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日暮別邸に続くカラミ煉瓦の石段です。2011/12/22の日付が読み取れます。1977年4月には住民は殆ど撤退している下記3枚は「別子銅山産業遺産の残存状況について」吉村久美子著より石やセメントで造る所をカラミ煉瓦で造っている。下記3枚は絵ハガキより別子山の山奥で育った私は島には縁がないので詳しい事は分かりません充分な説明が出来なくてごめんなさい。
『坂の上の雲』のまち松山社長日記ブログより看板の下にカラミ煉瓦が写っています。カラミ煉瓦の故郷は「上陸禁止」です。住友金属鉱山総務課でそれとなく聞いてみたのですが「別の会社なので・・・」との事(株)四阪製錬所住友金属鉱山株式会社の子会社です。2010年10月1日に、住友金属鉱山の四阪工場が分社化され、新たに設立されました。事業内容粗酸化亜鉛の製造調べてみると四阪島に渡る船も別会社のようです。社名住鉱物流株式会社
赤い郵便ポストにカラミ煉瓦マニアックな人の喜ぶ構図ですね別子山ふるさと館は1990年(平成2年)8月に竣工したまさかこんな山奥にカラミ煉瓦があるとはおもわないでしょう。26枚ありました。施行が不自然で後から設置したようなので調べてみた。2005年にはなく2006年の写真に写っています。2003年(平成15年)4月1日に別子山村は新居浜市と合併し、ふるさと館は村営から市営になっています。誰がどのような経緯で設置したかは分かりません。2005年1月10
「鹿森にもカラミ煉瓦があるよ」「なんでやねん!」「道もない所にどなんして運んだん」取材に行ってびっくり、たくさんある。1個60kgだぞ!日和佐初太郎さんの写真集「別子あのころ山浜海」44Pにカラミ煉瓦が沢山写っている(版権の問題で写真は掲載できない)鹿森社宅に住んで居た人の話では、記念碑を作成する時このカラミ煉瓦を使ったとの事記念碑は2000年9月建立鹿森社宅は1916(大正5)年建設1970(昭和45)年閉鎖「おそらく索道で上げたのでしょう」との事だった
イントピア別子の本館の入り口に展示されている。説明版があるがカラミ煉瓦に興味がないのか読む人を見かけない。カラミ煉瓦の隣には「仲持像」が置かれている。銅に関する展示物があるが関心は低いようです。仲持茶屋のアイスクリームは好評の様だ仲持茶屋のすぐ隣にあったカラミ煉瓦。この前に旧観光列車を利用して休息所が出来たのでほとんど見えなくなっている。水飲み場となっていたのだろうが水は出なかった「銅太」(マイントピア別子のマスコット)の口に水道の蛇口が突っ込んである。理解に苦し
カラミ煉瓦のある風景のブログを見て頂いている方より情報を頂きまして取材に行ってきました。個人の家の門扉です。わたしも通った事のある所ですが、気が付きませんでした。お話をお伺いいたしました。この家は昭和5年に建てたそうです。家や塀は直したけれど、門扉は当時のままでだいぶ痛んできたと言う事です。私の見た目では、きれいな状態でした。大きさ長290×奥150×高100(よく見かけるカラミ煉瓦より小さいサイズ)「惣開小学校に行った時うちの門と同じ物が有ったので驚い
この道の上に山根収銅所があります。道路が細くて車の通り抜けも難しく一般の人は立ち入らない所です。ひょっと見るとカラミ煉瓦が使われている。石もあれば、煉瓦の欠片もあります。周辺にあった石で間に合わせに積んであるように思われた。こんな所にカラミ煉瓦があるなんて誰も知らないだろうと自慢して話していると以外に多くの人が知っていた。私の知人には別子銅山マニアが多数いる。2023年4月訪れた時いくら探してもない。確かこの辺だったと近所の人に尋ねると「崩れそうなので撤去し
