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2026.02.22、だんだん暖かくなってきましたね!(^^)/暑くなるときつそうなので予定していた縦走案件を繰り上げて、挑戦しました!下松・光アルプス全9座の縦走路攻略です!(^^♪2年半前に別のお山で、YAMAPのフォロワーさんがやったよ!・・・と言われてたこのピストン縦走!どうも自分は、ピストンはしたくなかったので、うまいことできないかな~?と考えてました(*´ω`)電車を使った、スタート&ゴールを別々の駅に設定!予定行程時間は10時間!!\(◎o◎)/!これは行け
【問題】穂井田元清は、毛利元就の何男か?【選択肢】長男次男三男四男五男六男【正解】四男【解説】穂井田元清は、天文20年(1551)毛利元就の四男として生まれた。天正3年(1575)以降、備中猿掛城主となり、穂田(穂井田)の名字を名乗っている。
【合戦解説】厳島の戦い大内vs毛利〜陶晴賢と毛利元就智将の両雄が遂に激突〜<毛利㉑>
①基本情報(場所・アクセス)吉川元春館は、広島県北広島町にある戦国武将・吉川元春の居館跡。山間の静かな場所にあり、雪の日に訪れると一層“戦国の静寂”が際立つ。---②由来・創建吉川元春は、毛利元就の次男であり、毛利家の軍事面を支えた名将。この館は元春が隠居後に暮らした場所で、「戦国武将の生活空間がそのまま残る貴重な遺構」として知られている。館跡は発掘調査により建物の配置が明らかになり、現在は整備されて公開されている。---③歴史トピック●毛利元就の次男・吉川元春
尼子義勝は出雲守護代から山陰の覇者となった尼子経久の弟で、兄の立身に貢献し兄の死後は跡継ぎの晴久を支えたが、晴久が毛利元就の郡山城攻めから撤退する際に晴久を守って討死した。墓は月山富田城北麓(安来市広瀬町富田)の城安寺にあり、寺の墓所には松江藩の支藩だった広瀬藩9代藩主松平直諒の墓もあるが、五輪塔の上部2段は欠けている。なお、松江藩の松平氏は家康の次男秀康
山口県周南市にある「三丘ヶ岳(三丘城山)」へ。今回は山陽道17番高架下の「広末登山口」から入る最短コースを選択。短時間で登れるルートながら、城山の遺構や巨岩、そして毛利家ゆかりの史跡を巡る、非常に見応えのある周回コースをご紹介します。17番高架下➔広末登山口➔三丘ヶ岳➔夫婦岩➔平家ヶ城➔中山峠➔淡海道➔毛利元就公歯廟➔登山口(周回)山歩きと歴史探索が一度に楽しめる、三丘エリアの魅力をギュッと凝縮した動画です。ぜひ最後までご覧ください!
