ブログ記事11,045件
昨日(土曜日)。朝からお出掛けを期待して私のそばを離れない犬達。プレッシャー半端ない。わたしが立ち上がるたびに起き上がって、私を目で追う犬達。閉店したドッグラン「スロー」さんが新しいオーナーさんになって「ドッグフィールド高根沢」になったので行ってみました。スローさんのときとドッグランも全く同じ。めちゃくちゃ暑くて、、、写真には撮れなかったけど1匹の白い蝶が居たよ。パパかなぁって。あまりに暑くて滞在時間15分ほど。他に茶色いポメラニアンちゃんも居ました。大型犬用ドッグランも何
辛いです夫の匂いがどんどん消えていく話しかけても答えてくれない泣かないでいられる日なんてないなんで生きてなきゃいけないのそう祭壇の前で泣きながら、答えてくれない夫と同じ空間にいるのが辛く、昨日は早々に布団に入った亡くなって初めて、夫が夢に出てきたどんな夢か起きたら覚えてないでも笑ってたのと、私の名前を呼んでくれたそれだけは覚えてる朝すごく嬉しかった夫が心配してるのかも夫が病気になってから、本人よりもすぐ泣いてしまう私を何時も抱きしめてくれた夫今は友人や同僚が抱きしめ
昨日はあんなに元気だったのにランチ会?の雰囲気が良くてそれ以外の事もうまく行って元気で今日はその話をブログにしようとしたのに昨日、ヒデとロザンナさんの息子さんがテレビに出ており幼少期お父さんを亡くして(14歳で)僕は暗かったと言っていたのを見て夜、泣きました悲しいよね😢と今朝、心がのぎゅーっと痛くなる気持ちがやっぱり出て来て「にこちゃん辛いよ(´;ω;`)」と朝凹みました買い物に行ったら近所のお嬢
みらい✨と言う名前も夢探し✨と言うブログ名もいつも先を見ていました。いま頑張ったらもっともっと未来がキラキラするんじゃないかって。夢をみるのが好きでした。あれもしたいこれもしたいあれが出来るようになりたいこんな人になりたいもうアラカンでこれからおばあちゃんになっていくだけなのにいつも楽しい未来が浮かんできてワクワクしてました。毎日を一生懸命に生きていたから過去に戻りたいとは思わなかった。あの時、こうしていたら…って思ってしまう残念なことや悲しいこ
過去の日記を元に書いています。2023.3.116か月21日職場でお腹が痛くなった。下(しも)の話で申し訳ないですが、仕事中でなかなかトイレに行くことができず辛かったです。振り返れば去年の盛夏、鈴木さんの体調がみるみる悪くなり、私はまんじりともせず、ただひたすら回復を願い、『少し復調した』との知らせがどうにか来ないものか、ただただじっと待っていた。そんな中、職場で突如お腹がゴロゴロいいはじめ、これまたトイレに立つことができず冷や汗を流しながらこらえていたあの日を思い出す。なんと
私のとても信頼する、そして尊敬する大好きなブロ友さんです。今朝のブログが、その気持ちがわかり過ぎて…リブログさせていただきます。主人が突然亡くなってここまで来る中で、私もどれだけそんな事を言われたかな…でもそう、今現在の私はmasaさんとここも同じで、ここまで時間が流れたせいか少し落ち着いて?ちょっと違ったふうにも受け止められる…なんとか流せる方向にも気持ちがなって来たのかもしれないとは思う。でもほんと、私だったらとても生きていけないと思う…とか、言われたことは忘れないかなぁこ
うつ病のチェックなるものをやった結果でもさ、しょうがないよね…逆に私のこの状況で心を病まない方がおかしいと思う今の状況が好天する事なんてないし、これからも悪化していくだけでも、どれだけ自分の心が病んでいても私は息子を残して決して死なないよ息子を守れるのは私だけ
2月19日(月)日付が変わる直前の夜中23時30分ボスミンの吸入をしました。この日は主人が午後まで付き添うことになっていました。私は午前中、末娘(1歳5ヶ月)を保育園に預けに行きました。その時、息子の担任の先生が「最近、息子君の体調はいかがですか?息子君用にお友達が、ひなまつりのお飾りを作ってくれていて、もうすぐ、できあがるんですよ♪」と声をかけてくださいました。息子は年末年始に、一時退院していました。その際、保育園の先生に会いたいと言い、保育園に2度、遊びに連れて行きました
