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ご訪問ありがとうございます。今回の解読はわたしにとってはけっこう悩ましかったのですが(;^_^A何とかまとまった…というか、むしろいっそう「古事記」「日本書紀」に近づいた解釈になってしまいました。とりあえず「チ。」のアルベルトのように「疑いながら進んで。信じながら戻って。美しさに、煌めきに、逼り詰めてみせます」というのが、心境(^^;)しかしわたしにとってはまさにコペルニクス的転回💫でしたがwさて、大筋がつかめたので今回は残りを済ませたいと思います目次⑧中費直は誰?「紀直
甲子塔、庚申塔、馬頭観音このあともどんどん続きます。石灯籠2基の奥に道祖神の群れ秋葉大権現常夜燈十五社大明神片松葉杖工場萌えいつでもどこでもおいしい水富士見凝った止水栓の蓋。WHENEVER,WHEREVER,GOODTASTINGWATER.FUJIMI豪華な祠の道祖神肩を寄せ合う馬頭観音フェンスの向こうの琺瑯看板「天龍誉」コンテナかと思ったけど貨車ですよね?「左三木ヲ経テ上諏訪町」っぽいことが刻まれているようです。もうちょっと読
昨日出した校正指摘に朗がある。※見覚えがあるのは朗だと思う。※朗は朗の旧字体らしい。<旧字><新字>人名を校正していたので、正直何でもあり。※人名漢字として登録されているかいないかの問題はあるけど、それよりリスト校正しているときはリスト通りかそうじゃないかが重要。そんな校正のときに漢字は読まない。リスト校正の際、異体字がありそうかとかは意識しているけど、知らない異体字が出てきたときに逆に気が付けないので、異体字を気にするったって、本当に気持ち程度。リス
8月4日だからはしの日ねぇ~「はし」と読む漢字一覧橋意味:川や谷、道路の上などにかける通路。用例:橋を渡る、歩道橋、日本橋箸意味:食べ物を挟んで口に運ぶための道具。用例:箸を使う、割り箸、菜箸端意味:物の両端、終わり、縁(へり)。用例:道の端、紙の端、橋の端梯意味:高いところに上るための道具。「はしご」。用例:梯子をかける嘴意味:鳥のくちばし。用例:鳥の嘴階意味:庭から家へ上がる階段。「きざはし」。用例:階(きざはし)を上る
石和温泉駅から再開です。今回、4日間歩いて甲州街道をコンプリートします。味わい深いコイン精米機絵が印刷されたプラスチック版を鋳物の蓋にはめただけのマンホール蓋をデザインマンホールと読んでいるのは興ざめですがこういうのはいいかな。何があった?!ここにも事件か?落ち玉ねぎ甲府市の看板にはカワセミダバーな暗渠吐口左甲運𣘺甲府身延道右富士山大山東京萬延元庚申年六月吉日左三峯山大嶽山○○萬延年間に東京という地名はなかったのにと思ったのですが、東京の
いきなりの雪道になりました。(3月)中央の祠は道祖神でしょうか?向かってその右は三猿がいるので庚申塔でしょう。下初狩宿石碑に何か書いてあると思ったら歌碑でした。変わった形の窓ですね。下初狩宿本陣常夜燈付きの卄三夜塔これも廿の異体字ですよね?煉瓦アーチが見えます。かなり立派なので近くまで行ってみればよかったな。中初狩宿山賊の願い?がどうした?と思ったら違いました。「山賊乃願登(と)つる葎哉」という芭蕉の句だそうです。難しい!また、素敵な円窓。明治天皇御小休遺跡皇太子殿
石碑にあるこの文字。武列と読んでいる書籍やWeb記事を見かけますが武蔵の国つまり武州だとおもいます。参照記事:甲州街蓋散歩調布~武蔵野台散歩で出会った異体字シリーズ「嶋」上に下に以下、2019年の記事の焼き直し丗の下の横棒がない字「九州ガス圧送」「電防」電の字の略し方も、「九州ガス圧送」の手書き感も面白い。散歩で出会った異体字シリーズリストページ
水路沿いをとぼとぼ廿三夜は「光」のように裾が開いた廿の異体字庚申塔は篆書体であることを差し引いても全部異体字ですよね?がんだれがなべぶたのようになった庚、𢑚のヨのあたりが局の下半分のようになった申、登かと思ったら土偏が下に移動した塔の動用字諏訪神社お手上げの鬼他の装飾もなかなか面白い社殿でした。平成の馬頭観世音困り顔の皆さんあいさつをかわすおもいやりの道旧甲州街道ケーブルかと思ったら水道管でした。こっちは下水の蓋はねている魚はアユ?市章は「上」?疱瘡神社塚場一里
