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私がこの『夜来香(イェーライシャン)』という歌を初めて聴いたのは「東京大衆歌謡楽団」のパフォーマンスによってでした。Wikipediaの解説に拠れば、『もとは中国の歌謡曲で、1944年に満洲映画協会のスターであった李香蘭(山口淑子さん)の歌唱によって上海の百代唱片公司から発売された。作詞(原詞)・作曲:黎錦光(中国語版)とされる。「夜来香」とは、甘い香りを持つ花をつけるキョウチクトウ科(旧分類ではガガイモ科)の植物の名である』とのこと。日本の敗戦を上海で迎えた李香蘭(山口淑子さん
選択の自由NEW!2024-04-3012:02:05テーマ:ブログ永さんはトモ子ちゃんをかってました頭が良くてこんなに綺麗なのにどうして誰も・・ってっ松島トモ子は、日本の女優、歌手、タレント。現在、毒蝮三太夫が所属する、まむしプロダクションと業務提携をしている。満州国奉天生まれ。東京都目黒区育ち。目黒区立東根小学校を経てザ・マスターズ・ハイスクール卒業。*現在も東京都在住。生まれ:1945年7月10日(年
溥儀さん、溥傑さんに関する本は一時期夢中になって読んでいました。石川さゆりさんの「天城越え」を聞くとこの心中のお話しを思い出します。溥傑さんは長生きされましたね。亡くなられた時はなんだかひとつの歴史が終わったように感じました。宝塚でも「紫禁城の落日」との題名で星組さんが公演しました。とても豪華で美しかったなぁ〜本を読んでいる間は、すべての登場人物が星組の美しい皆様に脳内で変換されておりました画像と記事をお借りします。青森・八戸出身の青年とピストル心中した「ラストエンペラーの姪」
柳広司得意のスパイ組織D機関のシリーズ4冊目。D機関のスパイが諜報戦で活躍する。日本のみならず、ドイツの映画撮影所、ロンドン、満州など時代背景も含めて面白い。少し飽きてきた自分を認識しているが面白いのは間違いないです。
侵略と開発松本敏郎お茶の水書房満州と言うと、日中戦争→太平洋戦争と言う回路で理解しているが、本書は地域開発と言う視点でとらえている。いろんな面があったことを知った。軍事力を背景にしたことは間違いないが、経済的な意図もあった。この観点から見ると政治状況に引っ張られて、成果が上がらなかった。そんな中で、侵略戦争に反対した勢力もあったことを知り、うれしかった。それが後の佐藤首相であり、石橋湛山であった。共通しているのは中国の産業構造の高度化を進めることを最優先する発想だ。中国が豊かにし
前回の映画の投稿でも、言っているのですが、中国のハルビンや大連に行くつもりです。祖母が暮らしたであろう、村なのか?街なのかをこの目で見たい。最近は、YouTubeチャンネルなどでどんな所かを、観るようにしている。行くからには、予備知識や計画を練らなければならない。貯金もいりますが。この本は、最近出されたもので建築写真も豊富で気に入った。図書館で借りたが、購入も検討したい。日本人が夢見た満洲という幻影──中国東北部の建築遺構を訪ねてAmaz
日本が戦争に負けると満州から日本に引き揚げることになったのですがこれが大変だったそうです
「大地の子」中国残留孤児となった陸一心の波乱万丈の半生を描いた物語。原作の概要:山崎豊子による長編小説。1987年(昭和62年)5月号から1991年(平成3年)4月号まで『月刊文藝春秋』に連載された。1991年(平成3年)に文藝春秋で単行本全3巻が刊行、1994年(平成6年)に文春文庫全4巻で再刊された。本作執筆に際し、作者は1984年(昭和59年)から胡耀邦総書記に3度面会し、取材許可を取り当時外国人に開放されていない農村地区をまわり300人以上の戦争孤児から取