昨日みた夢で境域の守護神(境域の守護者)かもしれない、黒い影にまとわりつかれたとき、「神さま!」と生まれて初めて叫んで、出て来たのはこの人、バーラ・サイババだった。自分でも驚いた。でも少し時間をおいて思うのは、やはりこの方の考え方、波動は、あの闇と相対するのに絶対必要だと思うのだ。”””ヒカルランドから出ている本は、ぶっ飛んでいますね。セックスなしでも妊娠することもある?””過去に訪問した時の記事。このときは、ちょうどババは肉体を離れたばかりだったけど、夫は生きていた。最
年齢を重ねて色んな経験をしてきたからでしょうか最近顔を見ただけでなんとなくその人となりが分かる様になってきましたそんな特技はなかったはずなので少し自分が怖いです(もちろんまだ確信なんてありません)最近知り合ったと言う我が子の友人に初めて会った時何か違和感を覚えました気が強そうというか一癖二癖ありそうといううかなんとなく何かを感じたので他の友人の様に積極的には話しかけず帰宅してからもあまりその子の話題には触れませんでした予感的中!後日その子と一悶着あったとかで
言い方は悪いですが、事実です。自分が死ぬ前に自分の後始末を考えるのは、自立・自律する人間としては当たり前ですが、人が死ぬ前にも、当てはまります。最初に、HSPで人生をあまり楽しめない杏は過去執着型過去回想型どうしようもないことで悩む性格です。最近は、NLP(心理学)を学んだりして軌道修正が可能になってきましたが、根っこから超明るい人にはなりきれません。一生治らないと思いつつも、少しずつ快調に向かって死ねたらなと思っています。さて、その過去執着型の最たる
主治医から話を聞きいた日『医師からの話⑤』夫とたくさん話をしたのちに主治医と話す事ができました。『夫に話した私の気持ち』気管切開や転院の話や寝たきりになる事を考えたりしているうちに、私は夫がどういう…ameblo.jpこの残された時間を大切に子供たちとのこれからの事を考えようこんな気持ちになりました。その日の夜久しぶりに子供たちに向き合えました。長女と次女とベッドでゴロゴロしてたら『パパとママどっちもからトントンして欲しい』『パパー!』と長女が急に言い始めました。ほんとそれ
昨日は、気が乗らなかったランチ会に行きました正直、男性ばかりなので主人を亡くした事言いたくもなかったし通じないと思っていましたが年末の飲み会をスルーしたので私を交えて再度機会を作ってくれた手前参加しないのはちょっとまずいなという感じでした医大の事務当直さんを派遣する会社で私が管理担当だったためずっと一緒に働いていたメンバーなのですランチ会で12時から開始なのに飲み屋だったので(;゚Д゚)びっくり
死別ブログを読み始めたのは「夫の命が危険です」と言われて数日してから。もしかしたら明日明後日に夫がいなくなってしまう。そう思うとネットで色々検索してしまった。人様のブログを読むというのはもう長年のしている事だが死別ブログは一度も読んだことが無かった。その存在すら知らなかった。呑気に暮らしていた私は主婦のおしゃれな暮らしとか料理ブログとか、そんなブログばかり読んでいた。死別ブログは当事者にならないとなかなか巡りあわないだろう。母が夫である私の父を亡くしたのは60代になってから。
どうもわたしです先程は凹メンタルにかこつけて大人気ない投稿をしてしまいました誠にかたじけない彼方で父さんに逢えるという事が、今のわたしの唯一の希望であることは間違いないさっきの投稿削除しようかと思ったけどあれもわたしのほんとうの気持ちこころの奥底ではそんな感情もぐるぐると渦巻いているそれもわたしという人間を構成するひとつの要素でもある父さんを納骨した時にはそんな感情に囚われていてほんとに辛かったほんとにほんとに辛かった戒名が並んだ墓誌を見るのも位牌が並んだ仏壇
