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横手市は秋田県県南で最も栄えているところでほぼ毎日通っている。イオンが2店舗あり、ドンキホーテ、DCMもあり今月末にはコメリのパワー横手店が開店する。食べるのも全国チェーン店の出店が秋田市の次に多く、𠮷野家、丸亀製麺、マクドナルドの路面店、びっくりドンキー、Cocos、コメダ珈琲があり2月末には松屋と松の屋が開店する。地形としても珍しくて、南側から西側にかけて溜池が数多くある。横手市の辺りになると秋田県の最大の川である雄物川が相当西側に流れている。雄物川の支流である横手川も北東から北に流れてい
白河の関(福島県白河市)及び念珠(ねず)ヶ関(山形県鶴岡市)と並んで奥州三関のひとつに数えられていて、かねてよりその名前の響きに惹かれるものがあった勿来(なこそ)の関(福島県いわき市)を訪ねるべく、勿来関跡「来る勿れ」(くることなかれ)の勿来関|白河の関(福島県白河市)・念珠ヶ関(山形県鶴岡市)と共に奥州三関のひとつに数えられている、勿来関の跡地です。「来る勿れ」(くることなかれ)という枕歌で知られる文学上の関として知られています。周辺は県立勿来自然公園に指定されており、四季を通して楽しむこ
八幡社を訪ねた先で大きなおかめさんに会ういつもご覧くださる皆様、本当にありがとうございます。心から感謝致します。皆様にとって良い事がたくさんありますように!先週に引き続き、気になる神社に行きました。今回は、別小江神社というところで、私が気になるのは、境内社の延喜八幡社です。☆別小江神社(わけおえ)・所在地:〒462-0023愛知県名古屋市北区安井4丁目14−14・地図:GoogleMapsFindlocalbusine
国道1号線を西へ向かいます。橋の上から眺めた矢作川と矢作神社の御神域。橋を渡った袂に、出合之像があります。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー出会之像太閤伝説日吉丸と小六日吉丸(後の豊臣秀吉)は、尾張国中村(今の名古屋市中村公園)の木下弥兵衛(弥助)と妻のお仲の子で、八歳の頃から奉公に出されましたが、十二歳の時の奉公先の陶器屋を逃げ出しました。家に変えることも出来ず、東海道を東へ下る途中、空腹と浸かれで矢
真夜中にいきなり発見して慌てて行った八幡神社のこといつもご覧くださる皆様、本当にありがとうございます。心から感謝致します。皆様にとって良い事がたくさんありますように!自分が何らかのことで関わっている土地(最大では都道府県レベルまで)で、その土地の鎮守様以外でも、自分の研究に関する寺社は必ず行くようにしています。ここ数年、愛知県に関わっており、何か所か寺社にお参りに行かせていただきました。25日の夜中のこ
千葉県流山市に位置する諏訪神社に初詣お正月らしくお鏡餅源義家と献上馬のスタンプが創建は平安時代1200年以上の歴史ある諏訪神社深い森に囲まれ神聖な雰囲気を感じます地元民からおすわさまと呼ばれ親しまれている神社平安時代の武将源義家が奥州戦勝後の帰路に諏訪神社へ立ち寄り馬を献上したという伝承御祭神は建御名方富命タケミナカタノトノミコトお詣りの人が行列をなしていますおみくじは大吉でした結んできました生きている人がたくさん初詣鳴
豊四季の諏訪神社は地域で尊崇されている神社です。近くを通りかかったので、お参りしました。お正月から半月が経っていますが、たくさんの人がお参りしていました。野田市の古い石の道標に「すわ」と書かれているのを見たことがありますが、かなり広い地域で尊崇されてきたということがわかります。柏の布施弁天のあたり(旧・有料橋)の利根川の河岸から流山の江戸川の河岸までをつなぐ道を「諏訪道」と呼ぶそうですが、それは諏訪神社にお参りする道でもあったからだそうです。長い歴史にふさわしく
