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過去人気記事随時更新(2025/05)アジアお届けジャンルで1位~10位獲得CT検査の結果人気記事CT検査の結果尿カテーテル、どうする?骨粗鬆症の防止に幼児のパワーアップやっ白血球が激減台南・周氏蝦捲台南・牛肉鍋(牛五臟)公式ハッシュタグで1位~10位獲得
まもなく神様の国へ行くと大真面目に考えていた日々こんにちは前回の記事で『神様のこと』神様のことこんにちは******死生観とか宗教観とか先祖代々受け継がれてきたものとか一人ひとり、いろいろだと思いますが私の場合特定の宗教…ameblo.jp生きること、死ぬこと、天国のこと、神様のこと、を、ずっと考えていたと書きました。本当を申せば、生きることはもうあまり考えていませんでした。ここまで悪くなって再び社会に戻っ
神様のことこんにちは******死生観とか宗教観とか先祖代々受け継がれてきたものとか一人ひとり、いろいろだと思いますが私の場合特定の宗教の信者でもなく信仰心を持って生きてきたわけでもなく外国人に日本人の宗教観を説明する際の、典型的な日本人像そのものでして神道(お宮参りや七五三)で生まれ神前又はチャペルで結婚を誓い、クリスマスを祝い(12月だけ1億総クリスチャン化)正月は神社に初詣に行き仏教で終わる(お寺での葬
無菌室からでて1ヶ月半突然退院の目処がたったGVHDが落ち着いており、血球も安定してきているとのことで2度程外泊許可もおり、退院前検査も残りわずかとなり、これ終わったら退院できるかもと一、二週間前に突然退院できるかもと聞き驚き入院期間は半年程と聞いていたが、4ヶ月ちょっとで退院目処が(一度延期もしているので入院前検査が減った分少し短いのか?)ぼうちゃんの機嫌や体調もどんどん回復していき、モチベーションも上がっていた苦手なのはお風呂に入る時にCVを保護する防水テープ肌が弱く
大部屋から移動してきて1ヶ月半無菌室旅立ち前日から荷物をワゴンに積んでおり9時前にはいいよーと言われ移動てか前日に9時に移動して共同風呂9時半の札渡されてバタバタになって入れないだろて思ってたので7時ごろ起きて機嫌整えて早めにご飯食べ始めて(ご飯食べるのに軽く1時間以上かかるw)お風呂入れた、シャワーだが9時部屋移動ぼうちゃんは1ヶ月半ぶりの廊下前日に師長さんから個室埋めときたいから無菌室にいてくれと言われてうきうきだったが翌日には設備点検が入るからでてくれと個室も快適で
震える体と家族との面会こんにちは移植後ずっと続く口内炎と下痢「痛い思いをするなら食べないほうがマシ」「どうせお腹が痛くなって辛い」と脳が覚えちゃったのですかね。病院食を止めてもらってもう1ヶ月以上経つのに「食」へ意識が全く向かいません。午後の紅茶のレモンティーと栄養剤の点滴で生きています。そのせいなのか?最近体が震えるようになりました。(薬の副作用ということもあったらしいです。)特に手の震えが顕著です。そんな中
中国で研究が進んでいる本山葵のバイオ苗作り・・・2006年の時点で既にバイオ苗が完成・・・それから19年の間にバイオ苗作りは進歩したかな?小さい苗から育てるのが結構大変、無菌室から苗何処へ定植、それから畑に再度定植する。
画像/PETA以下に、引用元動画をシェアしました「一緒」きさらぎや猫出口探す実験室3/28きさらぎやわれ出口探す無菌室3/28抗がん剤治療第4クールでは31日間、私は無菌室に閉じ込められた。無菌室からどうしたら出られるか、毎日私はその方法を探していた。あの状態の私は、まさに実験施設や工場農場に閉じ込められた動物たちと同じだった。どうしても病院から出られなくて、私は毎日泣いていた。動物たちの気持ちが真に分かるために、私は閉じ込められたのかも知れないと、退院してから、思うようになった
輸血と血液型のことこんにちは移植後、輸血を頻繁にしています。私の血液型は移植後、ドナーさんの血液型に変わりました。輸血の際、血小板はもともとの自分の血液型で赤血球が、ドナーさんと同じ血液型になりました。この時は移植前なので、もともとの血液型での輸血でした。『初めての輸血〜献血ありがとう〜』入院day14生まれて初めて輸血を受けました。輸血のパックを見上げながら感謝の思いが込み上げました。ある日、「献血に行こう」と思って、献血してくれ
まさかスルー?それはないだろうよこんにちは🌸痛み止めに、医療用麻薬を使うことになりました。使うのは2種類。点滴で入れるタイプとフラッシュというタイプ。医療用なので常習性とか心配いらないそう。痛みの程度を看護師さんに伝える時、1から10の段階でどのくらい痛いのか、辛いのかを伝えるのですが、6以下にはならない今日この頃。なんとなくずっと痛いから、いつ入れて欲しいか、のタイミングもよくわからなかったりします。慣れている方だと、痛く
