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2024年4月13日。ここのところ北幾世橋について検証していたので、北幾世橋に行ってきましたが、字町尻に不思議な空間がありました。少し窪んだ空間に植栽とともに祠があります。『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)には字町尻に寺社は確認できません。古墳の可能性もあります。何かご存知の方は御教示ください!!🤩
鈴木智福島県議会議員(いわき市選挙区)から、福島県の現在について、ご講演を頂きました。いよいよ令和7年度で「第2期復興・創生期間(5年間)」が終了しますが、原発の廃炉や帰還困難区域全ての解除等福島の復興はまだ道半ばであり、新たに生じた課題やニーズに適切に対応しなければならず、今後も十分な財源と枠組み、復興を支える制度の確保が不可欠です。「福島イノベーション・コースト構想」は、東日本大震災及び原子力災害によって失われた浜通り地域等の産業を回復するため、新たな産業基盤の構築を目指す国家プロジェ
浪江町営大平山霊園と請戸漁港を語り部の青山さまにご案内頂きました。浪江町では、180名の方が亡くなられました。震災前に人口21,500人でしたが、いまの浪江町の人口は2,000名程度になっています。大平山霊園は、請戸小学校生徒らが逃げて来た場所です。東日本大震災の慰霊碑が建立されています。高台に位置するため、復興が進む漁港と震災の爪痕が残る請戸小学校など、今の請戸地区一帯を望むことができます。福島第一原発から6kmに位置する浪江町「請戸漁港」。震災に伴う津波のため、94隻あった漁船のうち
震災復興の住民は割高コストを受け入れるのか森創一郎:東洋経済記者2024年04月04日政府は2023年6月、6年ぶりの改定となる水素基本戦略を公表し、供給網構築に15年間で15兆円を投じ、2040年までに現状の6倍となる年間1200万トンの水素を国内外から調達する計画をぶち上げている。水素の供給コストは現状、天然ガス(24円/N㎥=2023年3月)の4倍以上となる100円/N㎥だが、2050年には20円/N㎥まで引き下げていくという。今後15年間で3兆円の値差支援を行う方針も打
ステーキ行って来ました。浪江町ステーキハウスjiroサーロインステーキ150gミディアム肉は牛のうまみもありクセもなく美味しいかったです。付け合わせのジャガイモも!にんじんもしっかり独特のクセを抜く調理してますねーチョリソ辛すぎず肉の味も良くおいしい😋セットご飯はめちゃ多いので注意。サラダはおいしいのですが普通😅スープは味は美味しいです。ただ旨みが強いのでサッパリスープが良かったかも。プリン甘いの嫌いな私が食べられるので甘いの嫌いな人はぜ
「あの日を記憶し、伝えていく」福島県唯一の震災遺構、「震災遺構浪江町立請戸小学校」を視察しました。2021年10月27日に一般公開を開始し、2023年3月末までに約74,000人の方が訪れています。請戸小学校が位置する請戸地区は、津波による死者が127名、行方不明者27人と多くの犠牲が出ました。海から約300mに位置する請戸小学校。発災後、防災無線が大津波警報の発令を知らせる中、校舎には下校した1年生11人を除く、2年生から6年生までの児童82人が残っていました。教職員はすぐに児童
朝は仕方ないのでセブンついでに桜の名所の散歩とポケモンキャラの公園に寄ってきました。桜通りはそんな長くないですが人もいなく川沿いで空気も澄んでて気持ちよかったです。ラッキーでしたっけ?確か倒すと経験値いっぱいもらえる。switchの少しやってたので知ってました。少し仮眠して。朝昼兼で、道の駅なみえへ。ご当地グルメなみえ焼きそばとミニしらす丼。まぁ。美味しかったです😊高いな!その後、まちづくりなみえで自転車を借りて、周りたい場
大堀相馬焼が再開されたという。地震・原発被害で止まっった。除染が遅れ、再開に14年もかかった。当面、戻ったのは1窯だけだという。私が訪れたときは30窯くらいあった。時間が経ってしまい、戻るのも容易ではないと思う。今度再開したのは共同窯だと思う。登窯なので容量が大きく、共同の方が使いやすい面もある。再興を期待したい。伝統的工芸品「大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)」-浪江町ホームページ(town.namie.fukushima.jp)
福島県浪江町で、東京電力福島第一原発の事故の影響で途絶えていた、国の伝統的工芸品「大堀相馬焼」を伝統的な登り窯で焼く作業が、14年ぶりに行われました。福島県浪江町の大堀地区に300年以上前から伝わる「大堀相馬焼」は、繊細なひびの模様や馬をあしらった絵柄などが特徴の焼き物で、国の伝統的工芸品に指定されています。記事以下↓https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240412/k10014419211000.html福島浪江町「大堀相馬焼」14
やばいな日の出見に海行こうと思ったけど、アルコール検知器が反応しやがる🍺明日に延期して観光マップをセブンイレブンで印刷しに行こう!
