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"まぐだら屋のマリア"というドラマをNHKの地上波放送で見ました。地上波では全4話らしく今週の土曜日に第3話が放映され、第2話は現在、NHKONEで視聴可能だと思います。(BSでは一年前に、前後編2回の形で放送されたようです。)テーマは、生と死、救いなど重たいと思います。僕は最近は、ドラマをあまり見ないので、かえって重いテーマに引かれたのかも知れません。逆に、ドキュメンタリーの要素が強い"映像の世紀バタフライ·エフェクト"はよく見ていたのですが、最近は重たいテ
4/22(水)@日比谷TOHOシネマズシャンテにて落下音2025年|ドイツ|155分|PG12監督・脚本:マーシャ・シリンスキ出演:ハンナ・ヘクト、レア・ドリンダ、レーナ・ウルツェンドフスキー、レーニ・ガイゼラー他広告ビジュアルに入っている北ドイツの農場、四つの時代、四人の少女。百年にわたる怪奇譚。の通り、同じ土地北ドイツの農場を舞台とし1910年代:アルマ1940年代:エリカ1980年代:アン
藤井風さん最初は、曲、歌詞が身に染みいって気づいたら口ずさんでいました。そして通勤時、頭のなかでエンドレスで流すと心の状態を保つことができるようになった。ほぼ毎朝、曲を聴くわけではなく、頭に流すことで、歌詞の理解が深まっていく。そんな日々が続いて、今日。最新のMV「IT'SALLRIGHT」を見てこの人はいったい何者なんだ?!と驚愕。そしてますます好きになっていく。生と死、善と悪、ポジティブとネガティブ、、、人生を生きていくうえでの本質とか、確信のようなもの
霊視セラピストのマミエルです死後の世界のことなんですけどね、先日、お彼岸企画で天国のメッセージをお伝えしてしたら大抵の方が天国が楽しくて地球にはしばらく帰りたくないってお話。この世のことはすっかりお忘れで😅それから死の時期は自分が天で決めてきた計画どおりだった、という方も多数。この世では突然の他界だったとしてもブループリントに書いてきた事で、その親も子供を亡くする経験をしてそれを乗り越える経験をする、と決めてきているのだと。そして、天国が母屋で地球は学びの場所であるとも。
【初めての方はコチラ↓】『【初めての方はこちら】この恋物語のはじまりに。』ようこそ、おいでくださいました♡このブログは、“お持ち帰り”から始まった――私と彼の、ちょっと甘くて、ちょっと切ないラブストーリーです。(※妄想と思って楽し…ameblo.jp【前回はコチラ↓】『「セフレの夜」「本カノの夜」~帰る場所は体が知っている~』【初めての方はコチラ↓】『【初めての方はこちら】この恋物語のはじまりに。』ようこそ、おいでくださいました♡このブログは、“お持ち帰り”から始まった――私と彼の
大人たちが支配し、既成概念で塗り固められたこの世界において、若き魂たちが進むべき路を見失い、混迷の淵に立たされている。その姿を憂い、私は次世代へと繋ぐべき真の資質とは何かを問い続けている。私たちが今直面しているのは、単なる時代の移ろいではない。物質的な価値に重きを置いた世界が終焉を迎え、より高次な精神性へと移行しようとする、大いなる転換期である。この変容の過程において、私たちが積み上げてきた貨幣という名の記号は、もはや次なる地平へ携えていくことはできない。物質としての富は此岸に留まり、魂
あるてみすてんぷるの沙羅です。子育て世代の方々もセラピーに訪れることがあります。ブログなどを読んでコンタクトをしてくださるので、ナチュラルなものを取り入れて下さっている方が多い。しかしアレルギーを持っていながらも、何も対処されずにいる方もいらっしゃる。そのような方には、食事の大切さをお話することから始めます。人は今までの自分を変えるという事に対して、億劫になる生き物です。ですからなかなか変えない。ちょっときついのですが、覚悟を決めていただくために言うようにしている
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・セラピストだより2026年4月27日号生と死を観る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あるてみすてんぷるの沙羅です。子育て世代の方々もセラピーに訪れることがあります。ブログなどを読んでコンタクトをしてくださるので、ナチュラルなものを取り入れて下さっている方が多い。しかしアレルギーを持っていながらも、何も対処されずにいる方もいらっしゃる。そのような方には、
2年前の記事です。雨が苦手なでも散歩は大好きな禄朗にちょっと振り回された朝のお散歩の記事ですこの中の写真の場所通るたびに禄朗が門の中を気にしてました理由はいまだにわかりませんがそこを通るたびに禄朗のこの背中が目に浮かんで心の中で禄朗に話しかけてる毎日です大好きだよ大好きだよあっさり?母ちゃんからしたらあっさりに思えて仕方ないあっさり生と死の境界線を超えていった禄朗苦しくはなかったかい?痛くはなかったかい?
