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葬儀当日亡くなった当初は母への後悔があれこれ浮かんだが今はもうお母さんと呼べん寂しさが増してくる私が人生で一番使っとる言葉は「お母さん」だなそう思ったら居ても経ってもおれん・・顔を見に行こうこんにちはーどうした?って驚いとるようだけどゆっくり顔を見てお母さんと呼ぼうと思ってお母さんはこれからも言えるが顔を見て呼べるのは荼毘に付されるまで返事はなくとも何度もお母さんと呼び部屋を後にした家に戻りしゅう子がくれたパンで
よく霊能者の人達が、亡くなった人は自分の葬儀を見に来るというけれど母も本当に、見に来ていた。母の葬儀は自宅で執り行い、私達姉妹と家人の親友夫婦と友人、そしてお向かいのWさんがお焼香に来てくれた。母は組紐(着物の帯に結ぶ紐)と鎌倉彫を習い、それぞれ師範の資格を持っていた。小さな祭壇の隣に母の作品のコーナーを作り、友人たちやご住職、葬儀社のMさんに見ていただけたらと飾り、母の人となりが解ってもらえたらと思った。通夜の読経が始まると、母はお気に入りの赤いジャ
亡くなった母の病院からの搬送は夜中だったので、3時まで葬儀の打ち合わせになりました。諸々に必要な事を葬儀社が行ってくれるのは、突然の出来事への対応に追われている身には、本当に助かりました。そして、葬儀担当者の方が進行だけでなくて、家族への心遣いも素晴らしく、書類に追われて気づかない部分をかなりフォローしてもらいました。結局、葬儀場所にそのまま泊まって、翌日に通夜で、翌々日が葬式+初七日に。翌日に一度家に帰って、喪服や必要な物を持って戻ってからは、葬儀が終わるまでもう、ノンストッ
毎日課題が降りて来てるそんな気がする今日この頃毎日が引き籠り生活なのに知るべきこと学ぶべきことは引っ切り無しにやって来る家の中にいて地味に暮らしてるだけなのに「そういうことか!」という瞬間がたくさんやって来る答えの引き出し方を理解したということかもしれないけどその度に感動する2020年4月行き先迷子になったそこから丁度四年が過ぎた一旦これで終わりにしようというタイミングだったんだろうか?社会の荒波にもまれて相当体にダメージがあった
おいでやす森遊のブログへようこそ初めてご訪問してくれた方プロフィールはこちらですアメブロに書く前の日記はエンピツ始まりの日記PC用画面です2024年4月13日(土)なんとか無事に母の四十九日と納骨をすます事ができましたあ~本当に良かった!お骨がうちに来てからずっと、母の祭壇に毎日ご飯を捧げる(言い方がちゃうな)のが、けっこう負担でね。ご飯と汁物と、おかずと香の物。それだけなのだけど…毎日せなアカンと思うとしんどいのさ~(T_T)目覚め
無事に母の葬儀が終わり、昨日自宅に戻りました帰ってきたら主人が辛そうにしてたので、背中をマッサージしながら、母の葬儀の報告をしましたもう年だからと人は言うけれど、まだまだ一緒にいたかったなこればかりは、何歳になっても多分同じことを思うんだと思う仕方がないよねそう思っちゃうんだもんな母は4年前の膵臓がんの手術をする前に手紙を残していた亡くなってから知ったのだけど手術で亡くなるだろうと思っていて、遺される者たちに感謝の言葉を伝えたかったのだと思う文章からは、本当に幸せでありがたく
おいでやす森遊のブログへようこそ初めてご訪問してくれた方プロフィールはこちらですアメブロに書く前の日記はエンピツ始まりの日記PC用画面です2024年4月12日(金)母の四十九日が近づいてきたので準備をしています四十九日の前日に全て準備できたらいいんだけどさ。そういうわけにもいかん準備する物が多すぎて、数日かけて用意しましたお寺さんから教えてもろた四十九日に準備するもの・ご遺骨・お供え物(果物とお菓子など二種)・お墓参りセット(お花
