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こちらからの続きです↓『13-2☆200909わたしの転職』かなり時間がたってしまいました…こちらからの続きです↓『13-1☆200909わたしの転職』こちらからの続きです↓『12-2☆200812~200909…ameblo.jp会社の方とのやり取りをして、職場でどんなことができそうか、実際にリハビリの中でシミュレーションしてもらいました2010.1に、トライアルワーク開始となりましたまずは週3日、1日3時間からのスタートです通うこと自体には、不安はありません
病識がない精神病に罹患した人がどの程度の拒薬をするかは人による。性格とも言えるかもしれない。言い換えると、人は病識の欠如の程度に比例して拒薬するわけではない。これは僕が精神科医になった当時から、不思議でならなかったことの1つだった。極端な例を挙げると、著しい興奮状態で隔離せざるを得ないような病状の人も素直に服薬する人が意外にいる。これは病識のなさと服薬しないことは必ずしも線形になっていないことを示していると思う。今回、新型コロナが流行して思ったことの1つは、日本人と西欧人のワク
最近の母はヘリオス本体から酸素を使用しています。そのため酸素チューブが長くなり動くのに邪魔になるし足にもつれるし💦思うように事が運ばず酸素チューブを床にたたきつけて「こんなんつけてたらどーしょうもないわ!」といいながらチューブをドンドン💥💥たたきつけて、イライラ(💢゚Д゚)していました。イライラするしドンドンするからよけいに息切れして💦💦音をききつけて2階から降りてきて私が、慌てて。。母に酸素をつけて、思わず肩や背中を摩りながらたたきながら落ち着かせました。病気になる前の母
今回は、ちくま学芸文庫「世に棲む患者」より『働く患者ーリハビリテーション問題の周辺』にふれながら考えてみたいと思います。まず病者の「権利」と「義務」として、アメリカの社会学者タルコット・パーソンズさんはこのように定式化されています。❶通常の社会的役割の責任免除。❷自力によって良くなることが期待しえないーすなわち他者に依存する権利が正当化される。❸病んでいることを望ましいからざる状態であるとし、"良くなりたい"と希求する義務。❹有効な治療技術を以てする援助を求める義務。それを元に中井先
最近何でも英語に略して言えば許されるような感じになっているのに何とも分からない感覚がある。感覚とか感情のなんか敏感な人に「HSP」という病名でもない何かが当て振られるようになって、「自分はHSPですから」とか言われても何かお前配慮しろという暗黙の了解みたいなのが出来て憂鬱になる。「自分はASDですから」なんて言わないし言う気持ちもない。それは「私は障害者です」と公言している事に何ら変わりはないから。HSPというのを敏感でセンシティブであるが障害者ではないとかいう言い訳に使われるのであれば
私は双極性障害の患者で通院しとること、服薬してること、それらを忘れてしまい飲み忘れもあり今日は何時の予約かもあやふやでも、毎回毎回、次回もちゃんと来いって念を押されるので行ってきたよ~!病識欠落患者で元医療従事者の私の今炭酸リチウム血中濃度0.70少し下がったけど正常範囲内体調は…一日だけクソほど落ち込んだ起きたら絶望が待っていて不安感、焦燥感で胸のざわめき止まらず涙も止まらずしのうとビニール紐を手に取ったが至らずその前日は周りの全てが敵に見えて仕方なかった仕事も辞める
高校三年の時に鬱を発症し自殺未遂をして、それから数年に一度鬱を繰り返してきた私。元気に生きてるときは病識が無いから、それが普通だと思っていて、鬱の時には引きこもり勝ちになるから病院には本当に眠剤が欲しくてたまらない時にくらいしか行けなかった。そのためずっと自分は鬱病だと信じて疑わなかったから、謎のハイテンション不眠や、過活動、買い物依存症、イライラ、そういう躁期の症状は自分の悪い癖かしょーもない性格なのだと、それこそ死にたくなるくらい自己嫌悪に陥っていた。でも、鬱ではなく典型的な双極性障
