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欽明天皇以後、蘇我氏と物部氏の仏教をめぐる対立が激化。物部守屋との「丁未の乱」で蘇我馬子側が勝利し、物部氏が滅亡。馬子は崇峻天皇を暗殺し、推古天皇が即位。蘇我馬子・推古天皇・聖徳太子の体制で、飛鳥時代の新しい政治が始まる。奈良県明日香村にある石舞台古墳は、日本最大級の方墳墓で蘇我馬子の墓と推測されている。くるくる🌀:「ねえねえ、話の途中だけど、ずっと気になってたの!『蘇我馬子』って男性なのに『馬子(うまこ)』って可愛すぎない?馬の子どもみたいだし……。それに『小野妹子(おののいもこ)
歴史系図トリビアこれは楽しい!おもしろい!そう感じるような歴史上の人物の系図を紹介していきます歴史上の人物の系図を追っていく歴史系図トリビアです。丁未の乱(AI作成)はい(´Д`)。本日は丁未の乱の関係系図を見ていきます。画像はChatGPTに作ってもらったぶたさん版丁未の乱です。物部守屋の格好が時代考証的におかしいのですが、どうしても直りませんでした(´Д`)。丁未の乱は飛鳥時代の内乱で、蘇我馬子と物部守屋の戦いとして知られています。かつては崇仏派と排仏派の争いとして
真夏のへそ天猫。朝はここが「グレ」の定位置です。さすがにこの猛暑の中で日中の散策は辛いです。最近はなるべく夕方と深夜二回に分けて出かけるようにしています。あまり遠くまで行きたくないので同じところばかり巡ることになります。夕方ルートは古墳公園~博物館~山~池~ヤギ牧場の繰り返しで少しマンネリ化。なので昨日は少しだけ足を延ばして隣町、太子町の叡福寺(聖徳太子御陵)へ参拝することに…したのですが時刻は5時10分過ぎ。少し遅すぎた様です。「出直してこいっ!」と山門の金剛力士像に言わ
ご訪問ありがとうございますこの話は、2018年(戌年)正月にもご紹介したことがあり、画像も2017年のものなのですが、舞台が地元の岸和田市と貝塚市の境を流れる津田川で、それに加えて単なる地元の話以上にいろんな情報が汲み取れるお話です。目次捕鳥部萬の奮戦萬の飼い犬有真香邑忠犬イヌの犬捕鳥部萬の奮戦物部守屋大連に近侍する武人の捕鳥部トットリベノ萬ヨロズは100人を率いて、守屋の難波の別宅を守っていた。しかし守屋が滅んだと聞いて、馬に乗って夜のうちに脱出し、茅渟チヌの縣アガタの
2026年6月諏訪湖南岸にある守屋山と物部守屋神社に行ってきました。伊那市と諏訪市の境界にある守屋山の南側、伊那市高遠町に物部守屋神社があります。R152沿いに社号標や大きな枝垂桜があります。左側には守屋山山頂にある奥宮への表参道があり、右横にはバス停とバスの転回場がありました。石段を上ると左右に狛犬がいます。だいぶ小顔でまん丸お目目です。左側の狛犬の後ろにある手水は常に水が出ています。表参道の左を流れる沢の水が引かれているようです。鳥居には物部守屋神社の扁額が掛か
ご訪問ありがとうございます6月11日に、蘇我馬子関係の写真を撮りに飛鳥に行ってきました。それで飛鳥寺の特集です。何とか間に合った~(^∇^)目次飛鳥寺(法興寺)の創建その後の飛鳥寺飛鳥寺の文化財史料から見る飛鳥寺の創建丈六仏光背銘と塔露盤銘(全文)目次を開く飛鳥寺(法興寺)の創建今はたいへん小さくなっていて、パッと見普通のお寺ですが、もともとは一塔三金堂をそなえた今の20倍もある立派な伽藍でした。もとの伽藍配置です。飛鳥寺の伽藍については、発掘調査実施以前は四天王寺式
