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こんばんは昨日のブログへのお気遣いのコメント、ありがとうございました。モヤモヤは残りますが、なるべく平常心で穏やかに過ごしたいと思います…。さて、この春から電車通学になった長女ですが…自宅から最寄り駅までは歩いて行くには距離があるので、朝から雨の時は私が駅まで車で送ることもあるのですが、基本的には自転車で駅まで行っています。今日は朝は雨が降っていなかったのと時間的に私も送迎が難しかったため、娘は自転車で駅まで向かいました。そして娘の帰宅時間には本降りの雨天気予報当たったわ。私
久々のアウトレットー♡久々のゴンチャ父と娘とわたしの3人で行った(母はパートお買い物は圧倒的に母親と行くのが楽しいんだけどパートだから残念だった😭しかし私の父、育メンというか孫ラブすぎて大活躍😂🤍階段をひたすらのぼりおりしてくれてずっと娘の面倒をみてくれた〜わたしは大好きなセルレでたくさん買い物しました🤍こんなに買って2,800円さいこーーーー頑張ってくれた父にTシャツをプレゼント🎁母は料理やお菓子を娘に色々作ってくれるし父は娘と遊びまくってくれてほんとに感謝🥺子ど
短編映画「岸辺のふたり」を観ました。セリフがない、たった8分の映画。レトロな音楽にモノトーンに近いタッチで描かれたアニメーション映画。幼い少女が父親を想い続ける人生を描いています。セリフがないから、観た人のグリーフにふれて、いろいろなイメージが膨らみ、受け止め方も人それぞれだと思います。FatherAndDaughter-2000AcademyAwardforAnimatedShortFilm-YouTubeyoutu.be*・。*・。*・。*・
こんにちは遠距離両親と中学受験勉強フォロー中の主婦ミリーです。こちらのブログは2026中学受験に向かうぽん吉が主人公。将来起業することを目標に中学受験勉強をしています。自分の将来の目標を達成できる中学はどこかを探しながら登場人物ミリー主婦ぼん吉小学5年生負けず嫌い。趣味が多い。天然水、天然木集め中。鉄オタ。困った人がいるとすぐに解決策を考えて手助けをして喜んでもらうことに生きがいを感じている。両親の困り事が発生すると、家族で真っ先に行動。リリー公立中高一
前回までのお話は『【とうとう来たよ!天罰が下った義兄⑦】』前回までのお話は『【とうとう来たよ!天罰が下った義兄⑥】』前回までのお話は『【とうとう来たよ!天罰が下った義兄⑤】』前回までのお話は『…ameblo.jp義姉のご両親が拒む義姉の元に行きまず…お父様の方がギューって抱きしめたと聞きましたそんな事するの幼少期以来で…義姉は優しい方でしたがそれなりに父親に対し反抗期じゃ無いけれど”父と娘”って感じで1つ距離
パパが遺した物語2015年10月3日公開父親の大きな愛情に温かな涙が溢れる、父娘のかけがえのない愛の物語。あらすじ1989年、小説家のジェイクは自身が起こした交通事故により同乗していた妻を亡くし、自身も入院する。やがて退院したジェイクは、しばらく義姉のエリザベスに預けていた7歳の愛娘ケイティに、「ずっと一緒」だと約束する。だが、ジェイクもまた事故の後遺症で発作に苦しむようになっていた。エリザベス夫婦はこれを危ぶみ養女としてケイティを預かろうと養育権を取る訴えを起こすが、ジェイクは頑なに拒み
こんばんは。子供の就寝で寝室に一緒に来ると、一緒に寝てしまいたくなる父です一緒に来ないと怒られるので、泣く泣く来ます水筒は先ほど洗ったのですが、洗濯物を干す作業が残っていますドラム式洗濯機の乾燥が最近時間がかかるので、干しも混ぜながら、、、水筒洗うのって、かなり面倒くさいですよねさてさて、だいぶ眠くなってきたので、家事も残っていますし、ブログを書いている場合ではないのですが、読者の方、あっ毒者の方が、んー50人くらいは待っていらっしゃるので、あつまれどうぶつの森