母の葬儀・告別式初七日おかげさまでつつがなく終わりましたわたしは葬儀中睡魔に負けましたうとうと寝てまいました姪っ子たちや叔母さん方が涙するなかわたしは泣けませんでした悲しいのに涙一滴もでない姉も泣いてなかったな泣けたら少しは気持ちが楽になれそうな気がする1ヶ月はもたない一週間も難しいいちにち単位ですと言われてから1ヶ月半いてくれました冬から春になってました桜が咲くまで生きててくれました命いっぱい生きてくれました母ありがとう
はい、少し間が空きました。母の葬儀の後入院したので、手続き関係が放置されておりました。姉はいるんですが、県内でも車🚗で1時間以上離れた所に住んでいるので同じ市に住んでいる私の方が動きやすいのです。まずは市での各手続きなのですが、今は各課に回らず職員さんが固定の部屋にきて手続きしてくれる『おくやみ窓口』というのがあるので利用してみました。※市によってない所もあるかもです…死亡届と共に渡された資料に案内があったのでwebで予約。当日市役所の指定された場所に資料をみて揃えた資料などを持って行き
大切な人を亡くし、そのことがきっかけで、自分の根底にある感情を、自ら知ることもあります。自分が感じていたよりも、もっともっとほんとは大切な人だったとか…だからこそ、後悔という言葉か生まれるのかもしれません。寂しさや悲しさに明け暮れていても、今までと同じように時間は過ぎていきます。仕事にも復帰しなければいけないし、何もしなければ洗濯物もたまるばかり。前に進まないと!そんな思いと戦っている中、たくさんの方々の言葉が私達を温めてくれました。出会いがあれば別れもある。そして、別れがあれば
母の葬儀を3/2(土)に執り行いました。家族葬。妹の子供中学生、高校生、以外はみんな大人ばかりのしんみり、静かな式でした。23年前の父の時は村の人たちが、たくさん参列されましたが今回は代表でお1人。母が施設にいる時からずっと帰りたがっていた、私の実家のある地元で行いました。私の家から車で30分。これから、少し振り返っていきたいと思います。2/26(月)に担当医から呼吸が危ないので、面会に来れますか?と、連絡をもらって病院に行ったときに四人部屋に入っていました。面会時間も通常の2
ようやく一段落しました水曜日しか歩いて居ないので今朝はちゃんと買い物に付き合ってから少し遅れてジムに向かいます、元気よく歩いて来ましたようやく自分の足に戻りました木曜日は朝早くから我が家へ集合葬儀と言う事で息子が運転手で同行神主さんの都合で午後13時からの開始と言う事でお見舞いの帰省時の時間を見越して出発しました早めの到着を目指して都市高速から大宰府インターへ向かいました本当に急に降り出した雨が降り止みませんなみだ雨でしょうか福岡から宮崎まで雲の切れ間が見えま
母の葬儀も終わり新たな年を迎えた2023年1月脳出血🧠🩸の為に入院となってしまいました手術はせずに点滴による治療のみで軽かったので助かりました人生で初めての入院となり🛏️初めは個室での点滴治療💉歩いてはいけないとの事でベッドで横になったまま尿瓶に小便をするという初めて経験をしました🚽服は点滴治療の関係もあったのか入院した時の服のままでした👔3日後に6人部屋に移され👨👧👦👨👦👦点滴治療が終了服もやっとパジャマに着替えられて看護師に声掛けし🧑🏻⚕️自立でトイ
母の葬儀が終わりました。さすがに晴れ女の母。雨だったのに、外へ出る時はいつも上がってくれて助かりました。一番こだわった祭壇は、大きい会場用と同じサイズの一番高い生花祭壇。どれほどのものかと思いましたが、家族葬用の小さいホールで大きさはちょうどいっぱいな感じでした。大ホールならお花をたくさん横に並べないとさびしいかも。生花は予想以上にきれいで、室内に良い香りがただよっていました。花の大好きな人だったので、花いっぱいで本人も喜んでいたと思います。アルストロメリアと紫陽花アナベル。最
こんばんは!今日も久留米でお仕事ライフ!新宮じゃーなるの中の人です。さてお題『天涯孤独になったけど!というお話』おはようございます!新宮じゃーなるの中の人です。本日より新宮じゃーなるSNSも通常運転になります。皆さま宜しくお願い致します。さてお題2月6日、母が亡くなりま…ameblo.jp母の葬儀関連が終わって今日から仕事復帰でした。初日からしっかり仕事があったので終わってからのビールが旨かったのはお約束であります。今夜もしっかりお仕事ライフ!なのではよ寝て備えます。それでは良い