ご訪問ありがとうございます奈良県の「飛鳥・藤原の宮都」が、世界文化遺産への登録の勧告を受けられた、ということで、まずはおめでとうございます(人´∀`*)7月に開催される世界遺産委員会で正式決定らしいですが、それが理由でもなく、たまたま今回は飛鳥寺も出てくるので蘇我馬子関連の史跡を撮ろうと飛鳥に行ってきました。とりあえず飛鳥寺と石舞台、それに馬子の邸宅であった「島庄遺跡」を撮りに行ったのですが、飛鳥寺に行くと、お寺の西側の「入鹿の首塚」の横に碑(地図を描いた案内板的なものです。)が立って
ご訪問ありがとうございます「丁未テイビの乱」というのは、いわゆる蘇我氏と物部氏の崇仏・排仏戦争を指します。勃発したのは用明2年(587)ですが、記録は「崇峻天皇即位前紀」に書いてあるので、ここから「崇峻天皇紀」になります。教科書には簡単にしか載っていませんが、「日本書紀」には詳しく書かれています。だいたい敏達朝以来の国内記事は崇仏か排仏の話なので、わたしはこの戦争の正当性を示すために、蘇我氏が歴史の記録を始めたんじゃないかと思っています。だからなにか守屋は勝手に自滅したみたいに
ご訪問ありがとうございます今回から「丁未テイビの乱」いわゆる「崇仏・排仏戦争」に入ります。目次用明天皇の発病押坂彦人大兄皇子の登場中臣勝海の動向物部守屋の武装鞍作多須奈の出家目次を開く用明天皇の発病2年夏4月2日に、磐余イワレの河上カワカミで大嘗祭が行われたが、是の日に天皇はご病気になり、宮に帰られた。群臣たちがお側にいたところ、天皇は群臣に詔勅して「朕は、三宝サンポウ(仏・法・僧)に帰依キエしようと思う。そなた等はそれについて、話し合うように。」と仰せになった。群
ご訪問ありがとうございます夏5月、穴穂部アナホベノ皇子は炊屋姫カシキヤヒメ皇后(額田部皇女=推古天皇)を犯そうとして、無理矢理に(敏達天皇の)殯宮モガリノミヤに入ろうとした。(敏達天皇の)寵臣であった三輪君ミワノキミ逆サカフはすぐに兵衛ツワモノノトネリ=衛兵を呼び寄せて、宮門を固めて守り、穴穂部皇子を防ぎ入れなかった。穴穂部皇子が「なぜ、人がここにいるのか?」と問うと兵衛は「三輪君逆が居ります。」と答え、(穴穂部皇子が)7度も「門を開け」と怒鳴っても許可しなかった。この前、
『父と子と聖霊の372おいてPART2』前回から始まった新シリーズ372御572そもそも同じものです。私が改まって紹介するべきではないことでした。なぜなら?数字返還するまでもなくごみなのだから…★「御」(美)と「中」(那加)の関係について考察する|■朽ち果てた館■歴史上では『五三桐の家紋』をもつ織田信長自殺したのは天によるもの53【ZBLA】(屎、53)いわゆる「デニアス」は「土星」を含意する|■朽ち果てた館■昨日から2度目の登場大便
『38PART5』385もっと強い力もっと強い?上の力ということで一つ上の『37代斉明』に着目しました。37代斉明は35代皇極でもある。誕生西暦594年崩御661年8月24日陵所越智崗上陵漢風諡号皇極天皇(第35代)斉明天皇(第37代)斉明天皇-WikipediaあなたはWIKIに書いてあるこの情報をもとに何かわかりますか?私にとっては造作もないことですが、皆さんにとっ
前もって色々調べたりして、先に情報を仕入れてから出かけるのは好きではなくて。偶然辿り着いた場所に何かを感じて。そしてあとから調べて、「あぁ。そういうことだったのか」・・・となるのが好きでした*******そういう感じで辿り着いたのが。長野の守屋山にある「物部守屋神社」・・・でした。古い日記を読み直してみたらそれは、2010年のことでした。光のシェヘラザードモリヤscheh
ご訪問ありがとうございますこのあたりになると、現代語訳で十分意味が通じるので、解説だけを行うことにしますね。目次善信尼の出家仏舎利と仏塔馬子の病守屋による排仏善信尼等の遭難天皇不豫敏達天皇の殯オマケ目次を開く善信尼の出家秋9月、百済から来た鹿深臣カフカノオミ(甲賀臣)が、弥勒菩薩ミロクボサツの石像一体をもたらした。佐伯連サエキノムラジも仏像一体を持ってきた。この人たちは百済に渡っていた人のようです。是の年、蘇我馬子宿禰は、その仏像二体を召請し、鞍作村主クラツクリ
