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こんばんは😃今日は京都へ行ってきました🚅旅の目的のひとつは京都国立博物館の「特別展雪舟伝説」に行くためでした。RYBカラーリーディングの草木裕子先生のブログを読んで「気になる!!絶対行きたい!」となり、GW平日の今日行ってきました。平日だったためかチケットを買うのにも、中に入るのにも混雑はなく、スムーズでした☺️草木先生のブログが素晴らしいので私の知識や語彙力の無さがバレバレです🙇♀️そもそも絵画に興味を持ったきっかけは草木先生の「色の意味、徹底解説講座」。絵
名古屋城天守閣に上れない分、名古屋城本丸御殿が混んでいた。30分待ちの行列だ。先の大戦で焼失した本丸御殿は、約9年をかけて2018年に全体公開となった。徳川家と狩野派が創出した芸術の世界だ。30を超える部屋や廊下には、一級品の絵画や彫刻、装飾品が詰まっている。入場無料+撮影可能。観覧者が多く、ゆっくり観賞できなかった。主なポイントを順路に沿って整理しておく。(1)玄関乃間:訪問者が待つ場所に「竹林豹虎図」。襖絵や障壁画の背景は全て金箔。(2)表書院:謁見場所であり3つの部屋が襖で仕切られ
玉林院(ぎょくりんいん)は京都市北区紫野にある臨済宗大本山大徳寺の塔頭で臨済宗の寺院です。1603年、高名な医学者で、皇室の典医や豊臣徳川の待医も勤めた曲直瀬正琳(まなせしょうりん)が、大徳寺142世月岑宗印(げっしんそういん)を開祖として創建しました。1609年に火災により焼失しましたが、片桐且元(かたぎりかつもと)らによってまもなく再興されました。創建当初は正琳庵と称していましたが、「琳」の字を分けて現在の院号「玉林院」に改めました。1742年、大坂の豪商・鴻池了瑛(4代目鴻池善右衛
2024年3月22日金曜日曇りのち晴れ今朝の比叡山です。鳥が鳴いています。朝食を済ませ、ゆっくり。今朝は寒くて最低気温0.3℃やったそうです。最高が12℃。朝食を済ませ、ゆっくり。昨日あたりから花粉症がひどくて戦意喪失です。今日は空気清浄機の部屋にこもりましょ。花粉シーズンが終わったら旅行へ行こうと旅行の準備です。エプソンの一番安いプリンターです。このプリンター、純正のインクを入れないと文句ばっかり行ってきます。安い汎用のインク買いますよね。プリンターの寿命も4~5年でしょ。
掛軸の掛け替え、どちらとも桜になります。レッスンで使う部屋には山田耕雲のを、私の部屋には狩野常信の桜狩図を。#掛軸#掛軸のある暮らし#骨董のある生活#骨董品#四条円山派#狩野派#日本画#山田耕雲#狩野常信
茶室に満開の桜ご縁あって、期間限定で拙軒に迎えられました江戸初期から中期の狩野派の屏風せっかくなので、大切な茶友を招いてひと足早いお花見です桜の下、野点の気分で一服透木釜は桜格子の文様お気に入りの茶碗でお茶差し上げました
京都国立博物館〜訪れたのは1月ここの梅の開花はけっこう早い。。。。夕方の予定まで時間が余ってしまい、今回は正直言って時間つぶし特に見たい展覧会ではなかったけど♡梅の花も見れたし開催されていたのはオッ!とロビーに展示されていたのは燦然と輝くCanon・綴プロジェクトによる高精細複製の屏風韃靼人狩猟・打毬図屏風伝狩野宗秀サンフランシスコ・アジア美術館狩野宗秀は狩野松栄の次男、すなわち永
定期的に自分を見つめるために旅をします気になる!!に従い今回は歴史たびになりましたわたしの大好きな歴史人織田信長・蒲生氏郷のゆかりの地大徳寺(黄梅院)この地は、紫野のいう地名実は、平安時代は今の大河ドラマの主役である。紫式部の生まれた場所でもあり晩年を過ごした場所でもある。と、言われている。大河ドラマ「光る君へ」【NHK公式】大河ドラマ「光る君へ」(2024年)。主人公は紫式部(吉高由里子)。平安時代に、千年の時を超えるベストセラー『源氏物語』を書き上げた女性。彼女は
