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『松下政経塾講話録(5)』●渡部昇一(1930~)上智大学名誉教授✪農耕社会の精神構造-③日本で過去に一番偉い村長さんは、千葉県の佐倉惣五郎だと言われています。当時、代官が高い年貢を取り立てるので、しきりに、「そんな高い年貢は困ります。安くしてください」と頼むのですが、聞き入れられない。そこで大庄屋であった佐倉惣五郎が、自分の家の蔵を開いてコメを出しました。それも1回や2回ならともかく、毎年、毎年出しましたので、とうとう彼の家にもなくなってしまいました。佐倉惣五郎は、こんどは江
6人材を採用するに、君子小人の弁酷に過ぐる時は却(かえっ)て害を引起すもの也。其故(そのゆえ)は開闢(かいびゃく)以来世上一般十に七八は小人なれば、能(よ)く小人の情を察し、其長所を取リ之を小職に用ひ、其材芸を尽さしむる也。東湖先生申されしは「小人程才芸有りて用便なれば、用ひざればならぬもの也。さりとて長官に居(す)ゑ重職を授(さず)くれば、必ず邦家を覆(くつがえ)すものゆゑ、決して上には立てられぬものぞ」と也。(人材を採用するときにあたって、君子(立派な人)と小人(凡人)との区別をあまり厳
「私有財産」なき共産主義こそが万人平等の麗(うるわ)しき社会なのだという「空想」に感化されてしまった現代人は、西郷も「私有財産」に否定的だったのではないかと類推しても仕方がないのかもしれない。が、勿論、西郷はそんなイデオロギー的な考えを持っていたとは思われない。<児孫のために美田を買わず>とは、財産を遺すのは子供の教育上良くないと解釈するか、子供のために財産を遺そうなどと軟な事を考えては志(こころざし)を全うすることが出来ないと解釈するかのどちらかであるが、西郷の真意は藪の中と言うしかない。戦
三年、太子の太傳(たいふ)疏廣(そこう)、兄の子、太子の少傳(しょうふ)疏受(そじゅ)と、上疏(じょうそ)して骸骨を乞ふ。之を許し、黃金(おうごん)を加賜(かし)す。公卿(こうけい)・故人、祖道を設け、東門の外に供張(きょうちょう)す。送る者、車數百兩。道路觀る者皆日く、賢なるかな、二大夫(たいふ)、と。既に歸って、日に金(きん)を賣(う)り共具(きょうぐ)して、族人・故舊(こきゅう)・賓客(ひんかく)を請ひ、相(あい)興(とも)に娛樂し、子孫の爲に產業を立てず。日く、賢にして財多ければ、則ち
◆今はちょっと難しくすぐに実現できずとも、「いつか必ず自分にはやれる」という気持ちを持って「やるための理由」を掲げて努力を絶やさない人には、不思議なことに天の一角から“助けのロープ”が下りてくるものである。【渡部昇一/大学教授】◆日の光をかりて照る大いなる月たらんよりは自ら光を放つ小さき灯火たれ。【森鴎外/作家】
5或る時「幾歴辛酸志始堅。丈夫玉砕愧甎全(せんぜん)。一家遺事人知否。不為児孫買美田」との七絶を示されて、若し此の言に違ひなば、西郷は言行反したるとて見限られよと申されける。(あるとき、「人の志というものは何度も何度もつらい目を経てはじめて固まってくるものである。其の男子たるものは玉となって砕けても、瓦のようになっていつまでも生き長らえることは恥とするものである。自分が我が家に残しておくべき教えとしているものがあるけれども、それを知っているであろうか。それは子孫のためによい田を買わない、財産
『松下政経塾講話録(5)』●渡部昇一(1930~)上智大学名誉教授✪農耕社会の精神構造-①農耕社会の特徴は、土地にしがみついて、その土地にいる限り大丈夫であるという、安心感が前提となります。この安心感が農耕社会の精神構造の基礎にあります。特に、日本の単位農耕生産高は、昔から非常に高くて、西洋史の農業経済の専門家は、昔でも日本とヨーロッパの単位面積における収穫量の比率は50対1ぐらいの差があったのではないかと試算している人もいます。まあ、それは少し極端として、うんと少なく見積もって