【涙の訴え!?】私を見ていてほしいのこんにちは昭和の歌謡曲みたいなタイトルをつけちゃいました******無事にでも平均より遅く生着しました。だからってなんとか生きているそんな状態点滴のために首から挿入しているCV(中心静脈カテーテル)も入れてからそろそろ長期間になって来たためそこから感染を起こす可能性があり、入れ直すことになりました過去3回入れましたが、主治医の先生はうまく入れてくれていました。C
入院中はこちらも利用させて頂きましたキープママスマイリングさんの「付き添い応援パック」いろんな企業さんの入院生活に役立つアイテムや食品が入っているパックです届くと思っていたよりボリュームがあり嬉しくなりますありがとうございます🙏付き添いのご家族へ|キープ・ママ・スマイリング付き添い入院をするご家族への支援のご案内です。支援物資の申し込みや掲示板の活用、ハンドブックのダウンロードができます。momsmile.jpあとはCV手術から1ヶ月するとCVカテーテルカバーが必要になります
入院3日目HCU(無菌室)に転室しました今日から此処が私の棲みかです入口側から見る手洗いの水は滅菌水トイレは奥にありシャワーは無し奥から出入口側を見る広いナースステーションが中央にあり囲むように個室が8室重症患者が少ないのか意外に静かどこかでモニター音が聞こえる位こんなのは使いたくないな左耳に5個位ピアスを並べた男性看護師が新人を伴って挨拶に来たどんな容姿でも仕事さえ出来れば私は文句言わないよ未だ抗がん剤が届いていないようで点滴は午後になりそうだ昨日のPET-C
入院2日目·採血·PICC挿入·PET-CT·リハビリ担当者と面談色々と大忙しの一日でしたしかも痛いことだらけ明日から大量抗がん剤投与でHCUの無菌室に入室します副作用との闘いが始まります頑張れ👊😆🎵私ブルーベリーたちが待っているぜどれが何の写真か分からなくなったけど今年は皆んな沢山咲いている旨く受粉出来ると良いな退院したらネット張らなくちゃ。
心臓モニター装着こんにちは心臓の動きをモニターする機械を装着することになりました。胸部に吸盤で電極?を貼り付けて、本体はポシェットに入れて肌身離さず。データはナースステーションに送られて24時間モニターされます。シャワーの前後に、取り外し、取り付けしてもらいます。自覚症状がなくてもこの心臓モニター、結構鳴ってしまうの咳をした時トイレに行った時ただ横になっている時にも私の心臓、疲れちゃっていたのかな?首のCVカ
過去人気記事随時更新(2025/04)アジアお届けジャンルで1位~10位獲得人気記事幼児のパワーアップやっ白血球が激減台南・周氏蝦捲台南・牛肉鍋(牛五臟)歩けるかな?部屋からの脱出を試みる・・・台湾でクラフトビールを飲みたければ金色三麥食事は大事病棟廊下に響き
今日も今のところ熱が出ずに調子よいので2023年初夏急性骨髄性白血病と診断化学療法→寛解2025年1月再発→現在、入院治療中抗がん剤治療→4月末移植予定現状、お世話になっている病院では移植ができないので、ここを出たら、転院します。転院先の病院はどんな感じなのか、めちゃくちゃルールが気になっております。今、お世話になっている病院はクリーンは個室しかないから、大部屋希望なんだけど、個室へ自動的に振替されるんだよね。だから、ベッド差額も取られなかった。
なかなかブログ書けず…あっという間に桜🌸の季節だわ~、早っっ2023年初夏急性骨髄性白血病と診断化学療法→寛解2025年1月再発→現在、入院治療中現状報告1月年明けに入院して、シタラビン大量療法にて、抗がん剤治療をしてたところまで、前回書いておりました。バレンタインデー過ぎ、寛解が確認できたので、一旦、退院。そのまま移植に移行のため、半年戻れないかも~が、ちょっと予定がかわりました。ドナーになる予定の弟の検査にちょっと時間がかかり、移植までに時間が
【レントゲン】無菌室ならではの光景こんにちは咳が出るため胸部のレントゲンを撮ることになりました。検査室は別フロアにあります。無菌室に一旦入ると、簡単には部屋の外に出られないと聞いていますが🤔なんとレントゲンの方から部屋にやって来てくれました!無菌室ならではですね検査室から技師さんが大きなレントゲンを運んで来て狭くて大変そうだったけどベッド脇の窓の外に本体からロボットアームというかクレーンの先についている
えっ?違うよねこれは仮初めの帰宅じゃないよね血液内科病棟が私のほんとの家だったとしたらと寒気を覚える考えが浮かんだこれは仮初めの帰宅じゃないよね私は元の世界に帰って来たんだよねまた、あの病棟に行く日が来るような気がして身震いした取越苦労であるべきだ引き摺ってるならあそこの看護師たちにやられた後遺症だうじゃうじゃ鬼がたむろってるあんな所に戻るのなんて御免だコンクリートの天井私の寝床豚の枕静かなファンヒーターの音ここが私の居場所あの狂った病棟の無菌室じゃないま
