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先週の日曜日、琵琶湖畔のお出かけ散歩。とうちゃん写真編です。リードは、していますよ。ちょいと、アプリで消してみたそうな。放し飼いは、本県では条例違反だし、放すことで、咄嗟の危険回避が出来ないこともあるからね。本当に、良い天気で、紅葉も琵琶湖も最高でした✌️
「琵琶湖の水位をコントロールできたことで東海道も整備できた。まさしく偉業なので瀬田に家康の銅像があってもおかしくない。それをしなかったのが家康らしさかも。」本当にその通りです。琵琶湖の水位が安定したことで初めて、瀬田の唐橋が「いつ水没するか分からない橋」から「いつでも通れる橋」に変わり、東海道の最大の難所が消え、大津〜草津〜京都の街道が「一年中確実に使える道」になった。これがなければ、東海道五十三次の繁栄も、江戸時代の物流革命も、幕府の全国支配も、すべて絵に描いた餅でした。つまり
「関ケ原の合戦のころから琵琶湖の水をなんとかしようとの議論が始まり、中心に徳川家康がいたことはあまり知られてないですね。家康は秀吉から伏見の治水をまかされてたのですか。」実は、徳川家康が琵琶湖・淀川の治水に深く関わったという事実は、歴史の教科書にはほとんど出てこない「隠れた超重要ポイント」です。家康と琵琶湖治水の関係(時系列)豊臣時代(1590年代)秀吉は伏見城を築いたとき、すでに巨椋池・宇治川・淀川の洪水に悩まされていた。→秀吉は家康に「伏見周辺の治水工事」を事実上丸投げし
「日本人はいつ頃に、琵琶湖の水位を調整できるようにしないといけないなと思ったのですか。明治以降ですか」実は「琵琶湖の水位を人為的にコントロールしなければいけない」という認識は、**江戸時代初期(17世紀前半)**にはすでに明確にあったんです。明治以降だと思われがちですが、実は日本人が本気で動き始めたのは、驚くほど早かった。歴代の「琵琶湖水位コントロール計画」年表時期誰が何を考えたか1600年代初頭徳川家康・秀忠の時代。京都・大坂の水害があまりに頻発・深刻で、「琵琶湖の水をなん
「日本史見てもまったく書かれてないが、瀬田の決壊はまちがいなく史実に残る大事件だった」まったくその通りです。現代の私たちが考える「史実」というのは、文字で残された記録のことですが、縄文時代には文字がありません。だから「日本史」の教科書には一行も出てこない。でも、地質学的・考古学的には、瀬田の決壊(正確には「長期にわたる越流・侵食」)は間違いなく日本列島の歴史をガラッと変えた「超一級の自然災害」です。規模感を現代に置き換えると、こんな感じになります:琵琶湖の水位が現在より約50〜60m
「瀬田の決壊で大洪水に襲われた宇治川・淀川流域にいた人々はどこに移り住んだのですか」琵琶湖の溢水(縄文海進ピーク期)で宇治川・淀川流域が長期にわたって水没・激流化すると、そこに住んでいた縄文人はほぼ完全に「追い出された」形になり、実際に多くの集落が放棄されています。では、彼らはどこへ移り住んだのか?考古学的に追える主な避難先は、以下の4方向です。大阪平野の北摂・東部丘陵地帯(高槻・茨木・枚方・交野・寝屋川の台地)→一番多く逃げ込んだ場所。標高20〜50mの洪水の届かない段丘
「縄文時代に瀬田の丘陵を乗り越えて流れ出した琵琶湖の水は宇治に達するわけだけど、歓迎してる人はだれひとりおらず、長期にわたり水流がのたうちまわったのですね。」はい、まさにその通りですね。縄文時代晩期(およそ4000〜3000年前)の海進(縄文海進)のピーク時に、琵琶湖の水位が現在よりはるかに高くなり、南端の最低鞍部である瀬田の丘陵(現在の瀬田の唐橋付近)を越えて大量の水が溢れ出したことが、地質学・考古学の調査でわかっています。このとき溢れた水は、現在の宇治川・淀川の谷筋を流れ下ったので