愛について。※その後、温泉に入って気づいたことがあったので、少しだけ本文を追記・修正しました。ずっと「愛」って何だろうと考えてきた。昔は、「好き」という気持ちの最大級・MAXの状態が「愛」だと思っていた。でも、後にそれは「愛」ではなくて「執着」だったことに気づかされた。「愛」という漢字をよく見てほしい。「受ける」という漢字の真ん中に、「心」が包み込まれている。結局、愛するっていうのは、自分の心をまるごと受け入れることなんだ。ポジティブな自分は受け入れやすい。でも、ネガティブな自分となる
ちょっと!「お化け」なんて呼ぶのやめてくれない?私ちゃんと名前あるんですけどあなただって「おい、人。」って呼ばれたら気分悪いでしょ?どうして生と死は裏と表なの?横並びなのに……どうして天国に行きたいって思うの?私は嫌‼️地獄なんてもっと嫌。悲しいけど、辛いけどあなたが私の記憶が薄れて、やがて忘れてもいいのあなたが他の人を愛しても仕方ないって思ってるあ、望んでるわけじゃないから。ヤキモチだって妬くかもしれないでも、どうする事も出来ない「呪い」?そんなのあるわけないじ
こんにちは、majoです今回は「私が見た死後の世界」をテーマにつづっていきます個人的に大切なことを書きましたのでぜひ読んでみてください土地柄といろいろな事情があって少しだけ死後の世界に詳しくなりました死にかけてわかったのが同じ死者の国でも「地獄」と「黄泉」はまったく違うものである、ということです(あくまでmajoの視点なのは前提として)黄泉の国(死の国)は私の見た、感じたものだと地下にあり銀色の水が何股にも分かれ
【大間のマグロ】と下風呂温泉カッパの湯から♨「生と死の接点」恐山へ🏔ブログ&動画https://ek0901.hatenablog.com/entry/2026/04/25/063000
こんにちはふくちゃんですこのブログを書いている前日のことなのですが生きるということと死ぬということについて一日に二回考えさせられることがありました私の母(95歳)は歩くことができなくなって特養老人ホームで暮らしているのですが認知症にはならずにびっくりするぐらい頭はしっかりしているんですよねところがそんな母に4月16日突然呼びかけても返事がなく救急車で病院に運ばれるとい
「まだ大丈夫」この一言に、どんな想いが込められているか考えたことはありますか?看護の現場で、何度もこの言葉を聞いてきました。でもその言葉は、ただ安心させるためのものではなく、その奥には、“静かに変わっていく流れ”がありました。今日は、そのことについてお話ししたいと思います。■「まだ大丈夫」という言葉の安心「まだ大丈夫です」その言葉を聞いたとき、私たちはどこかで、ほっとしてしまう。大丈夫なんだ。もう少し時間はあるんだと、安心したくなる。それは、自然なこ
死の舞踏byサン=サーンス死の舞踏は中世末期ヨーロッパで流布した寓話やその絵画その様式を指す死者と生者が躍るペストが猛威をふるい多くの人が命を落とし人々は死の恐怖に直面した死と隣りあわせのなか人はうろたえいつみずからに死がおとずれるかもしれず死者とともに生きると表現したのか死のうが生きようがたいして変わらないたしかにいつかはだれもが死をむかえるそれがいつかはわからないが死はすべてが消えるものでは