2015年にCOPDと診断された父。2022年7月から増悪を繰り返しその度に入院しました。いよいよ主治医の先生から治療の余地がないと言われそれでも前を向いている父。そんな父と娘の記録です。あっという間にGW終わりました。前回も母の受診日にブログ書いてます。うん。待ち時間が長いからだな😅父の闘病を残したくて始めたブログ。最近は母の方が色々ありブログに書くことが多いです。両親は落ち着いてます。一番有難い事です。母は義肢さんから靴とオーダーの中敷きを買い履きやす
ゴールデンウィーク後半私の実家がある秋田へ帰省してました。私の実家は秋田市内ではないそこから数十キロ離れたド田舎です。行く場所がないので、父と娘と私そして実家の番犬連れて山形旅行へ行ってきました。なぜこの3人かと言いますと夫は今回自分の実家でのんびりとして頂き、私は私で実家でのんびりしようとなりました。私の生い立ちまた簡単な私の生い立ちになりますが、(以下読みたくない人は飛ばしてください)私の母は、私が16歳の時に早逝しています。享年39歳でした。思春期の母の死は15
10編の物語新国立劇場・PIT。3ヵ月かけて、10の物語が演じられる。この日は、2と4。・選択の物語。・父と娘の物語。演出は、上村聡史。50~1時間。演劇鑑賞力が試されるね。1と3だけ買っていない。理由は特段無いのだが。あえて全部観ない方が。洒落てるかなと。
お詫びでなく報告に亡き旦那さんが大切にしていた松を枯らす羽目になったことの報告にお墓へ謝らないよーだって不可抗力だもんねまあ〜彼も分かってる?きっと「怒っても仕方ない」って言ってるよそれが、、、証拠に今日のお墓の周りの気持ちいいこと連休だと言うのにこの広いところにまあ〜誰も居ないしばらく歩いてこの空気存分に吸って帰ろう〜帰るともっと!もっと元気になることが一昨日お嫁さんが注文してくれてた『大人の休日倶楽部』が届いてました私が手に入れられないのを想定して
こんにちは〜ゴールデンウィーク皆さん旅行✈️🚃したり、イベントや山登り、潮干狩りをして楽しんでますかぁ😊私は、明日まで仕事ですゴールデンウィーク中は、そこまで忙しくもなくて私も仕事休んで遊びに出掛けたいなぁーと思いながらも、お客さん来てくれるので客商売の辛さを乗り切るために、手作りキットで作業していた作品が出来ました🦜鳥をイメージして何かを作りたくて、こちらの2種類を完成しましたこの間は、海の生き物🐙🐚🐠🐋🪼🐡をテーマに8枚作り、お友達家族にもプレゼントしましたコースターを作りな
博多どんたくの夜遠くから、にぎやかな音楽とアナウンスが聞こえてきた。窓の外に目を向けると、花自動車が走っていた。「博多どんたく港まつり」が始まった。娘と彼氏のねすたに声をかけ、一緒に外を見た。「きょう、ねすたと博多どんたくに行くんだけど、パパも合流する?」。最近、娘は自分たちのデートにパパを誘ってくれる。もちろん「YES」。親子で「どんたく」に行くのは、何年ぶりだろうか。夕方、どんたくの本舞台がある福岡市役所前広場で待ち合わせ。3人で人混みをぶらぶら歩きながら
ドタキセル+フェスゴ(トラスツズマブ、ペルツズマブ)の3回目を受けてきました。血液検査は無事に通過さて、先生の診察です。診察変わりはないですか?との問に下痢は、出してもらった薬でコントロールできてます。薬は、この前頂いたのがあるので、大丈夫です。先生、足の親指が腫れ上がって歩くのが大変なんですが、保湿剤塗るしか方法はありませんか?腫れちゃうのね。顔に出してるのより、もうちっと強いのあるから、それ塗ってみて。あるんか〜い前回も話せばよかったでもこの前は、き◯痔の事で頭がい