昨日のブログに挙げた双極性障害の「すべての患者が学ぶべき7つのポイント」の5番目、「病気への誤解の解消」というところが気になります患者さんに対して、病気への「理解の促進」ではなく「誤解の解消」ということですので、日本うつ病学会は患者さん自身が双極性障害を誤解しているという問題点を深刻に捉えていることがうかがえます。僕個人の話ですが、そもそも双極性障害と診断されるまで双極性障害という言葉はおそらく聞いたことがありませんでしたおそらくと言ったのは、歯学生も一応浅く医学全般を学びます
タイトルにあるように、いつも1年近く再診がなく、突然受診する人がいる。診断はうつ病だが、あまり重くないのだろう、処方はレクサプロ10mgだけである。その後、徐々に体調が良くなるのか、本人は「やはり薬は飲まないとダメですね」と言う。それが毎回なのである。数ヶ月から1年ほど通院して再び来なくなる。精神科治療は任意のものなので、病院から電話して、あるいは自宅を訪問し通院するように勧めたりはしない。これが統合失調症だったとしても普通はそうである。極端な話として、例えば精神科病院の通院患
精神疾患は重篤であればあるほど病識がないと言われる。逆に病識がある内はまだマシで、本当の病気は自分が病気だとは分からず(自分を客観視出来ない)、「周りの方がおかしい」と言い張り、本人の認知、論理は訂正不能である。思い込みも激しい。自分を客観視する認知をメタ認知(認知の認知)と呼ぶ。メタ認知は無限で、メタメタ認知、メタメタメタ認知と重層的である。メタ認知能力が高ければ高いほど思慮深く理性的でクール、視野が広く思考も柔軟、大人である。つまり賢さ。
皆さん、苦しいこと、辛いこと、出来ないこと、ありますよね。うつ病です、と初めて診断された時、抵抗はありませんでしたか私はバリバリありました。仮面うつ病だと診断されたのですが、私がうつ病になる訳がない、と思い、担当医にも『うつ病ではないと思います』と言いました。これが始まりでした。抗うつ剤を捨ててしまったのですそれで、本当にうつ病で倒れた時は、重度で、ご飯が食べれず点滴を受けました。(当時体重が29㌔でした)ご飯が食べれない、と言うと思い出すことがあります。うつ病時に、体調が良くな
今日は歯のメンテとちょっとした治療。歯のメンテに、メンタルのメンテ、そして減量(悪玉コレステロールの減少)などなど、医者に定期的にかかることが多くなりました。貧しい家計の中で医療費が占める割合がだんだん増えてきます。古希近くなると、このへんの予算配分が難しくなるのです。定期的メンタルチェックは外れるかなとおもっていましたが、この数ヶ月の仕事ストレス増加と親しい人の相次ぐ逝去があって、心療内科の主治医がいることのありがたさを実感(薬の処方がもの凄く良かった)。いまは、
やっぱり統合失調症の妄想って自覚がほんとに難しいんですね。デイ仲間のおっちゃんもそうだけど未だに薬が統合失調症の薬だともわかってないし長年、眠剤って思ってたようだし注察妄想や別の人は誰かが家に入り込んでるとかストーカーされてるとか思い込み凄いもんなぁ。妄想の中で色んなものに関連付けてストーリーが出来上がってたり。徘徊してたら30年もストーカーされてるって内容で家にも入られてるって。。。そういう妄想に人生の半分以上奪われてしまってるんだな。自覚できれば回
75歳で認知症と診断され、医療保護入院を経て、老健入所中の母を見守り中の40代娘のあたふたブログです先日、母と電話で話した時…『最近、私、頭がおかしくなっちゃったの…』と言っていました。その電話では、多分、母が思っている事がスムーズに言葉に出ない事で、少し自覚したのかな?!と…『いやいや、年を取れば誰でもそうなるよ』と返しはしたものの…一瞬『え?今?』と思ったのも事実。実家がゴミ屋敷になって(最近、家族の体調不良や、暑さを言い訳に、
