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長いようで、短かった夏休みが終わる。私は地元に帰るのだ。今回も、たくさんの人に感謝だ。去年もだが、この地を去るのは悲しいと同時に、もう来年の夏休みのことを考えてワクワクしている自分もいる。そして良い報告を友達や義家族にしたい。去年もこういうポジティブな気持ちだった。だが、実際に地元に帰ると環境の変化や気候。特に私は雨がダメらしく、去年の10月は強い鬱状態になった。今年の6月も雨が多かったが欝々とし、この夫の故郷の人々と連絡を取るのが億劫な気持ちになったりもした。そん
こんにちは。植田仁美です。今日は、9月14日に開催するグループトークのお知らせです。「私ってダメだな」って思うこと、ありませんか?何かうまくいかないことがあったとき。誰かから言われた言葉に、思った以上に傷ついたとき。「私ってダメだな」「どうして私は、こうなんだろう」「仕方ない。私のせいだ」「私が悪いんだ」そんなふうに、自分を責めてしまうことはありませんか?私は家賃が払えなくなって兄や叔
今年もストレスチェックを受けて結果「高ストレス状態」抜け出せる要素は何もないこの時期に受ければメンタルは落ちきってるから食欲はないけどなんとなく夫が側にいる気がしていろんなツマミを作ってはお供え食材をみて「あー、これ好きだったな」と思い出して涙は出るけど動けなくなるほどではなくなったこれは悲しみに慣れたことなのかちょっとずつ片付けをしてワンコのプレイルームを作ろうと思ってるワンコもシニアになってきたパパのところに行く時もだんだん近づいてきたのだと思う何も
今日も良い天気。一日に感謝して気持ち良く過ごそうっと😊皆さまも穏やかな一日を過ごせますように😊
昨日のブログをあげた後に、もうずいぶんと(この場所では)少なくもなってしまった、私より先へ行くブロ友さんからメッセージをいただきました。勤務中だったんですが、突如いろんな思いが一瞬のうちに込み上がって来てしまい、何だか涙が出ました。こうして古くからのブロ友さんから連絡が頂けたこと、もうそこだけでもやっぱり有難くて…それは感謝しか無いんです。そこに今回は、私自身が『京都行き』を決行した後だった事もあり、この頂いた文章に私の過ごして来た年月を振り返るものとなりました。こんなふうに私は、同じよ
今日の予定と予定の間に1時間サイゼチャンス‼️で、サイゼへ🚶♀️時間がないのでガチの昼飲み&小エビのサラダはは諦めて、普通のランチにイタリアンハンバーグ、ワイン、ティラミスティラミスは先に食べちゃった😅土曜のランチタイムなせいか、ファミリーばっかり😅1人の女は私だけという😆この客層1人サイゼ飲みはハードル高いかも😅そして、カロリーが944kcal😱ほぼ1日分いや、考えたら負け😑(何に)サイゼデビューのご報告でした😊
あと少しで学生さん達の夏休みが終わる大学生はもう少しあるかな?世の中のお母さんはホッとしている事でしょう私は別の意味でホッとしている静かな平日空いている平日が戻ってくるから今年の南関東の夏はなんだか晴れの日が少なかったような、、ものすごい酷暑は少なかったけれど不安定なお天気に悩まされた不安定なのはこの所毎年なんだけど今年は特に洗濯物を外に干すのがあまりできなかった気がする朝干して仕事に行く前に畳んでしまって出かけるというルーティンができないので仕事か
2,016年に放送された『ドキュメント72時間』に出てた鴨川デルタ。これです…ドキュメント72時間「京都青春の鴨川デルタ」−NHKオンデマンド月額990円(税込)でNHKの名作見放題!京都・鴨川の上流にある憩いのスポット、通称「鴨川デルタ」。数多くの小説や映画の舞台となった不思議な場所で、京都人たちの心模様に触れる72時間。www.nhk-ondemand.jp私はそれを見て、行ってみたい‼️となりました。そしてそれは私だけでは無く、日頃あまりにも忙し過ぎてそんな「ゆとり」を感じる