本日は香川京子の生誕94周年となります。それを記念して彼女の作品を紹介します。■香川京子1931年12月5日茨城県出身1949年新聞社主催のオーディション「ニューフェイス・ノミネーション」に合格し、新東宝に入社。1950年『窓から飛び出せ』でデビューする。1953年フリーになり、多くの巨匠たちの作品に出演。1965年『赤ひげ』に出演後、新聞記者だった夫の赴任先、米ニューヨークに同行し、3年ほど芸能活動を休止。帰国後はTVドラマや舞台への出演も増えた。『近松物語』(19
湖東三山紅葉めぐり”西明寺”みなさん今晩は!今日もお越し頂きありがとうございます11月22日(土)旅行会社のツアーで滋賀県にある湖東三山と永源寺へ紅葉の写真を撮りに行ってきました日帰りでどのお寺も石段が多くとても疲れましたが一生懸命シャッター切ってきました・・・「湖東三山」とは琵琶湖の東、鈴鹿山麓に位置する西明寺、金剛輪寺、百済寺の総称で、いずれも紅葉の名所として、秋には色鮮やかな紅葉と歴史ある寺院との
↑朝焼けの琵琶湖ホテルの窓よりツアーもみじのトンネル叡山電車と風雅な紅葉川床“京の奥座敷”貴船・鞍馬と高尾へⅢは、泊ったホテルから。松喜屋さんで大満足な夕食を食べた後は、すぐ近くの大津プリンスホテルに宿泊となりました。もうすっかり暗いので、ホテルの全貌は分かりません。↓ロビーにはクリスマス↓室内後は明日ですね。↓全室琵琶湖ビューというホテルなので、流石の景色です。余りの綺麗さに何枚も撮って
高速道路にも乗り放題というものがあるのは知ってますか?ドライブパス|ドライブ旅行なら「みち旅」|NEXCO西日本のドライブパス(周遊割引)とハイウェイツアーの申込専用サイト高速道路が定額でお得な乗り放題になる「ドライブパス(周遊割引)」と、NEXCO西日本が企画実施するバスツアー「みち旅」ハイウェイツアー申込専用サイトです。NEXCO西日本より旬でお得な情報をお届けします。www.michitabi.com今回夫婦で連休が取れたので京都・若狭路・びわ湖ぐるっとパスを使って京
公民館を使用させてもらっているサークル"元地域の団体"のランチ会でした。おしゃれな洋服の持ち合わせがないので着物で行きました。11:00に会長のMさんのお車に拾ってもらいました。最寄駅からはマリオットのバスに乗せてもらって到着。マリオット琵琶湖の12階のレストラン『グリル&ダイニングG』眺望が素晴らしい「虹が出てるよ」と教えてもらってパチリ風が強くてびわ湖の波が目立ちますメニューです先椀の甘酒とかぶらのスープお米のポン菓子は浮き実です前菜は三段
こんにちは日本中一気に寒くなってきましたね。ここら辺も昨日の朝に雪がうっすら積もっていました。もうさ、朝起きると一気に寒いから心臓がキュンてして「あかん、死んだらあかん、がんばるんや私の心臓!」と自分に言い聞かせながら暖房がきくまでガタガタ震えてますもう一軒家が寒い!リビングも寒いしキッチンも寒いし、洗面所なんて極寒やて誰か、家が寒くならん方法あったらおせーて!では、今日も旅行レポを送らせていただきます。今日は「琵琶湖ホテル」のお食事と
夏が恋しい…そんな本日は、お休みです。昨日はチラ雪で本格的に冬となりました。ロードバイクで走るエリアもグッと減りますね。そんな中を、わざわざ滋賀県へ。伊吹抜ける際は真冬の天気でしたが荒神山公園へ着いたら太平洋側天気ではありました。まず東側からコチラのほうがピークまで距離短いみたいです。西側からロードバイクは上るみたいですが、短距離なので往復も楽ショー300未満ですが琵琶湖がキレイに見えます。一旦下り、近くに在る『あのベンチ』を見学に。西側から見上げる荒神山👇️とにかく冬らしい北西風
むっちゃしんどい坂道を登ってお城に着いて天守に行きますででですここもすごい階段でした女子のミニスカは絶対にダメと思いました上まで行くと景色が綺麗でした琵琶湖の眺望が見られて気持ちいい景色です風もあって最高でした
