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小樽・住吉神社で例大祭露店自粛も参拝者を目で楽します花ちょうず小樽経済新聞住吉神社(小樽市住ノ江2)で7月14日、住吉神社例大祭が始まった。露店や諸行事は自粛、宵宮祭(14日)と本祭(15日)は、同神社役員のみで執り行われる。神社境内の様子小樽経済新聞住吉神社(小樽市住ノ江2)で7月14日、住吉神社例大祭が始まった。記事を読む...石川県輪島の重蔵神社で曳山祭|北陸新幹線で行こう!北陸・信越観光ナビ輪島市河井町の重蔵神社で12日、当初の4月から延期されていた春祭り
更衣ノ鷹上居眠り磐音(三十一)決定版(文春文庫)Amazon(アマゾン)373〜1,491円小正月を迎えた江戸。佐々木磐音は鵜飼百助のもとを訪ね、愛刀の備前包平を研ぎに出す。その帰り道、両国橋に差し掛かった磐音と小田平助は、妖しい気を放つ靄に包まれる。姿を現した丸目歌女は、磐音にあることを言い放ち、姿を消すのだが…。家基の命を狙う勢力がその牙を露わに襲い来る。魔の手が、次に伸ばされるのは!?更衣ノ鷹下居眠り磐音(三十ニ)決定版(文春文庫)Amazon(アマゾン)373
松永金時です。読者さまこのブログにご来訪ありがとうございます。戦前、戦後発表された娯楽本で私が選んだMANIAXな本をご紹介する松永金時のMANIAXブックレビュー今回、ご紹介する本は。。池波正太郎作カバー/装画中一弥カバーレイアウト多田進解説常盤新平剣客商売です。(剣客商売と書いてけんきゃくしょうばい、と読まずけんかくしょうばい、と読むそうで日本語はムズイですわ。手元にある本書は新潮文庫昭和60(1985年3月2
相良城さがらじょう創設年代・・・明和五年(1768)創設者・・・・・田沼意次形態・・・・・・・平城遺構・・・・・・・石垣・土塁本丸相良市役所・本丸跡市役所脇の碑萩間川から見る相良小学校・本丸跡大和神社仙台河岸の石垣略史相良は藤原南家の末裔周頼が居住し相良氏と称した。相良氏は源頼朝に従い肥後球磨の地頭に補され人吉に居城を構えている。戦国時代になって遠江に侵攻した武田氏は高天神城への中継地として築城した。徳川家
昨日は勝手にアジサイまつり、パート1。牧之原市にある国定重要文化財・大鐘家へ。『柴田勝家の家臣《大鐘藤八郎》が越前から遠州相良に移住。江戸初期には旗本三千石、18世紀初めに大庄屋となり館を築いた』と、パンフレットにあります。田沼意次は初代相良藩主だったとのことで(日本史を思い出して懐かしい!)ゆかりの道具なども展示してありました。裏山からは駿河湾を一望できます🎵他にも季節の花が咲き乱れ、江戸時代から続く旧家との対比が風情を醸し出していました。それにしても、人がまばらです。週末はも
武士の名前の漢字使用ルールとは…織田信長が3人に「長政」という名前を与える?昔、歴史雑誌の質問コーナーに「浅井長政、黒田長政、浅野長政、山田長政と同時代で同じ名前の人物が4人もいるが、『長政』というのは、そんなにいい名前なのか」という質問があった。山田長政はたまたまなのだが、ほかの3人には共通点がある。織田信長から「長」という字、つまり偏諱(へんき)をもらったということだ。大河ドラマならば、信長が「長政」と書いた書状を渡して「これからは長政と名乗るがよい」とか言いそうだ。ではなぜ、
1829年6月14日(文政12年5月13日)に寛政の改革を行なった老中の松平定信が亡くなりました。御三卿の田安家から奥州白河藩の久松松平家の養子になりました。久松松平家は、徳川家康の異父弟の子孫の家柄です。松平定信の前任者である田沼意次の商業を振興する重商主義政策と役人と商家による縁故中心の利権賄賂政治を改めるのが寛政の改革でした。松平定信は徳川吉宗の孫であり、運が良ければ将軍になっていた可能性もあり、もしかしたら田沼意次に恨みがあったのかもしれません。飢饉対策や、厳しい倹約政策、役人
