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昨年の津軽旅で楽しみにしていたことが幾つかあって。そのうちのひとつが、棟方志功さん。初めて見たときから、志功さんの板画や絵に惹かれます。こちらは青森の、棟方志功記念館にある志功さんのお写真。おもわず笑顔になってしまう😊土砂降りの平日の朝、開館と同時に入場したら、他に誰もおらず、最初のうちはゆったり見ることができました。(20分くらいしたら沢山の見学者が一気にやってきて、たまげましたけど😅)どれも素敵な志功さんの作品中で、わたしが一番好きなのは「釈迦十大弟子と二菩薩」という板画でして。
東小金井の全国区の人気店“くじら食堂nonowa東小金井店“にて、限定の『津軽煮干ラーメン肉増し』1,200円を(訪問日:3/1)石井店長、平岡さん、男性の3人での切り盛り。ほどなくして提供。早速いただきます。表面を油で覆われた清湯スープは、煮干しをガツンと効かせた醤油味。やや酸味も感じられる中にクリアな煮干しの風味が堪らない美味しさいくらでも飲める感じ煮干し好きには堪らなく美味しく、このスープ大好きです麺は、無かんすいのストレート中細麺で自家製
凸撃りおちゃんねるをご覧の皆さま。こんにちは!りおたんです(・∀・)ノ☆今回は青森県弘前市三岳町『三嶽神社』へご案内致します(^^)※この辺。えー。毎年7月に小規模な宵宮(お祭り)のある弘前実業高校近くにある神社です。もちろん弘前市民にとってもマイナーな神社です←以前ブログに上げていますがその時には【心霊スポット】として訪れています。※参考資料『【検証】三岳公園に凸してみた』どもども(・∀・)ノ☆りおたん@歩く歩行
日本政府観光局(通称:JNTO)職員11名がプライベートで津軽を調査した。どのコンテンツも高評価だったようだが、やはりデジタルツールを始めとした整備不足が指摘されている。一方、「ねぶた灯籠作り」は私たちが独自に催行した2度にわたる調査ツアーで、多くの参加者から問題を指摘されている。同商品には電球やコンセントが付属されているが、海外では使用できないため、これらを別売にしてもっと安価に提供すべきだというものだ。ただし、数に限りのある「ねぶたの絵」を使用した戦略は十分魅力という評価に違いはない。El
思春期に少年から大人に変わる大人とは、裏切られた青年の姿である。途中、中学時代に私がお世話になつた豊田のお父さんのお墓におまゐりして、バスの発着所にいそいだ。どうだね、君も一緒に蟹田へ行かないか、と昔の私ならば、気軽に言へたのでもあらうが、私も流石にとしをとつて少しは遠慮といふ事を覚えて来たせゐか、それとも、いや、気持のややこしい説明はよさう。つまり、お互ひ、大人になつたのであらう。大人といふものは侘しいものだ。愛し合つてゐても、用心して、他人行儀を守らなければならぬ。なぜ、用心深くしなけ
🎶粉雪津軽には7つの雪❄️青森県東京の雪は?東北の雪東京都東北の雪⛄で、カラオケ🎤なら???やはり、粉雪❄️3月の雪⛄
津軽氏は戦国時代の末期に南部氏から独立を果たしましたが、以来、南部氏とは犬猿の仲となりました。津軽氏、南部氏共に壮大な「弘前城」そして「盛岡城」を築城しましたが、津軽氏は南部氏の侵攻に備え、弘前城の南部に「出城の如き寺町」を、それも2カ所も構築しました。どの城下町にも「寺町」は存在しますが、弘前の寺町は、規模においても群を抜いており、当に、最強の寺町といえるでしょう。まずは、「禅林街」から見ていきましょう。津軽氏の菩提寺である「長勝寺」を中核とした「禅林街」は、河川に挟まれた小高い丘に位置
