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今日は5月5日ーー端午の節句ですね。そして、立夏ということで、季節も夏への一歩を踏み出しました。さて、先月の漢詩講座で取り上げた漢詩をもう一首ご紹介します。こちらも杜牧の詩ですが、1月の共通テストに出題されました。「華清宮」というのは、都長安の東に位置する驪山(りざん)にあった温泉地。玄宗皇帝と楊貴妃がたびたび行幸した場所として有名です。*****『華清宮』『HuáQīnggōng』杜牧Dùmù長安回望繍成堆Chá
『天平グレートジャーニー』上野誠講談社2012年初版この本の著者上野先生は長らく奈良大学で万葉集を研究・講義されてきた学者です。歴史学・考古学・民俗学もふくめて、まるごと万葉の世界を研究されているので、従来の歌の解釈にとどまらない視点をお持ちです。1960年生まれですからまだ60代、この本を著した頃はまだ現役の教授でした(現在は奈良大学名誉教授で、母校国学院大学の特別専任教授)。頭の中には万葉集の索引を備えているのではないかと思われる先生が小説の題材に選んだのは、天平5年(73
今日は遠足の高校もあるみたいで,しかも絶好の遠足日和。あまり暑くならなかったいいですね。最近の遠足は,4月にあるということで,クラスメイトと仲良くするという目的で,昼飯を一緒に食べるグループをあらかじめ決めているクラスがあるのだとか。これっていい迷惑ですよね。いまだにクラスみんな仲良くという絶対にできもしない理想を押し付けているのでしょうか。さて今回は,楊貴妃最強説というお話。楊貴妃についてのお話は今まで何回かしましたが,昨日高校生とお話してたら楊貴妃って実は最強ではないかという結論に
ボスがライチをくれた。これ、不思議な食感でおいしんだよね。皮が硬くて向くのが少し手間だけど、出てくる果肉はぷりぷり。楊貴妃が大好物だった、というのも頷ける。玄宗皇帝と楊貴妃。1200年前の味。何で中国にしかないんだろう。
2024/04/14G・ちょっとずつ書いてゆく②3月3日、今年はどうかな?ハナカイドウ花海棠(バラ科リンゴ属)3月22日、準備OK!花言葉は「美人の眠り」「艶麗(艶やかで艶めかしく美しい)」3月30日、もうすぐ咲くかな?4月6日咲きました『海棠』は中国名をそのまま用いた名で「海の彼方から来た梨」の意味。7月に小さな実を付けるが「梨」には見えない。4月14日、満開。唐の玄宗皇帝が酔って眠る楊貴妃をハナカイドウに例えたように、昔から美人の代名詞として使われる。歩き通勤途中
ハナカイドウ(花海棠)花言葉【艶麗・美人の眠り】「艶麗」「美人の眠り」という花言葉は、ほろ酔い加減で眠そうにしている楊貴妃の姿を見た唐の玄宗皇帝が「海棠の眠り未だ醒めず」といったことに由来しています。楊貴妃と言えば世界三大美女のひとりと伝わる絶世の美女。中国ではカイドウは「眠花」と呼ばれ、美人の例えとして用いられます。
華清池は西安市街から東へ約30キロ行った郊外の驪山(りざん)のふもとにある有名な温泉池です周の時代から三千年以上の歴史がある温泉地だそうですがこの華清池が有名なのは唐代の玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスの場だったからです楊貴妃は中国の四大美人(楊貴妃、西施、王昭君、貂蝉)の一人とされる一方で玄宗皇帝を惑わせ玄宗皇帝が政治を顧みずに酒食に溺れるようになりついには内乱まで起こってしまったことから傾国の美女とも言われていますもともとは玄宗皇帝の息子の妃だったのですが玄宗に見初め
玉環が養子に貰われて実家を出た時の地球では、ローマ帝国が世界一の偉大さを人類に誇示していた時代でありました。その頃、中国、唐大中期の第六代皇帝『李隆法』と言う名の玄宗皇帝は「開元の治」と呼ばれる大唐帝国を築いておりました。玄宗皇帝には、一人の皇后の正妻と側室の妻が数千人おり、寵姫と言われる愛妾も数百人いて子供は60数名孫は百人ほどいたという、精力絶倫の王様でした。その妃の中でも、『武恵妃』と