照葉ノ露居眠り磐音(二十八)決定版(文春文庫)Amazon(アマゾン)424〜4,677円佐々木磐音は、南町奉行所定廻り同心・木下一郎太の相談を受ける。出入りの旗本家で、酒に酔い暴れた主人が殺され、その妻と奉公人が逐電したという。弱冠十三歳の嫡男・小太郎の仇討ちに助勢すべく、磐音は上総に発つが、小太郎の心は揺れている。母を見逃し助けるか、非情の処断で家を守るか。磐音が少年にかけた言葉は…。「居眠り磐音決定版」シリーズ、毎月2冊ずつ発売されていましたが、4月はこの28巻のみで
ご訪問ありがとうございます。本日もお疲れ様でした。今朝の日経モーニングプラスFTのメインは八木さんでした。連ドラ「エール」では、裕一は福島帰省に二の足を踏んでましたが、結局帰省しました。さて、今日のブログのテーマは「祈り」です。毎朝近くの大山稲荷にお詣りに行ってますが、「お稲荷様」の事をよく分かって無かったので、調べてみたら--------------------------------------------------------------------------------
小千谷のひなまつり再現南魚沼・池田記念美術館/新潟毎日新聞江戸末期から明治にかけてのものが多く、歌舞伎役者などが色鮮やかに描かれている。これらを縦や横につなげ、壁にかけて飾った。この習俗は2019年6月に...2・28事件で市民救った弁護士の旧宅守ろうクラファン第1段階クリア/台湾中央社フォーカス台湾湯氏は日本統治時代の1907(明治40)年、警察官だった日本人の父親と台湾人の母親の間に生まれた。日本で法律を学び、司法試験に合格した後、郷里の台南...(美の履歴書:
前回に引き続き、マイナー将軍10代家治。父家重が言語不明瞭の為、祖父吉宗から英才教育を受ける。だってお父さんの吉宗も、実子家重の言葉が分からないから(笑)何も教えられないよね。孫に託すしかない。将来を嘱望されながらも将軍になってからは、父の遺言に従い田沼意次に、幕政を任せる。前回書いたけど父家重は、家臣の能力を見抜く力は凄い。ある意味優秀な家臣に、幕政を任せた家治も名君かもしれない。田沼意次知ってるかな?悪名高い人物です。だがしかーし
本日は、松平定信公の命日にあたります。暴れん坊将軍こと、徳川吉宗の孫にあたり、若くして聡明だったといいます。その後、白河藩に養子に出されるも、老中として政治の中心に戻ります。江戸時代において最も危機的だったという天明の大飢饉からの不況の時期、政治は賄賂が横行していた時期だったと言います。緊縮財政に産業経済。お米を蓄えたり、借金帳消しにしたり。教育や福祉にも力を入れました。外交問題も対処を進めました。幕府の財政は飢饉時の危機から回復してきたところ、、、失脚させられました。期間は6年ほど。
俳優の杏さんは筋金入りの歴女だそうだ。彼女の最も好きな建造物は中尊寺だという。奥州藤原氏の最後の当主泰衡の首桶の中から見つかった蓮の種子が平成10年に810年振りに花を咲かせた。この泰衡蓮の話を何かの番組で披露していた。そう聞いて、心当たりがある。奥州藤原氏の開祖・藤原経清と奥州の覇者となるその子・藤原清衡、源頼朝に滅ぼされる藤原泰衡が主人公となる大河ドラマ「炎立つ」。そのドラマで藤原経清と泰衡を演じたのが、彼女の父(渡辺謙)だったのだ。さて、奥州藤原氏から話は変わる。
ども!ネットで注文していたマスクが届きました!なんか下着みたいだ!(笑)でもありがたいですね。これで51枚ありますので、大体2か月ぐらいはマスクに困りません!【GW期間中の為5月8日より順次発送】在庫あり送料無料50枚+11DAYMASKマスク不織布マスクますく3層構造高密度フィルター花粉ウイルス対策国内発送ホワイト17枚×3パック使い捨てマスクプリーツマスク男女兼用ノーズワイヤー楽天市場2,850
虎視眈眈読み方;こしたんたん意味;強い者が機会をねらって形勢をうかがっているさま。とらが獲物をねらって、鋭い目でじっと見下ろす意から。「虎視」はとらが獲物をねらい見ること。「眈眈」はとらが見下ろすさま。ねらい見るさま。出典;『易経』頤い句例;虎視眈々と党首の座をねらう用例;田沼意次は、ようやく、政治の世界に乗り込んで、その首座を手中にすべく、虎視眈々としている。<柴田錬三郎・曲者時代>