和らぎの国小説・推古天皇【電子書籍】[天津佳之]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}日本初の女性天皇。蘇我馬子の傀儡と思っていましたが、その能力は類稀なものであった、とする小説です。夫を亡くし、息子も亡くした炊屋姫。息子の竹田皇子は、聖徳太子との後継争いに敗れたのかと思っていましたが、聖徳太子にとって憧れの兄であったと書かれています。歴史は勝者のもの。蘇我馬子にとって都合の悪い人間は貶められていたとしても不思議はありません。穴穂部皇子や泊瀬部
先日。「日ユ同祖論は、ユダヤの陰謀」・・・というお話を見て思い出しました。日ユ同祖論のいろいろを。私も以前は、このテーマにハマった時期があり。たくさんの本を読みましたが、今から数年前。「もう、いっか」・・・と、ほとんどの本を売りに出してしまいました。今もまだ手元に残っているのは。比較的、新しめの本↓だけでした。もう隠せない真実の歴史世界史から消された謎の日本史Amazon(アマゾン
一番好きな風景写真ある?▼本日限定!ブログスタンプきょうもジョギングしてた。春の嵐の影響で少し風が強かった。一時吹き飛ばされかけるほどだった。距離700m(のぼりダッシュ)+4.6km+ほぼ1.7km、たいむ1:48,22:55,15:00.春の嵐…「JAPANJAM」「OTODAMA」…音楽フェスが続々当日中止発表昨夜から未明にかけての天候不良の影響-スポーツ報知ゴールデンウィーク中の4日、各地で開催予定だった大型音楽フェスが相次いで中止となった。いずれも強風や暴風雨による
「美人になるツボ研究所」のあす香です。お彼岸に四天王寺さんに行ってきました。その日は特別な場所に行けました!!!周りは人が多かったのですが、ココは人がまばらです今回はこちら!!!に・・・・以前から遠目で見てました。物部守屋さんの祠ですうーん!!(゜.゜)なるほど・・・・「心美人は体美人」を目指しましょうほなごきげんよ~
26.03/12thu.14:10-17:25近鉄八尾駅から西に、常光寺枚方と八尾、南北につなぐ河内街道を南に八尾の渋川神社南西に、太子堂交差点から西に物部守屋大連墳墓西に、大聖勝軍寺山門から左に、地蔵菩薩右に、聖徳太子遺跡霊場石碑四天王寺1番、大聖勝軍寺2番~斑鳩寺28番本堂本尊如意輪観世音菩薩に参る山門から左に、不動明王像右となりに、毘沙門堂本堂の左となりに、弘法大師修行像本堂の右となりに、地蔵堂右に、救世観世音菩薩像戻る山門の左に、神妙椋樹神妙椋
26.03/12thu.14:10-17:25近鉄八尾駅から近鉄線高架沿いに戻り左折して、河内街道を行くアーケードを右折して初日山常光寺仁王門行基開基という古刹本堂本尊地蔵菩薩に納経左となりに、阿弥陀堂右となりに、行者堂右にならんで、十王堂(閻魔堂)地蔵堂仁王門のわきに、石碑5番初日山常光寺おおさか十三仏霊場第5番宗派臨済宗南禅寺派開基行基(伝)創建奈良時代(伝)本尊地蔵菩薩おんかかかびさんまえいそわか別称八尾
3月5日は諏訪ご神事に行きました。すごく快適な車の旅だったなぁ〜🚗長野まで、意外と早く行けるもんだと思ったけど、全く運転してないからこそ言えるのかもしれない😅長野県に入ると、地元と違う景色にワクワクする❗️標高の高い山が目の前に連なり、山頂は雪景色❄️こんな風景を毎日見ていたら、山に登りたくなるよね🏔️お昼になったので、事前にチェックしていたROMANCHAKHOTELという南インド・東インド料理店に行った。インドで『HOTEL』は、レストランの名前のことが多い。優しそうな若