発達障害の診断が降りてから数年が経って、診断を受けたてのころの初々しい気持ち(?)はなくなっていき、何か後ろめたい事を感じながら生きるのは難しいし息苦しくもあるので、心持ち開き直った結果、案の定人の道を踏み外して十年経て今に至るわけである。と言っても意図的に反社会的な行為をしたり法を破ったり人を罵倒しているわけではない。出来る限り人の目に触れないように生き、人間関係を断捨離して削りまくったり、娯楽的に自分勝手になったりエゴイストになっただけである。空気が読めないのに空気を読むのをやめたり
2022年秋に発症してから、診断が出てステロイド服薬の治療が始まったのは翌年の6月。なんでこんなに時間がかかったのか顛末を書いてみます。そもそも「非特異的症状」といって他の病気に普通にありがちな症状ばかりなので、医師も絞り込みが難しく、普通にかかったら1つ1つ他の病気の可能性を検査で潰していくしかない症状とも言えます。なので、8ヶ月かかっても早かった方かもしれません。厳密にいえば、8ヶ月のうち、「おかしいな」と思いながら自分で我慢してしまってた期間もあるし…。それまで命あっての
知り合いの女の人の話。その方は子宮頚がん=遊んでるから移ったんでしょ的考えのお方。友達が亡くなったりしてもそんな発言だったみたい。そして知り合いの私が15年前に子宮頚がん疑いで円錐切除した時も、そんなような発言をしてたんだって。仲良くないからキャラクターわからなかったけど、偏見満載なそんな思考が残念だなぁと思う。そして今回、彼女が子宮頚がんの疑いがある。パートナーには、10〜15年の潜伏期間があると説明して遊んでてなったわけじゃないとアピール。パートナーはパートナーで彼女の今までの言動から
※このブログの記事は山菜個人の体験や思った事を書いています。全ての統合失調症患者さんが同じと言うことではありません。私が統合失調症で体験した異界は常人には理解できない別世界でした。罹患するまでの常識が一切覆され統合失調症の管理下に入ってしまい如何なることも病的な思考になりドツボに嵌りました。とても苦しく苦悩し狼狽し自死願望も頻繁でした。自死願望はあまりの苦しさもありますが得た情報を処理した結果自死と言う答えが出てそれを疑わずに実行に移そう
こんにちは!照屋ゆきこです。プロフィールには書いていますが私は統合失調症です。寛解してます。最初は病気を受け入れていませんでした。でも妹と母が統合失調症を勉強し始めたんです。なんで本人より先に取り組んでくれるんだろう、、、嬉しく感じました。負けじと私も書店で1冊の統合失調症の本を購入、読みました。書いてある症状が全てあてはまる!「私、本当にこの病気なんだ」ショックと諦め、降参するしかないその状態が良かったんです。病識があると言いますが、病気を自覚すると、病気
ただ今、我が病棟では、クラスターが発生中。…な…んだとう…。陽性患者様は二名。…同一空間で二名以上の陽性患者=クラスター。持ち込んだのは、どうやら中堅看護師。…どうやら彼女とXmas濃厚接触したらしい。ちなみに本人は発熱で、事故休中…。他の病棟も、満床で移動出来ず、何より、超処遇困難の精神科慢性期病棟。曲者が多すぎて、転棟しても、他の病棟では、対応できない。陰圧部屋もない、個室も、隔離室も空いていない、我が病棟で経過観察することに。慌ただしく、賑やかな年末だなぁ。来年は良い年に
えっと、ナウですとりあえず頓服薬、全部突っ込んだ、👓️あとは寝るだけですからね。寝られなくなって、またもう一度頓服薬を服薬する位なら、まとめて最大量使うのも良い判断かと💡和葉姉さんは、初体験??こないだの経血のシミが動くので2回目。これはアキちゃんが当時、ご飯ひっくり返したのも、わかる気がする。あの頃は幻覚(幻視)っていう識別が、無かったからなぁ。食事前の人もいるかもだから、スクロールさせるね。(もしかしたら不快に思う方もいらっしゃるかもだから。)揚げ物の衣が、カ