狩野派に魅せられて✨363✨二条城の美しさと権威のもてなし🌟🌟🌟🌟🌟✨✨✨✨✨|shouen1shingon(照円)@iwakishingon#notehttps://note.com/shouen1shingon/n/n0e60bd467011
東京黎明アートルームで開催中の「初期鍋島と花鳥図屏風」展へ行って来ました。鍋島焼は鍋島藩の窯で、将軍家等への献上を目的とし、採算を度外視して焼造した最も精巧な日本の磁器です。200年以上続いた鍋島藩窯ですが、その創業期については諸説あり、創業年代や窯所在地について特定できていません。本展では、1650年代、または1650-60年代頃に作られたと思われる作品を紹介しています。また、六曲一双の《花鳥図屏風》などを展観します。会場入ると、《志野花畳文鉢》(美濃桃山時代16-17世紀
信長が最も泊まった!妙覚寺概要山号:北龍華具足山開山:日實(お寺さんでは日像)宗派:日蓮宗歴史妙覚寺の始まりは今から約600年前までさかのぼります。1378年、妙覚寺と同じ日蓮宗寺院の妙顕寺の後継者候補だった日實上人(にちじつ)が妙顕寺を離れた際、豪商の小野妙覚が四条大宮の地を日實上人へ寄進し、寺院を建立した事から妙覚寺の歴史が始まります妙覚寺はその後4回移転をくり返します。1回目最初は室町幕府第9代将軍・足利義尚の命により二条衣棚(現在の中京区
世界文化遺産に認定されている二条城「二の丸御殿」は国宝に指定されており、寛永3年に後水尾天皇の行幸を迎える際に拡張・整備された時の規模・構成を今に伝え、大規模・城郭書院の唯一の遺構となっている。この大改築時に「二の丸御殿」の障壁画制作を担ったのは狩野派の絵師たちである。唐門門から入城し雁行形に車寄・遠侍(トオザムライ)・式台・大広間・蘇鉄の間・黒書院・白書院と続く御殿の障壁画の制作は狩野派の有力画家の分担による。将軍が諸大名と対面す
こんにちは静嘉堂文庫美術館『ハッピー龍イヤー』を拝見してきました。これでもか!というぐらい龍・龍・龍です。静嘉堂文庫が誇る所蔵品の龍がいっぱいです。▲チラシ表■トークフリー!今週末で終了する企画なので恐縮ですが、29日をえらんだのは、特別な日だったからです。この日は「トークフリーデー」で、「普段ご遠慮いただいている展示室内での会話が自由にできる日」として、入館いただいた方、どなたも作品を御覧になりながら、友人、家族と自由に話せるものだったのです。学芸員さんの列品解説もあり
こんにちは小江戸−川越を見聞してきました。▲川越というと時の鐘、ややパターン化してますが川越には市立博物館もあるのですが、長期休館中です。隣接する市立美術館は空いていたので、拝見してきました。▲川越市立美術館川越といえば、橋本雅邦です。父が川越藩の御用絵師だった雅邦は後を継ぎます。江戸では絵師になることはイコール狩野派で学ぶことだったので、狩野雅信(勝川院)の指導を受け、塾頭に上りつめます。しかし時は幕末、明治維新で生計がたたなくなりました。海軍で図面関連の仕事をするなど、本業に専念で
👴の希望で登城しました。狩野川がありますからね。絵師狩野派発祥の地狩野城跡広い駐車場年表狩野永徳出ています伊豆市指定史跡狩野城跡ここから登城します。狩野城址遊歩道案内板登ります。ひたすら何も考えずに振り返る登りますお決まりのジグザグ出丸跡に着きました。舌状出丸を越えたら下方へ降ります。削平地目前の切岸上は、東郭と思われます。左手へ進みます右手へ登る。これは竪堀跡?堀底を、さらに右手に登ると、東郭跡がありました。馬蹄形の土塁上に立ってい
『星落ちて、なお』澤田瞳子著直木賞受賞画鬼・河鍋暁斎を父に持った娘・とよの数奇な人生・・家族として血の繋がりでなはなく墨としての繋がりだけがある?絵かきの実力としての評価しかなかった。不世出の狩野派絵師、河鍋暁斎が死んだ。河鍋暁齋筆残された娘とよ(暁翆)に対し幼く養子に脱れていた腹違いの兄・周三郎(暁雲)は事あるごとに難癖をつけてくる。河鍋暁翆筆(娘とよ)弟記六は根無し草で頼りない。妹きくは病弱である。河鍋を継ぐのは、とよしかいないのか?