吉宗の「享保の改革」の成果を受け継いだ田沼意次の現状認識は、もはや年貢収入だけには頼れず、何としてもそれ以外の財源を確保しなければならない、というものだった。新たな税負担者とは、今や貨幣経済の王座についた商人以外にはありえない。田沼は彼らに新税を課す前に幕府経費の徹底的な削減を実施していた。彼は収支見込に基づいて各機関の支出限度を定めた。つまり「予算」という観念を導入し、削減目標を設定し、成果を数字で確認しようというのである。ここに彼の合理的な精神を読み取ることができる。そうしておいて田沼は、商
おはようございます~今日も良い天気。いつもなら家族で温泉にでも繰り出すパターンだけど、家に居るから、夫はじっとしていられないらしく土いじり色々してるけど、その苗庭植えはまだ早いのでは?と口出ししたりして…小面積ながら畑があって良かったけど~でもすっかり面倒になった自分もいる…前に住んでいた家では、凝ってハーブを色々育てて花も植えてたけど…子供のことが忙しくなれば手が回らなくなったし、引っ越し後は大家さんが全部刈り取って更地状態にしたそうで…借り家というのはそう言うものだけど、諸行無常を感じたよ
おそよう~じゃなくて、こんにちは。最近順調に早起きしてたのに、今日は寝坊しました…そして苗を買いに行ったり畑を見に行ったり…今朝も寒いと思ったし昨晩も寒くて寝付けなくて…いつもそんな風に思う事無いんだけど。長男が「ホレみろ~やっぱこの家は寒いんだよ!」と言っていたけど…風邪かな~とか思っていたけど、畑で陽に当たっていたら良くなった…けど疲れてるかも~ちょっと昼寝するかも~(笑)。最近になって電話やオンラインの利用が増えてきたけど、誰が?どのアプリで?どのシステムで?通話してるのかチャットなの
こんばんは。今日はついに、初トライの「歴史と占星術江戸時代編(前回の水瓶座冥王星あたりを中心に)」をZoomで開催しました。いろんなこと調べていたら、きりがなくなってきてしかも「あ、これも面白いな」「へえ!こんなこともあるのね」と感心しながらメモしていたら、いつのまにか膨大な資料になってしまい…事前に配布しようと思っていた資料は開始1時間前に配信💦もうちょっと余裕を持って資料をお渡しできるよう次回からは気を付けます…特に次回は幕末だから、また盛りだくさんになりそう。
時代劇の「水戸黄門」とか「忠臣蔵」モノで必ず悪役として出てくるのが、柳沢吉保ですけど。江戸時代を通じて最も有能だった官僚が、柳沢吉保と、田沼意次でしょう。この二人は、仕えた将軍(綱吉と家治)が死んだ途端に辞めていますが、田沼の政治が最終的に「失敗」の烙印を押されて葬り去られたのに対して、柳沢は綱吉の治世いっぱいで充分な成果を挙げ、「失脚」というより「勇退」という形で任期を締めくくることができた、という大きな差があります。これは、本人の能力より、幕府が上り坂だったか、下り坂だったか、の時代状
今日はおかぁしゃんのお誕生日でちよ。「いくつ❓」なんて野暮なことを訊いちゃダメでちよ。そんな訳で(❓)恒例の1枚のお写真(❓)は、おかぁしゃんの人生で1番好きなお写真でちよ。おかぁしゃんの3才2ヶ月の時の写真でちね。2ヶ月ってことは6月でちね。夕張にもやっと春が来た頃でちかねーマコと似た感じの色合いでちね。本当はどんな色のお洋服だったんでちかね❓
【Q15670】花の名所として知られる寺。鎌倉の明月院の別名は「あじさい寺」、奈良の般若寺(はんにゃじ)の別名は「コスモス寺」ですが、兵庫県明石市の薬師院の別名は「何寺」?【ぼたん寺】【Q15671】白河藩主・松平定信が老中となり行った清廉潔白で規制の多い窮屈な政治よりも、賄賂政治が横行した昔の田沼意次時代の方が良かったという意味の、寛政の改革を皮肉った有名な狂歌は何?【白河の清きに魚のすみかねてもとの濁りの田沼こひしき】【Q15672】本名・古川誠剛(せいごう)。ドラマ『特捜
