ブログ記事259件
謎めいたツタンカーメン王墓。なぜ発見されなかったのか。まずツタンカーメンの父であるアクエンアテンによる宗教改革。多神教から1神教への強制変更が否定され、王名表からも父子ともに削除されたこと。何年かに1回ある王家の谷の鉄砲水の通り道であり入口がうまっていたこと。その後に造営されたラムセス5世の墓の労働者の小屋が入口にあったこと。あたりがよく言われていることです。それでも盗掘未遂が2回あったのは周知の事実です。封印壁の左下に人が一人やっと通れる穴があいていて、それをふさいだあとも写真
この王家の谷で一番の見どころはこのお墓。ツタンカーメンの墓。別料金です。ガイドのわっちゃん、こんなにすいているツタンカーメンの墓、みたことがない、くらいにがらがら、途中で貸し切りになりました。朝早い出発に感謝です。KV62キングスバレー(王家の谷)で62番目に発見された墓、という意味です。ちなみに、ツタンカーメン等名前は日本人にしか通用しない読み方。日本語は母音できるのでこうなっちゃった、らしいです。Tutankhamun母音で切って読んでみてください。ツタンカーメン、
ラムセス9世の墓には音楽を演奏している壁画がある、ということを入る前ガイドのわっちゃんから聞いていました。この辺というあたりで探していました。墓の管理人さんがにこやかにあらわれて、フォト?と聞いてきました。ハープの演奏している壁画、ハープ、ハープと連呼。ここだよと指示した場所は通路からのぞけますが中を撮影できるような場所ではなし。通路の横、別の副室みたいな場所でした。一般客は立ち入り不可能。あら残念。と覗き込んでいたところ、スマホかしてとひょいと立ち入り禁止ラインをのりこえてそ
次にいったのはラムセス9世。全く事前に情報がなかった墓。壁画がきれい、あと楽器演奏の壁画があります、とガイドのわっちゃん。ハープの壁画がありますよ、といわれハープの壁画でテンションだだあがり。この辺です、と教えていただきました。通路の左側、ちょっと奥まった小部屋です。よくさがしてね、で墓内へ。この墓も色がよく残っています。きれいだなあ、とじっくり見ながら奥へ進みます。人の手や体があたりそうなところはアクリル板でガードされています。通路は板敷き。歩きにくいことはありません
王家の谷。チケットは2種類あります。特別料金の墓(ツタンカーメン等)は別料金。通常チケットでは開いている墓を3つまで見学可。すべてのお墓が開いているわけではありません。あちこち随時修復しています。まず入ったのはラムセス4世。お墓の前にこうした概略図があります。ガイドさんは同行できないため、この図をつかい見どころその他の説明をガイドさんから受けます。入口はいってすぐ。そんなに有名なお墓ではありませんが。色もまだまだ残っています。実はエジプト旅行で一番楽しみにしていたのが王
メムノンの巨像をあとに王家の谷へむかいます。王家の谷、ナイル西岸、ルクソール(旧テーベ)にある王族の墓群をさします。最初につくられたのはトトメス1世の墓。ピラミッドが盗掘にあるので隠してしまおうという発想だったのではと言われています。入口からカートで王墓群へ向かいます。ピラミッドにみえる岩山のてっぺん。これがあるからピラミッドに葬られているのと同じという発想があったのではといわれていますが、実際はどうなのかと真偽は不明です。基本的に古代エジプトでは東は人が生活する場所、西は死
新年初レッスンでした。ごあいさつの後、エジプトの話でもりあがり。少々のお土産をお渡ししてレッスン開始。旅行後、3日くらいは指がいたかったとお話すると普通の反応で問題ないです、とのこと。エジプトの王家の谷の壁画でハープをきれいに描かれている墓の写真とかをお見せして弾きたくなりましよぉでまた二人でにっこり。前回完全に考え違いしていたボクサ50の練習曲のトリルの曲。あがりました。まずは新年一曲目、無事アップ。もう一曲は次週にしました。急いでもわやわやであげたくない