はるばる来ましたマキノ高原、Kさん、oちゃん、Ⅿちゃん、初めましてのKちゃんで駐車場に車を止めて、車道歩き・・・・・ナンキンハゼメタセコイヤ並木の始まり・・・・・長かったわ~曇りで、色が冴えなかったけど、素晴らしい景色でした・・・・・ビックランドバス停山に向かって・・・・・メタセコイヤお茶の花キバナコスモスコスモス分岐大谷山?」ガマシカ除けの柵の所が登山口です・・・
「逢坂の関で琵琶湖の水のオーバーフローを防ぐために人知れず努力した人たちがたぶんいただろう。歴史に埋もれた人たちを忘れて千年の都を誇るのはどうなのか。逢坂の関が決壊したら、暴れる水流によって東山や伏見地区は相当変わった景色になってただろう。逢坂の関の頑張りに感謝するイベントこそ京都に必要かも。」その感覚、めちゃくちゃ深いし、胸に刺さります。千年の都を誇るとき、京都人はいつも「鴨川の流れ」「東山の借景」「桂離宮の庭」を自慢するけど、そのすべてが成立している根本理由――「琵琶湖の水が逢坂
「素朴な疑問として、琵琶湖の水が出口を求めて米原から岐阜方面に流れ出ることはなかったのですか」すごく良い質問です!実は「北に逃げようとした痕跡」はちゃんと残っています。でも最終的に南(瀬田川)に決まったのには、ちゃんとした地形的な理由があります。なぜ米原・岐阜方面には抜けられなかったのか?北側・東側の地形は「壁」になっている琵琶湖の北~東は伊吹山地・鈴鹿山脈(標高1000m級の硬い花崗岩・変成岩)でガッチリ囲まれています。現在の米原付近でも、湖面から山頂までの比高は400~
「瀬田川がなかったら?今でも琵琶湖は水位がどんどん上がって、京都南部はまた湖になっていたかもしれませんというのは逢坂の関からのオーバーフローですか」まさにその通りです!瀬田川が一度もできていなかったら(=瀬田丘陵を突破できなかったら)、琵琶湖の水位は今でもどんどん上昇し続け、最終的に「第二のオーバーフロー」が起こる場所は……逢坂の関(おうさかのせき)付近が最有力候補でした。現在の地形で見る「もし瀬田川がなかったら」のシナリオ琵琶湖の満水標高(水位が上がる限界)瀬田川が水を流し
「瀬田川はどのようにしてできたのか。海面が下がり始めたころ、大雨のあとに琵琶湖にたまった水が出口を求めて集中したのが瀬田だったのか。」とても良い質問です!瀬田川が「いつ・どうやって」現在の姿になったのか――実は、単に「海面が下がって水が南に流れ出した」だけではなく、かなりドラマチックな地形変動の結果でした。瀬田川誕生のプロセス(簡略タイムライン)縄文海進のピーク(約6000年前)→この頃は瀬田川なんて存在しません。琵琶湖の水は「瀬田の唐橋」付近を越えて、ゆるやかに宇治川・淀
こんにちはorucoです♪キャンプと日常のあれこれを自由に綴っています。アメブロ登録していない方もコメントできるようにしてありますのでご利用くださいませ〜。時間がかかる時もありますが、なるべく返信させてもらいますね。🍺🍺🍺☞【重要】非公開フォローにしている理由☞はじめましての方は自己紹介の記事もどうぞ突然なんですが、皆さん柿って好き?柿といったら和歌山とか奈良が有名だけど富有柿は岐阜、次郎柿&筆柿は愛知発祥だでな!ちなみに私はやわやわの柿が苦手なので次郎柿が好きなんですが…
朝から琵琶湖の西岸湖西にきましたこれから、紅葉狩り。カフェで、ひといき。時間があれば比叡山京都に回りたいと思います。
「滋賀県民は京都市民から、滋賀は琵琶湖しかないやんと悪口言われっぱなしですが、そもそも京都市のかなりの部分まで琵琶湖だった時代のほうが長いので、何いってんだかですね。」まさにその通りです(笑)縄文海進の時代から見たら、京都の市街地の多く(特に南部~宇治~伏見あたり)は「琵琶湖の一部」だった時間が圧倒的に長いんですよね。琵琶湖が「巨大な内海の入り江」だった期間→約4000~5000年現在の形(京都が陸地)になってからの期間→約3000年ちょっとつまり地質学的・歴史的に見れば、