『松下政経塾講話録(5)』●渡部昇一(1930~)上智大学名誉教授✪農耕社会の精神構造-②能力が無視できるところに長く住んでいるとどうなるかというと、能力があるようなふりをする人間が極端に癇(かん)にさわるという精神構造ができます。そういうところで生きるためには、「能ある鷹は爪を隠す」ことです。また、能力があったとしても、使い場所がないうえに、長く隠していますと退化して、ないと同じになってしまいます、能ある人は、自分は出さないだけなのだと自らを慰め、一方初めからない人間も、隠している
2023.3.14こんばんは🌃今日は東京で桜開花宣言🌸されました。観測史上最速タイ記録との事で春になりましたね🐰コーチングに関する記事を少しずつ書いていきます。宜しければご覧ください。コーチングでは、クライアントの夢や目標を達成する支援を行うことが目的となります。クライアントは、セッションでコーチからの質問に答える中で、自分の夢や目標を明確化し、現状把握、目標と現状のギャップを把握、そのギャップを埋める為の行動計画策定を行い、毎日地道に行動を継続し、目標達成を目指していきます。渡部昇
翻訳者(ほんやくしゃ)の渡部昇一(わたべしょういち)さんは上智(じょうち)大学名誉教授です。◇80ページから。◎人生このやる気がすべて「やる気」とは何か。人は行動の評価ばかりにやたらと時間をかけ、その動機の詮索(せんさく)をおろそかにしすぎる。何事(なにごと)も完璧(かんぺき)にやりたいという行為や行動のそもそもの動機よりも、最後に得(え)られる結果のほう
「ちょっと虫のいい話に聞こえるかもしれませんが私は『自分が重要だと思う事をコツコツと続けていたら、何時か天の一角からロープが降りて来るという期待を持っていい』と考えています。」西洋医どものデタラメな治療で命を落とし、或は治せずに苦しんでいるガンなどの患者さんたちを、僕の東洋医術で救おうと様々な勉強や失敗や試行錯誤をコツコツと続けている。僕にも救いの蜘蛛の糸が降りて来るかなあ。目標(vision)も手法も、「ほぼ間違い無い」と思える所まで、現時点でほぼ完成しているとは思うがなあ。
2023.3.3こんにちは😃4年前のフェイスブック📚読書記録から転載します🎎〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜2019.3.3こんにちは🍃雛祭りの今日は朝から雨が降り続け、家の中でゆっくり過ごしています。午前中に先月から始まった中小企業診断士の実務従事の診断報告書の自分の担当する章のワードを更新し、その後は先日から読み始めた渡部昇一さんの「終生知的生活の方法〜生涯、現役のままでいるために〜」扶桑社新書850円+税を読み終えました。本書は、知の巨匠である渡部昇一さんが、2016年から2017年
渡部昇一先生の「着流しエッセイ③」を読んでいます。やはり、頭がいい人の文章は読みやすい!スラスラと読み進められて、とても面白い。その中で、私が以前「日の名残り」を読んで感動した「カズオ・イシグロ」氏の小説を、絶賛されています。この渡部昇一先生のエッセイは、もちろんカズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞に輝き、長崎県名誉県民になられる、そのずっと前に出ている本なのです。そして私が日の名残りを読んだのは、もちろん、ノーベル賞の後なのです、、、、。
《鹿児島隠退後の生活は質素を極めた。だが貧乏を好んだわけでも、売物にしたわけでもなかった。弟子たちと共に鍬(くわ)をとって畑を耕し肥桶(こえおけ)もかついだが、家族の暮らしを困らせるようなことはせず、狩りや釣りや湯治にはしばしば行っている。ただ維新の戦で倒れた「地下の同志に相済まぬ」というのは西郷の口癖であった。思いあがった藩閥政府の中に幕府政治の再現を見てとり、第2第3の維新の必要を痛感して、そのたびに「地下の同志」たちを思ったのが、西郷の涙の源泉であったにちがいない》(林房雄『大西郷遺訓』(
