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飯山と笠松町は遠かりき娘が嫁ぐ岐阜のこの町今日の一首689伊吹山2歌集「田人以後」より飯山と笠松町は遠かりき娘が嫁ぐ岐阜のこの町末の娘が結婚することになり、羽島郡笠松町の結婚相手の家にあいさつに伺った。飯山と岐阜の笠松は遠い。#短歌#長野県飯山市#長野県#素晴らしい飯山#田人以後#田人#短歌誌#歌集#出版#箱店屋横丁大家#息吹山#岐阜県#笠松町#天王町#末の娘#箱店屋横丁大家の店番日記
羽島郡笠松町天王町末の娘の嫁ぐ町なり今日の一首687伊吹山1歌集「田人以後」より羽島郡笠松町天王町末の娘の嫁ぐ町なり末の娘が結婚することになり、羽島郡笠松町の結婚相手の家にあいさつに伺った帰り、娘と一緒に伊吹山へ登った時の歌です。#短歌#長野県飯山市#長野県#素晴らしい飯山#田人以後#田人#短歌誌#歌集#出版#箱店屋横丁大家#息吹山#岐阜県#笠松町#天王町#末の娘#箱店屋横丁大家の店番日記
火葬炉に棺入れられ閉ざさるる静寂の後嗚咽起こりぬ今日の一首687弟の死6歌集「田人以後」より火葬炉に棺入れられ閉ざさるる静寂の後嗚咽起こりぬ弟の棺が火葬炉の中に入れられ、扉が閉ざされた後、一瞬の静寂があり、こらえきれないように嗚咽が起こりました。#短歌#長野県飯山市#長野県#素晴らしい飯山#田人以後#田人#短歌誌#歌集#出版#箱店屋横丁大家#弟の死#川崎#見舞い#弟#入院#箱店屋横丁大家の店番日記
弟の死装束に被せたり自営の会社の青き制服今日の一首686弟の死5歌集「田人以後」より弟の死装束に被せたり自営の会社の青き制服弟の棺の中の遺体に弟の会社の新品の青い制服を被せました。#短歌#長野県飯山市#長野県#素晴らしい飯山#田人以後#田人#短歌誌#歌集#出版#箱店屋横丁大家#弟の死#川崎#見舞い#弟#入院#箱店屋横丁大家の店番日記
痩せ果てて軽くなりたる弟の遺体棺に抱き手入れたり今日の一首685弟の死4歌集「田人以後」より痩せ果てて軽くなりたる弟の遺体棺に抱き手入れたり痩せ果てて軽くなった弟の遺体を抱き上げ棺の中にいれました。都会の葬儀です。#短歌#長野県飯山市#長野県#素晴らしい飯山#田人以後#田人#短歌誌#歌集#出版#箱店屋横丁大家#弟の死#川崎#見舞い#弟#入院#箱店屋横丁大家の店番日記
約束の時間よりすこし早く到着したので、目の前にある飲食店の行列をちらちら見ながら待つ。時間は13時。行列は2回転目のお客様だろう。寒空の下、列に並ぶほど旨いのかそれとも安いのか。いずれにしてもその情熱がもうわたしにはないことに気づかされる。なんだったら並ぶかと自問してみるけれど、これという答えがみつからない。さびしい?いやいや、欲が少しずつ薄まっていくのは、楽ですよ。お坊さんみたいだな。お坊さんが楽かどうかはさておいて。ご苦労様です
二歳下の二人兄弟の弟は母をも残し先立ちにけり今日の一首684弟の死3歌集「田人以後」より二歳下の二人兄弟の弟は母をも残し先立ちにけり2歳下の弟は兄である私だけで無く89歳の母をも残し先立ってしまった。#短歌#長野県飯山市#長野県#素晴らしい飯山#田人以後#田人#短歌誌#歌集#出版#箱店屋横丁大家#弟の死#川崎#見舞い#弟#入院#箱店屋横丁大家の店番日記