『かつて西国監視!今は新幹線監視!の福山城』2泊3日の帰省も終わり乗り換えの駅のホームから見える夕暮れの福山城昔からこの景色がすきだったなぁ〜堀や石垣が美しい城🏯福山城は1622年(元和8年)江戸幕府…ameblo.jp安芸の国から帰って現実に戻り日常が始まりました!ふと福山城をホームからみたとき戦国武将の話が頭をよぎりました毛利元就という中国地方(安芸・広島)を支配した大名のお話福山城は毛利元就死後50年して建てられたので全く関係はないのですが私の小学校の頃にさかのぼり
広島旅2日目、宮島アルバム。始発のフェリーに乗り込む。本土の始発電車が宮島口駅に到着する時間と、始発フェリーの出発時間が5分くらいしかないため、宮島駅口を降りたら、みんながダッシュする。まるでコミケのように。ビックリした。だから、ゆっくりと見れなかったのですが、駅の地下通路には、厳島神社に祀られている三女神のパネルがある。帰りはゆっくりと見ました。あれ?宗像大社と一緒なんだ?分祀とかの関係なのかな?と思いましたが、調べると少し面白い理由がありました。厳島神社には元々、伊都岐島神(いつ
森田さん、お誕生日、おめでとうございます。そんな中、ワタクシはただいま広島に来ております。厳島神社行きました。毛利元就ですね。旅日記はぼちぼちあげていきたいと思います。おやすみなさい。
月曜日本日はイオン三原店へ買い物🛍️に行った際周辺を散策した時の様子を紹介します。毛利元就の三男である小早川隆景によって建てられた三原城🏯浮城ですね。天主台や船入櫓の一部しか残っていませんがかなり大きな城だったようです。船入櫓跡豊臣秀吉や徳川家康も三原城に泊まったらしい。本丸は現在三原駅🚉になっていますよ。街の雰囲気もなかなかエエですよ。昭和感漂うレトロな路地日本で最も長いタコ天🐙認定かもしれないおはぎの店こだまは本日休業三原でお好み焼きといえばてっちゃんでしょ。
天気予報では雨予報だったけど、曇りに変わってたからレンタカー借りて安芸高田市へ。先ずは歴史民族博物館で安芸高田の歴史(古墳時代から現代まで)をお勉強。安芸高田と言えば石丸伸二?いえいえ毛利元就です。三本の矢の教え(後世の創作らしい)や毛利120万石の礎を作った方です。3日前に降った雪がまだ残る山道を駐車場から5分登ると毛利元就の墓所があります。残雪と相まって厳かな雰囲気です。毛利元就に因む【百万一心】の石碑。解釈は色々あるけど要するに「みんなで心を一つにすれば何でもできる」的な感
弥山奥ノ院に厳島合戦での陶勢戦死者を供養する碑が明治44年(1911)6月13日に建立されている。大元公園には厳島合戦の戦死者を弔う供養塔が明暦4年(1658)7月14日に建立されており血仏と称されている。
芸州厳島合戦図軍記物などに毛利元就などの軍勢は鼓ノ浦の浜に上陸して博奕尾に進軍したと記されており、これらの記述から包ケ浦に、毛利元就上陸之跡碑が昭和16年(1941)3月に広島陸軍兵器補給廠長岡田護により建立されたようである。
芸州厳島合戦図先日紹介した宮島桟橋前広場から皇太子殿下行啓記念碑横の石段を登っていくと要害山と記した表示板が立てられている。通称宮尾城と称しているこの城は陶晴賢を厳島におびき寄せる囮の城として己斐豊後守を城将として置いていたと軍記物などには記されている。
梅の花が咲いていました己斐の旭山神社に本殿前こちらは紅梅反対側は白梅まだ蕾でしたこの日(2月1日)何か神事があったようで氏子さんたちが集まって賑やかでしたここの石段写真は中腹から見たところで百段くらいあるでしょうかなかなか登り甲斐があります神功皇后伝説毛利元就が戦勝祈願(厳島合戦)毛利輝元が広島城を定めた場所その昔は波洗う断崖の上に雄々しく建っていたと思われます
