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エンドキサンの副作用は直ぐにあらわれた。次女は放射線にせよ化学療法にせよ副作用が強くあらわれてしまう体質のようです副作用があまり出ない体質の方が羨ましいです。【9月17日】エンドキサンを2日連続入れた翌日全く食欲もなく3食とも全く食べる事が出来なかった吐き気もある。採血の結果ケトン体が出ているらしく余計に倦怠感が酷いのかも知れないとの結果点滴も変わることとなった。身体がしんどいのか寝ている事が多い。【9月19日】ほとんど食べれないまま。大学病院に戻ってから起き
月曜日から金曜日の平日看護学生さんが実習のため次女の所に来ていた。これは、強制ではなく学校の先生が担当させてもらっても良いか?と確認に来られてOKしたら子供1人につき学生さんが勉強のため付く。協力的なものであり駄目なら断っても良いとのことだった。しんどい時だったし私も次女もそんなにフレンドリーに話せないし受けるべきか悩んだけれど学生さんにとって、勉強になるのならお役にたてるならとOKした。しかし、この学生さんもあまりお喋りな方ではなく微妙な空気が息苦し
1クール目のこと。久々の自宅で無事誕生日会もすることができた!延期してきた化学療法の再開。【月曜日】やっと熱も下がり化学療法を再開する事が出来た。午前中オンコビンを注入。体重を計ったら19.9キロになっていた。20キロをきってしまった…。このまま痩せていったらどうなるのかと不安になった。1クールでここまでの体重減。これで8クールしたらどうなってしまうのかと。体力的にも大丈夫なのかと不安で仕方なくなる。【火曜日】体重は、更に減っていて19.7キロ。8歳女子の
前回の続きです。CVカテーテル感染を疑われカテーテルの入れ替えをすることになるかも知れないと不安だったけれど翌日も熱は落ち着いたままだった採血で血液培養の結果も問題はなかったようで、もう暫くこのまま様子を見ることとなった。もしかすると、白血球を上げる薬のグランの影響もあるかも知れないとの事。化学療法もお休みしているからか次女も食欲が出てきたM先生からの提案でこのままお熱が落ち着いたら次の薬を入れるまで一回お家に帰りますか?次女ちゃんは緊急入院になってしまって暫
CVカテーテルからの感染での発熱を疑われた次女。まずはカテーテルを使わず手からの点滴。熱が下がってからもう一度カテーテルを使って点滴をする。それで熱が上がらなければ入れ替えしなくても良い。熱がまた出るようならば、CVカテーテルの入れ替え手術をすると言うことになった。CVカテーテルは左胸に入っているので入れ替えるとなると右胸に入れるとの事。これ以上傷を増やしたくないし痛い目にも合わせたくない。熱が下がるようカテーテルから点滴をしても発熱しないようにと祈った。発熱で
【1クール目のこと】発熱のため最後の薬のエンドキサンが延期になった。治療を延期中熱も治まってきてエンビラ(簡易無菌)からも出ることが出来たがまた熱が出てきてしまった。38度を越える。採血結果は、特に問題はなくもしかしたらとCVカテーテルの感染の可能性を疑われた。カテーテルは二股に分かれていて、分かりやすく赤いライン白いラインと色分けしてある。カテーテルからの発熱の可能性もあるので今まで白ラインから点滴を入れていたが(赤ラインは採血に使っていた)夕方から赤ラ
【1クール目のこと】次女が発熱する前日に私の両親が、お見舞いに来てくれた。付き添いはOKとは言え沢山の人数は入れない。2名ほどがスペース的にも常識的にも望ましい。両親がお見舞いに来てくれたと言うことで両親が次女に付き添ってくれている間夫と私と長女で近くのショッピングモールに行き、付き添い生活で足りないものなど買い物した。長女はずっと手を繋いでくる長女には淋しい想いをさせている…胸がズキンときた。長女も可愛い我が子。そして淋しいとも言わず頑張ってくれている