生子橋の袂にあります。「しょうじばし」と読みます。写真右に写っている朱塗りの橋です。銅像の作者は安部誠一氏マイントピア別子の玄関にある「仲持像」と遠登志橋入口にある「仲持ち像」も安部誠一氏の作品です。製錬夫は製錬所で働いていました。この近くに山根製錬所が有りました。明治21年(1888年)5月、竣工しました。わずか6年余りで製錬所は閉鎖されました。おおくの製錬夫さんが働いていた事でしょう。山根製錬所ではカラミ煉瓦は作っていないと思われます台座はセメントで出来
別子銅山記念館ここにも沢山のカラミ煉瓦が使われている気がしました。まず玄関にありました。車いすの乗り降りする所かなと思います。記念館の中は充分見ていませんすみません!別子1号の機関車が展示されています。屋根を支える柱の回りにもあります。奥の方になります。グランドの観覧席に行く方向鳥居の下に、句碑があり台座にカラミ煉瓦が使われている。四阪島大煙突記念碑(煙突は25分の1)平成26年(2014)建立碑文亜硫酸吐きし煙のなくなりて島はよみがえる
山根公園の入り口です。モニュメントは銅を基調に、豊かで潤いのある郷土の発展を目指し順風満帆、風を受け未来に向かって漕ぎ出すエネルギーを「動」の帆、恵まれた自然と共生しながらまちづくりを行う和を「静」の錨とし、また300年に及ぶ歴史と伝統を誇る太鼓台の幕、龍と鷲を象徴としてイメージしたものです。と看板にあります。左右にモニュメントがあり、それぞれの台座がカラミ煉瓦で出来ています。大きな公園ですが、このほかにカラミ煉瓦は見当たりませんでした。よう見つけんかった
こちらも、個人所有のカラミ煉瓦の様なので場所は明かさないようにします。駐車場の奥になります。塀に使われているのは珍しいですね。3段積で合計150個あまりありそうです。こちらは裏側です別の住宅の塀にも使われています。10段に積み重ねています。合計420個ぐらいと計算しました。数えていません。ごめんなさい
益友55巻7月号14ページに田村久五郎と別子鉱山鉄道下部線と言う記事があり下記の写真が掲載されている。著者は小田久美子氏「本殿前に来た時、ふと足下を見て飛び上がらんばかりに驚きました。鍰(からみ)煉瓦です。長さ約19m巾約1.1mの参道に約1130個の鍰煉瓦(3月下旬に筆者調)が、やわらかなカーブを保って敷き詰められていました。美しい、踏むことがためらわれるほどでした」桜の満開の時期を狙って訪れてみました。参道にはありませんでした。奥の方に本殿が見えます。この滝
市役所の近く街のど真ん中にある像ですがほとんどの人が「知らない」と言います。実は私も人から聞くまでは知らなかった。新居浜市と愛媛労働基準局が制作しています「新居浜市は勤労者のまちとして、余暇の増大を積極的に図るために平成2年に「ゆとり創造都市宣言」を行っています。事業主の皆さん、労働時間短縮にご協力お願いします。また、市民の皆さん、豊かな生活を送るために、充実した余暇の過ごし方について考えてみませんか。」新居浜市のホームページにあります。それで、なぜこの像
ここも個人所有なので場所は明かせません。取材もしていませんので詳しい事は分かりません。きれいなカラミ煉瓦が使われていいます。そして丁寧に作られています。余程カラミ煉瓦に思い入れのあるお墓だと思います。僅かな隙間ですが撮影することが出来た。こんな使われ方もあるのだなと感心した。
モニュメント「犬の見た夢・別子」新居浜市役所東【開設年】H1年【制作者】佐々木実【材質】銅【テーマ】別子銅山の採掘及び運搬をテーマとし、犬はそういった人間社会を第三者的に眺めています。玉石は瀬戸内海に見立て、レンガは四阪島を表現してある。にいはまの公園緑地(パンフレット抜粋)