ヤッホ~!帆足由美です。今回は、先日のBAYFM『BAYSIDEFREEWAY』の「由美の駅」のでご紹介した「成田山書道美術館」をあらためてご紹介します。1階ホールに展示されている「原拓紀泰山銘(きたいざんのめい)」成田山新勝寺にお参りしたことはありますか?あります、あります!帰りには名物の鰻も食べますよ~、という方はたくさんいらっしゃると思うのですが、成田山公園を散策したり公園の中にある「成田山書道美術館」を訪れた
『源氏物語』が『白氏文集』の引用を多数していることはよく知られています。その中でも、玄宗皇帝と楊貴妃の恋を詠んだ「長恨歌」は、「桐壺」の巻においてかなり大きな影響を与えていると言われていますが、紫式部の執筆の発想そのものと言えるのではないでしょうか。『白氏文集』は、当時の貴族ならみんな読んでいる教養書であったようですので、『源氏物語』を読んだ人は、「ああ、ここはあれね」と楽しんでいたのではないかと思います。私達が『細雪』やこのたびの「光る君へ」において、『源氏物語』のモチーフを見つけている
「「裏切り者の中国史」井波律子著講談社学術文庫」中国の歴史の中の裏切り者たちについての本。どんなに挑発されても動かず相手が弱るのを待ち、いざ攻撃に転じると徹底的に敵を殺戮する司馬懿には凄みを感じましたが、蟻地獄みたいで、お友達になりたくないですねぇ。諸葛孔明が病死してしまうので、結果的には司馬懿が孔明の攻撃を守り切ったと言うことになりますし、司馬一族は最後には中国全土を統一するので、司馬懿のやり方が、勝負に勝つコツなのかもしれませんが・・・。やっぱり、諸葛孔明や周瑜がいいなぁ。
唐(10)https://timeway.vivian.jp/index.html--------安史の乱--------755年、安史の乱(あんしのらん)が勃発します。反乱軍のリーダー安禄山(あんろくざん)と史思明(ししめい)の二人の名前をつないで安史の...nyabecch.blogspot.com唐(10)-チャイナ史nyabecch.blog47.fc2.com
楊貴妃(王玉環)玄宗皇帝に略奪愛をさせた美女の生涯とは楊貴妃(楊玉環)玄宗皇帝に略奪愛をさせた美女の生涯とは楊貴妃は中国史上でも一番有名な女性でしょう。本名は楊玉環(よう・ぎょくかん)日本にも楊貴妃の噂は伝わり、絶世の美人と言われます。玄宗の妃として知られますが。最初は玄宗の息子・李瑁の妻でした。あまりにもの美しさに玄宗は息子から妻を奪っkorea.sseikatsu.net李瑁→寿王。李瑁-Wikipediaja.m.wikipedia.org安禄山安
2024読書2冊目「ふりさけ見れば」安倍龍太郎私的な満足度★★★★★日本とユーラシアを結びつけるのは、唐で科挙に合格し玄宗皇帝の側近にまで出世したたぐいまれなる日本人・阿倍仲麻呂、そして仲麻呂とともに唐に渡り当時の大唐帝国のすぐれた文化・政治制度を内政に移植した学者にして政治家の吉備真備。唐からは、玄宗皇帝と楊貴妃、安史の乱を起こした安禄山、大詩人の李白や杜甫など、日本でも多くの逸話が知られる人物が続々と登場する。ついに帰国できなかった阿倍仲麻呂が日本の朝廷から帯びていた重大な密命とはは
今日は新しいPCがやってきました!んでこの文章はそれ使って書いています。でも備え付けの電池が切れていて(それはあとからわかったことですが),キーボードやマウスがまったく作動しなかったので泣きそうになりました。そんなことあります?笑。疑心暗鬼で新しい電池入れたら作動しました。マジで勘弁してほしいです。さて今回は,今年の共通テストの漢文の文章や内容がズバったというお話。実はそのおかげで高校生は2人も満点とりました。まあ間違いなくオイの予想が当たったおかげですね(笑)。いや、当然のごとくまっ
