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鉄橋の赤、あずき色です。さて、塗ろうと思って気が付きました。屋根、つけちゃっていた・・・マスキングテープで保護して塗りました。なんだか、休んでいて手順がちぐはぐになっている・・乾くのを待っている間に、線路を塗っておきます。線路が乾くのを待っている間に、支柱の方が乾いて来たので仮置きしてみました。色がつくと、雰囲気が変わります。
屋根を支える部分が弱いように見えたので、1mm×4mmの桧材を貼って横方向に支えをいれました。足の部分も頼りないので補強しました。梁と支柱は鉄橋を作った時の赤にしますが、接着剤が乾くのを待ちます。
4月27日は2015年に、北鎌倉洞門が閉じられた日でした。フェンスの隙間から光くん撮影=先月
屋根の上部のH鋼をつなぐ梁を入れます。1mm×4mmの桧材を使います。H鋼のくぼみの所に入れてつなげました。梁に合わせてプラのH鋼を使って支柱を立てます。斜めの支えは2mm角の桧材です。支柱の下部は1mm角の桧材でつないで補強します。仮置きしてみました。
3週間ぶりのジオラマです。間隔があいてしまったので、洞門の屋根部分の場所を確認から。地面の支柱を乗せる台になる部分は、幅5mm厚さ2mmの桧材があったので使います。屋根の高さを決めて、屋根部分を支える横方向のH鋼を支えために崖側に1本2mm角の桧材をつけました。横から見るとこんな感じです。屋根の裏側に3mmのH鋼をつけました。タミヤの透明プラ材です。プラなのでGクリアを使ってみました。なんとなくボンドより扱いさすそうな気がしたので。早く乾きますが、久々なので今夜はここまで。進まな
続きです。4本目(公式には1本の隧道?)の隧道、中津市街地に一番近い側の隧道の手前で分岐していました。まずは車道のほうを直進します。ここも完全素掘りですかね。振り返りズームで通ってきた隧道たちを撮ろうとしましたが、明るさの差の関係でうまく撮れない…。で、通り抜けると石碑がありまして…。全部を通り抜けしました。中津市街地から来るとまずこちらが入口ということになるので、石碑というか看板というか…が設置されています。(上の写真はその裏側)で、そこからちょっと入
禅海和尚の手掘り洞門を通った後、そのまま車道を進みます。場所はこの辺、大分県中津市本耶馬渓町樋田。素掘りの隧道が口を開けています。明治に大改修されて車も通れるようになったのがこちらということで良いのですかね?こうして見ると隧道が何本か続いてあるように見えるのですが、まとめて「青の洞門」と呼ばれているようだし?Q地図様には「洞門隧道」「1905年(明治38年)生まれ」「延長230m」と1つの隧道として記載されているようです。洞門隧道て…。それでは通ります…が、右斜め下の空間は
大分旅行2日目、中津駅前でレンタカーを借りてまずやってきたのが耶馬渓エリア。観光用の駐車場にレンタカー停めて歩きます。観光マップ。見てみたいところが色々ありそうだけど、この日は行きたい場所が何か所かあり、所要時間とか生じるであろうロスタイムとか考えると優雅に観光してる場合でもなかったりするのですが…。でも焦らないようには心がけたし、行きたいところはほぼ行けたので良し。目的地に向かう前にまずはここ。けっこう前ですが、静岡新聞だったか何かでこの禅海和尚の手掘り洞門について
いよいよ、洞門に取り掛かります。屋根にあたる部分はコンクリートにするのでタミヤカラーXF-19で塗ります。支柱の土台になる所も同様に塗りました。ここで、取り付け場所の確認すると間違えに気が付きました。後ろの崖は地面の後ろに当たる部分は平らにしなければならいので、ブロックを作ってしまいました。あ~~作り直しも考えました・・・が、後ろに踏み台を設けることにしました。ケースの蓋が閉まることを確認し、地面より少し低く外側に傾くようにしました。その分、手前に出てしまいます。大丈夫だろう
網の接着剤が乾きました。汚れた感じになってきました。端の始末をします。1mmの桧材をベースの色に塗ります。網の下に着けました。洞門側の壁に茶色を薄く塗り土をつけます。広い範囲なので、ボンド液を筆で塗ってバラバラと振りまきます。線路がのる部分の側面も同様に。線路がのる部分は追加で撒いて上からボンド液を垂らしました。ここまでで一晩おきます。次は洞門部分ですが、なかなかモデルさんが見つからないので、たぶんこうかな?で進めていきます。