『松下政経塾講話録(5)』●渡部昇一(1930~)上智大学名誉教授✪評価し直したい田沼意次-②田沼意次の業績のいくつかを挙げてみますと、例えば、大名貸しというのがあります。大名に金を貸すことです。お金を貸す場合、大口金融が効率もよく、手間がかかりませんから、関西の大金持は大名貸しを本当はやりたいのです。ところが、大名貸しの一番危ないのは、返さない時です。だから、鴻池家では、「大名貸しすべからず」という禁令を作っていたそうです。田沼は、ここに目をつけました。やはり、金を貸し借り
『松下政経塾講話録(5)』●渡部昇一(1930~)上智大学名誉教授✪評価し直したい田沼意次-①ところが、この田沼時代は一般には腐敗の時代とも言われ、誰もほめません。田沼の時代がいい時代だとほめたのは、ひょっとしたら私が最初だったのではないでしょうか。昭和30年に、ドイツで開かれていた浮世絵展を見に行きました時、そこで講演していたボンかケルンの大学の先生が、浮世絵の意義について、「これは民衆の絵である、市民階級がみな絵を見るような国は当時、西洋と日本しかなかった」そう断定されたのです。そ
こんにちは。奈良市の社労士行政書士の村林です。ぽかぽかと日差しだけは暖かいです。本日の戸籍弘化元年生まれの方が出てきました。弘化っていつだったかな?と思ってみると、あの有名なペリーさんが来るより前のことでした。ちょっと、書いておくと元号は天保ー弘化ー嘉永ー安政ー万延ー文久ー元治ー慶応ー明治の順番です。今日出てきた弘化元年っていうのは、水野忠邦の政治の頃でしたむちゃくち長生き、化石級と思いきや、じつは弘化から慶応までは案外ち
先日、「老中・大老と側用人はどちらが偉いか」という話を書いたとき、大老は将軍と同じく「権威はあるが、基本は何もしない名誉職」みたいなことを書きました。これはかなりざっくりし過ぎの言い方でした。大老がどのくらい実権と握ったのかは、それぞれの人物によって全然違んですが。なので、この点について、以前にも書いた話ではありますが、改めていろいろ、知ってる話をします。江戸幕府の大老職に就任できるのは、「土井、酒井、堀田、井伊」の四家だけである、と言われています、しかし、これは「結果的に、大老になったの
算数139国語92社会76理科92☝自宅受験です。算数は引き続きよく出来ました。間違えたのは食塩水の濃度と時間と距離のつるかめ算でした。コピー機買ったらサピ教材だけでも劇的に演習量が増やせたので、コピー機は心からオススメです国語は辛い結果でした。穀物と奏でる、つい最近やったのに間違えたの悲しい。かなでるは最後止めるんだよ!ってあんなに言ったのに払ってた記述はどっちもたぶん0点かもらえて1点レベル。文章に蘇るって出てくるのに蘇えるって書いてたし。要復習です、。理科は3問ミス。
大飢饉真っ只中の天明4年(1784年)3月、江戸城中で一大事件が発生した。田沼意次の息子で若年寄の意知(おきとも)が、旗本佐野政言に斬殺されたのである。佐野はただちに召し捕られ切腹に処せられたのだが、暗殺の動機については、昇進を願って意知に多額の賄賂を贈ったのに効果がなかったとか、家の系図を貸したのに返さない、などという私怨を主張した。だが世間はこれを政治的暗殺と見て、佐野を田沼政治の腐敗を正した「世直し大明神」と呼び、オランダの長崎商館長チチングはこの事件を、数名の幕府高官が唆した暗殺であり、
MerciMadameY.読み終って、深いため息をついてしまった。表紙がソグワナイ。こんなに軽い小説じゃないもの。まるでフランス映画、ハッピーエンドにあらずなのですよ。道場仲間の若い武士たちの話し(3人)。田沼意次から松平定信の時代が背景の青春もの。でもね、単なる成長物語ではありません。また、従来の人情とか義理といった時代小説でもないのです。3人とも貧乏御家人、ここまではアリがちな設定。が、精神をやられちゃうストーリ。正に、今の現実社会を反映してる……。