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昨日は12月14日は赤穂義士討入りの日。忠臣蔵ファンの間では、京都府山科の大石神社や兵庫県赤穂市の大石神社はよく知られていますが、ここ滋賀県大津市大石に残る大石家の発祥地が疎かにされ、余りに知られていない事は少々残念に思っておりました。「忠義」なる精神性が失われた昨今にあり、赤穂義士の討入りは単なる敵討ちや仕返しの如く評す声も聞かれます。もちろん、大石内蔵助の事蹟は、そんな短絡的なものではなかったのは当然なのですが、それを決定的に裏付ける史実がここ大石家発祥地に残っているのです。実は、大
////////石田三成-ZIBU-(@zibumitunari)さん/X///今日は忠臣蔵討ち入りの日らしいな。有名な浅野内匠頭長矩だが、儂と同じく五奉行の一人だった浅野長政の子孫です。でもこの浅野長政って人、取次先である伊達政宗から絶縁状叩きつけられてたり、幾度か失脚させられたり、治部の頭巾焚火ファイヤーしたりと、殿中刀傷より絶許案件が多いですね特に最後/午前8:36·2025年12月14日////本日は赤穂浪士が討ち入りした日。(元禄15年12月14日)皆は四十七
赤穂の反乱武士達が吉良上野介の屋敷に奇襲をかけて首を打ってから約320年時代の流れて、討ち入りの日に忠臣蔵をテレビでやっていない。赤穂の反乱武士達は違法行為をした主人、浅野内匠頭の仇を取ったけど、全員死罪になりました。それは当然ですね。武家諸法度で、江戸城内部で刀を抜いたら、その藩主は御家断絶、切腹。要は法律違反したから浅野家は断絶になった。いかな理由があっても人を3人殺せば死刑になる。それと同じです。先に違法行為をしたのは、浅野内匠頭だから反乱武士の行為は幕府が許す訳が無い。
本日はビンテ-ジ花園です!「殿中でござる!」とは、江戸城内(殿中)で刀を抜くことは固く禁じられていたため、刀を抜いた(抜こうとした)人物に対して、周囲が「いけない、いけない、ここは城内だ!」と制止する際の有名なセリフです特に『忠臣蔵』で浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が吉良上野介(きらこうずけのすけ)に斬りかかった際に使われた言葉です。これは、「殿中での刃傷(にんじょう)は理由の如何を問わず切腹」という厳罰が待っていたことを意味し、その重大さを知らせる緊急の警告でした殿
皆さま、今日は。忠臣蔵マニアな旅するコピーライターのふじやんです。本日、12月14日(旧暦)は、赤穂浪士討ち入りの日。午前中、泉岳寺義士祭へ行ってきました。昔は、テレビドラマの年末の風物詩だったけど、最近は、放映しなくなりましたね。それでも、討ち入りの日は、毎年多くの参拝客が、義士のお墓参りに訪れます。内蔵助さん当時のお坊さんは、びっくりしただろうね。武装集団が、首を持ってやってきたんだから。まず本堂にお線香を供えます。義士墓参
「殿中でござる!」知ってるよね。“忠臣蔵”の有名なセリフだよね。元禄14年(1701年)、赤穂藩主・浅野内匠頭が江戸城松の廊下で吉良上野介に斬りかかり、『殿中でござる』と制止され切腹となったんだよね。主君を失った赤穂浪士47人が吉良邸に討ち入りを行って主君の無念を晴らしたのが元禄15年(1702)年12月14日だったんだよね。ってことで、今日は「討ち入りの日」なんだって。浅野内匠頭が殿中で吉良上野介を斬りつけた理由はよくわからないけれど、いろいろ難しい問題が
赤穂浪士、討ち入り当日。明治座へ向かう道すがら、まずは泉岳寺へ。お祭りみたいなことに。なんと劇中と同じく雨にぬれそぼる、浅野内匠頭の墓石。大石内蔵助良雄の墓石。雨の中、すぐ消えるかもしれないが、四十七士に、お線香をあげできた。そして今日は吉良邸跡へ。心こめて。『忠臣蔵』-明治座公式サイト堤幸彦演出豪華キャストで描く、令和版『忠臣蔵』吉良邸襲撃、仇討ち本懐、時代劇の決定版!www.meijiza.co.jp討ち入り当日。12月14日と言われているが、討ち取ったは