今回は、中津市本耶馬渓町の青の洞門を散歩しました。スタートは、青の洞門駐車場です。ここから青の洞門を撮影しました。この風景が耶馬溪って感じです。駐車場の向かい側に、競秀峰登山口があります。ここから、登山します。思った以上に急な上り坂でした。登山道を進みます。木々の間から山国川見えます。かなり登ってきたことがわかります。しばらく進むと、妙見岩に到着します。ここから登山道を進むのですが・・・道幅がかなり狭くなった上に、片側
三段峡まで、行けばよかったかもここは加計BS加計の街からは、まだ離れてますが、歩くことにしました可部線の橋脚がみえ〜る頭上をゆく中国道三段峡って、近くない?津浪洞門を見てみるからの津浪駅に向かう橋脚を花を見ながら、津浪駅に売店みたいなショップになってます駅名板がなかったら、所在わからない
ブロックの上の崖に土の落下を防ぐ網か枠を作りたいので材料を物色。「何かに使えそう。」と、取っておいたお菓子が入っていた袋。「何かに使えそう。」が物が増える原因でもありますが、たまに「使えそう」となるので仕方ないです。口の部分をほどいて切り出します。タミヤカラーFX-57を塗ってみましたが差が分からず・・・地面の土台となる色に変更。ちょっと網っぽくなりました。かわくと、硬くなって波ができました。ボンドで貼り付けますが、浮いてしまうので重しを乗せて一晩放置。くっついたようなので、上
ブロックの上に土をのせ、ブロックの隙間に土を入れます。まず、少し細かい土を撒きます。ブロックの間はもう少し細かい土を入れました。上の方は少し粗い粒の土を上に追加し、ブロックの表面にも細かい土をかけました。ここでボンド液が乾くのを待ちます。その間に、水面に当たる所の柵を作っていきます。ダイソーのペーパークラフトバンドキットと1mmの桧材を組み合わせることにしました。交互に貼り付けます。貼り付ける前に色を付けた方がよかったかなぁ
ブロックの仕上げを後回しにして線路を置く地面に色をつけます。こちらもカラージェッソグレイV-5です。高さの上半分は地面、下半分は柵にしようと思うので、そのままに。柵はダイソーのペーパークラフトバンドキットか、宅配便の袋の内側か迷っています。本とか小物が入っているヤツです。以前、鉄橋の下の川の両脇の柵はコチラでしたが、迷ってます。
崖の部分の下地を塗ります。カラージェッソグレイV-5です。ポツポツとむらになっていますが、乾いたらどうなるか様子をみます。大丈夫なようです。上の部分は土なので、別の色を上に乗せます。タミヤカラーXF-64です。ブロックの部分は触るとまだ指に着くところがあるので、もう少しこのままにします。もう少しやりたい所ですが、あと2週間くらいはこんなペースかなぁ
幼稚園児で読んだ絵本で凄いお坊さんが居たんだと洞門をずっと見たいと思っていたけれど来てみて凄いとは感じたけど幼稚園児の頃に思っていたのとは違いましたね😓だけど手彫りで作られた洞門のおかげで川に落ちずに安全に行き来が出来るようになって助かった人が多くいたのなら和尚さんはやはり凄い人だったんだ😄
こんにちは。早速始めます。長野県道8号線は飯田南木曽線といって、飯田と南木曽を結ぶ県道です。この道は、木曽の深い山々を抜ける数少ない道ですが、山間部はとても険しいため険道となっています。さらに山岳区間はほぼ険道といっていいほど距離も長いため交通量はとても少ないです。また近くに2車線の国道256号が走っているのも要因と言えます。しかし険しい山を登って峠に着くと珍妙な洞門とも隧道ともとれる謎のトンネルの様なものがあったり展望台からの綺麗な眺めなど香ばしい要素がいっぱいなので、面白い
こんにちは。前置きなしで早速行きます。長野県道6号線は、そのほとんどが岐阜県の区間の県道です。正式名称は中津川田立線といって南木曽町田立地区から中津川市を結ぶ県道ですが対岸に国道19号が通っている事や未改良区間がひしめいていることで交通量はとても少ないです。未改良区間は、ほぼ0.5車線で大型車通行止めとなっています。また県境付近で一時的に2車線になるものの洞門を過ぎるとまた未改良区間となっています。ただし未改良区間は短く岐阜県にはいってほどなく2車線となります。県道ランク(長
奥の崖の下はブロックが並んでいるようにします。鉛筆で下書きしました。竹串で下書きの線をなぞります。縁を斜めに押しつぶしていきます。ブロックの上は土が見えるようにしたいので削りました。洞門の中はコンクリートでいいかなと。もう少し土の部分を削ったら、色を付けてみます。色がつくと雰囲気がわかるかなぁ
