ブログ記事8,797件
バスツアーで山梨県韮崎市神山町にある一本桜「わに塚の桜」を見学に行きました2018年4月の蔵出し写真ですわに塚は日本武尊の王子の武田王が葬られたと伝えられている前方後円墳です武田八幡宮に武田王は合祀されています武田信玄の祖である源太郎信義が武田氏を起こす因となっています「わに塚の桜」は樹齢330年、エドヒガンザクラ樹高17m、幹周3.6m、根周3.4m、枝張り23m「わに塚の桜」武田八幡宮二の鳥居二の鳥居の近くのバス駐車場から歩きます説明板足元はラッパ水仙☆ご
エリアマネージャーが看護師ではないから?とても、気遣い出来る優しい方だから?問題解決を先送りにし過ぎて、どんどん解決出来ないまま、なぁなぁに膨れあがってしまい……沢山くる新規の対応も出来ないまま……仕事終わりのサービスミーティングばかり増え……予定変更ばかり💦昨日も、一番遠い利用者様の所へ行き……受診も訪問も拒否なのに……移動時間かかるから後2件で終わりって思っていたら、予定変更で4件になり。結局、訪問範囲端から端での移動時間マックス+7件💦疲れて帰れば……皆1時間とか2時間前
バスツアーで武田信虎・信玄・勝頼の甲斐武田家三代の居館だった「躑躅が崎館跡」に武田信玄を祭神として大正8年(1919)に創建された武田神社に行きました2018年4月の蔵出し写真です国の史跡に指定されています武田神社参道お濠に桜の花びらが浮かんでいます参道武田神社全体図参道武田信玄の軍旗「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」拝殿前の鳥居拝殿振り返って見る大鳥居能楽殿境内境内の桜大鳥居から街が見えますお濠の新緑少し桜が残っていましたお濠の白鳥☆
大東流合気柔術練心館https://daitoryuaiki.web.fc2.com/格闘技フィットネススタジオCORESPIRIThttp://corespiritstudio.wix.com/kakutougiHMD飛翔塾元和道場https://hishoujyuku.wordpress.com/村松整骨院http://muramatsu-seikotsuin.com/Sundaylifecoffeehttps://www.instagram.
前回から1ヶ月以上経ってブログアップになります、ご無沙汰しておりますおかげでついに記事は1年遅れになってしまいましたが、今までのような季節感のズレがなくなったと好意的に解釈していただければ幸いですさて、去年4月長野県長野市へ遠征して、当初は旭山城と葛山城という、上杉謙信vs武田信玄の「川中島の戦い」で両軍が睨み合った山城に行くつもりでしたしかし東京からの日帰りでは大物の山城2つは、時間的・体力的に回り切れず、旭山城のあと、葛山城は諦めて善光寺を回り、さらにもう1箇所回りました今回訪れたの
桜が咲き誇る松代城跡・4K武田信玄の足軽大将、山本勘助が築城し川中島の戦いで武田側の拠点となった松代城(当時は海津城)その後は真田家が引き継ぎ真田十万石として信州松代を発展させました。現在は明治に建物が壊され石垣だけが残っていますが北アルプスや戸隠山などが望める絶景スポットで桜の季節には多くの花見客が訪れます。撮影日・2024年4月15日www.youtube.com
※こちらの記事は、平成31年1月26日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は「合戦における戦術について」シリーズの第6弾ということで「川中島(かわなかじま)の合戦」について書きます。『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の澤田ふじ子氏の記事を参考にしています。※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。参考第1弾勝弦峠の合戦第2弾戸石城の合戦第3弾長森原の合戦第4弾三分一原の合戦第5弾栃尾城の合戦まずはどのような
おすすめの歴史ドラマ...独眼竜政宗武田信玄といあえずどちらも黙って見とけw配役豪華だし昨今の大河よりもはるかに面白いからwwwでは、また...