皆さん!こんにちは!このブログでは、岡山県津山市のバレンタイン美術館館長道広義博が保持している狩野派の欄間を紹介します。欄間!いたんでいますが、絵そのものに影響はありません!狩野自適斉の欄間!です。狩野尚信の欄間です!それでは失礼します!
2024-01-13は何の日【狩野派!?・狩野永徳】「智慧の気づき力」【今日の運勢!今日は何の日?智慧の気づき力】・毎日配信中!【第二の人生・仕事の大学】・土曜・日曜朝6:00~6:30無料オンライン坐禅会開催中!↓↓↓https://3jj1.childstar-sp.net/【Lステップ正規代理店】・智慧の経営とLステップでLINEビジネス構築!日本の霊性思想の...youtu.be【今日の運勢!今日は何の日?智慧の気づき力】・毎日配信中!【第二の
これはまだ私が介護職をしていた頃のお話です。訪問介護をしていた際、楽しみだった支援の1つが、京都で狩野派の修復師や博物館の展示等をされていた方の支援でした。その方は、真面目な方で、責任感が強い方であるため、疲労がたたり、目の病気を患い、それでも無理をしたために、全盲となり、退職を余儀なくされたため、地元である堺市に戻ってきたそうです。しかし、当然ながら最初は受け入れられない事もあったとのことで、自暴自棄となり、心理カウンセラーのカウンセリングを受けたそうで、それが高じて、自分の好きなことは
尚、「狩野派の租」「信長が上杉謙信に贈ったと伝えられる永徳が描いた屏風」「光信が描いた蟠龍図(鳴龍)のある寺院」「豊国神社の豊国臨時祭礼図屏風を描いた人物」「狩野家歴代の墓がある日蓮宗寺院」の名称は必ず含む事。「狩野派の租」「狩野派」は、室町後期から明治初期まで長きに渡り勢力を誇った画派。初代「狩野正信」は、中国の漢画様式とやまと絵系の要素を自由に駆使した平明な新様式の画風で足利幕府の御用絵師となり、狩野派の始祖となった。次代の元信は、書院造の室内空間を彩る装飾
人吉でのお宿は国登録有形文化財の宿「旅館芳野」司馬遼太郎さんが「飛ぶが如く」を執筆する際西郷隆盛については調べるために長逗留されたそうです。司馬遼太郎さんはご自分はあまり飲食されるということではなく調査に協力してくれる人吉の人達を旅館にまねき食事を振る舞ったそうです。ただ数年前の大水害に遭い旅館は一階部分がほとんど浸かりさらに建具や家財なども流され当時の従業員の方達があちこちに散乱しているそれらを回収されたそうですがそれは全てではなく回収できたものは洗って使い、見つから
狩野素川章信(1765~1826)18世紀後半から19世紀前半に活躍した江戸狩野派の浅草猿屋町代地家の画家。父は宇田川徳元と言われる。はじめ仙次郎と称し、後に外記と改める。彰信(あきのぶ)と署したが、50歳以降は章信と署した。大玄斎と号す。浅草猿屋町代地家四代目当主・狩野寿石賢信(じゅせきかたのぶ)(1739~1780)の養子となる。安永9(1780)年、徳川家治に御目見。同年、寿石賢信が没し、その跡を継いで五代目当主となる。寛政12に(1800)年、36歳で早くも隠居し、花街