今朝も父に会えました。今日は休日でバスのダイヤが違って遅いので、一緒にいられた時間は30分だけ。今日の父は、随分呼吸が苦しそうでした。何度も何度も、酸素のチューブを触って、何か言いたそう。今日も目を開けてくれて、私の顔を見て、胸にトンと手を置いて、胸が苦しいって意思表示なのかな。何度も目を開けて、胸に手を置いて、酸素のチューブを触る。胸が苦しいから酸素量を増やして欲しい?何?何が伝えたいの?わかってあげられなくて、すごく心が苦しい。絶対に、私に何か言いたいんだと思う
叔母に言われた言葉。「お父さんに会いに行ってたら容態の変化に気づいてなかった?」最後に父と話したのは年末だった。あの日、父は近所のコンビニまで1人で歩いて買い物に行って、両手にいっぱいの買い物をして帰ってきた。私の息子と3人でお昼ご飯を食べた時、12月だというのに、父は大量の汗をかいていた。あの時、もしかしてもう、体調が悪かったんだろうか?どうして気づいてあげられなかったんだろう。どうして、もう少し気にかけなかったんだろう。夜になると、いろんなことを考えてしまう。今更
過呼吸で倒れる「みそ汁が歩きよる」娘は中学時代、校内でこんな言葉を浴びせられていた。部活では周囲に無視され、いつも1人で弁当を食べた。机の中には「死ね」と書かれたメモ紙。僕には隠していたが、12歳の心身は耐えきれなくなっていた。ある朝、登校中に校門の前で過呼吸を起こして倒れた。保健室に駆けつけると「ごめんなさい。パパに心配をかけたくなかった」と告白した。あれから9年。娘は大学4年生になった。「学校は地獄。学校なんて大嫌い」と言っていた娘だったが、学校が大好きに
おはようございます。今日も始発バスに乗って駅まで、電車に乗り換え、またバスに乗り換えて、父の面会に行ってきました。6時に家を出て、病院に着くのは7時半過ぎ。遠いんだよなぁバスで30分ほど移動して、駅に着いたら病院に電話。誰も面会人がいないかを確認した上で、電車に乗って移動。その後、急いでバスに乗り換えて、病院に到着。だいたいいつも9時前後に叔母が来ると看護師さんが教えてくださったので、8時15分くらいまで病室にいて、8時半のバスで帰ります。今日の父は、結構目を開け
おはようございます😊シンガポール在住のGakkoです。ただいま、両親が来星中。3週間滞在予定なので、ゆっくり楽しんでもらおうと毎日アテンドしております。旅行好きの両親は、私が引っ越してからシンガポールへは多いと年2回遊びに来たり、最長で1ヶ月滞在したりしたこともあるのですが、今回父は初めてプールデビューしました。初めに宿泊していたマンダリンオリエンタルホテルのプールがとても気に入った様子だったので、海の見えるプール付きのレストラン「STELLASEASIDELOUNGE」
4月13日私の父親は65年間板金屋をやってました去年引退今は人生最後の大仕事として自分の工場の屋根ふきを子供の頃は職人気質の頑固オヤジ父が嫌いでした…よく喧嘩もしましたいっぱい迷惑もかけたchanみき親孝行したい今回父親の年齢も考えて手伝う事に①サビを落とす②錆止めを塗る③ペンキを塗るサビを落とす作業が1番体力使った…キツかったchanみきペンキ塗り初体験🤭ペンキ塗りは以外と楽しいかもw暑い中高い屋根に登っての作業が凄く大変なんだって思いましたました
4月28日ゴールデンウイーク中長女は、東京へ行き父(旦那)とディズニーランドへ混んでいても、楽しそうでした羨ましい!そして↓↓↓若いって凄いですね💦私なら体調不良になってると思います(・・;)ディズニーランドの様子はこちら❤️ViewthispostonInstagramApostsharedbyまちこ🌸(@machikosan714)にほんブログ村
こんばんはやっぱりGWの帰りは遅い毎日1時間練習は、1日休んだような気がしますが何とか続けてますという事で今回のYoutube動画は、前回の続き距離が短いとスコアは出るのか??後半戦・ラスト5ホールです前半4ホール終わって娘1オーバー・父2オーバーですまさかここから父がアンダーまで頑張っていく姿を見てください全ショット見せます・距離が短いとスコアは出るのか?後半ラスト5ホールで父が3バーディー。親子ラウンド名神栗東CCアウトコース5番H~9番H編JLPGAティー