【移植後】毎日の発熱はつらいよこんにちは移植後、5日目から徐々に熱が出始めました。1日に4回検温タイムがあるのですが主に朝・夕の2回に、39°前後までパーンと熱が上がるんです。だんだん寒気がしてきて、やだー来ないで〜と思いながら測ると、39°前後の熱が出ているんです薬をのむと少し下がるけど、効果が薄れてくるとすぐにまた熱が上がってくる。解熱剤は、同じ薬と薬の間は最低6時間空けることになっていたと思いますが、そんなに持たな
自家造血幹細胞移植のちょうど移植日…約2ヶ月の入院予定で、無菌室。感慨深い。。主治医からは、抗がん剤治療4回後に行う移植。移植が治療の『メインイベント』って言ってた。移植後は体力が50〜60%落ちます。とも。(あれ!?数値合ってるかな!?💦)初回抗がん剤で、腎臓の数値があがって中止になり、弱い抗がん剤に変更になってたから、先生に『移植で使う抗がん剤は、本来より弱いものを使うんですか』ってきいたら、『変更はしません』って手加減ナシ。強力大量抗がん剤。移植前までには、腎臓数
移植後のトイレ事情の救世主「セレブ」様こんにちは今日は移植前後の体調や「セレブ」様様のお話です水分と栄養分を大量の点滴で入れているため、前処置の頃からトイレがものすごく近いです。放射線治療の時も膀胱が割れるかと思うくらいトイレに行きたかった『【放射線治療】ずっと忘れられない日たぶん・・』【放射線治療】ずっと忘れられない日たぶん・・こんにちは<ジューンからお知らせです>*プロフィール画像を
【移植日】終わって与えられて始まるドナーさんの骨髄が入ったパックを主治医が私の点滴棒にセットしてくれている。私はベッドに横になって見上げている。「では、始めましょうか」主治医の言葉で、点滴が始まりました。*骨髄移植は、点滴と同じように行われます。手術のようなことはしません。骨髄の点滴の始まりはこれまでの私という人間の終わりでもあります。私自身の造血機能が、止まりました。これまでの「生」とはお別
移植前処置とクライオセラピーこんにちは骨髄移植のために無菌室に入院入院後すぐに点滴のためのCVカテーテルを首から入れてまずは大量の水分と栄養の点滴。入院3日目から移植前処置が始まりました。前処置の内容は各患者によって異なると思いますのであくまでも私の場合として参考までにお読みくださいね。〜〜私の場合〜〜最初の5日間はフルダラを1日30分間。6,7日目はアルケランを15分間。どちらも、点滴自体は変わったことはないのですが、アル
やっと手に入れたゴールへの切符退院患者へ渡される冊子をようやく手にした私。中身を読んでいくとかなりの制限が・・・・何といっても一番ショックだったのが食事系です。食べてはダメなもの無菌室患者はもともと食事内容に制限があります。下記のものはNGですね。生肉・生魚・生卵納豆生クリーム・生菓子(大福・団子など)生サラダ・フルーツ(可能なものあり)カビを含んだチーズ(カマンベール・ブルーチーズ)発酵食品個別包装でない干物・漬物・燻製*
退院へ向けて薬の調整も紆余曲折はあるものの採血結果は概ね良好となり具体的に退院へ向けて動くことに!やった~栄養士さん、ドクターとの面談で退院後の生活について打ち合わせをすることに。私自身は採血をして血球数の確認をし最後の吸引をおこなって問題がなければ無事退院となります栄養士さんからのアドバイスは?私は心のう液を排出するために利尿剤を飲んでおり体内のミネラルが尿と一緒に排出されています。特にカリウムとマグネシウムが減って
【珍習慣?日付を書く人】こんにちは今日は、無菌室に入ってから今日まで続いているある習慣について書きます。ちょっと珍しいかもしれませんが慣れると便利です無菌室では、ペットボトルの水の開封後の消費期限は24時間です。ちなみに缶は6時間以内、紙パックはその場で飲み切れなければ保存不可。必ずコップに移して飲むことになっています。口の中が痛くて飲めないでいると、もう24時間経った?なんてこと、よくあります。しかも、いつ開けたかに気をつけている余裕
この頃、アメブロを知る。一卵性双生児のときからおそらくみていたのはアメブロ。いつもいつもお世話になっておりますアメブロさん。。。だからおそらく知ってはいたけど、特にブログを書いたり知らない人たちとわざわざネットで知り合う必要もないと思う方だった私。リアル友達がいてくれれば十分。ネットでキラキラリア充、現実は違う、みたいな印象もあってそうゆうことはしたくないと勝手に思っていた。白血病の情報はおもにアメブロから得て
私は、食品ロス削減と食料支援の活動をしている。その理由は大きく三つあるが、今回はそのうちの一つをお話ししたい。それは、「食べられることのありがたさを、心の底から実感した経験」があるからだ。その経験とは、高校2年生のときに受けた“余命3ヶ月”の宣告から始まった。突然のがん宣告と、余命3ヶ月1995年、高校2年生になったばかりの春、私は体調を崩した。最初は風邪のような症状だったが、次第に身体が思うように動かなくなり、病院で検査を受けることに。4月中旬から検査が始まり、4月下旬には入院。そ