今日は?このお話から??今日は討ち入りの日(`ー´)ノときは♫・・・元禄15年~♫12月14日(1703年1月30日)に、赤穂浪士!四十七士が吉良上野介邸討ち入りを行った日であります。赤穂市では赤穂義士祭、吉良邸跡である両国・本所松坂町公園と赤穂浪士の墓所泉岳寺において義士祭が行われているそうです。テレビ時代劇や歌舞伎の演目として人気の高い忠臣蔵であります。江戸城殿中にて吉良上野介に刃傷を負わせたとして切腹を命じられた赤穂藩藩主・浅野内匠頭の仇を討つため総勢47名の赤穂浪士達が立ち上がった物
12月14日といえば、私にとっては赤穂浪士の討ち入りの日の印象が強いです。東京港区高輪にある泉岳寺を始めとして、浅野内匠頭や吉良上野介の地元や吉良邸跡では、法会や義士祭などが行われます。泉岳寺にある主君と四十七士の墓は、いつでも空いているわけではなく、この日に特別に開けられ、毎回長蛇の列となります。子どもの頃から時代劇の好きな亡き父の影響を受け、時代劇を見て育っていたので、泉岳寺にお参りできた時は感動しました。今日もこの寒い中、お参りの人が多いのかな?さて、『日本の古暦➕α』をみてみましょ
おはようございます。気温は11,2℃、天気は曇りです。本日はかの有名な赤穂浪士討ち入りの日。元禄15年12月14日に起こった事件です。この事件を含めて一連のことを「赤穂騒動」と申すそうな。ことの発端は、元禄14年3月14日に、江戸城の松の廊下で、赤穂藩主浅野内匠頭が、高家筆頭の吉良上野介に切りつけたことから始まります。理由は私怨とのことですが、殿中での抜刀はご法度。浅野内匠頭は、将軍徳川綱吉の判断で、その日のうちに即刻切腹となりました。ここで浅野内匠頭の辞世
おはようございますご訪問ありがとうございます^-^今日は中学時代からの親友の誕生日世間では忠臣蔵の日だわねそうそう、浅野内匠頭の家臣が吉良上野介の屋敷に主君の仇討ちに入った日ねラヴィたんは食べ物に関する事案は君主(かーちゃん)より食べ物だよねインフルエンザが流行中予防頑張りましょうにほんブログ村
明治座「忠臣蔵」初日忠臣蔵は子どもの頃から映画、ドラマ、歌舞伎、文楽、講談などで飽きるほど見てきた。が、明治座での上川隆也と藤原紀香が見たくてチケットを買った。北風の強い寒い日で、のぼり旗が激しくはためいていた。イチョウ並木はすっかり葉を落として地面を黄色に染めていた。幕は上がっていて正面に忠臣蔵の文字が映し出されているだけで何の舞台装置もない。これに興味をそそられた。どうやるんだ?始まって驚いた。装置は箱形の衝立のような物が4つあるだけで、バックとその箱形のものに全て背景や
寒くなってきました🥶みなさん風邪などひいていないでしょうか。寒いので熱い話を。今週末は何があったかご存知でしょうか?ヒントは元禄15年です「忠臣蔵」です。「ただおみぞう」ではありません。「ちゅうしんぐら」です。ざっくり説明すると、「赤穂藩藩主の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が吉良上野介に切腹に処され
ステーキの店「バーク」で食べ終わったとき、奥さんがこう言った。「この紙ナプキンは綺麗に折りたたんではいけないんだって」「え、なんで」とおいら。「洋食マナーではナプキンを綺麗に折りたたむと、料理・サービスが不満でしたというサインになるってよ」「そうなんだ」でもおいらはそこで素直に『はいそうですか』という気持ちにはならないのである。「でもなんかそういうマナーって、差別的だよね」「え、なんで」「知らない人は知らないから、そこで知らない人を馬鹿にすることができる」すると聞いてたさ
