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体調を崩し病院に行った迷って迷って行った。息子が在宅医療でお世話になった先生や看護師さんがいる。私はどんな顔をしたらいいのだろう。看護師さんが言った。体調がよくないだろうと心配していたよよくここまで来てくれたねと私をぎゅっと抱き締めてくれた私は声をあげて泣いた。息子を見送ってから初めて声をあげて泣いた。よく面倒みてあげたねなかなかあれだけの事できないよ息子君も頑張った、あなたも頑張った息子くんも喜んでるよその言葉がありがたかった。そして彼女に抱き締めら
息子に腫瘍が見つかったとき先生はここ最近に出来たものではないと言った。長い時間掛かってこの大きさになって何かが作用して痙攣が起きたのでしょうと痙攣が起きたからお嫁さんが心配して病院に連れて行ったら腫瘍が見つかった。何の症状もなく頭痛がしたり目が霞んだり兎に角何も症状がなく本当にいきなりの病気発覚だった息子はスポーツマンで幼い頃から剣道のお稽古に励み中学の部活ではバレーボールのエースだった。バレーボール、剣道共にいくつもの高校から入学のお誘いがあった
娘はある日突然交通事故で亡くなった。いきなりだ。突然未来を絶たれた。あれもこれも…、してやりたかったことばかり娘がいなくなっても私はお洒落なアクセサリーや洋服や化粧品や、、娘が夫にねだっていたCHANELの財布もGUCCIの鞄もLouisVuittonの鞄も若い女の子が欲しがるようは物は次から次から買って仏前に供えた。喜ぶ顔も見れないのに、、馬鹿かもしれないがそんなことくらいしかしてやることがなかった。いなくなってしまったら何もしてやれないのが現実だ
娘は即死だった。当たり前だが前兆も予兆もなく悲しいかな虫の知らせもなく当たり前に行ってきますと出掛け物言わぬ姿で帰宅した。それは…それは本当に衝撃で何が起きたのか理解不能だったこんなことになることがわかっていたならば私は娘のためにしてやりたい事が当たり前だが山ほどあった。厳しくしたのも躾だった。アルバイトをさせたのも社会勉強だった。娘の未来を思い父親として母親としてよそ様に出しても恥ずかしくないそんな娘になるようにそんなことを思い育てた。みんな当たり前
夫はとにかく、孫たちを寂しい思いをさせないようにパパの代わりにはならないがとにかく孫たちが笑っていてくれるように一生懸命だった。インフルで高熱を出せば自分にうつることなどものともせず少しでもらくになるようにとあれこれ世話を焼きご飯を食べないとと雑炊を食べさせてさっぱりするだろうとアイスクリームを食べさせ我が子にはここまでしなかったのに、、熱が下がらない夜はお嫁さんがひとりやきもきするんだろうと心配し自転車に乗る練習、一輪車に乗る練習、逆上がりの練習、
3月に母が突然亡くなり、何も手につかなかった父。母より6つ上だったこともあり自分が先に逝くと思っていた。正直、家族全員そう思っていた。母が玄関先にたくさん育てていた花はもうない。私が行くといつも冷蔵庫をゴソゴソして何か持たせるものを探してくれた母。あんな当たり前の日常はもう2度とない。先日、ふと父の後ろ姿がすごく小さく見えた。あんなに大きかった父が。。。老いとはこういうことかな。今のところ洗濯、掃除は自分でやっている。料理はなかなか難しいようだ。私もサポート
【次世代の語り部定期講話会のお知らせ】8月10日(日)13:00~14:10頃まで次世代の語り部の講話会を行います。会場:1階ニュースシアター(入場無料)テーマ:①戦中の小学生②残された家族~家族を戦争で失くした人たちの思い~1回の講話は30分程度です。皆様のご来館お待ちしております。pic.twitter.com/V7BNfliNIr—昭和館(@showakankudan)2025年7月21日