あなたと一緒にスタートした「指導者」という道。丸一年が過ぎて、ひとりになって10ヶ月が経った。引退にあたり、中3の子たちからは素敵な贈り物をいただいた。そして今、新しい学年の子たちとの時間が始まっている。早速、ノートを提出してきた子たちに、私なりの言葉を残している。一人ひとり、考えていることも、感じていることも違う。だから、返す言葉もみんな違う。練習中、あなたが近くにいてくれたらと思うこともある。困ることも、いっぱいいっぱいある。それでも私は、私らしく。技術だけじ
夫の故郷にいる大切な友人たち。その中の一人の彼女は死別ではないけど夫が彼女の元から去ってゆき、グリーフ状態だ。望まない、新しい世界を生きなければならない。仕事のこと、ファイナンシャルのこと、家問題、一人時間の過ごし方・・・お一人様に心配事はつきない。お互いに、励ましあってきた。考えてみたら彼女は私がこの夫の地に嫁いできたときに最初に声をかけてくれた初めての友達だ。趣味で習い事をし出した時に知り合った友達だ。最初はよそ者の私は入りにくかった。でも、彼女が習い
朝方、ふくらはぎ🦵が攣って激痛💥が😫夫が居れば揉んでくれたけど、今は1人で耐えてた。ふと、前に買ったマッサージガン、あれでガンガン当てれば良くね?やってみたら、短時間で回復👍粗相をせずに済んだわ〜😅ばーさんだから、寝起きはトイレに行きたくなるのよね🚽1人で生きて行く知恵がついちゃったよ嬉しくねー😫
キャンプの時、夜空に浮かぶ星をずっと見ながら思った。夫は星ではない。あそこにはいない。これは確信した。じゃぁどこにいるのか。分からないけど、そこではない。自然の中を歩いたけどその方がよっぽど夫を近く感じられた。そして、夫が好きだった、思い出の場所に行った時、いろんな思い出が蘇ってきたと同時になぜだか暖かい気持ちになった。色んな、夫の姿が浮かんできて、そして私に語りかけてきた。あそこに行けば夫を感じられるんだと思った。夫も喜んでるんだと思えた。また行きた
「その一言を当てて!」は、ミディアムへの無茶振りです」ミディアム仲間と時々、出る話題です。ミディアムシップのセッションで、たまに「この言葉だけを教えて(当てて)ください」と、ひとつの答えだけを求められることがあります。たとえば、生前に故人と「もし先に旅立ったら、この言葉を合言葉にしよう」と約束していた。その言葉をミディアムが言えたら、本人だと信じられる・・。お気持ちは、とてもよくわかります。でも、ミディアムシップは「合言葉当てゲーム」ではありません。本来のセッシ
このブログでたくさんの方と知り合いました始めは遼生さん繋がりでしたがその後夫を亡くし同じ境遇な方達とも繋がり年月が経ち色々な事を乗り越えて生きている大切に思うブロ友さんがまた1つ辛い思い出を乗り越えている支えてくれる方達と楽しくされているブログを読むと自分の事の様に嬉しい私も京都だったなぁ〜・・・亡くなる2ヶ月位前に京都に行ったその事を職場の方に嬉しそうに話していたと亡くなった後職場方から涙ながらに話してくれたなぁ〜・・・そして本当なら
まだこんな早い時間だけど、もう外出あの、私が好きで好きでこれ切っ掛けで行ってみたと言う『ドキュメント72時間』に出てた鴨川デルタ(三角デルタ)に。とりあえずこれから、京都と言えば〜のカルネ食べようと思う。あの時の自分と同じ『パワースポット巡り』よく回ったよ。一人でよくもまぁそんなに回れるわ…と我ながら感心(笑)京阪電車でずーっと端っこまで、初の終点の出町柳まで行ったところからのスタート下鴨神社(賀…ameblo.jp昨日は暑い暑い中、嵐山方面行った。お豆腐料理をコースで食べて、も