両親の法要で胸にグサグサ来たことがあった父の弟の奥さん。血の繋がりはないけれどおばさん悪い方ではない。軽度の認知症を患っているのも理解はしている最初は「お姉さん(母のこと)何歳だったん?」「お姉さん病気にならんかったらまだ生きていたのにねぇ〜」これを何回も何回も繰り返す……『そうだねぇ病気になって早かったからね』とその度に返事をしていた。そのうちターゲットは変わった。「孫は誰も死んでない?」から始まり「誰の子が死んだんだっけ?」を何度も何度も聞いてく
続きです。初めての化学療法。次女のことに必死で自分の体調になかなか目を向けれない日々が続いていた。次女の脳腫瘍が分かる一年ほど前に私は顎関節症になっていた。口がなかなか開かなくて二本の指さえ入らない一本の指が入るかどうか…。思いっきり開けるとガクッガクッと二段階に何とか開く状態。しかも、かなりの痛み。顎関節症の治療をしたくて色んな歯医者をまわったり電話したがなんせ田舎…なかなか専門医も居なくてこのまま口が開かない人生になるのではないかと悲観した。そして、ネ
【1クール目のこと】何もかもが初めてで不安恐怖ストレスで情緒不安定だったわたし病室、病棟を出て一階のトイレに行き隠れ泣きをしたり、日記に書くことで心の整理をしてそして次女に不安を与えないように笑顔で接するように心掛けた。1クール目の治療で他にも症状があらわれた。腰が痛くて堪らないという。担当医のI先生に伝えるが様子を見ましょうのまま。主治医のM先生に伝えるとあまり続くようならレントゲンを撮ってみましょうと。その頃から左肩が痛かったり腰痛が酷くなったり…
今月も9日がやってきました今日は次女の51回目の月命日です。しかし、両親の法要を明日に控えているので次女ちゃん今月はごめんねあの時間に向き合うことができませんでした。朝一番に次女に向き合い話をしていると涙がボロボロと出てきました。先月は泣きそうになりながらも泣かなかったのに今月はとめどなく涙が溢れてきた月命日となりました。今日ゆっくりと向き合えない罪悪感みたいなものもあったのかも知らないけれど今までの次女に対しての後悔や懺悔みたいなものがどんどん出てきて涙も出
【1クール目まとめ】次女の小児腫瘍髄芽腫の治療はランダオンコビンエンドキサンの薬の化学療法だった。一気に続けて投与するのではなく1週間ごとに投与していくじわじわとダメージもくる方式。肝機能が下がり肝臓を保護する薬の投与があった。8月11日から治療をスタートし8月22日には、骨髄抑制が始まってきて来週にはクリーン(エンビラ)になるかもと言われた。同室の三人はエンビラに入っていてどんなものかは分かるがいよいよなのかぁと更に身が引き締まる思いだったそして、白
【8月15日】お盆休み中の夫が8時頃に来てくれて付き添いを代わってくれた。7月後半に急に入院になってしまったのでとりあえず必要なものは持ってきてもらっていた。しかし細かい荷物は私にしか分からない。大学病院と自宅はお隣の県で遠い事もあり新幹線に乗り準備するために自宅に戻った。20日ぶりの帰宅だ!荷物は次回夫が車来る時に持ってきてもらう事になっているので持ってきてほしいものをとにかくまとめた。家に帰ると細かい用事も沢山あった。銀行に行ったり、家のことも家族に分
次女が8歳の頃闘っていた時の事になります(今現在ではありません)食のこと1クール目だけではなく8クール終わるまで1年に渡る『食』との闘い。化学療法をしていると倦怠感、吐き気嘔吐そして味覚が変わってしまうこともある。次女は副作用の反応が凄くてとにかく食べれないので点滴が外せなかった。そして「食」と言うことに疲れた時期があった。ここの大学病院は、骨髄抑制の起こっている時期の生物禁止時以外は何を食べても飲んでもOKだった。しかもいつ飲食しても良いという
【8月18日】2回目のオンコビン投与。オンコビンの一番の副作用は腸の動きが悪くなり便秘になりやすいとの事だった。確かに化学療法を始めてから次女は便秘気味ではあった。そしてこの日師長さんが隣の部屋の窓際が空いたので移動しますか?本当はその部屋の出入り口側のお二方の移動が普通なのですがお二人とも同時期の入院でしてお互いに譲りあわれてて、このまま移動なしで良いとのことなので次女ちゃんどうですか?これから長期入院ですし窓際の方が良いと思いますので遠慮なくどうぞ!と声