モデルさん探しがなかなか進まずです。先生からは「とりあえずこんなイメージというので作ってみたら?」と。まあ、まずは手を動かせってことで。車両が通る所の高さを45mm取ると、水面から20mm高さしか取れません。後ろのスタイロフォームを10mmのものにしたので、横から見るとこんな感じ。一番大事なケースに納まることの確認。背面のスタイロフォームの上に緑が乗ることを考えると、これが高さの上限かな。例年、年度末からゴールデンウィークが明けるまで、仕事が忙しくなります。そうな
今回のテーマは、「洞門と橋」です。半トンネルと言うか、トンネルの片側が空いている?ヤツです。覆道とも言うのかしら。とりあえず、「洞門」とします。モデルさん探しをしようとして、ふと思いついて、先生に話したら「いいですね」ということになって、いろいろ検索しながら始めます。毎回下敷きを合わせるのが面倒なので、型紙を厚紙で作ったので、今回は楽ちんです。5ミリのスタイロフォーム合わせてカットしました。使えそうなスタイロフォームと、3mmのH型のプラ棒。「まずはやってみて。」と言うことなので。
昨日(3月3日)、水石会の元会員のお宅を十数年ぶりにお伺いしました。私が平成10年入会した当時、すでに大先輩で古参の会員でした。その頃の楽しく懐かしい話に花が咲きました。先輩から譲っていただいたのが下の三倉石です。ただでは申し訳ないと、食事代程度をおいてきました。この石は、石付き盆栽に使用されたもので1年程前に盆栽が枯れて、放置されていたものです。兜の鍬形とか動物の角のよう立っていて、その間のU字型の底には小さな突起が観音様のように立っているのが目に付く石です。
かつて、宍粟の奥地へと向う際の難所として知られていたこの場所に、洞門が掘られたのは明治36年頃であるとされています。現在も川に面した岩肌には、かつて桟橋を架けて通行していた際に、腕木を挿していた四角い穴が残っています。兵庫県宍粟市山崎町与位駐車場はありません与位の洞門付近は、「下乢(しもほき)の奇岩」と呼ばれ、味わいのある風景を見せています。揖保川上流部へと向かう交通の難所であったため隧道が掘られました、最初は明治36年ごろで、2年間を費やしたとのことで、ついで昭和
曽我浦トンネル旧道(?)を抜けた続きです。場所はだいたいここら辺、静岡県熱海市熱海。伊東→熱海方面の車がかなり多いですね。で、この先で上下線が分岐しているようです。ここから先「曽我浦大橋」だそうです。こちら側にしか歩道がなさそうなので、というか道路を渡るところもなさそうだったのでこのままこちら側を歩いていますが、対向車線側に洞門が見えます。あのギリシャの遺跡のような素敵な洞門の名前は「曽我浦片5号隧道」というお名前で1939年(昭和14年)生まれ、土木遺産(PDFファ
昨夜のプチホテルは、安価なのに部屋が広く寝具等も清潔で、良質なホテルでした。地方のホテルは、正直泊まってみないと「良し悪し」が判らず、偶に酷い目に会いますが、昨夜のホテルは、正直良かったです。さて、今日は「親不知・子不知」の難所を越えて行きます。昔の旅人は、約10㎞の海岸線を「命がけで歩き」ましたが、今は「崖を打ち抜いて」国道8号線の「洞門」が造られており、ここを歩いて行きます。前方に洞門が見えます。昔の人は、左下の海岸線や山裾を歩きました。洞門内は「信号がない」ので、自動
おはようお正月3日目今箱根駅伝を見てます。洞門大好きな私にとって函嶺洞門を見るのかとても楽しみですね。今は函嶺洞門は何故か通行止めになっています。箱根に行ったらぜひ函嶺洞門を見てみたいですね。今日も素敵な正月休みでありますように。
【23年10月29日探索・24年1月3日公開】現在地はこの辺また橋があった。ポニートラスの橋なのは特徴的なんだが、通過するドライバーはあまり覚えていないかもしれない。榮橋、昭和28年架橋、第一いろは坂が対面通行で開通した時からの橋と思われる。よく見るとリベット締めが目立つ、年季のある橋だとわかる。その先には洞門があるが、名称などの情報はなかった。洞門を抜けるとすぐ橋があった。深澤橋、昭和42年4月竣工という銘板があったので、ここには
アキラ「あの岸壁の穴は馬の背洞門というらしいよ。」カナエ「へぇぇ。‥そう言われると馬のように見えるね。」二人は馬の背洞門を目指して歩いた。道中、岩礁が止み、砂地が現れた。砂地を抜けると、其処には凛と佇んだ岸壁と巨大な洞門があった。カナエ「海流に浸食されて穴が開き、地上では風化によって拡がったのかしら。」カナエが想像を膨らませて告げた瞬間、ドゴォォという地響きから海流が洞門に向けて流れ込み、二人は海流に飲み込まれた。