満載ではあるのですがとりあえずやれるところまでやってうんざりしちゃったら業者さんにお願いしようとちまちまやっております母の葬儀の時全然見つからなくて押し入れにひとつだけあった舞扇を棺に入れたのですがこの中にごっそり入ってました隠し扉の後ろに金庫入ってましたが中はからっぽでした父がボケてしまうのを恐れて毎日つけていた日記でも、年寄りって毎日これといって何もないんですよね何時に起きた何時に排便があった何時に湿布を替えた何時に寝たとかねそんなことばかりあと、家内が何時
父と同様に、母の葬儀は、納棺式、告別式の一日葬。父と同様、母も6人兄弟の末っ子で兄弟の伯父伯母は亡くなっていて遠方でいとこも年齢的に参列するのが難しく家族だけかと考えてましたが、父方の従兄ご夫妻と母方の従姉と娘ちゃんが伯母の代わりに来てくれました。そして、父の葬儀の時に行き違いがあったようで、父方のいとこたちから香典も届いたようです。11:00集合11:30ー12:30湯灌・納棺式13:00ご住職へご挨拶13:30葬儀・告別式御焼香・初七
ビリー・ジョエルのコンサートで1月24日に上京するから、良かったら25日に会いたいと九州に住む友人Mちゃんから昨年連絡をもらっていました。実は、連絡をもらった時は母の具合が坂道を転げ落ちるように悪くなっている時だったのですが、万が一行ける状況でない時は早めにお断りすればよいと思ったので、母の事は何も言わずにとりあえず会う約束をしていました。果たして母は11日に亡くなり、葬儀も21日に終わったので母の部屋の片付けを妹と一緒に休む事にして、25日には普
こんばんは、、、母の葬儀は当日に新聞で死亡欄に出たので私と旦那、と兄貴だけでした、、、出棺に間に合わず、、、どうにか父の親族の方が火葬場まで来て、、、どうにか間に合ったみたいですが、、、参列者の数では無くどうしても来てもらいたい人がいました失礼承知ですが土曜日にその方に実家を片付けながら、、、その方の電話番号探しました母は生前、日記とか書くことが好きで部屋は紙だらけ最後の方でみつけましたその方の電話番号、、、失礼承知で電話掛けさせていただきました今、、、高齢の方は電話詐欺防止で
今まで何回かブログで母のお友達のHさんとMさんのことをお話してきました。お2人は母が40代の頃からガールスカウトで同世代のリーダー同士として長年活動していた方々の中でも、特に公私ともに仲良くしていた長いお付き合いのお友達で、私や妹のことも子供の頃からよく知って下さっていて、お世話になっています。反対に、お2人のことをいつも車でお見舞いに連れて来て下さっていた60代くらいと思われるOさんのことは、私は元事務局の方としか存じ上げませんでした。ところ
参列の皆様がお帰りになった後、私の家族と下の妹の家族は母を納骨する為に父の眠るお墓に骨壺とお花とお線香を持って雨の中1列になって歩いていきました。上の妹夫婦は告別式の後帰りました。上の妹が主催しているピアノサークルの日と母の葬儀の日が重なってしまったので、出られないという話でした。ピアノサークルとはグランドピアノが置いてある公民館を借りてみなでピアノを弾き合う趣味の会だそうです。「親が亡くなったと言えばみなさん延期になっても納得して下さるでしょう
火葬は40分くらいで終わると事前に説明があったのに、結局母の名前がアナウンスされるまで私達は1時間以上待たされました。後でわかった事ですが母の隣で火葬された方はとある大きな企業の社長のご母堂で、会社の方々も火葬に参列していてあまりにも大人数だった為に、私達が呼ばれるのが遅くなってしまったのだということでした。なんだか最後まで意外と控えめな母らしいな〜と私は思いました。父は骨太な人だったので焼けたお骨が立派過ぎて骨壺に入りきらず、係の方が急に火かき棒