公衆電気通信線路専用橋焼夷弾の弾痕のあったところをタイルの色で図示している大和田橋。弾痕が保存されている箇所があるそうなのだけれど見逃しました。右奥のホテルに立っている石造建築はイギリスから移築した教会なのだそうです。先生が化けた「法」法務省の蓋かもしれませんがなぜこんな国道の歩道上にあるのか分かりません。史跡一里塚跡単語を順番に英訳してみた?HARDBALLPLAYBAN後から銅造じゃなくて石像前から庚申塔(武州?)多摩郡??領八王子享保八癸卯歳くだも
さあ、一時間ほどですがハイキング。甲州街道に戻りました。団地ではない場所に旧日本住宅公団の汚水蓋。浄化槽?の蓋「カーム」火の見櫓付き公会堂お地蔵さんの鑑賞ポイントも知りたいな。持ち物の多い青面金剛。フル装備かな?六地蔵ってことだけ最近覚えた。武州の「州」が列みたいな異体字長谷川西光寺台座に菊のような紋章が付いた常夜燈透かし過ぎブロック塀いつの間にか府中市御先祖様をお待ちかねの皆さん。この日もわずか1時間足らずを歩いてちょっと寄り道して帰りました。旧陸軍調布飛行
1年以上に渡って四国遍路の記事をだらだらと書き綴っていたのですがその間にも四国以外でもあちこち散歩をしていました。ちょうど甲州街道も歩き終えたのでぼちぼち書くかと思って過去記事を調べたらまだ新宿までしか書いていませんでした。(甲州街道蓋散歩日本橋から内藤新宿後半)というわけで、新宿からの続きを書きます。4年ほど前になりますが、新宿まで歩いた翌日に笹塚まで1時間くらいかけて歩きました。引照点のありかを示す鋲。0.5m先がどうなっているのか確認すべきでした。東京ガス旧ロゴ、旧建設
昨日は7月7日。世間は七夕の雰囲気に満ちていた。Horusのいきつけの神社も例外ではなく↓いつもとは異なる装飾がされていた他↓…(-_-;)明らかにいつもと参拝者数が違う(汗)そしてここはもっと凄かった↓…そう、社務所だ。この時しか手に入らない御朱印を求めて、鳥居の方まで長蛇の列が出来ていたのだ(゚Д゚)並ぶ事暫く。社務
茂兵衛さん道標のようですが、名前の彫られた面を取り忘れていました。☜八十八番奥の院御再来遺跡與田寺へ一里、縣社大水主神社へ十五丁、縣社白鳥神社へ二里その1でちゃんと撮れていなかった船の案内と同じような記述を撮ってたのにすっかり忘れてた。「巡拝大べんり」「三本松ヨリ毎日午後二時大坂神戸むやへ汽舩出ます」大正十五年の時刻表ですね。ググってみたら1990年代までは連絡船があったようです。今日も猿。星越峠シーズン5で「星」のつく地名は珍しいと書きましたがここにもありました。近くに
潟元駅から出発です。サルサルサル植木鉢に水やり中の人間のお爺さんから元気な挨拶「あ〜おはようございます。気ぃつけて登ってよ」ありがとうございます!この「左」とある道標を見て写真奥の道を右へ進んでしまいました。おかしいと思って戻ってきました。実際はこの四国のみちの道標のある道を左でした。急登↗21%!猪が出ます。鉢にも注意車は通ってはだめ!というか無理でしょ。奥のほうにあるお地蔵さんも道標。道が少しずれたのかな?加持水ちょっとぼけてしまいましたが「東宮殿下御
枝垂桜がまぶしい空氣瓣九丁目野良石臼?道標には左國分寺六十四丁、端岡駅四十七丁とありますがここから端岡駅に直行する道は今はなさそうです。「是より一宮迄二里半」かな?根来寺境界石二丁目第82番札所根来寺歩きの人は誰も残っていませんでした。このあたりに住んでいた牛鬼だそうです。説明看板の鬼の字はムが大きいですね。こういうのも異体字と呼んでいいのかどうか。一の宮江戸道良き脇道右側転落防止の心許ないロープ次の人のための接待草刈り用ばさみ。既にすっかりきれいに刈っていた