2024年4月12日。『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)に記載された北幾世橋村に存在した北原御殿について見ています。北原御殿とは、江戸時代の藩主である相馬昌胤が泉田村(現在の浪江町大字北幾世橋)に居を構えた隠居所のことです。かなり長文なので、何回かに分けます。適宜、読点を付します。今回は和歌の歌題なので、あとの説明で分かりやすいように、各題の前に○番号で付したいと思います。----------------------------
当初の東北道ルートから太平洋海沿いルートに変更しました。日立から海の上の道路を走るのも気持ちよかったですが、豊間の海水浴場の景色も良く潮の香りが心地よく長居してしまいました。東電の資料館に着いていろんな方々が風評被害で大変な思いをしているとは知っていましたが、東電の社員さんや関係会社の方々が先の見えない努力をしているのも知りました。そして当時の事故の状況や対応などもインストラクターの方に説明を受けながら動画を見て。燃料棒の仕組みなどの勉強にもなりまし
2024年4月11日。『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)に記載された北幾世橋村に存在した北原御殿について見ています。北原御殿とは、江戸時代の藩主である相馬昌胤が泉田村(現在の浪江町大字北幾世橋)に居を構えた隠居所のことです。かなり長文なので、何回かに分けます。適宜、読点を付します。----------------------------------------宝永六年己丑正月打它雲泉含命、上京謁中院内府通茂卿、請和歌、即詠
2024年4月10日。『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)に記載された北幾世橋村に存在した北原御殿について見ています。北原御殿とは、江戸時代の藩主である相馬昌胤が泉田村(現在の浪江町大字北幾世橋)に居を構えた隠居所のことです。かなり長文なので、何回かに分けます。適宜、読点を付します。----------------------------------------棲遅此邑凡二十八年、郷黨浴恩波、百年後一邑今尚慕甘棠如往時〈公在世
両竹じゃんぴんプロジェクト「もろたけ歴史通信」vol.145を配信致しました。引き続き、多くの皆さまのご支援を宜しくお願い致します。これまでの活動報告については以下をご覧ください。https://ameblo.jp/morotake-rekishi/-----------------------------------------------福島県双葉町の原子力災害被災地域の歴史と文化を継承する『大字誌両竹』第5号刊行!!amazonでお求めできます!!-----------
NPO法人歴史資料継承機構じゃんぴんです。両竹じゃんぴんプロジェクト「もろたけ歴史通信」vol.142を配信致しました。引き続き、多くの皆さまのご支援を宜しくお願い致します。これまでの活動報告については以下をご覧ください。https://ameblo.jp/morotake-rekishi/-----------------------------------------------福島県双葉町の原子力災害被災地域の歴史と文化を継承する『大字誌両竹』第5号刊行!!amaz
2024年4月9日。『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)に記載された北幾世橋村に存在した北原御殿について見ています。北原御殿とは、江戸時代の藩主である相馬昌胤が泉田村(現在の浪江町大字北幾世橋)に居を構えた隠居所のことです。かなり長文なので、何回かに分けます。適宜、読点を付します。----------------------------------------爰従官第宅環繞城垣外、連牆對門鬱々壮々、時閭閻撲地市廛稠蜜、百物阜通
昨日より福島県の現場に入り、課題を伺っております。写真上段/特に被害が著しい大熊町・双葉町・浪江町・富岡町の町長との意見交換(双葉町)中段左/さつまいもの育苗・作付・加工・販売まで一貫して行う事業者(楢葉町)中段中央/開設準備中のワイナリー(富岡町)中段右/水素製造工場(浪江町)下段左/お米(非食用)を原料の一部としてプラスチックを作る製造工場(浪江町)下段中央/地域の間伐材(かんばつざい)などを活用した稼働間近のバイオマス発電所(飯舘村)下段右/内堀福島県知事との懇談(飯舘村)
2024年4月8日。『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)に記載された北幾世橋村に存在した北原御殿について見ています。北原御殿とは、江戸時代の藩主である相馬昌胤が泉田村(現在の浪江町大字北幾世橋)に居を構えた隠居所のことです。かなり長文なので、何回かに分けます。適宜、読点を付します。----------------------------------------常敬崇神祇、尊信佛乗、乃托神祇上卜部兼敬卿、稟宗源三檀秘璽、又謁信知
この前は、次男の仙台の卒業式に行く途中で浪江に寄ったので、その後は浪江から高速で北上しました。今回は、福島と斜めに結ぶ114号・・・つまり、放射能プルーム(雲)が、原発から斜めに進んだ下を通る、114号を帰ってきました。福島と浪江を結ぶ一番近い道です。震災後は、私は、初めて通ります。2013年8月(震災後2年半)で、114号が通れなかったことついて、三男が浪江町職員の方に質問しました。Q)「福島に帰る近道(114号)が通れませんでした。(現場で)放しゃ線量が「50ミリシーベルトをこえる