渡部昇一氏は、西郷の農業贔屓からバブル崩壊時の住専問題を類推する。《住専問題が平成7(1995)年からずっと荒れております。大蔵省は6850億の税金からの支出を求めた。銀行が貸したのを全部棒引きするということで、足りないところを税金から6850億払うということになったわけです。なぜそういう数字が出たかについてはまだ説明がついていませんが、説明がつかないままに、衆議院で半年以上もみにもんだあげく無修正のまま通り、なぜ6850億という数字が出たかをついに明らかにしなかった》(渡部昇一『「南洲翁遺訓
渡部昇一氏は、黒船の本家たる欧米を実際に見たことがないことが、西郷の判断を誤らせたと見る。《例えば、伊藤博文や井上馨(かおる)は幕末に西洋を見ている。幕府の側では、小栗上野介(おぐり・こうずけのすけ)や勝海舟は見ている。勝海舟は目先の利く人だから、戦争するよりはということで妥協するほうにいくわけですが、小栗などは西洋を見た目で幕府主導の近代化のビジョンを持っていたようです。ほかの幕府の人は、徳川慶喜(よしのぶ)以下、処刑になった人はいないし、五稜郭(ごりょうかく)で戦った榎本も後で大臣になるぐ
《文武の両道ということは、昔から人が言っとるが、文武農の3道としたところは、さすがに南洲先生じゃ。智、仁、勇の3徳に配したところじゃのう。百姓は国の宝で、これを度外において、国の政治が成り立つものじゃない。昔から百姓を粗末にして栄えた政治家は1人もありはせぬ》(立雲頭山満先生講評『大西郷遺訓』(『大西郷遺訓』出版社)、p.19)が、「文武農」は「智仁勇」に対応しない。文智、武勇はあっても「農仁」はない。食糧自給上、農業が大事であることは論を俟たない。が、「文武農」などと三福対(さんぷくつい
政の大体は、文を興し、武を振ひ、農を励ますの3つに在り。其他百般の事務は皆此の3つの物を助くるの具(ぐ)也。此の3つの物の中に於(おい)て、時に従ひ勢いに因(よ)り、施行先後の順序は有れど、此の3つの物を後にして他を先にするは更に無し。(政(まつりごと)の根幹は学問を興(おこ)し、軍備を強くし、農業を奨励するという3つのことである。その他いろいろな事柄は、この3つのものを助けるための手段である。この3つの中で、時代の趨勢によって、どれを先にするか、後にするか、その順序の違いはあるだろうけれど
今年も、致知出版社様より、年間購読をプレゼントした人へのお礼の品が届きました。実家の父にギフトとして贈った私へのお礼ですが、いつも通り丁寧なお礼状も入っておりました。今年のお礼の品は、『安岡正篤一日一言』という書籍でした。安岡正篤さんの言葉とは!なんと嬉しい!🎵昨年は渡部昇一先生のご著書でした。この本も良かった!昨年そのことや、ワタナベ薫さんがインタビューされていたことをブログに書きましたら、↓『雑誌「致知」のこと。』ワタナベ薫さんが、雑誌「致知」のインタビューを受けまし
ちょっと前に、職場の方からみかんのお酒をもらったのですが、たしかこれ↓宝酒造寶静岡産みかんのお酒香る三ヶ日みかん酒720ml1本のし・ギフト・サンプル各種対応不可楽天市場1,316円牛乳で割って飲んだりして美味しかったので(けっこう甘め)母にもすすめて一緒に飲みましたーそしたら先日、母が兵庫に行ったおみやげに菊正宗酒造さんでみかんのお酒を買ってきてくれたーじゃんすっきり飲みやすかったー!蜜柑のやわらかい甘さはあるけど甘すぎずすっきり飲み切れる感じこれはネ
プラトンは、<哲人政治>と称する1つの「理想」を述べたに過ぎないのだと思われる。が、この「理想」は、応対を誤れば、「全体主義」へと転がり落ちる危険性もあるということは、指摘の通りであろう。《あるところ(〔第7書簡〕326AB)では、『国家』のそれとほとんど同じような哲人政治の理想が語られているかと思うと、他のところ(335E-336B)では、シェフクゥサイとシケリアとの自由独立が、正義と勇気と節制の徳をそなえ、哲学の心得ある人の手によって成就されたなら、徳についての多くの人たちの考えが変り、も