29年前の昨日、私の今の歳(45歳)で、私の母は愛する夫と17歳の息子と16歳の娘をこの世に残して他界しました。死因は急性白血病でした。病気になった原因の本当のところは分かりませんが、少なからず母本人は仕事のせいだと思っていました。仕事の内容は美容院などで使用するシャンプーやコンディショナーを扱う工場の仕事でした。母は超敏感肌で市販のシャンプーコンディショナーでも頭皮が湿疹だらけになるので決まった商品しか使用できない体質でした。まさか病気に繋がるとは当初想像も出来ず始めた仕事でしたが、結果強
こんばんは今日は大暑ですねその名前にふさわしい酷暑自宅の2階は室温40度南側で大きな窓今は洗濯物を干す部屋になっていますが窓を開けても・・・お題は今朝の朝ドラこのセリフは嵩が中々のぶさんに告白が出来ない理由を話す場面「もう一人かなわないやつがいる」「ちひろです」ちひろは嵩の実の弟ちひろが最後に残した言葉に嵩はのぶちゃんを思う強い気持ちを知りましたそして戦死したちひろに「もうケンカも出来ないちひろには一生かなわない」と話します涙が出そうでしたこの言葉のシーンを見てい
最近めっきり夢にも出てくれなくなった母。ぽっかり寂しさはいつも胸に抱いたままですが、それなりに充実した日々を過ごせています。もう夢で会えることもないかなぁなんて思っていたのですが昨日久しぶりに母が出てきてくれました。一緒に洗濯物を干す夢。何てことない普通の出来事なはずなのですが、お母さんと一緒に洗濯物を干せることがこんなに楽しいなんてと幸せを感じました。また現実でもこんな何気ない時間を一緒に過ごせたらどれだけ幸せか…母が生きていた頃にはそんな小さな幸せに、全く気づけていなかったん
ご訪問ありがとうございます夫をアルコール依存症から肝硬変、肝不全で亡くし、一年。4月から小学生になった子どもと二人で暮らしています。現在、子どもが闘病中です。主治医に子どもの癇癪について相談したところ夫の死が影響していると思いますと言われました。でしょうね。でも…第三者に言われると、ドーンと心にでっかい岩でも置かれたような気分…アルコール依存症でお酒をやめられなかった夫。部屋に一人こもるか、夜中でもフラッと外に出てしまう。そうでなければ入院して家にいない。だか
毎日暑いですねすっかり夏バテしてしまい、食欲もないし体もだるいです。もう7月。月日が経つのが早すぎませんか?最近インスタで動画を見つけたのですがワンピースと羽織だけで自分で簡単に着れる簡単浴衣が流行っているそうです浴衣なんてもう何年も着ていないし、42だし着てもいいのか悩むし…と思ったりもしますが、そもそも廃人だった私が浴衣を着たいと思うようになった思考自体に自分でもびっくりで、直感のままに着てみようかなと購入を悩んでいますadthie3点セットニュアンス柄セパレート2WAY浴衣セ
すっかり暑くなりましたね。もう朝からクーラー無しでは体がもたない、、週に3〜4回働くようになりましたが、今のところこのペースで体力的にも気持ち的にもやっていけています。ストレスもないし、快適な環境です去年働いたブラックの職場を辞める選択が100%正解だったと言えるほど、今はいい職場に恵まれていて感謝しかありません。先日職場の同僚から『コスモスさん見てると自然に元気もらえるー』と言ってもらえました。廃人だった私が、今、誰かの力になれているなんて。。なんだかその一言がすごく嬉しく感じました
今日クリニックでの勤務中、母と生年月日が近い患者さんが来られました。その方を見て、ふと、《お母さんも生きていたら今これくらいの姿で、白髪も増えたりしてるんだろうな》と、母の姿と重ねてしまいました。63歳で亡くなった母でしたが、当時、白髪がほとんどない状態でした。(私は40歳過ぎからぼちぼち白髪が生え始めましたが、母は周りから羨ましがられるほど白髪がない髪質でした😂)高齢の女性をみると、母にもこれくらい年をとるまで生きていてほしかったなと思うし、母&娘、親子で歩いている姿を見るといまだに羨ま