たまに行くと面白いガチャガチャ新橋の切腹最中のガチャガチャまであるからびっくり‼️全国的に有名なのは知らなかった美味しいのよねぇお値段も良いけれどなんで切腹最中っていうか知っていますか?浅野内匠頭が切腹した場所の最中なんですよね、確か。久しぶりに買いに行こうかな。
YouTubeに忠臣蔵の名場面の一つである「南部坂雪の別れ」があるのが眼に入り…あ~今年もそんな時節が到来したかと…そしてハマってしまうと分かっていながら見てしまうことに…大雪の日…大石内蔵助は赤坂・南部坂に主君浅野内匠頭の正室であった瑤泉院の住まいを訪れる。それは仇討ちの覚悟、そして最後の別れを告げるために…瑤泉院は内蔵助のそんな決意をたたえようと喜々として迎え入れる。しかし内蔵助は間者がいることを見抜き、本心を告げられず、はぐらかす答弁に終始。瑤泉院はそんな不忠義な内
↑慶應義塾図書館旧館昨日のことになりますが、先週に続き福沢諭吉関係の史跡巡りで取りこぼした部分の回収に出かけてきました。というのも、先週に慶應義塾大学三田キャンパスに出向いたところ文化祭が開催されており、大学敷地内で進入禁止にされてしまったために福沢諭吉像の写真が撮影できなかったのですね。また、慶應義塾史展示館においても、文化祭絡みで人出が多く、展示品をしっかり見れていないということ、慶應義塾大学公式ショップへの立ち寄りもしていないなど、いろいろ再び行かねばという状態だったわけです。
忠臣蔵(元禄15年12月14日(旧暦1月30日)の話しのもととなる元禄14年3月14日勅使を接待する江戸城内で、浅野内匠頭は吉良上野介を襲撃した刃傷事件が起きました。内匠頭は即日現在の新橋4丁目31番地にあった田村右京太夫邸にお預け、即日、切腹を命じられました。現在、切腹最中のお店のある場所は新橋4丁目27です。だから、切腹最中は、浅野内匠頭が切腹した場所では無かったのです😭ざんねん!とは言え、もうすぐ12月です。浅野内匠頭が、3月14日
人を傷つけるために刺すという発想はポピュラーなものなのか❓️多分そうなんだろう母親はワタシを牛刀で刺したくらいだからね😑朝霞駐屯地の二等陸曹が赤坂で女性を刺した自衛隊員であれば刺すまでもなく女性の一人くらい簡単に殺害できるだろうに、なぜ刃物を使う❓️いや自衛隊員だからこそ刃物を使うことに躊躇が無いのか❓️それにしても準備万端殺す気満々で腹をおもいきり刺すまでの自衛隊員なのに目的が達成できないとは…言い方は不味いかもしれんが浅野内匠頭レベルの士道不覚悟ではないのか😑現
今朝の最低気温はー2,6度、最高気温予想は10度、天気晴れです。今日出かけるので、車を観たら、霜が降りて真っ白でした。30分前に、エンジン始動、ヒーターを点けておきました。20分で窓の霜はすっかり溶けて、中まで見渡せました。今日は2024年12月21日にTV録画保存した『赤穂浪士天の巻地の巻』を視聴しました。オープニング動画https://youtu.be/w-TlvmHuECY解説、https://ja.wikipedia.org/wiki/赤穂浪士_(小説)#1956
・築地から泉岳寺まで歩きました散策した日2025年11月03日(月)9時00分~13時30分散策コース築地川公園(暁橋)~築地本願寺~汐留橋跡~伊達家上屋敷跡~浅野内匠頭終焉の地~宇田川橋跡~水野邸跡~泉岳寺~細川邸跡概要元禄15年12月14日、大石内蔵助以下赤穂義士47名が吉良邸に討ち入り本懐を遂げた。一行は、亡き主君・浅野内匠頭の墓前に吉良の首を供えるべく、内匠頭の墓がある高輪・泉岳寺へと引揚げた。今回(は築地・旧浅野内匠頭屋敷跡から泉岳寺まで歩いた。
地球の皆さん、こんばんは。😃『白狐魔記6元禄の雪』斉藤洋/作、高畠純/画を読みました。時は、江戸時代徳川綱吉公の時代、【生類憐れみの令】が定着した世です。白狐魔丸は、松の廊下の刃傷沙汰を目撃します。咄嗟に浅野内匠頭に体憑依をかけて動きを封じ、吉良上野介を陰で助けました。浅野内匠頭は、感情の起伏が激しく、領民も平気で成敗しようとして、家来に止められました。癪持ちです。私もずっと引っ掛かっていた事、【果たして吉良上野介は本当に悪人なのか】どんなに問題有る殿様でも殉