今日は月命日1年が過ぎてから数えないようにしてるし意識もしないようにしてきたけど来月の祥月命日を前に今日ばかりはどうしても意識してしまう朝、起きた時点でもう気分が重いけど仕事に行かねばと出かけるコンビニ勤務なのでスピード勝負なところもありそれなりに忙しい集中してる間はいいんだけどふと途切れると2年前の今頃は夫の事を気にしながら働いていたんだよな、なんてそんな気持ちがよみがえってきてズーンと落ちそうになるなんとかこらえながら仕事を終えた夫がいない事以外は
『口先だけの知人』私には友達、親友と呼べる人はいません。若い頃は友達がいて遊んだり旅行に行ったりしたけど、Mさんと出会って人生の全てがMさんになった。大げさに言うと何をするのも…ameblo.jp以前のブログですが、彼女に対してのモヤモヤがずっとあります。もう口先だけなのは分かっているので、フェードアウトでいいのですが腑に落ちないことがあります。コロナ禍前に彼女のお父さんが亡くなってMさんとお葬式に行きました。もちろん香典もお渡しました。家族葬だったので彼女には声をかけてい
Dearestmydarling今回、私たちが住んでた、この町に帰ってきて、あぁ3年の月日が経ったんだなぁというのを感じさせられました。義兄なんて髪の毛も髭も真っ白!びっくりしたよ。きっと、darlingもびっくりしただろうと思うけど。立派なお爺ちゃんだった。義兄の息子たちは大変に優秀で超有名大学に行くことが決まってるんだと。義姉は相変わらずだけど、義理姉の息子も義兄の息子ほどじゃないけど優秀。なんか、傍から見てるとマウントというわけじゃないけれど色々とやっぱ
絶対にもう無いと、絶対にもう無理だなとそれは私の中で固く思っていたところ。あれだけの態度を(主人に)取って日々を生きていて、だからここが唯一の、ほんの一つの、少しでも…の罪滅ぼし。そんな気持ちで私は居ました。その日さえ来てくれてたら、その、関西(大阪、京都)行きさえ遂行されていたならどんなにか良かったか…例え主人がその後変わらずに亡くなってしまったとしても、それは「スペシャルな思い出」が一つ出来たはずだったと、あまりに忙しくて何も無かった主人にとってはそうなったであろうと、どれだけ悲
2020年2月、癌に抗い続けた、なるさんが旅立ちました。52歳でした。なるさん(主人)私パートたろう(息子)当時高校3年生ことり(娘)当時小学5年生「健康診断、再検査」〜「突然感じた重み」は、なるさんと家族の闘病記です。それ以降は、死別後の事を綴っています。お読み頂けたら、嬉しいです今日は、愛車の点検へ行ったなるさんが亡くなって、初めて自分だけの車を買ったのは、4年前の事。車は好きだけど詳しくないし、金額的に大きい買物なので、ひとりで決断するのは不安だったが、ずっとお世
ワンコの足腰を考えて2年ほど前にそれまで使っていたソファーを使っていない部屋に移動してローソファーに替えた移動したソファーは夫と使った思い出のソファー捨てるのが辛くてずっとしまったままだったけどその部屋をワンコの遊び部屋にかえてもいいなと思い立ち思い切って捨てた考えてみたらそのソファーの思い出は2人で穏やかに過ごした時間もあったけど抗がん剤治療の副作用で辛そうに座ってる夫の記憶が強すぎて歩けなくなる前日にはしんどすぎて頭を抱えてる夫がまだ鮮明に記憶に残っ
昨日、図書館へ歩いていく道すがらふと湧いてきた思いもし、故人が生きていたら今日は、どんな一日だったのだろうと・・朝の支度、それなりに家事をこなして故人の家業の手伝いなどあわただしい一日を過ごしていたそれが、故人が亡くなり生活は一変しました。故人が亡くなりもうすぐ二年。多少は元気になれたので友人とランチをしたり旅行も行けるようになった。でも、故人がいたらきっと、違う時間を過ごしていたいくら、楽しいことをしてもただそれだけのことだと思ってしま