復刻シナリオイベント「ふたりの愛が歴史になる~逸話の鍵は私?~」開催中です。4月22日まで。信長様、光秀さん、信玄様から選べます。これ、復刻ですけどやったことあるかなあ…?パッと見、エピローグを持ってはないのでどれでも初見だと思うんですが…読んでたとしたらワタクシの場合、このメンバーで読むなら信長様を読んでるだろうと予測して、あえての信玄様でスタートしました。ちゃんと最後まで読めるといいんですが。
前回の日記で安寧を祈ることにつて書いた。ざっくり言えば、愛を与えると言うことと同じである。かつて、武田信玄は敵に塩を送ったし、(彼がスピリチュアル好きだったかどうか知らないが、)聖なる予言シリーズでも宇宙人アミシリーズでも左脳的な頭の硬い軍人や医者を愛を与えることによって説得するようなストーリーがあったと思う。スピな世界では、ひょっとして定番なのかも。安寧を祈ることに気付いたのは2〜3にち前。で、今回、現実に対処すべき起こった。ルールや契約を盾に無謀を迫られた。少し前なら阿呆だの馬
やっぱり大河ドラマかなぁ。戦国時代が好きなので『独眼竜政宗』とか『武田信玄』が好きだったなぁ。
武田信玄おすすめです💖
信玄の名言が語る政治の真髄「甲斐の虎」と呼ばれるだけあり、圧倒的な強さで知られる武田信玄。しかし、実は軍事面だけではなく政治面でもその手腕を発揮しています。信玄はいくつかの名言を残していますが、そのひとつ。「人は城、人は石垣、人は堀、情は味方、あだは敵なり」これは、「いかに城・石垣・堀が堅固だとしても、それを守るのは結局は人であり、人が城、石垣、堀以上の役割を果たす。しかし、その人の心が離れてしまえば、国を治めることは出来ない。」という意味が言葉の中に込められ
信玄梅を3年越しでゲットする―源氏ワラント商品いつもご覧くださる皆様、本当にありがとうございます。心から感謝致します。皆様にとって良い事がたくさんありますように!以前、イオンに行った際に「信玄梅」なるものを発見しました。もう源平箱推し民であり、甲斐源氏好きである私は後で絶対買うと息巻いていましたが、すっかり忘れました・・・・・・。それから3年後、たまたま寄ったドラッグストアでまたまた発見しました。
--------------------------------------------2024年人情、愛情、友情、、、情けが大事。--------------------------------------------2023年人情が分かる大名、、、武田信玄。やっぱりすごい人なんですね。愛蔵版戦国名将一日一言Amazon(アマゾン)2,826〜3,410円
好きな相棒・名コンビといえば結果発表トップテン1位源義経と武蔵坊弁慶16・3%2位織田信長と豊臣秀吉10・2%3位近藤勇と土方歳三8・6%4位上杉景勝と直江兼続3・6%5位上杉謙信と武田信玄3・2%6位織田信長と森蘭丸3・1%6位木曾(源)義仲と巴御前2・9%8位石田三成と大谷吉継2・7%9位伊達政宗と片倉小十郎(景綱)2・2%10位中大兄皇子と藤原(中臣)鎌足1・7%なるほど~色々と検索してみたけど・・・相棒は、ド
昨晩真っ暗な部屋の中にいたところガサゴソ音がするので壁の方を見たらビッグなムカデがへばりついていました今年初の遭遇だったので記念のイラストでみなさんにお裾分け武田信玄配下の百足衆の旗指物を参考に描いてみましたがキモいのに悲しいかなとても描くのが楽しかったですという事で今日も良き日となりますようにkhishi-chanでした◇relatedlinks◇externallylink●homepagehttps://kishichan.theme
まぁ。。。昔で言うなら、「織田信長みたいに組織のトップになれますよ!」が起業や代表取締役だとして、「今川義元に攻め込まれた」「武田信玄の最強騎馬軍団怖い」とかは織田信長には基本どうしようも無いのと、同じ様な話しだと思う。「俺が決める事じゃ無いから、無理なもんは無理」https://t.co/nNlpxNeA4O—伊佐君美(@kimiyoshi_isa)2024年4月14日という精神は、「どんな大企業の代表でも、持ってるんじゃないかなぁ」と思うなぁ。最近
松山千春コンサート・ツアー2024『友よ』本日、YCC県民文化ホール(山梨県)にて開催✨千春さんに本番前の貴重なお時間を頂き、ラジオインタビュー収録をさせて頂きました✨4月12日の松山千春の甲府公演、1曲目を歌い終えた後のMCで「楽屋で伸太郎のラジオ番組のインタビューを受けた。今日が武田信玄の命日という話しだった。俺は武田信玄に会ったこともないしさ、仕えたこともないからぴんと来なかったんだけど」と言って笑いを取っていた。伸太郎さんはこの甲府公演に大きなスタンド花を贈
先日、山梨県まで行って来ました〜🚗💨お天気も良し👍(車窓より)今回は行きは助手席ですのでルンルーン♪途中一宮御坂の辺り、桃の花が綺麗でした〜✨桃狩り🍑に、また来たいなぁ用事を済ませ行った所は…さぁ、どこでしょう?駐車場がちょっと離れていて高齢者を3人連れていたものですからのんびりお散歩しながら🚶♀️ここ、武田神社⛩です参拝客も多かったです。武田神社と言えば、武将、武田信玄。武田信玄公をお祀りしている神社です。武田神社の境内は広く戦国時代の砦の痕跡も随所に見ら