こんにちは。仲間がfacebookでおすすめ作品として紹介していた、満島ひかりさん主演のこちらのドラマ↓↓Woman|Netflix夫を亡くした女性は子供たちのために必死に働くものの、生活は次第に困窮してゆく。頼る当てもない彼女はかつて自分を捨てた母に助けを求めるが、やがて衝撃的な真実を知ってしまう。www.netflix.com私は夫を亡くす前からシングルマザーと変わらない生活をしていましたが、感情を感じるスイッチを切っていたこともあって、不安や安心、夫や人とつながる喜びが
全てのしんどさを死別のせいにしていないか?4月16日〜5月4日は土用期間です。季節の変わり目で、体調やメンタル面も影響を受けやすい時。かつて土用期間を知らなかった私は、意気揚々とゴールデンウィークに旅行や予定を詰め込んで、連休明けにガッツリ落ち込む事を繰り返していました。夫がいないから、子供たちに寂しい思いはさせたくないと躍起になっていたからです。ゴールデンウィーク中は仲睦まじそうな家族で溢れかえっている環境に自分が飛び込んでいく訳ですから、本当に疲弊していました
(会社10周年パーティーにて)今の仕事に就いて、早5年半。転職を繰り返してきた私の人生で、一番長い職歴になってきました。小さい会社な上に独特の社風があり、いつも辞めようかなと言う気持ちと背中合わせでした。でも、やっぱりその独特さが癖になり(笑)、結局今に至ります。多分わたし自身もある意味「癖のある人間」という事。類友の法則で、似た部分もありますし、長く時間を共にすることで、似てくる部分もあるのでしょう。今は辞めようかなと思う事も無く、働かせてもらっています。自分
主人が亡くなって一年が過ぎた時、亡くなったという事実もまだまだ信じられてないような中で、一年が経ったことで、“去年の今ごろは居たのにな…”って、それがもう言えないと思った。同じ「居ない」という中にも、去年はいたと思えること、それがせめてもの微々たる慰め?のようだった、まだ近い記憶であったから、「本当に存在していたという事実」を感じられてた…そんな救いの気持ちだったと思う。それから一年どころか、二年三年四年…もうまる六年が経とうとしている。なのに私は、六年前の今頃は確かに居たのにな
夫が亡くなってから死後の世界とか霊とかそんなことを考えるようになった亡くなった後夫はどこへ行ったんだろう?とか今私が生きているこの世界はいったいなんなんだろう?とかそもそも私は今生きてるのか?とか考えても答えは出ないし正解は誰もわからないけど、ただなんとなくぼんやり生きていたあの頃と違ってついつい霊的なことを考えてしまっている…
毎日、何もしていない自分に「何かしないといけない」と思ってしまいました先日の「傾聴の会の日」の事ですそのまるで壁に話しかけてるだけに感じた一方通行の話をしてきた日傾聴の会が行われた施設内では、地域の職員さんが在中しており(傾聴の会はいくつかある部屋で行われています)地域のサークルにでも入って活動でもしようと思い質問をするために職員さんの部屋に行きました傾聴の会の一方通行の会話も登録したさに夢中だったので一
以前、夢に夫が出てきた時に夢は明け方の眠りの浅い時に見るんだということをなんとなく感じた。今日は土曜日私も休みだし、次男もテスト週間で部活がないみんなゆっくり寝られる幸せな日朝6時のアラームを消して二度寝タイムスタートするとまた夫の夢を見られた夢の中で、前回同様夫は死んでいる設定なのに、映像はすごくクリアで触ることもできて死んでしまってもこうして家で毎日一緒にいられたら寂しくないね!と夫に話しかけていたただ一つ気がかりなのは相変わらず夫からは一言も発しな
皆さん、こんにちは癌で配偶者を亡くした同士の同棲も2ヶ月が過ぎましたが、未だにふと不思議な感覚になることがあります。それは、お互いの配偶者の話しを普通に沢山するということ。○○さんはラーメンが好きだったとかこの写真の頃が一番○○さんが幸せな頃だったとか僕も天国の妻のことを当然話します。死別同士は不思議。離婚した元夫や元妻との楽しい思い出話しは普通できないですもんね以前二人でこんな話しをしました。「もしお互い、目の前に天国にいるパートナーが蘇ったら、やっぱり戻るかなぁ」と