2024年4月7日。前回から『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)に記載された北幾世橋村に存在した北原御殿について見ています。北原御殿とは、江戸時代の藩主である相馬昌胤が泉田村(現在の浪江町大字北幾世橋)に居を構えた隠居所のことです。かなり長文なので、何回かに分けます。適宜、読点を付します。----------------------------------------同(元禄14年4月:引用者註)十五日解驂守泉田〈旧大聖寺山也
東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響で一時、全域に避難指示が出された福島県富岡町の桜の名所、夜の森地区で町のシンボルにもなってきた恒例の桜まつりが6日から始まりました。福島県富岡町の夜の森地区は、全長2.2キロの通り沿いにおよそ420本の桜の木が並ぶ桜の名所です。記事以下↓https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240406/k10014414431000.html福島富岡町夜の森地区で桜まつり原発事故前と同じ会場で|N
令和6年4月6日㈯今日は超久しぶりのわんこイベントお散歩会に同県浪江町に行ってきましたずーーっと前からインスタでお友達の秋田犬すずぽこちゃん♡今日やっと会えて嬉しかった久しぶりに秋田いぬ達とオーナーさん達とわちゃわちゃできてめちゃくちゃ楽しかった⸜(⑅´ᗜ`⑅)⸝ꕤ*。゚わーぃ楽しかったついでに生ビール呑んじゃったそしてメインは素敵なステーキフィレステーキ歯がなくても食べれそうなほど柔らかくてジューシーでななママ悶絶○。(꒪。꒪)なんと!ワンコさん達にも
この前行った浪江町の、小高(南相馬)境にある海沿いの貴布禰神社ですが、その宮司さんが「南棚塩の83戸が全流出」と石碑に書いていたのを見たのと、棚塩というのは、以前、東北電力が浪江小高原発を作ろうと計画していたことから、もっと詳しく知りたいと思っていました。ここより南側にある請戸小遺構を見学中、案内の浪江町職員の方に聞いてみました。わかったことは〇貞観の地震で、津波が来た事実はあったが、震災まで、それは人々には共有されていなかった。遠浅の海岸なので、まさか津波が来るとはだれも思ってい
『浜通りに行く(震災後5度目)』このたび高専を卒業した息子が、「浜通りに行く」という自由研究をまとめたことがあって・・・三男の研究(小4、2013)-なくさない!飯坂温泉共同湯iiza…ameblo.jpこの前のあまりに浪江が良すぎて、帰省の途中、1週間と開けず、また、行きました。震災後6度目となります。今回はどこで食べよ~かな~この前は、道の駅なみえであおさラーメン。浪江町とともに歩む、絶品中華そば・麺処ひろ田製粉所|浜さ恋浪江に、めちゃくちゃうまいラーメン屋がで
こんにちは。今、クリニックの待合室で投稿しています。予約してますが、すごい人でしばらく呼ばれそうにありません。福島に行って、いこいの村なみえに連泊してきました。コテージでした。朝夕の食事美味しかったです。最終の朝食は食べる前の写真を取り忘れました。🤦朝夕食事の2泊家族3人で45000円リーズナブルでした。
2024年4月6日。昭和8年(1933)の標葉氏顕彰運動に関わる古文書を見ていましたが、幾世橋村出身の衆議院議員で、「標葉氏墓碑銘」と篆額を書いた釘本衛雄について、資料を集めていましたが、よく考えたら、そもそもの北幾世橋村・幾世橋村のことをちゃんと理解していないことに気が付きました😅そこで、『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)から、泉田村(現在の浪江町大字北幾世橋)に存在した北原御殿について見てみたいと思います。最初に述べますが、北原御殿
こんばんは。子供が春休みの期間3日から今日まで福島県と宮城県にある東日本大震災の遺構を訪ねてきました。1日目は浪江町にある請戸小学校と伝承館を訪れました。東日本大震災が起きてから13年瓦礫はキレイに片付けられてしまっていましたが、惨状を見ていない嫁さんと子供に見せたかったのです。
NPO法人歴史資料継承機構じゃんぴんです。両竹じゃんぴんプロジェクト「もろたけ歴史通信」vol.141を配信致しました。引き続き、多くの皆さまのご支援を宜しくお願い致します。これまでの活動報告については以下をご覧ください。https://ameblo.jp/morotake-rekishi/-----------------------------------------------福島県双葉町の原子力災害被災地域の歴史と文化を継承する『大字誌両竹』第5号刊行!!amazon
2024年4月5日。昭和8年(1933)の標葉氏顕彰運動に関わる古文書を見ています。浪江町川添地区の正西寺の標葉氏墓地群です。ここのところ「標葉氏墓碑銘」と篆額を書いた釘本衛雄について見ています。今回は人事興信所編『人事興信録』第13版上(人事興信所、1941年)を見てみたいと思います。適宜、読点を補います。なお、赤字は囲い文字です。-------------------------------------釘本衛雄衆議院議員(福島県選出)福島県在籍妻セ