昨日にお葬式が無事に終わり一夜明けた本日...やらなければならない手続き等をなんとかやろうとしている今日の午後。しかしながら、いちいち妻が亡くなったという報告をしなければいけないのがなかなかきつい。その度に妻のことを思い出したり最期の時のことが戻ってきたりと、なかなか胸のどこかあたりに何か痛みが来る...これ、なかなか連続で色々とできないなって思うところ。一つ一つ終えるごとに、大きな大きなため息をつく始末...なんとも自分が情けなくてしょうがない。まだまだこの結果が悔しくて悔しくて
先日、ご主人を亡くされた元同僚から連絡がきましたこうゆう時に優しい言葉をかけられる人が羨ましい私は言葉に詰まってしまって、何を話していいのか聞いてもいいのかとか色々考えてしまって何も言えなくなるご主人は突然亡くなったそうで(脳幹出血だったとのこと)普通に朝は出勤して家を出たのにそのまま帰らぬ人に…葬儀を終わらせてもまだ実感があるような、無いようなって感じだと話してくれました仕事もずっと休めないし、家に1人でいるより働いていた方がいいのかなぁと寂しそうでした病気
まーちゃん亡くなり早1ヶ月、長いようで短く、飛ぶようにすぎてしまった💦悲しみが無いと言えば嘘になるが、不意に襲ってくる悲しみ以外では気落ちする事が無くなった。(僕が薄情なだけなのかなあ?💦)不意に襲う悲しみとは、まーちゃんと行った何気ない場所、スーパーやショッピングセンター等立ち寄るとふと(まーちゃんと来たなあ、半年くらい前には一緒に買い物してたのに、、、)と言ったもの。コレはもうどうしようもないんでしょうねただそんな時は家族でバカやるか、職場の人とワイワイやれば薄らぎます。こうして
病院で、旦那さんが息をひきとりましたまずは何から?病院ではまず、葬儀屋さんは決まっているか?確認されます泣いてばかりいるわけにはいかない少し気持ちを落ち着かせて、私は家族から少し離れたところで葬儀屋さんに電話しました病院へご遺体を迎えに来てもらうためです葬儀屋さんのお迎え時間を確認し、看護師さんへ伝えますそれに合わせてエンゼルケアをしてもらいますエンゼルケア少しだけ、私も参加しました旦那さんの顔を綺麗に拭きました病気になって色々辛いことあって大変だったねお
昨日(2025年5月13日)の早朝に妻が亡くなりました。一日中、手配や手続きに忙殺され、記事の投稿は合間を見計らって下書きした物を投稿した次第です。美化した亡き妻これ以上書くと涙が出てくるので、後日、妻の闘病生活を振り返ってみます。本日以降、暫く投稿はお休みさせて頂きます。今の😸おやじ再開後も宜しくお願い申し上げます。なお、いいね!しづらいと思いますが、哀悼の意を表してもらっていると思い、気持ちとして承ります。
母が亡くなり6年。今回の父の引っ越しを機にようやく母のための仏壇を準備しました。これまでずっと祖母の時代から受け継がれてきた古い大きい仏壇を使っていたのですが、古すぎなのでそろそろ替え時では?と父に提案し、今回兄妹3人でお金を出し合い新しい仏壇に新調しました。いつか処分する日のことを考え大きいものではなくコンパクトで軽いものがいいよね。ということで、選んだのがこちら。【期間限定クーポン配布中】仏壇モダンミニリビングコンパクトミニ仏壇デザインおしゃれ手元供養ミニ
今回は、施設に入居している92歳の祖母(母の母)を外出に連れ出すことができました。いつもは面会だけなのですが、コロナ以降面会が厳しく施設では15分の時間しか接触が許されない状況でした。15分では時間が足りないと毎回泣いていた祖母。でも今回は2時間も一緒に過ごすことができ、祖母もとても喜んでくれたし私も嬉しかったです。道の駅まで出かけ、親戚も一緒に呼んだのでおやつなどを食べながら久しぶりにみんなでワイワイ過ごせて楽しい時間でした。祖母の表情が時折母に重なって見て、『ばーちゃんとお母さん、
お久しぶりです。この数日、1年ぶりに実家に帰省していました🚢先月父がまた引越しをしたため、手伝いと母のお墓参りがてらに帰省しました。母が亡くなり父の引越しは2回目です。引越しのたびにいろんなものを処分しているので徐々に母との思い出の品々の姿もなくなり、実家の匂いも消えました。今回の家に3日ほど泊まりましたがさすがにもう《実家》とは感じられず。親戚の家に泊まるような感覚でした。引越しの片付けは概ね終わっていましたが、残りの不要なものをまとめたり生活しやすいよう収納棚を取り付けたり手伝い
