をしていました。瞑想をしていると自分がこの地球に存在する以前にいた空間と繋がるような感覚となります。その空間は静寂で、凛とした
2024年6月に肺癌ステージ4と診断され、1カ月強入院していました。都内の大学病院に入院しており、遠方に住んでいる実母は今年81歳で足元が弱っており、本人は大丈夫だからお見舞いに行くと言っていたのですが、途中で何かあったらと思うと気が気でないので、私の命が危なくなった時に1度お見舞いに来てくれた時以外はお見舞いを断っていました。退院後には療養のため、私が姉の住んでいる山梨県鳴沢村にいる時間が長く、ほとんど会えずにいました。さらに年末に引越しをし、年始も落ち着かず、ようやく昨日、妻と一緒に実
ここ数年、年末年始は草津の旅館で過ごすことが多かったのですが、2025年の元旦は妻のご実家でお世話になりました。弟さんご夫婦と1歳半になるご子息(義甥)もいらしていました。まだまだこれから人生をスタートしていく義甥の様子を見ていると微笑ましく、心を癒されました。そして人類はこうやって世代交代していくんだなって。新しい命が誕生し、育っていき、熟した命は消えていくのも世の常、普遍的な真理なのですね。自分に残された時間をどう人類のために活かすのか、そのようなことを問われた元旦だったように思います
昨日、ようやく引っ越しも終わりました。といっても荷物を移しただけで、片付けはこれからが本番です。一時は引っ越し業者さんにお願いしようかと迷いましたが、呼吸不全で休職中の身なので、どうしても出費を抑えたいという考えから、冷蔵庫など重いものはヤマト運輸家財宅急便にお願いし、あとはレンタカーを借りて自分たちで引っ越ししようと決めました。そんな私たち夫婦を妻のご両親が心配してくださり、妻の弟さんまで助けて下さいました。それまで健康で体力自慢だった自分が、ある日、突然に病となり、数分、身体を動かし続
2024年6月に呼吸が苦しく、いつも登っていた坂道を最後まで登ることが出来ず、咳込んでいる私の様子を見て、妻から「病院での精密検査を受けて欲しい」とお願いされ、精密検査を受けた結果、肺癌ステージ4、つまり末期癌であることを宣告されました。医師からも延命治療しか出来ず、完治は難しいと言われており、当然に死を意識した毎日を送っています。今朝も朝早く目が覚め、死への恐怖って何なのか?について考えていました。確かに楽しく過ごしていた日々が無くなること、会いたい人に今までのようには会えなくなることに寂
2020年9月腎臓がん発覚(主人当時36歳)2023年3月お空へ今日は主人がお空へ旅立ってから、2回目の主人の誕生日です。昨夜娘と、少し飾付をしました☆昨夜、娘が寝てから色々と思い出していました。もう1年9か月。まだ1年9か月。めちゃくちゃ前のような気もするし、まだ最近の事のようにも感じます。お空に行ってから、以前は亡くなる10日程前からの主人の姿や、闘病中の姿を思い出す事が多かったですが、最近はやっと元気だった頃の主人の姿を、少しずつ思い出す事ができるようになってきま
8月30日夕方、家族を含め説明がありました。右上葉肺癌、癌性胸水、癌性リンパ管症、多発脳転移、骨転移と告知されました。覚悟は決めてましたが脳転移まであるのかと思う気持ちが大きかったです。夜、咳が強く寝れてなかったのでコデインを処方してもらいました。コデインのおかげで夜寝ることができるようになりました。
今日やっと携帯用のモルヒネの投入機が届いたそうで大きな装置からコンパクトに変更になりました!首からぶら下げ下の写真のプッシュボタンで麻薬を追加できます!息苦しさが来るとレスキュー釦を押せます!まだレスキューは押した事ないのですが必要量しか出ないので安心して押していいそうです!これからどうしても必要な階段とか歩きなどの時は楽になるそうです!でも針は相変わらずお腹に刺さってます。この麻薬も飲み薬に変わればかなり楽に行動ができると思いますが自宅に戻り様子みて
たくさんの優しいコメントやメッセージやライン、いいね👍とっても嬉しく励みになりました!ありがとうございます!緊急入院してから息苦しさなど緩和されて痛みも消えてます!私の場合はモルヒネとステロイド、水分補給などの点滴をしてもらいました。実はコメントで癌性リンパ管症にステロイドが効いて楽になりましたと有難い情報を頂いたので早速看護師さんに点滴交換時に確認しました!デキサート6mgってステロイドですか?そうですよ!呼吸楽になりましたか?とぼーっとしてますね!やっぱり
このところずっと息苦しさがありそれが辛かった。とうとう家の階段を登ると息が出来ない程にもう少しで、がんセンターで受診ができる予定!頑張って私!しかし夜中も息苦しさで眠れず何とか前倒しで癌センターで受診できないか聞いたのですが初診後までは元の大学病院🏥でとの事。今までの大学病院に駆け込んだ。入院して胸水抜きましょうとの事でしたが明日癌センターに予約済みだから先生達も考慮してくださり酸素吸引機を直ぐにレンタルしてくださり自宅に設置翌日までしのぐ事に翌日やっと癌センターでの
2024年6月末~8月にかけて、肺癌(ステージⅣ)と癌性リンパ管症で入院していた私、ちょっと身体を動かすと、すぐに酸素飽和度は78~80まで落ちて行く状態でしたので、入院中はほとんど筋肉を使うことはありませんでした。免疫力を上げるには筋力も重要!ということで、最初は山道の散歩をスタート、酸素吸入器を使いながらおよそ1㎞の坂道を歩くだけで限界が来ていましたが、それも1日ごとに1㎞→2㎞、2㎞→3㎞と歩く距離を伸ばしていき、肺が慣れてきたところで、今度は酸素吸入器を外して、また1㎞からスタート