新居浜駅前にあった「市民像」です。台座はセメントで出来ていますが足元をカラミ煉瓦で囲っています。数は少ないのですがきれいなカラミ煉瓦です。市民像の裏側に銘板があります。市民像新居浜市民の崇高なる勤労平和友愛の精神を象徴するものとしてこれを建立する原型秦浩三郎鋳造高岡鋳芸社昭和二十二年十一月三日新居浜市政施行二十周年記念事業協賛会右は除幕式の様子と市民像について書かれています。
個人のお宅です(したがって場所はヒミツ)最初にお伺いした時は無造作に積み上げていました。持ち主は不在でしたどうしてここにあるのだろう?次にお伺いした時はきれいに積み上げていました。話をお伺いしました。先代が運送業をしていて、「いらんから処分をしてくれ」と言うのでもらってきて家の基礎にしていたが家が古くなって壊した。要るんだったらやるよ。こんな重たいもん貰っても困るので辞退した
日暮別邸の展望台から下るとき、星越選鉱場跡を注意深く見るとすり鉢状の谷が見える。カラミ煉瓦が敷き詰められている。なぜこのような構造物があるのか、詳しい事は分からないのだが「鉱石を砕く時にこの谷に落として細かくした」「カラミ煉瓦が硬いので敷き詰めた」と聞いたことがある。(本当の話かどうかは分からない)浮遊選鉱(ふゆうせんこう)という鉱石を粉末にして泡で取り出す方法を採用していたらしい手前のカラミ煉瓦は大きい物であるが、全般には細長い形状をし
私のような古い人間は「住友倶楽部」と言えばすぐわかる。昭和12年完成今は住友金属鉱山株式会社「星越館」と名前を変え研修施設のようです。2010年4月オープン玄関の階段がカラミ煉瓦で出来ています。普通の煉瓦の大きさと思います。横34列奥行き9段(だと思う・見えている所のみ・2段積)合計308枚このカラミ煉瓦を持ち上げたことがないどのぐらいの重さがあるのでしょうね。きれいに敷き詰められています。日暮別邸の展望台に
新居浜市立西中学校の正門ここにカラミ煉瓦が使われている。正門の裏に銅板のパネルがあり由来が書いてある。(前文省略)新居浜市の発展の礎である、別子銅山の産業遺産として、住友金属鉱山別子事業所四阪工場から移設し、西中学校の正門のモニュメントとした。平成13年11月校舎を新築し校門もリニューアルした時にモニュメントとした様だ。それ以前はなかった。正門から玄関までのアプローチが長い。その途中にカラミ煉瓦が建てられている
閉山する前はたくさんの社宅があった。山田社宅・前田社宅・松の木社宅・川口新田など。その中でも山田社宅は偉いさんの社宅であった。今も新居浜市によって保存活動が行われている。だがカラミ煉瓦に関してはほとんどない。わずかに階段として残っているぐらいである。この周辺は空き地になっているが開発があると一番に撤去されるのではないかと思われる。カラミ煉瓦の上に薄くセメントが敷いてある。滑りそうなので対策をしたのであろう。わらびが顔
↑↑↑どれかクリックしていただけると元気が出ますw!(^^)!昨夜から利用した阪九フェリーは新門司港に定刻の入港です。そこから車を降ろすまで20分ほどかかりましたが、ちょっと時間がかかりすぎですね。そして新門司ICから高速にのりましたが、やらかしてしまいましたwETCカードが抜けていて、ゲート開かず@@こちらは初めから止まるつもりなどないので、バーにぶつかり、結果、強行突破となりましたwそして下りたのは南関ICでし