皆さんお揃いでのお出迎えありがとうございます。☞京極天王道?札所ヘ四丁ところてん屋さんこういうお店が札所の後にあるとありがたいな。茂兵衛さん百度目!キリ番。娘は「決して覗いてはいけませんよ」と言ってお堂に籠った。☜遍んろみち白峰宮の裏口に到着神社の境内を通り鳥居を抜けたところの隣に79番札所天皇寺の大きな社標。でも右の敷地内には駐車場と納経所しかありませんでした。神社の境内に戻って探したら参道脇(納経所とは反対側)に天皇寺の本堂や大師堂がありました。お堂の見つけにくさでは
珍しい形のもっこり蓋でDay2スタート78番はすぐそこ。宇夫階神社謎の石組みのあるお地蔵さん。石灯籠にもお地蔵さんが刻まれています。☞大師道第78番札所郷照寺昨日から同じようなペースで歩いている通し打ちおじさんによるとこのお寺は朝8時まで門が閉まっているのだそう。今日はのんびりスタートでちょうど良かった。屋根の尾根の部分が凝っていますね。シーズン5でも見かけましたが飾り棟というのだそうです。是より天の社迄一里半閻魔道の飾り棟もきれいすくこんぴら道西丸龜東高枩道す
今回もお遍路からそれて群馬県太田市の世良田八坂神社のお堂の基礎部分に刻まれた寄進者の住所氏名を見ていたら異体字がいくつかあったので一挙に紹介します。異体字じゃないのも含まれると思いますが詳しい方、許してください。怒らないでね。渋沢の「澁」の異体字と思われます」。「町」の動用字「甼」「龍」の右下の三がテになっているやつ。時々見かけますね。東京府南葛飾郡でよいと思うのですが東京府下となっています。埼玉縣じゃないことを強調したかったのでしょうか?こちらも同じ龍の字ですが、「組」も微妙に異体
電車に乗る前にアキレス腱を伸ばします。さあ出発。昨日会ったお遍路さんは同じ電車には乗っていなかったようです。三芳郵便局艸創跡。草の字を異体字の艸にしたところまで太字。日切大師チラ見だけして失礼します。光明寺には無料の善根宿がありました。Wifiも完備。背の高いほうの石碑、なんて書いてあるのでしょう。ヤギさん。遍路道沿いでは何度目かな。たのしいけいさんはあんざんで電気の元ゴミから発電!!何を捨ててもいいのかな?いや、捨てるな!うーん、これも読めん圓照寺屋根に狛犬さん
日常でほとんど見かけることのない漢字「櫆」。一見して読めないこの文字ですが、実は「櫂(かい)」の異体字であり、古い文献などで使われていました。この記事では「櫆」の読み方や意味、成り立ちと現代での使われ方についてコンパクトにご紹介します。\お得に旅行するチャンス/>楽天トラベルで割引クーポンを見てみる櫆の読み方と意味「櫆」は「かい」と読みます。意味は船を漕ぐ道具、つまり「オール」です。よく知られている「櫂(かい)」と同じ意味を持ち、字形だけが異なる異体字
松山まで夜行バスで来てホテルに荷物を預けカッパと身軽な格好で電車に乗ります。前回の終点に来ました。今回は初日からいきなりの雨です。しかも寒いです。49番札所浄土寺前の記事に書いた通り山門から先の写真はありません。愛媛らしく道標の横にみかんの無人販売日尾八幡大神鳥居の前の注連石には鳥舞魚躍とあります。この神社にゆかりの有名な書家による揮毫らしいです。なんともユーモラスな表情の狛犬さん次の50番繁多寺ではなく51番の石手寺への案内になっていますが、繁多寺もこちらでいいはず。
NHK学園古文書・基礎コース第1回の課題が、添削されて送られてきた。書き方について迷った部分は、ていねいな赤ペンでわかりやすく書かれていた。講評も良かった。褒めて伸ばす、褒めて続けてもらうという学園の気風(営業方針)を感じる。しかし、書き方で迷うというのは、基礎コースの前の〈はじめての古文書〉コースを受講していれば間違いようのないことで、自分のお粗末さが露見してしまったようで恥ずかしいことこの上ない。近道しようと思ったが、少ない予備知識にテキストというコンパスだけをもって