名字の言毛利元就が重視した「横の団結」と「縦の団結」【名字の言】www.seikyoonline.com安原稔安原稔-「いいね!」2,913件·162人が話題にしています-27年5月より、玉野市議会議員を退職し、宇野地区連合自治会会長として地域のボランティアに取り組んでいます。www.facebook.com
山岡荘八著『毛利元就』(講談社)には、毛利興元の亡き後、弟の元就が重臣にこう告げる場面がある。「百万一心を家訓となす」。それは兄から幾度も聞いた“日を一にし、力を一にし、心を一にする”という団結の重要性だった元就は続けた。これは毛利家だけでなく「日本国中の一心と解すべき」。また、この理想を「生き継がねば本当の夜は明けまい」と。立場を超えた“横の団結”を広げつつ、世代を超えた“縦の団結”も育んでいく。その中で新しい時代は開かれると訴えたのだろうある支部長には、大切にする歴史がある。祖母が
2023.11.5~11.6安芸高田と道の駅巡り旅行2023(令和5)年11月5日(日)~11月6日(月)に、当時は市長があの石丸伸二さんだった安芸高田市に行きました。その頃は安芸高田市議会のYouTubeを良く見ていて、話題にもなっていた「神楽門前湯治村」で泊まり神楽を見て、無印良品出店騒動の「道の駅三矢の里あきたかた」にも行った旅行です。11月5日(日)1日目3:40自宅発5:35揖保川PA9:00ジョイフル安芸高田店朝食10
広島記事第二弾目となりますが今回も広島旅行記事は時系列バラバラで色々とアップしていきます広島城🏯3月22日に老朽化に伴い閉城になりますなのでそれまでにって思っててようやく行けました城までの自然公園ぽいとこも気持ち良いです🙆毛利輝元〜没後400年広島城広島城の中は撮影できるとこできないとこ色々あってけっこう撮るのに迷うポイント多し😅オカゴ毛利輝元図昭和初期かつての広島城でカメラを回した人たちの映像特集を放送してた画家が描いた広島城天守写真撮れそうで撮れない
2023.11.5~11.6安芸高田と道の駅巡り旅行2023(令和5)年11月5日(日)~11月6日(月)に、当時は市長があの石丸伸二さんだった安芸高田市に行きました。その頃は安芸高田市議会のYouTubeを良く見ていて、話題にもなっていた「神楽門前湯治村」で泊まり神楽を見て、無印良品出店騒動の「道の駅三矢の里あきたかた」にも行った旅行です。11月6日(月)2日目おはようございます。神楽門前湯治村で迎える2日目の朝です。朝風呂。早朝は、宿泊者
厳島[武内涼]楽天市場タイトルから平家のお話かと思ったら、毛利氏の話でした。中国地方の大名として、秀吉の敵として有名な毛利氏ですが、元就の頃はまだまだだったそうです。大内氏、細川氏が衰え、台頭してきた尼子氏、陶隆晴との争いがメイン。そして毛利といえば「三本矢」。戦国時代に同母の兄弟が力を合わせるように説いた講話ですが、元就というよりもその妻妙玖に対する孝行心によるもののようです。長男隆元が亡くなるとその子輝元を立て、両川の叔父2人は毛利家を守ります。叔父たち
2泊3日温泉全県制覇の旅朝食も終えて眺望力の高い神田山荘の景色ともおさらばの時間雨おとこのワタシですが12月初旬の広島は快晴神田山荘は日帰り入浴も可能!クアハウスやトレーニングルームも使えて750円で10時オープンあら。こんな明るく大きな休憩所もあったのね日帰りの施設も充実してるわ。9時ちょうど発の送迎バスに乗って広島市内へ往路は広島駅から乗りましたが、2日目のこの日は広島城に行きたいので途中の元町でバスを降りますいい天気デショ!でもなぜか私のアタマにだけ雨が
1/10~12までチーム酉年で広島へと行ってきました。いよいよ厳島神社の鳥居を潜ります。G7のサミットだっけ?あれを映像で見ていて厳島神社もいいな~~って思ってましたが、やっと来ることができました。本当に宮島の海岸沿いにあるんですね!こんなに海が近いとは。下のムスメはシーグラスが無いかと探しますが、そんな感じの海岸ではない。この大鳥居が有名ですよね!明治8年なので1875年の再建。その時からでもここに建ってるのか。神社ってどっちかというと午前中にお参りするほうがいいのはわ