奉天ヤマトホテル「彼も立派なリペンレン(=日本人)ですよ」というセリフとそれを言われた中国人留学生の顔が急に思い出された。なんの話かというと、初めて中国に行った帰りの船での出来事です。行きの船では不安から自然と集団になり、帰りの船では中国での苦労話で盛り上がるというのが中国船旅の醍醐味でした。その時も一月くらいの旅を終えて帰国する若者を多く乗せたフェリー「鑑真」号のレストランで酒を飲みながら失敗談などをネタに盛り上がってました。その中に小柄な老人がいて、管を巻いていました。途中から注
その反面、滋養の取り過ぎにも問題があるわけですが、こういう人も所謂読書家といわれる人々の中にもあるわけで、これは真の実践的エネルギーに繋がらない読書だからであります。真に実践に繋がらないとは、その人自身が真の自覚に達していないともいえるわけで、それは言い換えると、真の読書に透徹していないからともいえましょう。#運命を創る100の金言#森信三本というにもただ読んだだけではもったいないというところです。それはたしかにそうなんですが、1ページだけ開いてもその本と縁が出来るということも
【小池都知事学歴詐称疑惑再燃】文春「元側近の爆弾告白」と満州アヘン人脈「相関図」(自民・維新・笹川財閥・東京財団ネットワーク)『安倍元総理』(導かれた先であって来た言葉ではありません)『笹川財団』『満鉄』『フィクサー』などで金子よしともさんの動画では以前も、言葉が来た意味が解ったのですが、今回『こいけさん』もここに加わったことになります。
私が満州に興味を持ったのは、児童文学関係のネットで出会った、やぎおじさま、と呼ばれる高齢の男性との出会いがきっかけでした。今から18年くらい前のことですおじさまは、小学校低学年のとき満州から引き揚げてきた経験があり、それを題材にした童話を書かれ、ご自身のホームページには、満州関係の情報を集めて掲載されていました私は、話を聞くうちに、自分が満州について何も知らないことに気づき、取材させてくれるようにお願いしたのですおじさまの出身校、満州にあった新京桜木小学校の同窓会にも何度も
町内会とかPTAとか市町村役場(公務員)のもろもろのこととか普段おかしなことに気付いたとしても深く考えずそれに対して意見やクレームをつけずなーなーと事なかれ主義でやってきた日本人フェイクコロナを経て日本人の意識は変化しつつあるがまだまだだ国会議員は9割は駄目と言われているからより良い人を選んでいくほかない地方議員もおなじ選挙投票の一票を行使する必要がある投票率を上げる必要がある選挙投票しても何も変わらないというのは洗脳である役場に意見を
この本、良かった。この本も手元に置いておこうと想う。注文した。満州からの引き揚げ者を描いた作品。涙する場面もあるのだが…悲しい場面や別れのシーンではない。ホッとするような…そんな時。たぶん、ずっと私の身体は緊張しているのだろう。その時、その場に私の身体は持っていかれていた。そして、嬉しい場面になると涙が溢れてくる…。ほっとすると身体は素直になる…。敗戦時の満州、朝鮮で遭遇したこと、そして帰還した日本で経験したことが綴られている。言ってみれば、日本人の姿がこの悲惨を産み出し
この前の赤塚不二夫さんのブログで満州国や渤海のことに少し触れたことがあったが、そこで渤海国を建国した満州人であるツングースの人たちに興味を持った。ツングースの人たちは高句麗人や渤海人を指すだけでなく、私達日本人にもツングースの人たちの血が混じっていると思ったからだ。今まで知らなかったが、日本語はウラルアルタイ語族のアルタイ系の中のツングース系に属するらしい。言葉がツングース的な発音や文法を使うなら、モノの考え方もよく似ているだろうし、私達の血の中にツングース的な思考方法が入っていると思った