河内源氏は、源経基から始まる清和源氏の一流。経基の孫頼信が河内国壺井を根拠地としたことに始まります。初代頼信は、1028年(長元元年)に房総半島で起こった平忠常の乱を鎮圧。乱後、坂東武士たちと主従関係を結び、後の東国支配の礎を築いています。二代頼義は、平忠常の乱で活躍し、平直方から鎌倉の地を寄進され東国支配の拠点としました。三代義家は、石清水八幡宮で元服したことから「八幡太郎」と呼ばれました。1063年(永保3年)から始まった後三年の役を鎮圧し、武神と崇められました。☆☆☆☆
今日は朝から晴れの1日となった。晴れたが気温が上がらず寒い日に…明日は気温は上がるが風がまた強くなるようなので気温ほど暖かい日にはならないみたいだな😥今日は先週の土曜日のブログの続きを…福徳神社の創建年数は不明だが859年から877年にはこの場所に鎮座していたようだ。源義家(※)や太田道灌といった名だたる武将が参拝したと伝えられており、1590年に江戸に入府した徳川家康も何度か参拝した記録が残っている。太田道灌はよく出てくるな😅※源頼朝の5代前にあたる高祖父の父(玄祖父)鳥居の前に芽
例年地元の諏訪神社にて、新しいお札を受け取り、古いお札を納札所へ納めることにしている。新年が「午年」であることより、例年以上の混雑が予想されるので、大晦日の昼間に「初詣」した。旧年中の無事と無災難に感謝をして、新年の家内安全などを祈願した。流山駒木に鎮座する諏訪神社は、大同2年(807年)の創建と伝わり、約1200年の歴史ある古社。「駒木のおすわさま」の名で親しまれ、広大な鎮守の杜に囲まれている。本堂の脇に、御神水の水取りができる場所がある。お札と御神水を自宅の神棚に供えることにしている。
毘沙門天の八幡神社(足立区千住宮元町3-8)。千住七福神で一番小さい神社。源義家が奥州討伐に赴く際、隅田川の渡し場に白幡を立て戦勝祈願したことに因み「白旗八幡宮」と呼ばれている。宮元町の鎮守として、また財運隆昌の毘沙門天として親しまれている。
今、大宮の病院に弟が入院中なのでほぼ毎日お見舞いに行ってます初詣をした病院近くの、おしんめ様へ行った時に興味の沸いた義家の箸立て伝説…何処に立てたのか探したかったんですが元旦は混んでいてあきらめてやっとチェックできました石碑が立っていました肝心の大杉は立ち枯れて、その姿…ちょっと、と言うかたいへんに悲しい姿でしたが…なんとか当時の技術で残せなかったのでしょうかhttps://www.city.saitama.lg.jp/kita/001/0
十年以上ブリに自宅ではなく実家で年越しをしました家庭の事情というか介護の事情で、ですが紅白を見ながら年越し蕎麦を食べて典型的な日本人のカタチ愉しかったですそして歩いて母校(中学校)の近くに在る神明社へ初詣しましたなかなか混んでました中学時代は特に寺社に興味無く、まったくおしんめ様の存在を知りませんでした…あの頃は映画が好きでしたって今でも大好きですがうんちく板を読むと源義家伝説のことが書いてありました八幡太郎義家が此処に箸
こんばんは~🌃今年も残すところ数十分1年間ありがとうございました拙い記事を毎日更新してきましたが今年はパート時間を増やしたこともありなかなか大変でいろいろ弊害もありましたので来年は少し考えようと思っていますさて今日はちょっと和風に世田谷線散歩の続きです前回までの記事はこちら↓『世田谷代官屋敷☆世田谷線散歩②』こんばんは~🌃世田谷線散歩の続きです世田谷線HPより↑松陰神社前駅から再び世田谷線に乗り2駅先の上町駅でおりました5分ほど歩くと着くのがこちら↓「世田谷代官屋…ame
こんにちは!街はイルミネーション慌ただしくも楽しい師走の空気(^.^)冬本番あったかくしてお過ごしくださいね♪早速ですが、前回の続き『#44【宇佐神宮】10年に1度の勅祭(2025·10·6)その①』こんにちは~(^.^)いつのまにか紅葉今回のお出かけ(10月6日)については特に投稿するつもりは無かったのですがあるブロガーさんが単に自分の思い…ameblo.jpもはや完全に季節遅れの内容です。。(キニシナイキニシナイ…(^^;)ゞただ、今回もしろう