読むのに難儀しました。馴染みのない時代に中国の名前、役職遣隋使、遣唐使が学んだ国としての制度、しきたりが日本の基礎になっていたわけで、中国四千年の歴史は壮大。阿倍仲麻呂の30年ぶりの帰国の途にはハラハラ(帰れないのわかってるけど・・・)後半の大立ち回りや劇的な再会はエンタメっぽく盛り上がります。「国破れて山河あり・・・」あんなにつまらなかった漢文の授業やっと、こういうことだと腑に落ちました。
囲碁好きで知られた唐の玄宗皇帝は、開元初年(713)に囲碁をもって皇帝に仕える棋待詔という制度を設けているが、その中の一人、王積薪は国手と称され讃えられている。一説には囲碁の心得を説いた「囲碁十訣」の作者とも言われているが、これには異説もありはっきりしていない。王積薪は、唐の玄宗の時代に農家で生まれ、早くに父母を亡くし山に入り柴刈りで働いていたという。このとき山中の寺院で僧侶達が碁に興じているのを見て碁を覚え、やがて僧侶達を上回る実力になったという。その後、旅に出て腕を磨き、やがて
玄宗(歴代君臣圖像)【玄宗皇帝の生涯】唐を絶頂期に導いた第9代皇帝玄宗は囲碁好きで知られ、その代に碁は盛んとなる。玄宗は第5代皇帝睿宗の三男として685年に洛陽で生まれる。諱は隆基。隆基(玄宗)が幼少の頃は祖母の武則天が中国史上唯一の女帝となり、国号が唐から周(武周)へと変わっていた。二代皇帝太宗の側室であった武則天は、太宗崩御により出家していたが、三代高宗の側室として再び迎えられ皇后にまで登り詰める。高宗に代わり垂簾政治を行い、敵対する貴族を排除して貴族以外でも有能な
こんばんは。みなさん、楊貴妃と言うとどういうイメージをお持ちでしょうか。今回は楊貴妃について語っていきたいと思います。楊貴妃(名は楊(よう):名は玉環(ぎょくかん):字は鴎法(おうほう))。唐の時代、玄宗(げんそう)皇帝の子の李瑁(りぼう:第十八子)の妃になった。しかし、その美貌にくぎ付けになった人物がいた。誰あろう、玄宗皇帝その人である。玄宗皇帝は稀に見る名君として君臨していた。が、その色香に惑わされたのか、あ
華清池は西安市街から東へ約30キロの郊外の驪山(りざん)のふもとにある有名な温泉池です。兵馬俑博物館の帰りに寄りました。周の時代から三千年以上の歴史がある温泉地だそうですが、この華清池が有名なのは、唐代の玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスの場だったからです。楊貴妃は中国の四大美人(楊貴妃、西施、王昭君、貂蝉)の一人とされる一方で、玄宗皇帝を惑わせ、玄宗皇帝が政治を顧みずに酒食に溺れるようになり、ついには内乱まで起こってしまったことから、「傾国の美女」とも言われています。唐の時代には豊満であることが
皆様、こんにちは。今日の当地は雨☔です。今日は読み終えたばかりの小説がとても良かったので、ご紹介したいと思います。今まで数え切れないほどの本を読んできましたが、ラノベで泣いたことは少ないです。もちろん、どの作品も素晴らしいものばかりで、感動はしてきましたが、、、個人的に大好きになった作品です。後宮の毒華夏炎の幽妃(角川文庫)著者:太田紫織KADOKAWA発売日:2023-08-24ブクログで
こんにちは今日も由希絵の『歴史の窓』へようこそ今日も前回の「楊貴妃」の続きを語らせていただきます。「安史の乱」が起こると、安禄山の軍は簡単に防衛戦を突破し、大軍で都長安へ進軍してきた為、あわてた玄宗と皇族たちは楊国忠の進言で都を捨てて蜀の国へ脱出することにしました。安禄山の軍はかなり訓練されて精錬された兵達だったのに対し、唐の軍隊は長年の平和ぼけと組織の腐敗化により、弱体化が著しかったのです。しかし、長年楊国忠の横暴に苦しめられ不満を募られていた玄宗に付き従っていた兵達は、