アメトピ掲載ありがとうございます♡『紹へい理由書とは?女との関係…』『夫が不倫してるかも…』夫が不倫しているであろう証拠らしきものを家で見つけてしまった…夫の海外単身赴任中に出逢ったのであろう女の名前が記載してある紹へい理由書…ameblo.jp『学資保険お立替え通知が届いた』夫が海外へ単身赴任する直前に下の子の学資保険に加入した。(当時下の子0歳)(上の子の学資保険は加入済み)渡航する関係で夫の通帳から学資保険の引き落としをするこ…ameblo.jp『小学校の遠足』こんにちは今日は小4
皆様、おはようございます。カウンセラー&公務員のあゆみです。なぜ、人を殺すのか?レポートを複数抱えている中、気になる事件が多くて、さらについて新聞スクラップしたり、調べ始めたら、止まらない。保育士さんが殺害された事件は、まだ犯人もわからないし、殺された保育士さんの足取りも不明のようです。司法解剖の結果、行仕さんの死因は胸などを刃物のようなもので刺されたことによる失血死だと分かっています。また、防犯カメラの捜査で行仕さんが自宅周辺を歩く姿は確認されず、地
お久しぶりです私が住む地域はすっかり桜満開です。桜を見ながらなんでお母さんがいないんだろう。と、また久しぶりに虚しい気持ちが蘇りました。花が大好きだった母が桜を見て喜ぶ顔を想像できるのでいるはずのない母の姿を思い描いたりなんとも言えない感情を抱きながらお花見を楽しみました。本当に綺麗でしたお花見したいという気持ちになれたのもようやく最近になってからで。母を亡くして数年は季節の行事は母を思い出すきっかけとなり辛く感じるのでしばらく避けていました。というか、季節の行
昨日、親友と日帰り旅行に行ってきました🚄不安障害を患って以降は近場の外出さえままならぬ日常が続いていましたが仕事の復帰を経て自信を取り戻しずいぶん病気が寛解してきた気がします。いまだに発作もあるし治療も続けていますがまさか新幹線に乗って旅行に行ける日がくるとは。夢のような1日でした美味しいものをたくさん食べて有名どころをブラブラ歩いて。ふと思い出したのですが、この土地は母が学生時代に過ごしていた街でした。寮生活をしながら女子短大に通っていたと昔話してくれたことがありました
今回もご紹介でのご依頼でした。打ち合わせに伺うと、奥様と息子さんが待っていました。看病で全く休んでいない、疲れた状態でした。早めに打ち合わせが終了するように、ポイントを押さえて、話しました。金融機関で最近までお仕事されていたという故人様はかなり優秀な方だったようです。息子さんも穏やかで優しい方で、お母様のサポートしながら、お父様である故人様への感謝の気持ちを教えてくださいました。気丈に明るく振る舞う喪主様は、話しを伺っていると、どうやらおひとり暮らしの様です。
母が亡くなってもうすぐ1ヶ月が経とうとしています。長旅に行ってるみたいな感覚でただいま〜、お父さんのご飯ありがとねー!って帰って来そうで姪っ子は夢に出てきてくれたって話してくれて妹と涙し会いに来てくれていいなぁって弟とは俺は男だし子供の前で泣かないからさって言うから泣いていいんだよって言ったら会いたいよ、でも会えないからさってボロボロ泣いて日が経つにつれて喪失感が増してどうしたらいいのかわからなくなる掃除機かけてても涙出てくる何かしていないと気が紛れないこうやっていく
2016年の放送も観てました今夜、また、泣きながら観ました岩手県大槌町のある《風の電話》震災から5年後の放映でしたきっと、見る度に泣くでしょう突然の別れ未だに行方不明のままそれでも、生きているものは、残されたものは、生きていかなければならないどんなに想像力をはたらかせてもほんとにわかることはできないでしょうでも、少しでも、寄り添えたらと願うこの大槌町にある《風の電話》は、唯一感情を表出できる心の扉を開く帰りたくなると場所になりうるのかもしれない