いとです。私のブログにたびたび登場する岸見一郎先生(「嫌われる勇気)の共著者)が、こんな質問に回答されていました。家族の死から立ち直れません。悲しいばかりで何も手につかない毎日です。どうやって気持ちを切り替えていけばいいですか?先生の答えは、こんな内容でした。亡くなった人は“無”になるわけではなく、【不在】という形で存在するのです。ふとした瞬間に思い出したり、夢に見た時、ありありとその存在を感じることが出来ます。その時は、確かにその人
<悩みと質問>死別した主人が何年たっても忘れられず悲しくて泣いてしまいます。<ここまで>ご訪問頂き心より感謝いたします。心の悩み相談をスピリチュアル霊的人生観で回答するエンジェル杏子です。あなたが幸福を見つけられますように。あなたと出会えて感謝の気持ちでいっぱいです!【一般的な回答】一般的な回答であれば、今の生活に感謝して生きることが大切ですという考え方や、精神科のカウンセリングを受けたらよいと思います・・的な回答でしょう。それでは、エンジェル杏子のスピリチュアル回答です。
闘病だったのか、死別だったのか。はっきりしないまま、このブログは続いています。今回も読んでいただき、ありがとうございます。10年目のCT検査結果と、モヤモヤした気持ち2021年12月のCT画像(腫瘍)です。大きさは野球のボールぐらいまでに増大……右が3月左が今回の画像で縮小を継続してます。2016年5月、癌の告知を受け、余命宣告を受けてから10年になります。7月にはCT検査があり、今回も無事にクリアすることができました。本来なら、もっと「よかった」「嬉しい」と思ってもいいはずなのに、
初盆でした。初盆と言っても私たちは無宗教ですので特に何もありません。お仏壇もお墓もないのですから。こんなに急に逝ってしまうなんて思ってもみなかったから、お互いの死別後のことを決めていませんでした。ただ漠然と言われていたのは私の好きにしたらいいお金は掛けるなお墓はいらない(息子の負担になるから)俺を想って、お酒を飲んでくれたらいいMさんの言ったことを守っています。葬儀も費用を抑え私の親族だけで見送りました。それでもお花に囲まれた温かいお別れ会でした。妹が、こんな
急に失うとどうなるか徐々に弱っていく親族を看取ることは辛いことだと思うただ、心の準備が出来るという点では正直羨ましく思う事故や急病で急に親族を失う事はかなり辛いだって頭が追いつかないから現実を受け止められないでもどちらも辛いよね辛さのベクトルが違うと思う私は今もまだ信じられない前日まで元気だったから母は健康にも気を使っていた(食事や運動等気をつけていた)そんな母を連れていくなんて酷い…会いたいよ…LINEのオープンチャットで同じような境遇の人のメッセージを
今日はお昼ごはんにそうめんを作って食べた食べるのは2年ぶりか?夏の定番そうめん食べ物ひとつ取ってももれなく夫との思い出がついてくるから去年は作れなかった何度も言ってますがこだわりの強い夫なのでメーカーはここのと決めて茹で時間も表示されてるものじゃなく夫の経験上これがベストという時間にして盛り方、だし、薬味全部、夫のこだわりだった美味しい〜と喜ぶ私の顔を見て得意げな夫そういう楽しい思い出もあるし闘病中のいちばん辛かった夏しんどい身体で作ってくれた事もあったし
夫を亡くし2度目のお盆特に信心深い訳ではないから何もしなくても、、とは思ってはいたけれど結局お盆飾りをしたのは小さい頃からの習慣でもあったのかな実家では祖父母も一緒に住んでいたのでお盆お彼岸などの行事ごとは日常にあったのでそうするものだ、、みたいな所も染み付いていたのもある夫が亡くなって1年2ヶ月少しずつ前に進んだり後退したりの繰り返しでそんな自分にも疲れてしまったり、、とにかく夫に逢いたいのに逢えなくて、、寂しくて苦しくて心の穴が大きすぎてそこを埋めたかったのかな