邪馬台国は天皇は存在しないとする嘘‼️【田中英道】2025/12/18高校生のブログ邪馬台国の書籍は千冊ありますなぜか?理由は?左翼が天皇を否定したいからです(田中英道)田中英道氏は紀元前10世紀に天皇が始まった!と語りました(田中英道YouTube)すめらは天武天皇が名称を「天皇」と決めるまでいろんな呼び名がありました・すめらみこと・上(うえ)・カミ・キンジョウ・トーダイ・トーキン・ヒジリ・ひとり・ゴイチニン蘇我馬子は
物部守屋氏は歴史の中に消え去りました2025/12/17高校生のブログ西方渡来人(ユダヤ人)は日本人の中に同化して日本人となりました(田中英道)天皇は大王とか別の名前で呼ばれていました物部守屋氏は神道(しんとう)の守護者でした※しんどうとは言わない。全国の権力者はカレの応援者ですもちろんカレは大王の守護者です天皇はカレの力には逆らえませんでした天皇は紀元前10世紀からです(田中英道YouTube)天皇と呼ばれたのは天武天皇からですそれまでは
🌟天皇制の根源:祭祀権の矛盾が辿る「物部守屋誅殺」と「記紀神話創作」の壮絶な歴史【読者の皆様へ】もしあなたが、「なぜ物部守屋は仏教反対という理由だけで滅ぼされなければならなかったのか?」「古代史に登場する神話は、本当にただの物語なのか?」という、古代史最大の謎に長年囚われているのなら、この記事はまさに、その深淵を覗き込むための最強の鍵となるでしょう。本記事では、古代ヤマト王権が抱えた**「祭祀権の構造的矛盾」を「火種」とし、それが「物部守屋の誅殺」という「爆発」、そして「記紀神
蘇我本家は、越前国造の蘇我(宗我・曽我)若長からとなり、武内宿禰大田根の子孫で、出雲王国の富家とも親族となり、出雲市宗我町(曽我町)の出自を由来とするため、「蘇我」(宗我・曽我)と名乗ります。大和の蘇我(曽我)氏、河内の石川臣氏とは、縁戚になるものの、本家となる蘇我氏はこちらになるのであります。ちなみに、馬子(石川臣稲目、麻古)や蝦夷(石川臣雄正)、入鹿(石川臣林太郎)は捏造された人物で、そのモデルの人物は巨勢臣に養子に入った石川臣氏になりますが、藤原不比等の指示により、中臣家にとっ
こんにちわ読んでくださりありがとうございます。尾飛先生から私の作曲したメロディに和音をつけてくださった楽譜をいただきました。私には絶対につけられない和音で本当にお願いして良かったと思います。現在は作詞中でもありますがその言葉よりも響きを重視しています。詩は瞬時にその時の情景に時を繋いでくれるので言葉は限りなくシンプルでよくてでもその情景が私にとっては大事です。尾飛先生が澄み切った気持ちで藤原鎌足に生き埋めにされた巫女のシーンの
もうひとつ想ひ浮かんできたよ💫🔥🌏️🔯🌍️🌊💫大和岩雄氏はその著書「神社と古代王権祭祀」で、この古事記の神話には、信濃国造で諏訪下社の神官でもあった金刺氏が古事記の編纂者・太安万侶(藤原不比等自身であるともされる稗田阿礼の口述を筆記した人物)と同族であることから、諏訪の神を中央政権の神統に関連付けるために、あえて負け役でも登場させ、権威付けを計ったのだ、とされます。また、諏訪には古墳時代、物部氏の領地がありました。丁未の乱(ていびのらん/587年)で、厩戸皇子
☆愛宕塚古墳(八尾市神立)河内国高安郡大阪府八尾市神立4丁目(P無し近隣停め置き不可)(当日は「八尾市立しおんじやま古墳学習館」に停め15分ほど歩きました。施設見学の場合は60分無料、以降100円/1h)■形状円墳*周濠有り■全長径22.5m■築造時期6世紀後半もしくは6世紀末~7世紀初頭(古墳時代後期)■埋葬施設両袖式横穴式石室(奥行15.7m、高さ4.2m)家型石棺か■出土品龍文銀象嵌鞘金具付捩り環頭大刀(*)金銅製帽子形飾金具鉄地金銅張馬具(腰佩もしく