令和7年6月半ば、鎌倉歴史文化交流での特別展、「平泉から鎌倉へ〜兵どもが夢の先〜」へ。(※『兵』と書いて『つわもの』と読む。)紫陽花(アジサイ)の季節でした。↓↓↓館内では、『撮影禁止マーク』が無いものならば、撮って良し!「前九年の役」から。↓↓↓陸奥守(陸奥国の国司)・陸奥国按察使(あぜち=領内の警察権力)・陸奥鎮守府将軍(東北での反乱を警戒する軍事部門)の三職兼任である『源頼義』の、“家臣”が何者かに殺される阿久利川(あくとがわ)事件が起こり、犯人は陸奥・安倍氏とされ、
東京の府中に泊まった翌朝、京王線府中駅前にあるホテル付近を散歩してみたら、マンションの建設ラッシュがものすごい勢いで進んでいました。あっちもこっちも工事中。京王線やJR南武線・武蔵野線などが通い、都心への利便性もいい府中の地は、近い将来マンションだらけになる模様です。府中の地が人気なのは、単に利便性だけではないようです。たとえば駅前には大國魂神社へと続く立派なケヤキ並木があり、利便性と自然環境に地域の歴史が根付いた印象的な街でした。ちなみにこのケヤキ並木、かの「八幡太郎」こと源義
6月1日日曜日茗荷谷でテストを受けました試験会場近くにこんなの発見「地学園」だそうです全景がこれ遺跡ではなさそうですテストの出来栄えはともかく墳活でエネルギー回復です。足立区白旗塚史跡公園本当に古墳?ちょっと舐めてました埴輪達ですこういうのは何処か破壊されているものですが、愛されていますね船も家もあります都会のオアシスです「白旗塚(現代訳文)」白旗の由来ですね八幡太郎源義家の名前もあります新編武蔵風土記稿足立編抜粋原文ですかね
10月23日の歴史源義家が武士としては初めて昇殿を許可される源義家(八幡太郎義家)後三年の役から10年後正四位下に昇進し10月23日には院昇殿を許された武士として初この10年間色々とあったみたいですがこの昇殿は結果は後三年合戦(内紛)をおさめたからやねんけど10年は長いですね義家60歳になってしまってます院昇殿を許されましたが役職=前陸奥守ままで昇進することはなかったそうです奥州での戦い義家の孫の孫である義経は奥州に援助されてる頼朝は欧州を攻め
義国神社青蓮寺から東へ少し行ったところ源義国ゆかりの地を訪ねたわけであるからここは是非とも行かねばなるまいと何やらあそこだ小さな祠あり確かに義国神社とある源義家の三男であり、立派なお侍の由緒あるその方であったある事件まではある事件『宮中に参内の途中、右大臣藤原実能の行列に会い、随身に無礼をとがめられたため、義国の郎等らはこれを恨み右大臣邸を焼き討ちした。このため、勅勘をこうむり、下野国足利の別業に蟄居を命ぜられた。』義国
境内の涌井戸の水面に映った月が綺麗だったことから「月見岡」と名付けられたと伝えられる。<主祭神>3柱応神天皇神功皇后仁徳天皇※こちらも仁徳天皇が祀られる!創建年は、源義家が奥州征伐の際に戦勝祈願をしたとのことで11世紀中ごろには存在していた。鳥居前狛犬は、向かって右が子獅子向かって左はシンプルに尾が綺麗1865年生まれつづく
【起稿2025年9月26日記事】※この記事で引用した画像は著作権に配慮し一部を除き削除しましたm(__)m皆さん、今日は秋の社日、「秋社」ですね...唐黍の風や秋社の戻り人(石井露月)「社日」は雑節の一つで、春と秋の年2回あり、古代中国に由来し、「社」とは土地の守護神、土の神を意味します☝この日は生まれた土地の守護神である「産土神」を祀る日とされており、春の社日には五穀の種を供えて豊作を祈願し、秋の社日にはその年の収獲に感謝します。日本の地方では、農村において「地神講」として地主