泰阜村の平和宮では、毎年10月に戦没者と満蒙開拓団犠牲者の追悼式が開かれているとのこと・・・・・・写真1,2(↓):平和宮(筑紫神社末社)追悼式では、村内の戦没者233人と満蒙開拓犠牲者638人をまつる平和宮に、遺族ら関係者をはじめ行政、議会、泰阜中学校の生徒全員が参列し、犠牲になった人々を追悼し、平和に祈りが捧げられる・・・泰阜中学校では、村民有志でつくる「満蒙開拓の歴史を伝える会」を招き、満蒙開拓団、少年義勇団の成り立ち、生存者の体験談を学び、それについて
満州泰阜分村大八浪開拓団犠牲者の碑の隣に、泰阜村戦没者慰霊碑がありました・・・・・・写真1,2(↓):泰阜村戦没者慰霊碑戦没者とは戦闘で戦死した軍人・軍属のことなので、民間人である開拓団の犠牲者とは別の慰霊碑が建てられていました・・・戦没の地をみると、ミンダナオ島、南支、沖縄、ルソン島、ビルマ、チモール島、満州、小笠原、マリヤナ群島、シベリア収容所など多岐にわたり、この村からの距離の遠さに改めて驚きました。シベリアでの犠牲者には随分若い人もみられました・
テーマ別シリーズ20(138、140、102、101番)「満州ー戦争ー帰国ー平和」歌入り2024年3月14日チャイルドフッド・シリーズNo.20「満州〜戦争〜帰国〜平和」作詞:チャイルドフッド実行委員会作曲:藤原千恵子ピアノ:藤原勝義歌:三田村元youtu.beテーマ別シリーズNo.22「男ロマン・愛」2024年4月7日「チャイルドフッド200令和の万葉集」テーマ別シリーズNo.22【男ロマン・愛」youtu.beテーマ別シリーズNo.23「戦後」20
満蒙開拓団の慰霊碑の隣に、犠牲者の名を刻した石碑がありました・・・・・・写真1,2(↓):満州泰阜分村大八浪開拓団犠牲者の石碑ほとんどが家族単位の犠牲者です・・・泰阜村は昭和の初期までは養蚕が盛んでしたが、生糸の暴落で農家の借金も増え、村は窮状を更正するため1937年に分村移民を決定しました。1935年当時の人口は5,844人開拓団の在籍者数は1,069人、そのうち日本への帰還率は38.5%で、現地で犠牲になった人が多く、残留孤児・残留婦人になった
筑紫神社から右手に歩いて行くと、満蒙開拓団の慰霊碑がありました・・・・・・写真1,2(↓):満州大八浪開拓団慰霊碑と碑文碑文を要約すると・・・三十有余年前、当時の国策に従い、泰阜村からも多くの人々が満州に渡り、三江省大八浪に泰阜分村を建設したしかし、第二次大戦は日本の無条件降伏という悲運に終結し、理想郷建設も中道にて挫折した開拓民は異郷の広野をさすらひ、内地帰還の望みも空しく、大陸に恨みをのんで不帰の客となった誠に痛恨の極みであるされど諸氏
本日は満州事変です!満州事変とは,日本軍が満州で南満州鉄道の線路を爆破し,中国に対して攻撃をしかけて,満州を占領したできごとです日本は1930年ごろ,世界恐慌の影響で大変な不景気でした。中国の東北部にある満州は,日本にとって鉄鉱石や石炭などがとれる原料供給地でした当時すでに日本は,満州でのさまざまな有利な権利を持っていましたが,さらに満州での権利を拡大したかった軍部は,外交政策で進めようとする日本政府と対立してしまいますそして,満州にいた日本軍は1931年9
昨夜演奏した瀋陽の1905ライブハウスが入っている建物は、満州時代に日本が建てた工場を再利用したものだそう。中国東北地方には日本の痕跡が色濃く残っている。ThebuildingthatShenyang's1905LiveHouseinwhereweperformedlastnight,isapparentlyarenovatedfactorybuiltbyJapanduringtheWW2period.TherearetracesofJ