あなたは、普通の人が経験しないような場面を何度もくぐり抜けてきた。誤診、過剰治療、危険な医師の見逃し、医師の人間的な問題。その中で、自分の命を自分1人で守ってきた。それは、誰にでもできることではありません。だからこそ、友人の医師に「大人になれよ」と言われた時に、その言葉があなたの心に刺さったのだと思います。でもね、あなたは“子ども”だから疑っているのではありません。あなたは、あまりにも多くを知ってしまった大人だから疑っているんです。◆穏やかに生きるために「変える必要がないもの
私のホロスコープには8ハウスに天体が複数あって自分のネイタルを読み解くヒントとして定期的に8ハウスの記事を書いてます前回、“私は太陽天秤座なので、8ハウスの深いエリアで平等に対等に、調和をもって関係性の美しさを秤ろうとするのが私の繋がり方なのかなと”書きましたが↓『8ハウスの再考』私のホロスコープには8ハウスに天体が複数あって自分のネイタルを読み解くヒントとして定期的に8ハウスの記事を書いてます8ハウスといえば変容、生と死、遺産、借金、…ameblo.jpそう書きながら
NEWYORKCITYのTシャツと同じく英国rockoffのニルヴァーナのTシャツです3枚目にして最後のアルバムイン・ユーテロがモチーフになったTシャツです表は裏はこちらはPremiumwashという何度もウォッシュかけて古着っぽく仕上げたヴァージョンイン・ユーテロについて少し…イン・ユーテロ(InUtero)」は、ラテン語で「子宮内で」という意味です1993年に発表した3枚目にして最後のスタジオ・アルバムのタイトルですボーカルのカート・コバーンの妻、コートニ
■第3話ICUという“生と死の交差点”ICUは、静かな場所ではない。むしろその逆だ。隣のベッドから、看護師の声が聞こえる。「田中さん、その管、取ったらだめよ!」「心臓が止まるよ!」一瞬、時間が止まる。さらに続く。「さっきも止まったのよ!」ここは、そういう場所だ。私はそのとき、自分も同じようにチューブに繋がれていることに気づいた。心電図。酸素。点滴。すべてが“生きるための装置”。ICUとは、人間が「生きる」
昨夜は安定剤と睡眠剤でグッスリ眠れた。こんなことになることも私が自ら計画してきた人生の一部だと諦め日々できることをこなす。そう思うと家事って有り難い。今日は晴れているので良い感じ。朝から心はそんなに乱れず。ただ、食欲がまるでない。あんなに食いしん坊だった私が食べることにまるで意欲がわかない。これも鬱の症状なんだろう。体もリセット。丁度いい。『堕落』だな。『堕落』という言葉をググる。その中で『坂口安吾堕落論』が目
生と死のあわいを照らす現(うつつ)ゆえ最期の学び掌(てのひら)に乗せ
エピクロスの処方箋作:夏川草介哲学の傍にある医療。医者とはという問いがさらりと物語の中にあり、生と死について、その分け方以外もあるのではと考える非常に面白い小説だった終末医療を考えさせられる序盤も、静かに、それでいて患者の傍にある先生という素敵すぎる姿を見せつつ、その実、素晴らしい内視鏡の腕を持っていてというのが、ある種古典的なヒーロー像なのだけど、それがさらりと爽やかにかっこよく描かれていて、実に爽快でもあった大きな難解な手術に挑むというのが、一つの目的という
生と死について[0001]今を生きるで書いているが初めてそれについて言霊にしたのが今から10年以上前40歳くらいの時である当時のノートが在るのでそれをそのまま書こうと思う言霊「生と死」命を貰いこの世に生を承ける生きる生きて行く生きなきゃいけない生が有るから生をまっとうすべき世の中に溢れるそれは美しいのか?命有るモノの運命として確実に絶対的に死が存在する誕生した瞬間から生きて行くではなく死に向かって行く生が有る内に死を考え捉えて置