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青森いいところだはんでみんな、来てけへ〜
お久しぶりです。2月に私にしては大きな移動をしました。東京へ「舌切雀」の舞台を見に行きました。一人で。好きな作家、太宰治さん原作の舞台で、島津亜矢さんが主題歌を歌うと知り、好きな人が2人揃った作品、これは是非とも行かなくては、目的地への行き方、電車の乗り換え方やら調べて準備しました。太宰さんの「お伽草紙」の中の一編、「舌切雀」は好きな作品で、中学生の時にこれが舞台化されたらと想像してシナリオを書いたことがありました。そして死ぬ前に一度、太宰さんのお墓参りに行きたいと思っていたので、舞台
弘前城の東門を出ると、文化センター前に、津軽藩祖:津軽為信の像が建っています。雄々しい姿です。津軽の地は、もともと南部氏の支配地でした。当時の大浦為信は南部氏の支配下にあり、養子先の大浦城にいました。大浦氏の祖は藤原氏で、かつては津軽6郡を支配していたといいます。南部氏の支配を脱し、津軽の覇者たるを志す為信は、元亀2年(1571)5月、石川(南部)高信の居城・石川城を奇襲し、これを落とします。そして次々と津軽の諸城を落とし、津軽の覇者となりました。天正18年(1590)、秀吉の小
毎週水曜日そのとき歌は流れた時代を彩った昭和名曲新沼謙治1976年のヒット曲嫁に来ないか友達がのど自慢で歌ったらしい1987年のヒット曲津軽恋女津軽には七つの雪が降るこな雪つぶ雪わた雪ざらめ雪みず雪かた雪春待つ氷雪新沼謙治はアイドルと呼ばれていたらしい訛がひどいが味のある歌い手だね1976年のヒット曲内藤やす子想い出ぼろぼろこれも良かったな身勝手な男に振り回される情景毎週水曜日録画して聞いてます今日の朝食豚肉、茄子、ピーマン炒めもずく酢
凸撃りおちゃんねるをご覧の皆さま。こんにちは!りおたんです(・∀・)ノ☆今回は青森県西目屋村村市『鹿嶋神社』へご案内致します(^^)※この辺。コチラは西目屋村の奥の方、ダムの手前の村市集落にあります。『津軽大北斗七星伝説』の神社のうちの一社として知られていますね(^^)※『津軽大北斗七星伝説』というのは坂上田村麻呂の伝説の一つです。今回はYouTube版も更新していますのでおヒマな時にでもご覧頂けると幸いですm(
バスに乗って丸亀製麺に行く↓天気が良いようなので、明日は丸亀製麺に行ってみようかということでおでかけ。こんなうどん話、バカバカしいでしょうが、この国には丸亀店舗があまり無いんですよ。地価は安いはずなのに店舗が無いのは、たぶんオットの大機雷な「津軽うどん」に負けている。で、バスの時刻表を見つつ、下車してからも雪道を歩き、辿り着いた丸亀製麺。麺の切り口が四角いのが美味しい証し、これちょっと角がとれていて残念、でもじゅうぶん美味しい。東京では帝劇ビルの地下にあ
どもども(・∀・)ノ☆りおたん@歩く歩行者です!今回の凸休は、、、藤崎町常盤『麺屋ぽっぽら』さんに行ってみたいと思います(^ω^)※この辺。えー。コチラは弘前市周辺では唯一かな?青森市系の煮干しラーメンのお店です!それがこの3月でJR奥羽本線の北常盤駅から退店することになったと。コレは今のウチに行くしかないです。ぽっぽらめっちゃ好きなんです。そんなワケで早速行ってみましょう!レッツゴー👊DATA
令和六年三月三日雛祭り我が一族の誇り歌姫演奏会お陰様で懐かしき地下津井へ我が釣りの源流たい公望御挨拶昔話に大輪の花が咲くまた来ます約束下津井に始まりいずれは下津井に終わる覚悟宿命必ず近い内にそう遠くはない未来この日の目的地むかし下津井回船問屋へ三味線と唄日本全国津々浦々南から北までもちろん郷土下津井節には心打たれる聴き入り過ぎて動画は津軽それもまた良し民謡の世界姪っ子によって学ぶありがたや来月には東京都は台東区浅草にて全