感情に支配されていないか?最近受験を終えた長男とよく話をします。「最近お母さんと俺、仲いいよね?」と長男が言うレベルで仲が良いです。中2の時は本当にいちいち突っかかってきて、私も意地になって感情を爆発させていました。今はお互い感情で話すことはなく、理性で話している、そんな感じです。中2の次男はちょっとしたことで感情を爆発させていますが、2人目という事もあり先が見えているし、そもそも感情ではなく「目的」を意識できるようになったので、ぶつかることは長男の時と比べると格
夫が行ってしまってからブログを泣きながら読み漁りました。その中にとても印象的なブログがあります。フレンチブルさんのブログは過去記事から1日中読んだかも。眠れない夜は明け方まで。当時はまるでテキストみたいに感じて更新が無くても、何度も読んでいました。たしか、ご主人が亡くなられて7年くらいだったか5年くらいだったか・・・だからか当時の私にあった叫び狂う悲しみとは違って死別がどんなものなのか考察している様な内容が多くそれが凄く心に響いてグイグイ入ってきました。色々印象に残って
東京の病院から県外の自宅まで夫をどうやって連れて帰るか…悲しみも癒えぬまま、また違う現実と向き合わなければいけません東京の病院から自宅までは直線距離でも50キロ以上高速を使うと80キロ以上走る事になります自宅までの距離が遠い事も心配でしたが、私が心配したのは夫が若干規格外なサイズだという事183センチの体重110キロ…ラグビー選手ばりのガッチリ体型病院のご飯がまずいまずいと言っていたのでICUで再開する時痩せ細っていたら…と心配していましたが、全く痩せてなかった夫とりあえず姉と手
自死遺族の方々の中には周囲にお空へ逝った人たちの死因を伝えられない又は、亡くなったこと自体を伏せていると言う方々が結構いらっしゃるようですねそれは遺族自身に自死への偏見があるから?なんてご意見もありますがそれはそれで良いんではないでしょうか私自身は今の所、自死に対する偏見はないと思っていますがだからと言って誰彼なしに亡夫の死因を伝えるわけではありません亡くなった当初、死因を聞いてくるご近所さんが居てその時は何の疑いもなく?と言うか真実を話すのが当たり前と思ってい
外の世界を見ると、比べてしまって羨ましくてしかたない。外は見ない。自分だけの小さい世界だけで生きる。傷つかないように。傷つかないように。夫と死別してからテレビも音楽も離れています。幸せな映像も、悲しい映像も心がかきみだれるから。ニュースはネットで見たい見出しだけ。でもつい読んでしまった。第3子の大学無償化低所得のひとり親手当増額私は正社員で20年働いています。月の手取りは22万。(一般職最高金額なのでこれ以上は上がりません。)子供は小、中学生の2人。両親は県外
初1日2回の投稿w今日の息子の授業参観。あんまり乗り気じゃなかったけど授業中、手を挙げてる姿が見れてチョット安心。仲良しの子がいないクラスだけど授業が終わったら輪に入って話してる姿が見れたからチョット安心。(輪の外側だけど)授業参観の後はPTA懇談会→クラス懇談会の流れ。息子の仲良し友達がいない=私も知り合いがいない参加するか迷うな・・・って思ってたら玄関で【久しぶり】って数年連絡してなかったママ友から声がかかり【◎◎ちゃんママから聞いたよ。なんて言う
休むって言ったのにねつい書きたいことが出て来た。https://news.yahoo.co.jp/articles/2ec9bb4d8be34dcd3b7bb9232c169caa22b2bed2主人も見ていた相撲の世界。この頃、若貴ブームと共に主人の中でも夢中で見ていた最盛期だったようにも思う。主人と同じ54歳。空の上で主人も会うことが出来るのかな…人の死。必ず誰しもに平等に訪れる、唯一の「絶対」のこと。そう頭ではわかっているのにいつだって受け入れがたく、信じ難く、そして悲し