病気や障害があるからと言って異常者扱いしたいわけじゃない。理解したい。愛ある生活をしたい。理解があって優しく出来て愛ある生活を送りたい。ただそれだけ。それにはまず本人が病識を持ち自分の取説として向き合って日々改善するように努力し続けてくれないと他人とは暮らせない。理解は片方だけがしても意味がない。一番は本人が病気や障害を理解してないと意味がない。ありのままを愛したいから理解したい。理解する為にはまず知らないといけない。病気や障害はただの名刺。その名刺を見せて
最近、ブランケットを頭から被って“無”になることが多い。テーブルに突っ伏してるので、お母さんに表情を見せなくて済む。前にもあった、鬱っぽい感じに似てる。なんとも、自分としては、センセーに摂食障害だと言われたことが相当ショックだったらしい。前から私は、摂食障害のことをblogにも書いてきたが、病識が今一つなかったし、ただダイエットのスイッチがあるだけと思っていた。でもそんなんじゃなかった…。私は、今、悩んで、苦しんでるんだ。だからセンセーは、摂食障害だと言ったんだ。センセーは、い
金曜日。通勤途中、猫ちゃん、振り向いてくれました新患の方が来られました。今治療中の病気についてお伺いすると、糖尿病・・・たいしたことないのよ骨粗鬆症・・・たいしたことないのよ甲状腺機能異常にも〇がついていましたが、あまり気にしていない様子。うーん、うのみにしていいものか?内科から6種類整形外科から3種類のお薬がでています。すごいわ!ほんとにこんなに飲まないとだめなのかな。お薬手帳にある薬をスマホで調べてみます。代表的な薬の名前は覚えておくように
※このブログの記事は山菜個人の体験や思った事を書いています。全ての統合失調症患者さんが同じと言うことではありません。フランスの統合失調症に関するブログや記事を閲覧していて統合失調症を発症した90%の方々に病識がないと目にした記憶があります。それはたぶん国籍人種問わず同じだろうと思います。数時間フランス人になり切りフランスネット海を彷徨っていていい表現だなと思ったものが有ります。「統合失調症が病態失認を特徴とすることです。つまり、統合失調症患者にとって、彼らの妄
夫が入院した顛末はこちら↓*健康だと思い込んでいたのです本人も周囲も*手術は成功*やっておいて良かったこと行っておいて良かった場所*言葉の回復と2度目の手術*脳梗塞の再発*ベッドからの転落こんにちは。実は少し前に病院から聞かされていました。夫が歩けるようになるかもって。ある時、不意に、「病態失認」から脱したのです。自分の身に何が起こって、それが原因でどういう状態になっているのか(片麻痺)が、ストンと理解できたのだそうです。す
統合失調症という病気を受け入れるまではとても時間がかかりましたし、今でも完全に受け入れられているわけではないのですが、発症してから早めに治療に繋がった事には、今となってはとても感謝しています。ブログを読んでくれている方の中でご家族がもしかしたら統合失調症かも?と思っている方には是非早めに本人を病院に連れて行ってもらいたいと思いますが、実際は本人が病院に行くのを嫌がったり、ご家族にとっても精神科のハードルが高いために治療に繋げるのが難しいという方もいらっしゃるのかもしれません。私の母が私の様子
入院生活についてはまた改めて詳しく書きたいと思うのですが、入院してから数日後、看護師か誰かから私が3ヶ月位ここから出られないという話を聞きました。困った私は看護師から紙とペンを借りて、「私がすぐにここから出なければならない理由」という手紙を書いて看護師に渡しました。すると医師から呼ばれて、自分が統合失調症である事と、退院は大体3ヶ月後になる事を説明されました。統合失調症という病名については聞いた事があるようなないような位で全く知識がなかったのですが、3ヶ月もここから出られないという事には大