こんにちは今日も由希絵の『歴史の窓』へようこそかな~りご無沙汰になってしまい、申し訳ありませんでした。仕事がずっと残業続き+夏の猛烈な暑さで体調も崩しぎみでございましたまだまだ季節外れの暑さが続いている地域もあるかと思いますが、どうか皆様もくれぐれもご自愛くださいませ。本日も前回の「楊貴妃」の続きを語らせていただきます。”貴妃”となった22歳の楊玉環は、美女というだけでなく、気遣いもできて、更に豊満な肉体を持ち、優れた踊り子で歌い手であり、芸術的才能にもあふれていたので、56歳
*9月10日エントリーの続きです。R大学文学部史学科のぜんざい教授と、教え子の院生・あんみつ君の歴史トーク、今回のテーマは奈良時代。本日はシリーズ最終回、寧楽遺文のおはなしです。***関連超略年表***710元明天皇、平城京に遷都715元正天皇即位(藤原不比等執政)720日本書紀撰上、藤原不比等没す(長屋王執政)723長屋王、三世一身の法定める724聖武天皇即位729長屋王刑死、光明子は皇后に(藤原四兄弟執政)73
ふりさけ見れば上Amazon(アマゾン)ふりさけ見れば下Amazon(アマゾン)奈良時代に遣唐使として渡唐し、・玄宗皇帝に近侍するまでに出世した阿倍仲麻呂と、・鑑真上人を招聘し、朝廷の天智派と天武派の争いに終止符を打った吉備真備の、朝廷および日本国を第一に考え行動した生涯を描いた作品です。唐の文献と相違があると唐から「国史たりえず」と認められなかった日本書紀。阿倍仲麻呂が唐の文献を探る密命を担うことに。日本書紀って、そもそも唐への冊封の条件の1つとして
この漢は「祖国」、「望郷」という言葉をいつも心に噛み締めて生きていたのに違いない。異国の土になろうとも、魂は故郷に帰らんことを願う。天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かもこの歌に、この漢、阿倍仲麻呂のすべての思いが込められている。安部龍太郎著「ふりさけ見れば」下巻を読了した。
…病気が治った事から、魔除けになると信じられた。その皇帝とは誰か?「鍾馗」は、中国の伝承に基づく古い「魔除け」である。元々、中国唐代初期に実在した人物ともされるが定かではない。長いヒゲと大きな眼、いかつい格好の「鍾馗さん」が魔除けにされる様になったのは、俗説によると唐の第6代玄宗皇帝の御世である。唐の隆盛期に時代を治めた皇帝・玄宗が病に倒れた時、高熱の中で大鬼が小鬼を退治する夢を見て、病はたちまち治った。その大鬼が「鍾馗
見落としは、たくさんあるのですが、CSで2020年に放送され(2021年再放送)、今のところ再放送予定がないのが古装劇「長安24時」です。放送されていたころは全く関心が無かったのに、今頃になって俄然興味が湧いてきて、無念の臍を噛んでいるこのごろです。舞台は玄宗の頃(744年)の長安の一日、都に入り込み爆破を謀るテロリスト・グループと守備する側との攻防、一般の人たちのエピソードを織り交ぜた歴史小説が原作になっているそうです。全48回。744年と云えば、玄宗が楊貴妃を溺愛して政を顧みず、
一旦3時に目覚め、今朝は7時ちょっち前に起きた。マリーナ・ショウのアルバム「マリーナ」をCDで聴いた。朝食は新潟産こしひかりを炊き、くめ納豆、紀州産梅干でご飯一膳半。デザートはニュージーランド産キウイ。noon→横山未希→井手麻里子→遠藤裕香→藤村麻紀→石松リエ→広瀬朝子→木村美保→橋爪あみと歌をユーチューブで聴いた。雨降っとるんで、昼食は久し振りに東日暮里「黒さわ」へ行ったがランチメニュー見て迷ったものの入った。本日の選べぬランチは刺身、鯖塩焼き、ハムカツに味噌汁、ご飯ちゅう何ともな取
楊貴妃にまつわる山口百恵の話を書きましたが、ネットで見るとやはり今でも当時のネタが表示されて、インタビューにおいて「楊貴妃の末裔」だと言ったこともある事を知りました。母方の姓である「山口」は元々を「楊」という名字だそうです、楊貴妃の伝説のある地の出身だそうで、楊貴妃の末裔と思うのも当然かと思います。(家の伝承としてあるかどうかは書かれていませんでした。残念!)では、真相はどうかというと、勿論分かりません。<(__)>可能性を考えると、①楊貴妃が日本に来て子供を授