次女の化学療法の薬は(髄芽腫の治療)ランダオンコビンエンドキサンを投与するものだった。ランダ→シスプラチンとも呼ぶオンコビン→ビンクリスチンとも呼ぶエンドキサン→シクロホスフォミドとも呼ぶ大学病院ではランダオンコビンエンドキサンという呼び方をしていた。化学療法のやり方によってはこの薬たちを間をあけずに1日単位で連続投与するそうだが次女の場合は最初のランダオンコビンのみ連続であとは1週間に1度の投与だった。1週目ランダオンコビン2週目オン
【8月11日】この日から化学療法スタート全8クール予定の1クール目初日。夫も会社を休んで来てくれた。10時から始めるということでその前に吐き気止めなどを入れた。しかし遅れることになり11時45分からスタート。緊張の時間が長かったマンニトールとCDDP(ランダ)を6時間かけて投与。入れ始めて夫も私もいつ体調が悪くなってしまうのか吐き気が来るのかとドキドキしていたが体調が悪くなることもなく無事終了した。化学療法の初日なのに反対に体調がよくコーンスー
本日は少し当時のひねくれ(?)思想が入ります。苦手な方はお読みにならないことをお勧めします。【8月10日】翌日から化学療法が始まる。何とも言えない気持ち。根治を目指すためもし悪い細胞が残っているのならば完全に叩き潰したい。しかし化学療法も放射線治療と同様正常な細胞まで傷付けてしまう。内臓にも影響はある。健康な部分にまで影響がでてしまうと思うととても複雑な想いだった。早く医療が進歩がして悪い所だけをやっつけてくれる治療ができてほしいと思う。今日も髄
【8月4日】久々にMRIを撮った。結果はまた髄液が溜まり気味だと言うことで医療用磁石を使って圧力を変えた。頭に入れているシャントバルブに医療用の磁石を当て圧力を変えます。これで更に髄液が流れることになりまた気分が悪くなるかも知れないとの事。だけれども慣らしていくしかなく乗り切るしかない。そして抜糸もした。抜糸と言えば我慢しながら大泣きしたことがあり抜糸自体に次女もトラウマがあった。しかし、腫瘍摘出の時ほどの傷跡ではなかったので思ったよりもスムーズに無事終了し
術後から1週間のことそれからの1週間は傷の治癒に向けて←これは日にち薬なので消毒をしながら待つしかない。脳圧を変えていく←医療用の磁石を頭のバルブに当てて圧力を変えていく。これは頻繁にするものではなく1~2回変えた程度。まだ頭に溜まっている髄液をどのように流して正常な脳室の大きさにしていくのかそれは少しずつ身体を起こして行くそうだこれが簡単なようで全然簡単ではなかった。水頭症を発症して手術。そしてICU→一般病棟へその間ずっと寝転ん
【7月29日】この日は次女の8回目の誕生日これからの約1年間は治療メインの年になってしまう。苦しい1年になってしまうことは確実しかし、次女にとってこれからの人生に向けて大切な1年になる。少しでも楽しい事を見つけながら頑張って行こう。朝の9時位に夫が自宅から頼んでいた荷物を持ってきてくれた。急な入院だったのでまだ完璧な入院準備ができていない。入院してみたら足りないものだらけだ。これから1年ここの病院で過ごすのでかなりの荷物になる。24時間付き添いの病院
【7月28日】ICUにいる次女の付き添いを夫と交代しながら過ごしていた。付き添ってない時は寝たり長女と過ごしたり。長女はこの日夫と帰宅することになっていた。長女も塾もあるし部活もある。帰るとなるとやはり寂しくて寝ている時は長女を抱き締めて寝ていた。この日の次女はだいぶ回復してきて大きい息ができたりあくびもできた今までは傷の痛みで出来なかった事ができはじめた。笑顔も沢山見れたこんな、些細な事でも最高に幸せを感じる。ハイテンションになっている自分がわかる。