令和5年のお正月明け…1月5日に母を亡くしました。父は母の亡くなる2年前に亡くなりました。その時点で母は既に認知症で要介護5の寝たきり。母に後見人をつけていなかったので、父の遺産分割はできませんでした。母が亡くなり、初めて遺産分割となった訳ですが…父が亡くなった後一方的に妹から絶縁されていた為会話らしい会話も出来ず、弁護士さんを立てました。こちらからの質問にのらりくらりとかわされていましたが、1年を過ぎた頃に調停を決断。半年かけてようやく調停成立となりました。調停に入ってからも
出発早々、素敵な塀を鑑賞住宅の庭のような参道勢いのある狛犬さん武運長久、戦勝祈願とあります。昭和十九年の建立でした。キョロキョロ。消火栓、サビ標識材の異体字、衛や器の略字そしてハマネッ無臭トイレも気になります。現在も簡易トイレ等の専門メーカーさんらしいです。時折出会う地元の方々、皆さん挨拶をしてくださりとても気持ちがよい朝です。飛び出さない坊やたちも元気に挨拶。交通標語の出来はいまいち。この階段は魚道かな。登るの大変そう。魚転がしか。カッパが捕まえた
向かいから何もない坂道を登ってきたおばあさん。にこりともせず「飲みな」と手押し車から取り出したオロナミンCを突き出してお接待。なんかカッコいい。後ろ姿に手を合わせてさっそく飲み干し、空き瓶をリュックにしまったところで道端にゴミ箱。中にはオロナミンCの空き瓶が数本。おそらくご本人かご家族の方が設置して定期的に回収してくださっているのだろう。散歩してオロナミンCを渡すというのがあのおばあさんの日課なのだろうね。まさか空き瓶をその辺に捨てるお遍路さんはいないとは思うけれど、いずれにしても宿なり自
seesaaブログ「散歩で出会った旧字・異体字・難字」から引っ越してこのブログに統合しました。散らばっているのでリストを作成中です。主に異体字ですが旧字も含みます。大体、音読みの五十音順に並べています。ア行違カ行貨関館局金径弘婚サ行埼者松乗州神図世タ行道嶋ナ行年ハ行浜並物マ行明ヤ行野熊
旧宇和島市章の小蓋。古そうな感じでいい蓋です。中モジャハウス松山まであと100㎞歳の異体字うれしいお昼ご飯。込み合った店内にリュックが邪魔で申し訳なかったです。みかんキャラ下水道の蓋もいい感じ。お、時計付きの給水塔。♪いまはもう動かない給水塔の時計夏目ヶ市公営住宅。今回は足元まで行く元気はありませんでした。宇和島市の古くからの住宅街に入ってきました。思いがけない骨董蓋。「消火栓」と書いてあるはずの部分がアスファルトで覆われているのがとても残念。こそぎ取ってしまいたい。量
いよいよシーズン3の最終日です。宿の周り(岩松地区)は獅子文六の小説「てんやわんや」の舞台と言われても何のことか分かりませんが、情緒あふれる建物がたくさんありました。醤油さんの看板。極上の「極」、生醤油の「醤」、西崎柿次郎の「西」が異体字です。極は木偏が上に行った動揺字、醤は将の右が夕大に、西は全然違う字に見える卥のような字。木造建築の並ぶ中で目を引く洋館を見上げていたら宿の女将さんに呼び止められました。なんと杖を忘れてきていました!最後にやらかすところでした。あぶないあぶない
へんろみてぃの続きです。木製電柱草ヒロ(草むらのヒーロー)っていう愛称は誰がつけたんでしょうね。川口探検隊(古い)二本松大橋時々見かける野良碍子リンボーダンス花の季節ではないだろうと150メートルの寄り道は遠慮して右へ。未来の道こちらはディストピア感。グリーンエネルギーじゃなくてブラックエネルギー。お酒が飲めればこういうのも試してみたくなるのでしょうがスルーします。柏坂越えのみち完歩道が間違っていると感じた頃に道案内。でも読めません。とりあえず左折して橋を渡りま
以下、太刀山に関する私(のぼこ)の愚考です。1.太刀山の評価について(太刀山は)協会を離れたことで歴史的評価の面では少なからず損をしており・・・<wikipediaより>伝説の「四十五日」や「仏壇返し」などから剛腕・剛健なイメージの強い太刀山ですが、実は長らく胃腸と脚気(神経痛)の持病に苦しんでいました。身長は六尺二寸=188cmあったものの関脇になっても体重は90kgしかなく細身の身体でした(関脇太刀山が3歳年上の横綱常陸山に初めて勝った時の体重は二十四貫=90kg)。関