おはよん(=^・^=)🏸姐さんにはらしからぬ文化的活動(笑)1月24日(土曜日)1月25日(日曜日)二日間の文化的活動(@_@;)!武士の苗字は領地等に由来する事が多いようで毛利元就の毛利も現在の神奈川県厚木市の南毛利地区大昔は「丹沢山塊の東の森」。。森→もり→もぉり→もうりとなり地区は南北に分かれてかなり広い地域だったとかその土地を領地として京都から来た大江広元の四男季光が毛利を名乗り毛利家初代となりました♫毛利と言えば山口(長州藩)
広島城のあとは郡山城へ移動郡山城は言わずと知れた毛利の居城。毛利元就が戦国大名へと駆け上がった時期に整備拡張されています。まずは安芸高田市歴史民俗博物館へ博物館前には毛利元就公や写真撮影スポット入館し毛利家の勉強です。写真撮影不可がある中、撮影できた展示を紹介。郡山城の全景毛利の陣では周辺をは散策していきます。この時の郡山城は雨上がり非常に滑りやすく、そしてまたいつ雨が降りだすか分からない山城めぐりは無理と判断し周辺の行けるところまで
石見銀山遺跡とその文化的景観16世紀後半、石見銀山を支配した毛利氏が、銀を日本海へ運び出すための重要な港として整備しました。銀山から約9kmの山道を越えた先の終着点であり、商業港と海軍基地の2つの役割を果たしました。17世紀初頭に銀の流れが陸路(尾道方面)へと変わると、沖泊は次第に漁村化しました。そのため、16世紀の土地利用形態がそのまま残されています。1526年に石見銀山を発見した神屋寿禎によって建立された恵比須神社は、港の氏神様で、海の安全と繁栄の神が祀られており、歴史と趣のある社
山口県山口市。周防の高嶺城(こうのみねじょう)跡に登ってきました。動画頂上であり、主郭の看板。高嶺城は絵が残っているので、写真はなくとも当時はこんなんだったんだとしっかりとイメージできます。築城したのは、大内義長。大寧寺の変にて、陶晴賢の謀反により自害に追い込まれた周防の大内義隆。その後を継いだのが、豊後の大友宗麟の弟!陶晴賢に担がれて、大内家の後釜に入り込む。それに怒ったのが、陶晴賢と同じく大内義隆の家臣であった毛利元就。大内義長か来たるべき毛利との戦いに備えて、この高嶺城を築
1月下旬の日曜日、広島県北の道の駅・訪問紹介です寒波の影響で雪のちらつく中、寒かったですこの道の駅は出来てから比較的新しい施設です建物もユニークで好きです~3本の矢をイメージした道の駅本館がこちらです正面玄関入口から入ると、可愛らしい女の子キャラと室内奥には毛利元就の三矢の教えの場面が見えます冷えた身体を温めようと、暖かい珈琲を注文しました持ってきたスイーツとホットコーヒーで一休み寒さと疲れが取れ、リフレッシュ出来ました近くにはお土産コーナーもあり
1つの駅の物件全てを10分の1の値段(=9割引)で購入できる夢のような「プラチナカード」!東日本編と西日本編でそれぞれおまめ鬼2匹と100年対決をやって、入手が確認できた方法は以下のとおり。<西日本編>歴史ヒーロー毛利元就の効果<東日本編>目的地30連続到達毛利元就は広島県の広島駅を独占することで味方に付けることができる!広島駅の独占に必要な金額は472億3000万円なので、プラチナカードやゴールドカードやシルバーカードをもらえると考えれば安い!是非独占
■ストーリー「お前には、縁談の一つも無いのかい?」小一郎はからかった。直とは幼なじみだった。「...実は、お侍の三男と...」「えぇ!?」....................祝言の当日に、直は、化粧をし婚礼衣装を纏って、小一郎の家に現れた。「私達、村を出て一緒に暮らしましょう!」「...俺はこの家で、百姓をしていく定めなんだ」身分が違う二人だった。現れた賊達は、村で暴れて荒らして行った。多くの村人が亡くなった。直の婚礼の相手は優男で、賊を前に逃亡した。小一郎の友の亡