大室山のつづきです桧と雑木林の急斜面が終わり、緩やかな尾根になると左前方に鐘撞山が見えました。標高が下がり、新緑とミツバツツジ満開の尾根になりました鐘撞山(かねつきやま)900m開かれた山頂には細長い鐘とベンチがあります近年伐採され、展望がよくなったらしいです。登山者も多くなったのかな。ここは武田信玄ののろし場だったそうです正面奥が先ほどいた大室山山頂に咲いていたスミレ2種山頂からは鐘撞山登山口である「立石建設に至る」という方向に下山熊よけに鐘を撞
更新してたので。謎のアフェリエイト含まれています表示(最近多い)で編集できませんのでその2です。●戦国小町苦労譚第十七幕馬廻掲載月一連載コミカライズ連載ページ。夕方くらい更新次回更新日感想。引くに引いた武田軍侵攻遂に。新型銃の量産は間に合うのか。〉武田家臣の切れ者おじ様にこちらにつくよう家康絡め密談するが、まあ当然だなぁ。〉乱波の正体と各大名により税金額違う豆知識。武田との決戦引っ張るな。〉保健体育な話。しかしもしおね(ねね)様妊娠したら歴史大きく変わるな。>イ
4月12日武田信玄公命日没後451年「武田二十四将騎馬行列」武田神社例大祭としての実施このことは、整形外科の患者のばあちゃんからきいていた実はそんな祭りを私は知らなかったのだ子供の頃にも聞いたことがないいわゆる、甲州軍団出陣とは別物こちらは父が関与していたので毎年右往左往としていた記憶があるが、、、昨年秋に「冨永愛」を迎えて行われたが、こっちは観光が大きいこっちは神事に近いとはいえ、こちらも信玄公にふんするのは、甲府大使のモデル女性が務める・・・うむいつもな
戦国武将、武田信玄の命日の12日、信玄や配下の武将にふんした騎馬行列が甲府の街を練り歩きました。騎馬行列は、毎年、武田信玄の命日に合わせて行われていて、ことしは、信玄役を甲府市出身のモデル、高瀬真奈さんが、配下の「武田二十四将」を公募で選ばれた人などが務めました。記事以下↓https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240412/k10014420141000.html武田信玄の命日に騎馬行列信玄役は甲府市出身高瀬真奈さん|NHK
信濃豪族諏訪氏は神職にありました。上原城にあり、大祝職でした。2代頼重は、鎌倉幕府14代高時の遺児を擁立し、『中先代の乱』を起こしますが敗死します。9代政満の頃から、戦国大名化します。政満は一族の大祝継満に殺害されますがその息子の頼満が総領職を奪還します。諏訪氏一族の争いに乗じて隣国武田信虎・信玄に攻められ、降伏します。頼重は甲斐に変更され、処刑されます。頼重の娘は、諏訪御寮人と呼ばれて武田信玄の側室になります。生れた男児が運命の子武田勝頼でした。
彼氏のマッチョさんと別れる前に書いていた内容です。久しぶりに彼氏のマッチョさんとデートしてきました。マッチョさんは武田信玄が大好きで、甲冑とか刀などの展示を見るのが好きみたいなので2人で見に行きました。マッチョさんは霊感などないのですが私は甲冑など見るとなんとなく圧を感じます。正直、戦いで人を殺しに行く時の格好なので、良い気を感じなくなるべく凝視せずにさらっと見てました。でも兜の部分は凝っていてうさぎのモチーフや獅子や、龍の飾りが付いていたりするので昔の人は合理的だけを求めてない所が凄
昨日(12日)は、甲府に行きました。甲府に住むペコさん、静岡に住むこっちゃん、と、私の三人甲府に集合するという企画でした。特急に乗れば1時間のところ、私はあえて各駅停車で。1時間40分かかりましたが、いろんな駅が見れて楽しかったです。どの駅にも桜の花が満開で、私は子供のように膝をシートの上に乗せ、窓の方を向いて景色を楽しみました。ガラガラの状態でしたからそんなお行儀の悪いかっこうができたのですが。私たちは未だに、50年以上前のニックネームでお互いを呼び
菱の名の由来は実の両端にトゲがあることを緊(ひし)と表現したことかといわれている君がため浮き沼(うきぬ)の池の菱摘むと我が染しめし袖濡れにけるかも万葉集柿本人麻呂甲府市の市章に使われていますねなんたって武田信玄菱は盛岡市の市章でもあるのです菱なんてまだ薔薇の方がいいやんと牡丹を描いてましたなんか紋章をつくるのにこってました剣とともに広告の紙の裏に自分のデザインとともに
山梨県甲州市でジャズピアノ教室を主宰している三枝数也です。ジャズの曲名。いろいろあります。チャーリーパーカーの曲で『ヤードバード組曲』。ぜんぜん組曲じゃありません。同じくチャーリーパーカーの曲で『Ornithology』。日本語に訳すと『鳥類学』同じくチャーリーパーカーで、『Anthropology』これに至っては『人類学』。ジミーヒースの作った『C.T.A』(マイルズデイビスの曲という説もある)これはジミーヒースが当時付き合っていたアフロアメリカンと中国と
仙台に行くと、あちこちに伊達政宗が居ます。勿論、本物の伊達政宗像もありますが、政宗をモチーフに使ったキャラや商品などが溢れます。実は伊達家は福島県伊達郡が本拠地の一族で、戦国初期に山形県米沢市に本拠地を移し、政宗も米沢で生まれます。その後、宮城県へと勢力を広げ、現宮城県の大半を有する仙台藩として幕末まで伊達家は続きます。本貫地とは違えど、戦国期から江戸期を通じて数百年の統治がありますので宮城=伊達政宗のイメージは納得です。同様に、江戸期