人は楽しい時に鼻歌など歌ったりするけど私は悲しい時辛いときに歌を歌ったりするとっても悲しそうに歌ってしまうのだけれど……次女が言っていた。忘れられない歌とその風景があると。市民病院のICUで付き添えた時にずっと『100%勇気』を歌っていたようだ。勿論元気良くではなくてめちゃくちゃゆっくりバージョンで次女をトントンしながらとても悲しそうに口づさんでいたらしい。4倍速くらい遅い感じだったらしくママの悲しそうな顔と歌を覚えていると言っていた悪いイメージになっちゃったね
【7月27日】ICUの家族待合室があり個室になっていた。昔の病室がそのまま待合室だったので古いしちょっと怖い感じの部屋。古い棟で今は使われていない病室。何気にみると出入り口のドアの上に面会謝絶の文字とその掲示板に電気が点くようになっていた昔沢山の重病の方が治療されたであろう的な部屋。古すぎるほどに古いし。うん…ちょっと怖い夏休みに入っていたので夫と長女が来てくれていた。夜中の1時半頃に電話がなり慌てて電話に出るとICUの看護師さんからだった。何
水頭症になり緊急手術になってしまった。少しずつ髄液が溜まっていっていたのかな。あの耳鳴りはやっぱりそういう事だったんだ。もう少し早く気付いてMRIなりCTを撮ってもらっていたら、こんなに痛く苦しい想いをさせなくて済んだかも知れない後悔していた。でも今は無事手術が終わるのを祈るしかない。VPシャント術そしてCVカテーテル挿入の手術が行われている間、無事終わるようにずっと祈っていた。母から電話が来た。「あんなに誕生日はお家でできるって楽しみにしていたの
水頭症になっていた事から緊急手術をすることが決まり直ぐに手術を行うのかと思っていたが手術は15時~とのこと。それまでこの痛みは??我慢することになるの??手術が決まったことで小児科病棟の個室に入った。直ぐに脳圧を下げる点滴を開始。すると少しずつ頭痛も和らいできた。勿論完全にではないが意識が遠のくほどの頭痛ではなくなっていた。良かった‥‥手術の時間まであの痛みがずっと続いたいたらどうしようかと思っていたよ直ぐに手術開始とはいかずその前にレントゲン心電図
水頭症に似た症状で激しい頭痛をうったえている当直の医師が待っててくれるというので直ぐに次女を抱きかかえて大学病院に向かった。向かっている途中も頭痛に嘔吐。どんどん頭痛が酷くなっている。この8時間位で急激な悪化だった。高速を使っても2時間近くの道のりが余計に長く感じた。隣で頭をかかえてもがきながら辛そうにしている次女を支えながら早く着いて!早く着いて!!気ばかりが焦る。やっと大学病院に着くと当直の医師が待っていてくれた。ありがとうございます直ぐに点滴を開始し
前回の続きです。嫌な予感しかなくとりあえず必要なものの入院準備をして寝室に戻った。入院準備をしている間、長女と実母が次女をみてくれていた。そして、夜中。長女は寝ていて寝ていたはずの次女は起きていた。そして、頭が痛いとうったえる母には、もう寝てもらい私が隣でお腹をトントンしていると次女はまた寝ることができた。しかし、朝の4時頃に次女は起き上がり座った。そして、吐きそうにしている。直ぐに対処できてちゃんと袋に吐くことができた。頭痛に嘔吐。市民病院の時の水頭
次女の頑張ってくれた記録を残したいという想いとその事を書くことで少しでも誰かの参考になったりお役に立てたらいいなという想いで記しています過去の話となります。そしていつも読んでくださったりいいねくださってる皆様ありがとうございます♡いいねは『頑張ったね!』のいいねと励みになっております。___________________________________________大学病院の2回目の受診からずっと元気に過ごせていた。もうすぐ次女の誕生日で次女の好きなケー
1回目の大学病院受診から吐き気は落ち着いて食欲もでてきたしかし、発熱はあった。もらっていた抗生剤や解熱剤を飲み何とか落ち着いた。2回目の大学病院の受診2回目の大学病院受診は1週間後の7月16日だった。採血尿検査採血結果は白血球血小板共に通常よりは少ないが順調に回復してきている。尿検査も問題なし今後の予定は、1週間後に受診。そして8月4日の週に入院しCVカテーテルを入れる手術。8月11日から化学療法開始となった。全身化学療法と言うそうだ。全身化学療法…