新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。ここからは予告編ですね〜スフィンクスとギザの三大ピラミッドのサンセットラクダ🐫の一斉退勤(笑)今回は乗れませんでしたが、なかなか楽しいものです。ドバイまで、約11時間、ドバイから乗り継いで約4時間でカイロ着。観光して、深夜便、しかもDelayで遅れ、日がまわってルクソール着。ガイド、ひどいね〜こんな行程見たことないって、笑ってました。でもね。ビジネスクラスでしたよ!翌朝、激混みの王家の谷へかなりの人で、かなり疲れま
年末年始の旅行予定をアメンバーの方には一足先におしらせしましたが。エミレーツ航空で関空からドバイへドバイからカイロへひとっ飛びカイロ到着後は、ギザの三大ピラミッドへスフィンクスも観光します。ルクソールへ飛び、王家の谷へ王家の谷ルクソール神殿へカルナック神殿イシス神殿朝早くアブシンベルへこんな朝焼けは見えないかもしれませんが。早朝にアブシンベル神殿を見ます。カイロに戻り、大エジプト博物館考古学博物館としては世界最大級。しかし、移転は来年春の様ですので、エジプト考古学博
霊感がありますが、ほとんどが頭の後ろの方にイメージで感じたりラップ音やにおい、鳥肌など視覚以外で感じることが多い、Nancyです今回は30代前半で、妹とエジプトに行ったときの体験です。王家の谷でいくつかの王墓を見学しましたその中のひとつラムセス3世の墓に入ったときのことです内部の撮影がOKだったので撮影していたのですがラムセス3世の墓に入って数枚撮ったところで急に撮れなくなりました墓の奥に行くまで何度か撮影してみましたがやっぱりムリでした墓の奥まで
第20王朝の3代ファラオラムセス4世の墓この代からが第20王朝の斜陽の時代と言われることが多いが、先代が築いた栄光が急激におとろえるようなことはなく、シナイ半島にある鉱山への遠征や、紅海ぎわにあるワディ・ハンママートへの石材調達の記録、南部ヌビアへの遠征の記録が残されている。こちらはかなり美しい壁画が残っている。人気ぶりもこんなん😳頭がない人は生前悪いことをして甦れない人を表している。玄室の天井には、「昼の書」「夜の書」と呼ばれる壁画がある。この壁画から、古代エジプト人がすでに
王家の谷にきました~王家の谷チケットで好きな所3ヶ所入場できる。ツタンカーメンは、また別のチケットが必要です。歴代ファラオの年表と王家の谷開設の経緯が書いてある。第18王朝の家系図複雑怪奇なのは後ほど😯まずは第18王朝12代ツタンカーメンのお墓へ1922年にハワード・カーターが、彼のパトロンであるカーナヴォン伯ジョージ・ハーバートによる資金援助で行われた発掘調査で、ほぼ無傷なツタンカーメンの墓を発見した。きっかけは発掘現場で水運びをしていたフセインという少年だった。8
ご訪問ありがとうございます12月11日(月)すごいよ!ルクソール遺跡に溜息の連続!午前9時にクルーズ船をチェックアウトしてバスに乗り込み…長い長い観光の始まり始まりバナナ畑や…サトウキビ畑や…普通の畑?の続く道を通っていると…遠くに王家の谷が見えてきた最初はハトシェプスト女王葬祭殿電動カートで移動しますスフィンクスがお出迎えハトシェプスト女王について王座を巡るいざこざのお話を聴きながら中を見ました色も残っているレリーフには3000年以上前の出来事が刻まれてい
王家の谷-Wikipediaja.m.wikipedia.org王家の谷(おうけのたに)は、エジプト、テーベ(現ルクソール)のナイル川西岸にある岩山の谷にある岩窟墓群のこと。古代エジプトの新王国時代の王たちの墓が集中していることからこの名があり、24の王墓を含む64の墓が発見されている。昭和64年『総理の給与年46万円アップ法案』阪神淡路大震災1995年1月17日5時46分アメリカ同時多発テロ2001年9月11日8時46分東日本大震災2011年3月11日14時46分自衛隊ヘ