そこは「昭和」の駅だった。青森県は五所川原でJR五能線の列車を降り、宿に荷物を置いて津軽鉄道津軽五所川原駅のホームに立つと、そこには昔国鉄で走っていた客車が停まっていた。かつて鉄路を走っていたのは電車ではなく、機関車が客車や貨車を牽く汽車だった。客車の乗降扉は手動だ。この手動扉のおかげで昔は動きかけた汽車に飛び乗るという芸当もできたが、走る汽車から乗客が転落する、という事故もあった。鉄道ファンが「旧型客車」と呼ぶこのタイプの車輛は昭和50年代に急速に淘汰された。私の少年時代のことだ
こうして、心をかよいあわせたオホナムチさまとタケコさまは、さんにんの男の子とひとりの女の子をさずかりました。いちばん上の男の子、クシヒコさまは、出雲からでていきなさいと朝廷にいわれたとき、あらそわずに、したがう道をえらばれたむすこさんです。そして、クシヒコさまが朝廷にのこってくださったおかげで、縄文時代のたいせつな歴史書、ホツマツタヱが守られて、いまに生きるわたしたちも読むことができるのでした。くわしくは、こちらのお話↓を、読んでみてくださいね。『ホツマツタヱと日本のお国
津軽地方で、寒い時期に干して作る〈干し餅〉初めて食べた時は、歯が折れるかと思ったけど、ストーブの上で焼いたり、オーブントースターで焼いたりして食べると、サクッとして美味しいの♥️♥️♥️大好きな津軽の味です佐忠商店ほしもちAmazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}秋田の干し餅(ほしもち)20個Amazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}佐忠商店あげ干餅三色Amazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TE
まさかですpc不慣れな私のpcが突然おかしくなりましたスタートボタンクリックしてもスタート画面が出ません全く無視状態これが10日ぐらい前からですですから管理者ユーザーのWordExcelOutlookが開けないいつもより早く青色申告Excelで仕分け文書やっててホント良かったです、もう申告終わりましたからもしも途中で使え無くなればパニック状態ですよ皆さんはOnedorive使えこなせるでしょうが私は古い人間ですから新しい物よりも古くても使い慣れた方がいいんですよ思い出
【募集終了したそうです。お申し込みくださった皆様、誠にありがとうございます。会場でお会いしましょう!】「こつがる女子部」さんが素敵なイベントを主催してくださいます。3月23日(土)、佐藤陽子さん、工藤夕子さん、そして皆さんとともにおしゃべりをしながらこぎんを刺し、アフタヌーンティーを楽しむというイベントです♪古津軽のアフタヌーンティーはお紅茶ではなく(笑)、弘前のお茶屋さん「玉雲堂」さんの緑茶に、「津軽あかつきの会」さんの甘〜いおいなりさんやお赤飯、うんぺい!こ、これは、陽子さんのこぎん
どうも!ノリスケです。私はYouTubeで朗読配信をしています。今回は太宰治(1909-1948)の『母』を朗読しました。途中までは、なぜ「母」というタイトルなのか?という話の流れですが、最後まで読み終わると、妙に腑に落ちて、いつまでもその余韻に浸れる作品でした。私が今まで読んだ太宰治の作品の中では、一番の傑作だと思いました。(個人の感想です。)多くは語らないことにします。では、ぜひお聴きくださいチャンネル登録もよろしくお願いいたします。にほんブログ村朗読ランキング早割母