Googleマップに現れた謎の古道?「国府道」を二回に分けて「プチ街道歩き」を楽しんだ記事の第3弾です。ルートマップは↓の通り。他の用事のついでで歩いたため、先に後半部分を歩き、後日前半部分を歩いています。歩いた距離は前半部分(浜田山ー方南町)が3.7km、後半部分(方南町ー西新宿)がジャスト4㎞の、計7.7kmくらいでした。その2では、大宮八幡宮で厳粛な気持ちになってお参りした後、その参道の商店街で暑さにクラクラし始めたところまでをご紹介しました(↓再掲)。前回記事のラ
後三年の役(1083〜1087年)〜東北で起こった兄弟ゲンカ!?〜平安時代後期、今の東北地方で起こった後三年の役。名前だけ聞くと「え、何の役?」って感じですが、実は奥羽地方の豪族・清原氏の兄弟ゲンカが発端でした。🏯清原氏の内紛前九年の役で活躍した清原氏。奥羽地方を支配していましたが、当主の清原真衡の死をきっかけに一族内でゴタゴタが勃発。清原真衡清原清衡(異母兄弟、安倍氏の血も引く)清原家衡(もう一人の異母兄弟)どうしても親の違う兄弟が絡むと、争いが絶えませんね…。⚔️源義
源氏が祭った神々八十八社都内の神社めぐりをしていると、源義家や源頼朝が創建した神社、太田道灌や徳川家康によって創建したという由来を持つ神社をよく見かけます。調べていくと、おおよそ征伐の途次で神明明神に一拝し凱旋の折に一祠を築いたとか、奇瑞や加護によって勝機を得て戦捷後に勧請したといったものが多いようです。武家の棟梁や戦国武将たる彼らが何を思い、この江戸に神を祀ったのか。南は六郷、西は大宮、東は浅草、北は六月と広域にわたって確認でき、また祭神も様々で源氏の氏神に限らないようです。
源為義(1096~1156)は別称・六条判官、陸奥四郎。源義家の四男として生まれ、白河院に武力を買われ、鳥羽天皇や強訴への武力(北面の武士)となり、1124に検非違使になる。しかし、同じ頃、検非違使になった平氏の忠盛が受領を歴任したのに、為義は官位が上がらない。為義が昇進できなかった最大の原因は、本人と郎党による相次ぐ狼藉行為だったと考えられ、白河院の不興を被り無冠となる。一方、藤原忠実は「天下の固めであり受領になる資格がある」と高く評価したという。1146年正月、為義は10年ぶりに還任して、
8月8日の日本橋界隈の巡礼の続きです智泉院→日枝神社日本橋摂社→小網神社の次は兜神社へ〜今度こそ、兜神社に!🤣🤣🤣着いたぁ~😂兜神社ビルとビルの隙間にある小さな神社です入口には丸に兜鳥居⛩️小さな境内だけど、ちゃんと手水舎が有ります兜神社の社殿明治11年(1878年)東京証券取引所の関係者によって創建兜町と日本証券界の鎮守となっています御祭神倉稲魂命相殿大国主命事代主命相殿の大国主命と事代主命は三井家守護社の三囲神社からの勧請社殿神額と鈴緒兜石兜町名の
4月のお話です。4月最初の御朱印巡りは東京都北区へ!北区上中里に鎮座する平塚神社へ行ってきました。「武略神に通じ、騎射神の如し」と謳われた平安末期の英雄である八幡太郎源義家公と二人の御弟を元永年中(1118年)よりお祀りしている。拝殿の裏手には源義家公の鎧が埋められている甲冑塚がある。(ただしご神体のため非公開)とのことです。桜の季節の御朱印巡りは格別ですね~御朱印を拝受しました。社紋は扇なのですね。源義家を描いた浮世絵等にはこの日の丸?の扇
辻堂諏訪神社の前を通ると先日開催された諏訪神社例大祭の写真が掲示されていました実際見たかった山車人形の写真です東町:源頼朝西町:八幡太郎源義家南町:武内宿禰北町:神功皇后来年は実物がみたいな
8月4日出来事25年(建武元年6月22日)-劉秀(光武帝)が漢朝(後漢)を再興。897年(寛平9年7月3日)-敦仁親王(あつぎみ/あつひと)が宇多天皇から譲位され、醍醐天皇として践祚。1590年(天正18年7月5日)-北条氏直が豊臣秀吉に降伏し、小田原城が開城。小田原征伐完了により秀吉の天下統一が完成。この後実際は欧州仕置がある1693年-修道士ドン・ペリニヨンが発泡ワインシャンパンを発明。(伝承による日付)1899年-日本初の「ビヤホール」が銀座8丁目に開業