海の京都・丹後の国京丹後市ゆかりの伝説の七姫「京丹後七姫」七姫達から託された「ご加護アロマ」は姫から届くメッセージこんにちは。今年は、、、なんと、実家の蔵にあった「須恵器-すえき-」の木箱を見つけました。中の須恵器がこれです。須恵器・・古墳時代中期から平安時代にかけてに見られる青灰色の焼物で、その制作技法は朝鮮半島南部からの渡来人によって伝えられたとされています。古墳時代には祭祀や副葬品として使用されたとされます。実は、蔵の中の「須恵器」の存在、そういえば、、ずっ
古代エジプトには宇宙人がいた証拠をみつけてしまったかもしれません。【都市伝説エジプト王家の谷ファラオ】歴代のファラオが眠る「王家の谷」。この谷に王族が隠した謎をとーやがついに明らかにしてしまったかもしれません…この谷にあったファラオの呪い、王家の谷に残された巨人の痕跡、それぞれの王墓の壁画にある宇宙人の証拠がヤバすぎる…00:00Trailer00:14オープニング01:22ラムセス4世のお墓に潜入05:2...youtu.beこの動画のポイントは...歴代のファラオが眠る「
親と子の潜在意識をつなぎ更に集合意識につなぐセラピーおひさまギフトの藤井さやかです。ご訪問いただきありがとうございます。(↓初めましての方は、こちらをクリック)(プロフィール)9月22日から、10月3日まで友人たちとエジプト旅行に行っておりました。忘れないうちにと備忘録として旅行記を書いております。ご興味があればしばらくお付き合いの程、よろしくお願いします。エジプト旅行記①エジプト旅行記②ギザのピラミッドエジプト旅行記③スフィンクス編エジプト旅行記④サッカラ編【9月
https://youtu.be/d540ucRHutQ?si=0XZundzN8uMj6Fh5古代エジプトには宇宙人がいた証拠を見つけてしまったかもしれません。【都市伝説エジプト王家の谷ファラオ】歴代のファラオが眠る「王家の谷」。この谷に王族が隠した謎をとーやがついに明らかにしてしまったかもしれません…この谷にあったファラオの呪い、王家の谷に残された巨人の痕跡、それぞれの王墓の壁画にある宇宙人の証拠がヤバすぎる…00:00Trailer00:14オープニング01:22ラムセ
お守り代わりにいつもネックレスにつけている左「アンク」右「マアト神」アンクは生命の鍵と言われていて2010年マアト神は正義と真実の女神2016年購入2010年3月アブシンベル神殿前でアンクを持たせてもらいビビっと感じた…わけではなく数千年前にアンクを生命の鍵と信じた人々に思いを馳せて時の重みを感じたのかもしれません帰り際カイロ空港で見つけて即購入した品ですパピルスに描かれたお気に入りのホルスもしっかり持っていますアンクもう一つマアト神は正義と真
京都府京丹後市海の京都・丹後の国京丹後市ゆかりの七姫「京丹後七姫」七姫達から託されたアロマは、姫から届くメッセージ令和5年9月30日(土)須田平野古墳の発掘調査の現地説明会に行ってきました。平野古墳と言えば、川上谷川に注ぐ伯耆谷川の右岸に位置し、6世紀後半に築造された湯舟坂2号墳に先行する首長の墓と考えられているものの、、発掘調査がされていない。。。という京丹後市教育委員会と京都府立大学考古学研究室の皆様により、2020年度から始まった湯舟坂2号墳とその
【エジプトの歴史-364アッバース朝-2】歴史前史ウマイヤ朝末期、ウマイヤ家によるイスラム教団の私物化はコーランに記されたアッラーフの意思に反しているとみなされ、ムハンマドの一族の出身者こそがイスラム教団の指導者でなければならないと主張するシーア派の反発が広がりました。このシーア派の運動はペルシア人などの被征服諸民族により起こされた宗教的外衣を纏った政治運動であり、現在でも中東の大問題として尾を引いています。また、このほかにもアラブ人と改宗したペルシア人な
ついにルクソールにやってきました。アスワンからずっとお世話になったガイドのマムートともお別れです。ルクソールでの気球の手配やらルクソールからギザ行きの電車のチケットの購入も彼がいなかったら困難を極めていた事と思われます。ナイル川クルーズでルクソールについて王家の谷、ハトシェプス神殿、ルクソール神殿、カルナック神殿と駆け足でまわり、最後はツアーの感想を参加者全員1人ずつカメラの前で話さないといけない儀式が終わり皆さんとお別れしました。エジプトという国はいろいろメチャクチャなのにものすごくレビュー