母のふるさとのお寺には市の文化財に指定された室町時代の毘沙門天様がおわします。元は毘沙門山の毘沙門堂に鎮座していたのに、戦後に銅葺きの屋根を2回も剥がされて盗まれてしまった為、今は客殿に鎮座していて一般の方は見ることが出来ません。私も祖母の葬儀で客殿に入って以来、もう20年以上見ていませんでした。母の葬儀にあたり今回久しぶりに毘沙門天様を拝見出来て、ものすごく嬉しかったです❗精進落としの席では毘沙門天様の前にお焼香台と遺影と、陰膳を置きました。精
1月初めの事です。妹が神妙な様子で「実は、がんだってわかった後ママから、『ママの事はあなたがずっとそばにいて一番良くわかっているから、ママのお葬式の時はあなたがスピーチして』って言われたんだよね。その時私が『え〜、私、そういうの苦手だな〜。やらなくちゃ駄目〜❔』って言ったら、ママからものすごく真剣な顔で『お願い』って頼まれたんだ。だから私、やってもいいかな❔」と私に言ったのです。私は「もちろんいいよ❗お葬式の時のスピーチはHさん(母の親友)と
葬儀の前日に葬儀屋さんから、「『導士入場』などの司会進行はこちらで行いますから、◯◯さんは告別式の後と精進落としの前と精進落としの後と、3回ご挨拶をお願いします。」と言われていました。火葬式の時もお振る舞いの前と後に私は挨拶をしました。お通夜がある時も同じかもしれませんね。喪主は合計で5回も挨拶するのですね私は最初は火葬式の時と同じく、型通りのものを短く簡単に言うつもりでおりました。けれど、いとこの読経を聴きながらふるさとのお寺の本堂で母の成
母の四十九日の日程を相談した時、住職であるいとこからは「次は忘れずにお位牌を持って来て下さい」と言われました。四十九日の時にお位牌に魂入れをするのだそうです。いとこからは「うちを通すよりも自分で探した方が安く上がります。」と言われたので、私と妹は小さなお葬式さんのサイトで母のお位牌を注文しました。ところで、母が持っていたお仏壇には父のお位牌の他に祖父と祖母のお位牌も納められています。これは、結婚して実家を出た母が両親のお位牌を身近に置きたいと言
お香典ですが、夫の両親と妹の夫のお母様と妹の夫のお母様が経営する会社の会長さんからそれぞれ10万円のお香典が届きました。精進落としが料理と飲み物で約5000円、会葬御礼のお茶詰め合わせが2000円なので、来て下さった方の交通費やお手間を考えるとお香典が5000円で金額的に釣り合うくらいでしょうか。お香典は半返しということで、お香典が一万円以上の方には私達はカタログギフトをお茶とは別に送る事にしました。小さなお葬式さんでもカタログギフトの斡旋があった
今後の備忘録の為に葬儀全体でかかった費用をまとめておくことにします。小さなお葬式さんで執り行った小さな火葬式プランと火葬場でかかった費用は、合計で約32万でした。この他に、火葬式の後3家族での精進落としでかかった金額は約7万円でした。つまり、火葬全体でかかった費用は約39万ですね。葬儀は最初はごく身内だけ30人程度で行うつもりだったのに、母の生まれ故郷なので参列者が膨れ上がってしまい、結局地元の葬儀屋さんにお手伝いをお願いしました。地元の葬儀屋さんに
葬儀屋さんに任せず葬儀をほぼ自分達で準備した為に、葬儀は11時開始なのに私達は葬儀屋さんと同じくお寺に9時半集合でした。会葬御礼から席札から会葬礼状から清め塩から芳名帳からお茶お菓子から思い出の展示から、喪主が全部自分で用意するなんて、あまりないですよね〜。田舎の山奥のお寺ですから当日東京から駆けつけるのは不可能なので、私達家族と妹家族は近くのホテルに前泊しました。お寺の周りに泊まる所なんてあるのと心配したけれど、車で30分くらいの所に温泉があって、
8月に母が末期がんを告知されてから母が亡くなるまでずっと、毎週日曜は私が母の所へ行く担当でした。葬儀から1週間たった今日は半年ぶりに、母の所へ行く事がないなんにも用事がない日曜日です。初不動の日だから成田山へでも行けばいいのに、私は何だかなんにもやる気が起きなくてどこへも行く気が起きなくて家でただただぼんやりとしています。車椅子の母を押して11月5日に夫と成田山へ行ったのが、母との最後のお出かけになってしまいました。いつも会えばいつも話しかけれ