松田定次監督による日本の時代劇映画。出演は片岡千恵蔵、中村錦之助、美空ひばり。<あらすじ>元禄14年、春。朝廷からの勅使、院使の接待役を命ぜられた赤穂藩主・浅野内匠頭は、指南役の吉良上野介に意地の悪い仕打ちを受ける。無理難題を切り抜けた内匠頭だったが、上野介の吐いた「田舎大名」の言葉に堪忍袋の緒が切れ、刃傷沙汰を起こしてしまい…。<雑感>「忠臣蔵」の映画を何本か視聴したのでまとめて感想を書く。内容はもちろん全部一緒。東映が総力を結集して制作した「忠臣蔵」は2部構成になっており
初めてヘルプマークをバッグに付けて電車でお出掛けをしてみた、ヤモリです去年、札幌に行った時にとってもお世話になった友人彼女から、東京に来る、と、少し前に連絡がありました。わたしの足もだいぶ良くなったので朝から、夜の出発の便までの時間、一緒にお出掛けすることに彼女が泊まるホテルから、帰りの羽田空港への移動を考え泉岳寺と浅草寺・ざっくり浅草散歩、に決めました。泉岳寺、わたし、行ったことなかったんですよ!四十七士のお墓があることは知っていたので1度は御参りしたいな、と思っていました
⇧赤穂浪士47士の墓(先に殉死した1名含めて48名います)⇧大石内蔵助の墓⇧奥・大石内蔵助の御子息の大石主税と手前・堀部安兵衛の墓⇧主君の浅野内匠頭の墓⇧吉良上野介の首を洗った井戸⇧大石内蔵助の像⇧泉岳寺山門⇧泉岳寺本堂赤穂浪士の墓【泉岳寺】高輪ゲートウェイに行ったので、泉岳寺にも寄って行きました。敵の吉良邸は、両国に有るのでよく前を通りますけど・・・🐾🐾泉岳寺にお詣りしてから赤穂浪士47士の墓に行きまし
**********************せっかくなので早朝の泉岳寺🚶♂️…⇩⇩⇩大石内蔵助浅野内匠頭四十七士堀部安兵衛大石主税大石内蔵助泉岳寺境内から高輪ゲートウェイ駅⇩⇩⇩泉岳寺退出…🚶♂️1~2分で高輪ゲートウェイ駅🎉9月12日オープン⇩⇩⇩⇩😲…高輪ゲートウェイ駅構内に彼岸花🌈レインボーブリッジ~?⇩⇩⇩🌅~夜明け⇩⇩⇩記念スタンプ…😼⇩⇩⇩帰り道、高輪ゲートウェイ駅からの泉岳寺駅⇩⇩⇩泉岳寺駅⇩⇩⇩泉岳寺駅から5駅
2025年9月10日(水)浅草木馬館にて大衆演劇を見て来ました~。長谷川劇団。通算19回目、今年3回目です。9/4残菊物語、9/5月詠草子に続いて見て来ました。浅草木馬館の9月の通しイベント「主役は愛京花」です夜なのに混んでました。大入りティッシュを武弥さんが飛ばしてた芝居:大忠臣蔵70分芝居すごい見応え浅野内匠頭が吉良に冷遇を受けているシーンから、松の廊下の刃傷沙汰、田村家で切腹に向かう浅野内匠頭と片岡のシーンまでをガッチリとちょうど1年前の2024年9
〒728-0015広島県三次市十日市町188−2にある鷺神社。令和7年御鎮座1350年を迎えた由緒正しき神社ですが、ちと小振りな神社。しかし、なかなか興味深い神社でもあります。御朱印は残念ながら、書き置きタイプですが、7月から8月まで風鈴祭を開催される、風鈴が涼風に響き渡る中の参拝は清涼で、きちんと清掃が行き届き、花などがキチンと飾ってあり、清浄な雰囲気です。中でも白眉なのは、「厄割玉」。穴のある石(素焼きの焼物)に息を吹き込み、身体の中にある悪い厄を石に吹き込み、御神木の左にある石
観光案内所で手にしたパンフレット。タイトルが「忠臣蔵のルーツは鳥羽にあった!?」興味津々で、読んでみました。内容を、ざっとまとめます。【忠臣蔵でおなじみ浅野内匠頭の母は、鳥羽藩主・内藤忠勝の姉の内藤波知。弟の内藤忠勝は、いわゆる忠臣蔵事件より21年前の1680年、芝増上寺での門前の警備をめぐって忠勝より上席の永井尚長からイジメを受け脇差を抜いて尚長に迫り、逃げる尚長の長袴を踏み前のめりに転んだところを刺殺。忠勝は切腹、お家は断絶。