日暮別邸から約150mほどの山の頂上に丸いカラミ煉瓦の構造物がある。四阪島のシンボルだった、大煙突が解体された。底部内径(9.7m)をカラミ煉瓦で再現したものだ。高さは64mもあったと言うから産業遺産になっていたのだがおしい事をしたと思っている人が多いはずだ。せめてここで思いを巡らせてみよう。この展望台に立つと新居浜を360度見渡せ、海上を見れば四阪島山の方には別子銅山のあった銅山峰も望むことができる。円形の周囲には普通のサイズのカラミ煉瓦が敷
今回この投稿をするに至ったのは、ネットでこんな記事を見つけたからでした。http://www.xn--u9j370humdba539qcybpym.jp/part2/archives/342皆さんは、かつて京都の嵐山に日本の歴史にまつわる数千点もの様々な収蔵品を展示していた、「京都嵐山美術館」という個人経営の博物館をご存じでしょうか?(画像は目録から転載)私は一度だけ訪れたことがありまして、その収蔵品の素晴らしさときたら、とても個人経営の博物館とは思えないものでした。私が訪れたのは19
2023.11.19若柳駅①=若柳駅(旧:沢辺駅)=竣工1921年(大正10年)廃止2007年(平成19年)4月1日くりはら田園鉄道の前身は、1918年(大正7年)に設立された栗原軌道で、1921年(大正10年)に石越駅-沢辺駅間が開業したことに始まります。その後、1941年(昭和16年)に栗原鉄道と改称、細倉鉱山駅まで延伸し、鉱山で産出された鉱石の運搬を担いました。1950年代には電化し、1955年(昭和30年)に社名を栗原電鉄に改称しました。1958年(昭和33年)に経営
新居浜駅の正面玄関の東側自転車預かり所の前にオブジェがあります。線路切換器とか分岐器と呼ばれていたものです。手動式なので、駅員さんが切り替えていたのですね。そこにもカラミ煉瓦が使われています。一つが12個使われ4個あります48個のカラミ煉瓦を見る事が出来ます。カラミ煉瓦は濡れると重量感が増します。どっしりと、いい色になります。
ロータリーもカラミ煉瓦で作られています。駅に近い所で2段グルーと回り北の方は4段見えます。何個あるのか数えようとしましたが車が来るのであぶない!何個あるんでしょうね?ぜーんぶ四阪島から運んで来たんですよ驚き
政治団体「NHKから国民を守る党」の浜田聡参院議員は2月28日の記者会見で、NHKの稲葉延雄会長が長崎市の端島炭坑(通称・軍艦島)を扱ったNHK番組「緑なき島」を巡って、元島民に謝罪する意向を示したことを歓迎した。「謝罪の方針を出したのは非常に良かった。稲葉氏は直接関わったわけではないと思うが、会長としてしっかり謝罪してほしい」と訴えた。焦点の謝罪手法は「稲葉氏しっかりされている」昭和30年放送の「緑なき島」の坑内映像は韓国メディアが無断使用するなど、韓国で戦時徴用に関する虚偽情報が拡散する
新居浜市の玄関口新居浜駅です。ここにはたくさんのカラミ煉瓦が使われています。煉瓦と言うけど大きいじゃん左の柱が煉瓦が一般的な煉瓦です。一個の重さが60kgよう持ち上げんわ屋根を支えている柱の内2本が「緩レンガ」を使用しています。この柱21段積んでいます。1段に8個使っている(中は空洞と思いますね)21×8=168個168×60kg=約10トン右の柱に看板があります。詳しく分かりますね。鍰(からみ)レ
経営者交流会にて、加藤康子様のご講演を拝聴しました加藤様は、安倍晋三内閣における内閣官房参与を務められ、現在、産業遺産情報センターセンター長、一般財団法人産業遺産国民会議の専務理事をされる、日本の都市経済研究家をされてます学校の教科書には出てこない、TVのニュースでも報道されないような、貴重なお話をお聞かせ下さり、日本の今後の経済についての状況をわかりやすく、ご説明下さいました日本の良さ、日本人の素晴らしさが活躍出来る、活気ある日本に発展する事を、切に願います素敵な皆様とのご縁