アルノ・マラロン監督によるアメリカのサスペンス映画。出演はジュリアン・ミシェル、スティーヴン・バウアー、ジョン・サヴェージ。<あらすじ>サマンサは母の死の真相に迫るために故郷へと戻った。葬儀屋のドレイクに会い、実家で父と会う。彼女の脳裏には母を虐待していた父の姿と銃を手にした自分のイメージが残っている。父に引き留められ、数日家で過ごした。彼女はドレイクのところで仕事を貰うことになっていた。サマンサは当時8歳で事件の詳細を覚えておらず、すぐに伯母に引き取られた。伯母は父が犯人だと信じてい
私のお父さん1年前に腎臓にできた腫瘍をとったその後は3ヶ月、半年検診へとしていたもうちょっとで術後1年経とうとしていた矢先だった…しかし…今回新たに…肺に影が…数個あったという1cmぐらいのと1cmみたないもの1つだけだったら手術ができると何個かあるのでできないと…なんで?人間は癌に攻撃しようとする力があるのでそれを抑えるのと腫瘍を大きくしないようにする点滴をするという2週間に1回とか4週間に1回とか母親に何度確認しても抗がん剤ではないという副作用もほぼないと
お立ち寄りくださりありがとうございます。母・ヒデコについていいなぁと思うことやいろいろとごきげんに過ごせる工夫を探してまとめていこうと思っています。※私は2020年に右目が見えなくなりました。そこから学んだこと、気づいたことについても触れていこうと思っています。先日実家で母、ヒデコが大昔に勤めていた会社の広報誌が出てきたので読んでみました発行年をみると1968年。今から56年も前。私が生まれる前の20代のヒデコの文章。思い出をいろいろ載せただけの文章だけど、私の知
元「あいのり」出演者「おまみ」ことアーティスト前田真実(まえだまみ)のブログですインスタ📷TikTok🎵海外での展覧会を中心に絵を描いたりシンガーソングライター東京世田谷に構える夫のフレンチレストラン【松陰神社前ゴンアルブル】9歳の女の子のママです🌷いつもこのブログを読んで下さりありがとうございますみなさんと一緒に幸せでありますように今日はフリースクールだったのでパパがお弁当を作ってくれましたいつもとっても美味しそうで娘がうらやましいた
母について書いたので父についても書こうと思います。『母という存在♡存在まるごと愛してる』今週末には自宅に戻り、来月末には新居に引越しという慌ただしい春〜夏になりそうなふくもとなつみです😆ばぁばにお子をお預けしてスタバでメロン🍈飲んだ日✨これからは…ameblo.jp昨日、お父さんがこう言った。「(孫を見ながら)パパもメロメロやろう。やっぱり娘はいつまでもかわいいわ」と。私は笑ってごまかした。照れたからだ。でも、嬉しかった☺️父はなかなかの苦労人で親がいろいろと難ありの人だった
父方の遠い親戚のミチコおばさんの作る卵焼き先日、東京にいる父のいとこたち3人が集まりお土産に卵焼きをいただいたきれいなのよ左から椎茸チーズかぼちゃ私は絶対に真似できないある意味芸術的な卵焼きいつものように美味しくいただきましたふきとぜんまいご近所さんから立て続けにいただいた我が家ではほとんど食卓にあがらない食材なのは母が調理しなかったから私も調理することはほとんどない父は変なところで気にし屋さん『○○
大海原で釣りをする。大物、大漁、高級魚なんて望まない。5段階で3の下級、2でもいい、1もアリかな...あっ、掛かった。ランクは2の感じ?これでいい、今日、明日くらいは生きられる。約束は、午後7時半、私の目印は右足首に赤いリボンがついた黒のハイソックス。名前は偽名。呼び捨てで2回呼ぶのがサイン。「パパ、夜ごはんはパスタがいいな。」と返す。本人確認完了。誰が見ているか、聞いているか、わからないから父と娘のやりとり。今夜の人は41歳。父親よりひとつ年上。道中は娘のままでいいから楽勝