三人の相馬大作Amazon(アマゾン)1,210円江戸時代後期の武士。本名は下斗米将真(しもとまいまさざね)、通称は秀之進。弘前藩主暗殺未遂事件「檜山騒動」の首謀者として知られる。一般に知られる「相馬大作」は変名である。盛岡藩領の福岡(現・岩手県二戸)にて生まれ、18歳の時に江戸へ出て剣術、兵学などを学んだ。帰郷後は福岡で私塾「兵聖閣」を開き門弟の指導にあたった。大作の主筋である盛岡藩主・南部氏と支流にあたる弘前藩主・津軽氏は長年対立していたが、弘前藩主・津軽寧親がワイロをもって昇
凸撃りおちゃんねるをご覧の皆さま。こんにちは!りおたんです(・∀・)ノ☆今回は青森県西目屋村『乳穂ヶ滝』へご案内致します(^^)※この辺。えー。以前の記事でも取り上げましたがコチラは例年結氷する滝として有名ですね(^^)※参考資料『【凍る滝】乳穂ヶ滝に行ってみた』どもども(・∀・)ノ☆りおたん@歩く歩行者です!今回の凸りおは、、、西目屋村にある乳穂ヶ滝に行ってみたいと思います(^ω^)その年によっては完全結氷するので…amebl
和本江戸天保3年(1832)馬嶋流眼科写本「明眼伝記」1冊/尾州馬島明眼院/津軽進藤良策/古書古文書/手書きです。<br>34丁。横本(14cm×19.5cm)。手書き。【書名】明眼伝記【巻冊】1冊【著者】津軽進藤良策【成立】天保3年(1832)
【弘前・函館シリーズ】に入ります。津軽は、津軽藩祖・津軽為信が登場する前は、南部家の植民地でした。例えば、南部藩のお手伝い普請の指示が出れば、たとえ農繁期であっても、普請手伝いに駆けつける必要がありました。出羽の安東氏との戦いでは先鋒を命じられ、百姓の年貢は重く、取り立ても厳しいものがありました。為信は津軽の地頭家(久慈家)の次男に生まれ、一族の大浦氏の養子となりました。為信が「大浦城主」となったのが、永禄10年(1567)と言われています。暫くして、大浦為信は、「津軽を
2月27日生まれの歌手徳永英明新沼謙治清水翔太石坂智子マークパンサー富田靖子浮所飛貴(美・少年)オススメ曲は…レコードシティ新沼謙治「津軽恋女」1987年のヒット曲作詞久仁京介作曲大倉百人原案永井俊一新沼謙治28枚目のシングルwikiによると…この曲のサビの部分は太宰治の小説『津軽』の冒頭からヒントを得ており〈津軽には七つの雪が降る〉との歌詞から〈こな雪・つぶ雪・わた雪・ざらめ雪
凸撃りおちゃんねるをご覧の皆さま。こんにちは!りおたんです(・∀・)ノ☆今回は青森県弘前市相馬地区のお祭り、『沢田ろうそくまつり』へご案内致します(^^)※この辺。えー。『沢田ろうそくまつり』というのは450年以上前から続く歴史ある奇祭です。岩壁にろうそくを立てて翌日の溶け具合で豊凶を占う儀式という感じですね。旧相馬村の最奥部の集落の一つであるこの沢田地区にだけ伝わっていることから平氏の落人伝説との関連も噂されます。
自宅でカップラーメン部活動マルちゃん青森津軽煮干しラーメン激にぼ監修してるラーメン屋さんの中ではひらこ屋さんは食べた事ある〜♪(´▽`)頂きましょ〜食べたら実家にゴー
こんにちは。いつもご訪問くださりありがとうございます。このごろになって弘前は雪国らしくなっています。辺り一面雪。そして牡丹雪が降り止まない休日です。さて今日は渋柿園会員斎藤ひでをさんの第一句集『津軽路』をご紹介します。私たち会員はひでをさん、ひでをさん、と気安くお呼びしていますが、長く中軸として渋柿園を支えてこられ、青森県が誇る現代俳人です。これまでのご活躍を考えると句集を編まれなかったことが不思議でもあります。今日はそのひ