やまびこ館の玄関ホールに1冊の小冊子が置かれていました・・・・・・写真1(↓):「記憶―あの日、あの時―」泰阜村の記憶とは何だろうか・・・あの日、あの時とはいつのことだろうか・・・冊子を開いてみると・・・写真2(↓):巻頭の文章はじめに「満蒙開拓」中国東北地方にはかつて13年間だけ存在した満州国という国があり、日本から満蒙開拓団として多くの人々が渡った。全国から約27万人、うち長野県は全国で一番の約3万3000人、中でも飯田
〈母。なくなる少し前の写真〉私の母は結婚前に父とは違う男の子を産んだ。父はそれでもいいと言って母に情熱的にプロホーズした。その根気に負けて母は連れ子を伴って父のところに嫁に来た。父は仙台でテント屋を経営していて、その会社は父の実家の片隅にあった。そのずっと裏の敷地を父は親からもらい、そこに新婚のための小さな家を建てた。父の実家は旅館だった。母は毎朝早くに起きて旅館に行って手伝い、夜遅くまで家族や客の炊事・洗濯などに追われた。私を孕(みごも)っても母
今日は祝日、手術はお休み😣白内障オペ大好きだから、休みたくないのよねー😂だったら、山練習しかない‼️という事で奥武蔵ウルトラマラソン前半20kmスタート自宅から出発して帰宅したら26kmでした。二つの峠を越えるので高低差はこんな感じ登り坂は全力走で臀筋とハムストリングを使い心拍数も上げ上げで追い込みました👍下り坂は故障しない程度のスピードで走るけど結構、大腿四頭筋にはダメージあります。ラストは3kmは下り傾斜も緩やかになるのでペースアップしてMax3分30秒/kmでー
思えばお父さんに褒められたのなんてこの一回だけじゃなかろうか。・・・数年前に父が腸閉塞で入院して退院後に医者によく噛んで食べるように言われ(父は消化に悪いものが好きで早食い)絶対忘れるやろうなぁと思って台所にこれを置いといた。バランスを考えずに「よ」をでかく書いてしまいこうなったこれを見た父は『ほぉなかなか面白い字をかくなぁうまいわ』『ほーか?笑適当やけど?笑』この時あれ?お父さんが褒めるなんて初めてじゃね?ってまぁ子供のころから特に褒められるよう
「ラストエンペラー」(英:TheLastEmperor、中:末代皇帝、伊:L'ultimoimperatore)「ラストエンペラー」予告編1987年11月20日公開。清朝最後の皇帝の生涯を描いた大作。興行収入:$43,984,230。脚本:ベルナルド・ベルトルッチ、マーク・ペプロー監督:ベルナルド・ベルトルッチキャスト:愛新覚羅溥儀:ジョン・ローン婉容:ジョアン・チェンレジナルド・ジョンストン:ピーター・オトゥール西太后:リサ・ルー文繍
今年は、ファミマでお世話になったマネージャーと天理教のおせちを食べに行きました。コロナ前は、餅いくつとか、出汁頂戴とか言ってたんだけど、今回行くと、もうすでにセットで用意されてました。ここからおかわり欲しいと、またワンセットって感じ久々に食べたおせち、美味しかった。やっぱ出汁旨しでした。マネージャーも初めてで、美味しい美味しいって喜んでました。そこから、移動して、大神神社へお参りに行き大阪へ戻りました。大阪戻って、三番街の
不思議です。なぜ、そのことが郷愁を覚えさせるのだろうか。よく、行ってもいないのに、夢に出てくる情景があります。それがとても郷愁を覚えさせます。中国の上海とかの町の様子がでてきますが、それは、親が戦時中に満州にいたことと関係するのか。父は兵隊で満州にいました。母は結婚して3年ぐらいそこで生活したようです。哈爾濱とかの名前をよく聞いたことがあります。当時の写真も子供の頃よく見ていました。それらもあってかなと思いますが。行ってもいないのになつかしさがあります。不思議ですね。怖い街の夢も見ます。うす暗く