2024年6月に肺癌ステージⅣ、さらに癌性リンパ管症で呼吸不全に陥っている状況の私ですが、現在はタグリッソという分子標的薬の単剤療法をしています。このタグリッソ。1粒2万円という、とても高額な治療薬。これを毎日飲んでいるので、ざっくりと月60万円の薬を服用していることになります。そして、その無増悪生存期間(PFS)の中央値が16.7か月ということで、患者一人当たりの平均売上は16.7×60万=1002万円というところでしょうか。このタグリッソを開発、製造、販売しているアストラゼネカの
今日は東京に戻ってきています。肺癌で入院する前、共働きでしたので、毎月、2日間ほどかけて、1か月分の主菜と副菜を作りこみ、冷凍保存していました。仕事の日は作りこんだ主菜と副菜を解凍して食べるようにしていましたが、退院後に療養のため、山梨にいる時はほとんど命のスープとお魚という献立で、料理らしい料理はしていませんでした。家族から何か作って欲しいとのリクエストを受け、今日は一日、料理をしていました。これでも元、銀座のオーガニックレストランのシェフをしていましたので、久しぶりに料理をすると
少し前から腎臓および腹部が痛いと思って、妻にマッサージしてもらったりしていましたが、どうもおかしいということで泌尿器科に行ってきました。尿検査とエコー?をした結果、右腎臓に尿が溜まっている、尿に血液が混じっていることから、結石が出来ている可能性があるという診断を受けました。ステロイドを服用すると結石ができやすくなるみたいです。というか、出来ました。今まで、いろんな痛みに耐えてきましたが、さすが、『痛みの王様(kingofpain)』と表現されるくらいの激痛です。とりあえず、
昨日は私が医師に対して「呼吸が苦しいのはコロナウィルスの後遺症では?」という質問に対して、「何、言ってるの?どうしちゃったの?癌だよ、癌。癌細胞も見つかっているし…」という少し焦った回答を受けて感じた医療不信を感じたお話をしましたが、実はその前にもう一つ、気になる発言がありました。話が前後してしまったので、申し訳ございません。実はその前の退院後初めての診療の時に、私は「呼吸が苦しいのはコロナウィルスの後遺症では?」の質問を用意していたのですが、質問するのを止めました。この時の
肺癌ステージ4と診断され、呼吸が苦しくなってきた時、妻から「コロナウィルスの後遺症もあるんじゃないの?」とも言われており、自分でも肺癌はあるのだろうけど、ストロイドが効きすぎることから、癌性リンパ管症ではなく、他の原因も考えられるとは考えていました。しかし、入院中に「3年前にコロナ感染による肺炎で入院しており、中等症2(もう少し超えたら重症者でした)と診断されているのですが、その後遺症とかは考えられませんか?」と聞いても、それはないですの一点張りでした。そして退院してから外来で診察を
退院するまではとりあえず病院の指示に従おうということで、基本的な治療内容は選択させて頂いたものの、健康に大きな被害がなさそうなもの、どうしても仕方ないだろうという治療内容については医師にお任せしてきました。すべてのスタートは退院してから!と決めていたので、入院前、入院中に肺癌対策として考えていたものをスタートし始めました。同時にいくつかトライしているので、何回かに分けてご紹介したいと思います。最初にご紹介するのは、結構、認知度は高いと思いますが、「命のスープ」と言われている、ハーバード大学
入院中にほぼ全身の筋肉が落ちてしまいました。とくにお尻の筋肉は完全にペタンとしてしまい、お尻と太ももの間に余った皮膚をみると、まるで80代・90代のお爺ちゃんのような有様でした。河口湖は空気も綺麗で、泊まらせて頂いたコテージも標高が高いところにあったので気温も30℃超えるかどうか、木陰に入ると涼しいくらいの気候でした。「よし!まずは歩行訓練からスタートして足腰の筋肉を取り戻すぞ」と意気込み、軽い上り坂のあるコースを約1㎞ほど散歩しました。最初はそれだけで呼吸が苦しくなり、上り坂はしん
退院から1週間、猛暑日の東京において過ごしていた訳ですが、肺癌(癌性リンパ管症)で、基本的に呼吸が苦しい状態である私にとっては、東京の暑さ、そして空気の悪さは大変なものでした。そんな中、山梨の河口湖の近くに住む姉から夏の暑い期間だけでも、東京ではなく、山梨に来て療養したらどうか?と誘いを頂きました。ちょうど、妻も8月のお盆時期は1週間連続で休みがあったので、一緒に山梨県の鳴沢村にある別荘地で過ごすことになりました。自然豊かであたりを見渡しても、樹木や草花しかなく、別荘地ということもあ
8月1日、誕生日の前日に退院することが出来ました。今年の夏は異例の厚さ(毎年、そう言われている気がしますが)で、気温36℃~37℃という猛暑日が続いていました。退院する日、看護師さんから「結構な確率で退院した人が戻って来ているんです。大抵はこの暑さで体調を崩して、再入院という感じなので、くれぐれも熱中症には気を付けて下さいね!」と念押しされました。私はまだ50歳前なので、ある程度、体力的にも余裕があるほうなのでしょうが、70代以降の方にとっては、この時の東京の暑さは身体に堪えると思い