「生きること」「死ぬこと」「夢」が交錯した世界にいる感覚は、以前にも書きましたが、最近テレビでイスラム教では「殉職」が勝利という解説があり、その言葉の意味をかみしめながら、改めて今の自分の感覚を確かめて毎日を過ごしています。未だ頻発する「合併症」と、それに伴う悪寒、体力の消耗と体重減、生かされている感覚の中で、これからできることの限界も感じています。人生の宿題のような、建築関連法規での理念法の制定、ゴルフのエージシュート達成、タワーマンションの真実の続編である「タワーマンション
東京での仕事の合間、銀座のポーラミュージアムアネックスに行きました。「存在の境界」とは、どんなアート展なのか。チョッパーとちがうのよ~。黒田恵枝さんが親なのよ~。創作した動物を色々な場所に置いて、存在を示す作家。ぶえっぇふぇん、象かどうかどうぞ感じて。そこにある、動物と世界との奇妙な境界。じっと座っていながら、急にしゃべり出しそうな、静と動の境界。色々な場所に現れます。あれ、生きてる?ベーコンもびっくりの、つ
二つ前の『種子の瞑想』と題した記事では、「植物の発生、生長、繁栄する相と、衰微、凋落、死滅する相とに注意力を集中させることで、まったく新しい感情と思考が内部に立ち現れてくるのを体験することだろう」という話まででとどまっていましたが、ではその感情と思考とは?これに関しては、2022年11月に母の他界に際しての体験を綴った記事の中で、それにちなんでシュタイナーの霊界参入の行(ぎょう)の準備段階として紹介された種子の瞑想で触れてありますので、今回は再びリマインドする意味でも再掲することにしました。
只今入院中Nyaoです今日はブロ友さんの投稿に影響されて想ったことですそれは恋についてNyaoは生まれてこの方恋というものをちゃんとしてきたのであろうかそう想いました恋とは何だろうかとても考えさせられるテーマですここでご紹介させて頂きたいのが淡く切ないBUCK-TICKの楽曲【恋】です意味合いとしては恋の中に生きているという詩ではなく亡くなってしまった人への想いそして残された人側の気持ちBUCK-TICKにおける「恋」は単なる恋愛感情で
最近は「生と死について語る」というサークルもあって、以前から有ったのかも知れないけれど、あからさまに取り扱われるところに、現代の世相が映し出されているように思える。どちらかと言えば忌避されがちなアンチテーゼであっただろうが、今日の世相からは何時何処かで、脈絡も判然としないままに命の危険に曝される、死と隣り合わせの我らの世相なのだから、必然的産物の果物として表われた現象なのかも知れない。日常茶飯事あるいはそれに近い死に関わるニュースは、海の向こうからも国内でも頻発しているのだから、確率的に言うな
アラフィフになって親の死とかが頭をよぎる時間が増えた。幼い頃。母が死んだらどうしようと考え出したら恐怖で夜眠れなくなるくらい母が大好きだった。それから今日まで本当に色々あったけど離婚して実家に戻り今は母との関係も良く母とは仲良く生活出来ている。もうアラフィフの娘をまだ幼い子のように心配し世話をしては愛情を注いでくれる母。些細な事で喧嘩も度々するけれどそれでも母との絆は強く私が悲しくて泣いていると母は一緒に泣くような人で。そんな母といつか来るであろう