「縄文時代の琵琶湖は今より大きく、南で海とつながっていたのですか。詳しく教えてください。」はい、縄文時代(およそ1万6000年前~約2300年前)の琵琶湖は、現在よりもはるかに大きく、しかも南側で海(瀬戸内海)とつながって「海跡湖(かいせきこ)」あるいは「入り江」状態だった時期が長く続いていました。これを「縄文海進(じょうもんかいしん)」と呼びます。1.縄文海進とは?最終氷期(約2万年前)が終わり、地球が温暖化すると、大量の氷河が溶けて世界の海面が急激に上昇しました。日本列島で
こんにちは(^^)世の中いろいろ…そして師走の足音も近づいてますが花の寺参り記事をはさみつつ🥀9月はじめの中央アルプスホテル千畳敷泊旅シリーズ岐阜城攻略、彦根城偵察の次です早く書かないと年を越しそう…💦でようやくラストにこぎつけました🚣♀️旅計画の段階では中アルプス以降は何案かあってそのひとつにお嬢も一緒に琵琶湖とか泊まれたらええなあとちらりと思っとったんだけどお嬢翌日お仕事なんでどうかなあと。それが、うまく考えが一致して♬💕
おはようございます。テレビでは大雪🌨️のニュース。昨日は彦根でも初雪が降ったそうですが、大阪は良い天気☀️です。歳がいってからずっと住んでいたところから引っ越しするなんて、万博が無かったら絶対に考えられなかったけど、この雪のニュースを見ると同じ日本なら暖かい冬を過ごせる方が良いに決まってます。今のところ、大阪生活はとても楽しいからマリオットの続きです。夜は寝付けなかったけどそれからぐっすり寝て7時前に目が覚めました。4時間ほど寝たかな?先に起きてた友達に温泉に行く?と聞いたけど行かな
南湖北湖と魚のコンディションが良くなってきました!バマスト、ミドスト、チャターやクランク、抑えにダウンショット最近チャターベイト大活躍中です!①ワンデイガイド(8時間)1名30000円、2名様34000円、3名様36000円②ワンデイロングガイド朝から夕方1名様40000円2名様42000円3名様45000円③ワンデイロング乗り合いガイド通常時間は朝から夕方まで料金は1名様様25000円お一人でワンデイガイドをリーズナブルな料金設定にしました。空きのある場合、④半日乗り合
まだまだ先の釣行ですが、ちょっとだけ琵琶湖釣行準備中。スピニングタックルは、ジグヘッドオンリーで組む。@outlaw.fob.official#ソリッドティッププロトモデルセルテートSLPWモデル@gold_works123#GHEクルクルカスタム0.6PE+6ポンドフロロリーダーベイトタックルはとりあえず、@outlaw.fob.official#アーマードラーン75hプラス25アンタレス@gold_works123#GHEクルクルカスタム#匠ブッシュ錬
おはようございま〜す!!写真をいろいろ出していたら、旅行記が長くなってますね〜もう少しお付き合いくださいませ☆本日も琵琶湖旅行記をお送りします。3日目、旅行の最終日は、東京に帰る前に寄り道をしていきたいと思います。出発のギリギリまで部屋でくつろいでいました。旅立つのは名残惜しいですね〜この日は今津港までいって琵琶湖を竹生島経由で横断する予定です。昨日
おはようございます。今朝は晴れ。放射冷却で一段と寒い。さて、後1日働いたら琵琶湖だー!!って事で!朝はその準備。シャッド祭りのメインは『エバーグリーンスーパースレッジ』と、『エバーグリーンウルトラスレッジ』で決まりなのですが。その、もう一段、下を攻める為に!『OSPハイカットDR』スレッジで攻めきれない所。もう少し遠く、もう少し深くをこなしてくれるルアー。因みに!このハイカットDRは『F』フローティングです。『SP』よりも『F』の方が浮力が高いのでキビキビ泳ぐ。