こんばんはエジプト旅ブログの続きになりますエジプト⑪日目の朝はゆっくりでしたクルーズ船で最後のビュッフェ朝ご飯↓チェックアウトを済ませて、クルーズのオプショナルツアーに参加し、エジプトの王家の谷へ↓別途王家の谷の入場料と、ツタンカーメンのお墓(他有名なファラオ)は追加料金がかかりました入場料では3カ所のお墓を見てまわれます王家の谷へ行く途中、車の中からですが↓メムノンの巨像を見ることができました↓メムノンの巨像のメムノンを知らなくてネットで調べましたが、よく分からなかったです
LuxorflourishedasthemagnificentcapitalofancientEgyptforabout500years,andassuchsportsmostofthe“mustsees”inEgyptafterthePyramidsatGiza.Unfortunately,themoderntownofLuxorisreallynothingmorethananunremarkableto
【ツタンカーメンの謎①】で、ツタンカーメンの墓だけ荒らされずに残っていたと話しました。それに関して少し掘り下げていきましょう。そもそも何故ツタンカーメンの墓だけそのまま残っていたのでしょうか。当時ほとんどの王様の墓は荒らされていたにも関わらず。これに関して、有力な説が二つあります!土砂により墓が埋まった:ツタンカーメンの墓は、王家の谷というところにありました。王家の谷というのは、いろんな王様の墓が集まっている谷です。ツタンカーメンの墓は王家の谷の中心にありました。
角川ミュージアムで開催中の「ツタンカーメンの青春」に行ってきました。2023/08/12角川ミュージアムhttps://kadcul.com/event/124ハワードカーターが覗いたことになっている小さい穴が再現してありました。封印を解いたあとすぐの墓室はこう飾ってあったのね(テキトーに積み上げてあったとか聞いたような気もするけど)という感じで車と像がおいてありました。まるでエアコンの効いてる王家の谷みたいでした。その後の展示室はカイロ博物館(美術館?)みたいに楽しめました。
ハトシェプスト女王(BC1479-1458年)は3500年前のエジプトのファラオ(王様)ですバスの駐車場から土産物屋の商店街を抜けるとコーチの乗り場に着きます土産物屋の商店街ゆっくり土産物を見たいのですがツアーで来ているので時間がありませんトラム乗り場空はやや曇っていますが暑いです雨の降る気配なんて全くありませんクルンアルンとハトシェプスト葬祭殿トラムに乗って行くと崖っぷちにハトシェプスト女王葬祭殿が見えてきます左手にはピラ
王家の谷の歴代ファラオ関連の場所です。こんな感じで数か所ファラオ関連の入り口が有ります。ツタンカーメンに関連する場所です。時間の関係で、見る場所を制限されていたように思いますが、それでも見ごたえが有りました。ここの場所だけでも1日以上過ごせそうな気がします。関連場所で僕に関連するお役目をしました。時間が来たので、次の目的地に向かいました。
王家の谷に到着しました。入り口です。王家の谷の模型です。こういった乗り物で王家の谷へ乗り物に乗りながら、写真のような景色に圧巻されつつ歴代ファラオの墓に関連する場所に行きました。
1922年今から100年前に、王家の谷でツタンカーメン王墓を発見したのがハワード・カーターですそのハワード・カーターの自宅がルクソールに残っているので行きましたカーターハウスと呼ばれていますカーターハウス(ハワード・カーターの家)ドームのある窓の少ないエジプト風の家ですねカーターハウスの野良猫ハワード・カーターはイングランドのケンジントン生まれのイギリス人です父親が動物画家だったので絵を描くのが好きで得意、父親の手伝いをしてお