<政権一途に帰>すとは、具体的にどういうことを意味するのだろうか。《南洲の意見を「党の方針がしっかりしないことはよくない」というふうに解釈せずに、国家は常に1つの意見だけでいかなければいけないというふうに取ると、政党政治否定に向かう可能性もある》(渡部昇一『「南洲翁遺訓」を読む』(致知出版社)、pp.40f)恐らく、西郷が言っているのは、「方針の一定」であって、行動まで拘束するような話ではないだろう。もし、行動までも「一定」ということになれば、活動の自由は奪われて、「全体主義」へと転がり
2賢人百官を総(す)べ、政権一途に帰し、一格の国体定制無ければ、縦令(たとい)人材を登用し言路を開き、衆説を容(い)るる共(とも)、取捨方向無く、事業雑駁(ざっぱく)にして成功有るべからず。(賢人たちがたくさんの役人たちを統轄して、政権が1つの方針で進んで、国柄が1つの体制にまとまらなければ、たとえ立派な人を登用して、発言する道を開いて、世論を取り入れるにしても、どれを取り、どれを捨てるかに一定の方針がなくなってしまう。そして、あらゆる仕事はばらばらでまとまりがなくて成功はしがたいものであろ
細見恭司㈱第一建設ホテルアカデミー学長さんのプロフィールページ渡部昇一教授は、半世紀前は若手の教授として活躍。彼の英語学史は、必修科目。2年、3年と単位をいただけず、3度目の4年で勝負!なんとか単位が取れ、卒業にこぎつけたのが忘れられない。2017年に亡くなられている。ご冥福をお祈りします!byslim第一建設ホテルアカデミーホテルの未来を、ご一緒に。hotel-academy.tokyo
官は其人を選びて之を授(さず)け、功有る者には俸禄(ほうろく)を以(もっ)て質(ただ)し、之を愛し置くものぞと申さるるに付(つき)、然(しか)らば尚書(しょうしょ)仲虺之誥(ちゅうきのこう)に「徳懋(さか)んなるは官を懋んにし、功懋んなるは賞を懋んにする」と之れ有り、徳と官と相配(あいはい)し、功と賞と相対するは此の義にて候(そうろ)ひしやと請問(せいもん)せしに、翁(おう)欣然(きんぜん)として、其の通りぞと申されき。(官職というものは、その人を選んでこれを授けて、功績のある人にはお金をあげ
1廟堂(びょうどう)に立ちて大政を為(な)すは天道を行ふものなれば、些(ちっ)とも私(わたくし)を挟(さしはさ)みては済まぬもの也(なり)。いかにも心を公平に操(と)り、正道を踏み、広く賢人を選挙し、能(よ)く其職に任(た)ふる人を挙げて政柄(せいへい)を執(と)らしむるは、即(すなわ)ち天意也。(政府の中心にあって国の政(まつりごと)をやるということは、天道を踏み行うことであるから、少しでも私心を差し挟んではならないものである。徹底的に心を公平にして、正しい道を踏み、広く賢明な人を選び、そ
今回は、西郷隆盛の『西郷南洲遺訓』を読んでいきたいと思う。が、この書は、西郷自身が執筆したものではない。実際、西郷は1冊として著作を残していない。『西郷南洲遺訓』書後の辭(じ)に次のようにある。《遺訓の由来は、明治3年莊内侯の公子酒井忠篤・忠實を初め、藩士菅實秀・三矢藤太郎・石川静正等數十人來って薩に寓し、屡々翁に就いて教を乞ふ。已(すで)に歸(かえ)り、其聞く所を纂(あつ)めて一書となし、之を同志に頒(わか)ちしに起る。明治23年三矢藤太郎之を莊内に印行し、「南洲翁遺訓」と題す、是れ遺訓
失敗や不運を自分に引き寄せて考えることを続けた人間と、他のせいにして済ますことを繰り返してきた人間とでは、かなりの確率で運のよさが違ってくる渡部昇一(知の巨人/上智大学名誉教授)
昨日の記事に続いています。「優生思想」に絡む問題は複雑かつセンシティブで、明らかに私なんかの手には余るのですが、非常に興味があるテーマでもあるので、一応取り上げてみることにしました。優生思想問題というと、私が思い出すのはやはり「神聖喜劇」で知られる作家大西巨人氏と評論家渡部昇一氏とのいわゆる「神聖な義務」論争です(両氏共故人)。以下に簡単に説明します。かなり昔のことですが、渡部氏は「自分の遺伝子が原因で遺伝子疾患を持った子供が生まれる可能性のあることを知る者は子供