最後の浮世絵師は誰かと言いましたら明治まで活躍した月岡芳年、豊原国周、揚州周延の三人があげられます。芳年はだんだんと浮世絵というよりイラストレーターか劇画家のようなタッチになり、国周はあまりに役者絵の定型化した画風の印象が強く、周延は有職故実の将軍家行事や歴史画でどうも伝統的な浮世絵は歌川国芳までのように思えます。その中で河鍋暁斎は唯一の歌川派と狩野派を兼ね備えたハイブリッドの画家です。浮世絵は国芳譲りの戯画が得意で明治の文明開化を皮肉ります。シニカルでブラックなユーモアが効きすぎて明治3年に
「激動の時代幕末明治の絵師たち」開催中のサントリー美術館にやってきました江戸から明治へと移り変わる激動の時代、日本絵画の伝統を受け継ぎつつ、新たな挑戦をした絵師たち浮世絵をはじめ、有名な一門狩野派の作品も数々展示されておりました狩野派は、伝統的な仏画の画題に洋風の技術を取り入れた、美しい絵画を輩出した一門そんな偉大な作品を見られて、目の保養と共に、とても勉強になりました
ずーっと世界遺産二条城のブログを書き続けてますが、ようやく二の丸御殿に辿り着きました「二の丸御殿」(国宝江戸時代)《江戸初期の慶長年間に築城された遺構を残す貴重な建築群。築地塀や土蔵で囲まれ、総敷地面積は3万平方メートル。寛永元年(1624)後水尾天皇行幸のために新造改修で現在の姿に。明治時代には一時、京都府庁や離宮ともなって手が加えられている。近世初頭の城郭の御殿建築として、今も建築時の姿を留めるのは二条城の二の丸御殿のみである。》6棟の建物に33部屋あり、使用された畳は計80
サントリー美術館で開催中の「激動の時代幕末明治の絵師たち」展へ行って来ました。江戸から明治へと変わる激動の十九世紀、日本絵画の伝統を受け継ぎながら新たな表現へ挑戦した絵師たちが活躍しました。幕末明治期の絵画は、江戸と明治という時代のはざまに埋もれ、かつては等閑視されることもあった分野です。しかし、近年の美術史では、江戸から明治へのつながりを重視するようになり、現在、幕末明治期は多士済々の絵師たちが腕を奮った時代として注目度が高まっています。本展では、幕末明治期の江戸・東京を中心に活動し
静岡県立美術館へ「大大名の名宝」展と収蔵品展「版画でひもとく聖書と神話」展を観に行って来ました。収蔵品展売店
2日めの宿は、一乗院。お部屋は菩提樹を選んで、泊まりました。狩野派の御用絵師、狩野興甫(かのうこうほ)によって描かれた襖絵のあるお部屋です。障子も、組子で作られており、美しい…。窓からは日本庭園が眺められて、最高の雰囲気。宿坊探しをしていた時に、たまたまこの部屋を見つけ、私の気持ちは即決でした。まるで、美術館の中に泊まるようなお部屋です。約350年前の絵師によって、描かれた絵があるお部屋に泊まれるなんて、人生でそうある機会ではありません。普通の部屋との差額代は、
週末はヴェルディの『ドン•カルロ』を鑑賞、素晴らしい音楽に浸りました✨重厚なドン•カルロと対照的?な【江戸時代の美術「軽み」の誕生」】を鑑賞しました🖼江戸時代における狩野派の地位を盤石にした狩野探幽。狩野永徳の孫であるが、その画風は永徳の迫力ある桃山画風と対照的に、余白を生かし、全てを詰め込まない抒情性のある画面構成へと転じた。探幽は『絵はつまりたるがわろき』と言ったそうで、つまり『つまらない』絵を求めたと➡️画面に所狭しといろいろ描くものではない。芭蕉の俳諧の理論
<無料フリースクール・カープ雑学講座46>【日本の絵画】・日本の絵画の概要・宗教絵画・絵巻物・水墨画から狩野派・御用絵画/町絵師/京絵師・江戸時代の個性的な絵・庶民の絵など