祓え給い、清め給え、神ながら守り給い、幸え給え※お祓いください、お清めください、神さまのお力により、お守りください、幸せにしてください冬晴れの熱田神宮の平日は外国からの観光客や企業のお祓い、子どものお祝いや結婚式の前撮りなど、ひとつひとつが際立っていて、どこにでも顔をつっこみたくなる。どこからきたのか、創業何年なのか、お子さまは初孫か白無垢を着るのに何時間かかったか。ひとつに選べない、ゴールデンタイムの各局番組みたいだ。すべてのことがらにしあわせがある
八十九歳の母より先に弟は逝きてしまいぬ夏の日の朝今日の一首683弟の死2歌集「田人以後」より八十九歳の母より先に弟は逝きてしまいぬ夏の日の朝弟が夏の日の朝逝ったとの電話~母は89歳。その母を置いて逝ってしまった。#短歌#長野県飯山市#長野県#素晴らしい飯山#田人以後#田人#短歌誌#歌集#出版#箱店屋横丁大家#弟の死#川崎#見舞い#弟#入院#箱店屋横丁大家の店番日記
ピザはクリスピーより断然パンピザ派だ。胃袋に溜まる感じがジャンキーで、噛み砕かれた生地やチーズやチーズから溢れでる脂が、体の中心を泥のように流れていくのを想像すると、(というか実際そのように流れていくのだろうけど)どんなに格好つけたって仕方ないよ、という気分になる。宅配ピザ屋のポテトフライと骨付きチキンは、マクドやケンタには遠く及ばないけれど、それでも頼まない選択肢はない。宅配ピザ屋のサイドメニューのジャッジが甘くなるのも、この仕方なさに関係していなくもない。サラダ
吾を目で追いいる気配切捨てて病室出でしこと悔やまれる今日の一首682弟の死1歌集「田人以後」より吾を目で追いいる気配切捨てて病室出でしこと悔やまれる兄弟二人、川崎に住む弟が入院している大きな病院へ見舞いに行った。思ったより元気だったので安心し、少し話して帰ってきた。その後、二ヶ月ほどしてからの訃報。その訃報を聞いて~そういえばあの時、弟が私が病室を出るとき目で追っていたようだったな?もっと話しておけばと~悔やまれる。#短歌#長野県飯山市#長野県#素晴らしい飯山#
空の色海の色にも最果てを感じ巡りぬ下北の地を今日の一首681下北半島22歌集「田人以後」より空の色海の色にも最果てを感じ巡りぬ下北の地を梅雨晴れの一日下北半島を巡り歩く旅~空の色にも海の色にも最果ての縦の地に地に来ていることを実感しながらの旅だった~#短歌#長野県飯山市#長野県#素晴らしい飯山#田人以後#田人#短歌誌#歌集#出版#箱店屋横丁大家#下北半島#大間岬#青森県#ウニ丼#北海道#恐山#箱店屋横丁大家の店番日記
今年、地下鉄のわが最寄り駅に可動式ホーム柵が完成した。ある日突然、端っこに柵らしきものが現れたと思ったら、暫く延びる気配もないので忘れかけていたのだが、気づいたら完成していた。週の半分は地下鉄に乗っているので、気づかなかったと言うと、どうかしていると思われるかもしれないけど、本当にそうなのだ。待つ、乗る、降りるさえ滞りなければ、地下鉄のどの駅も通過点に過ぎないのだから、見ていたとしても、なにも見ていないのだろう。あなたの名前も知らなかった。せめてお名前だけでも、と
海原に白き夏雲湧きて見ゆ梅雨の晴れ間の岬に立てば今日の一首680下北半島21歌集「田人以後」より海原に白き夏雲湧きて見ゆ梅雨の晴れ間の岬に立てば大間岬から見える大海原に白い夏雲が見える~梅雨の晴れ間に本州の最北端の地に立っていると言う実感がする。#短歌#長野県飯山市#長野県#素晴らしい飯山#田人以後#田人#短歌誌#歌集#出版#箱店屋横丁大家#下北半島#大間岬#青森県#ウニ丼#北海道#恐山#箱店屋横丁大家の店番日記
7を音読するとき、ややややこしい。緊張感がある。※先日の歌会からいつか使ってみたかった歌人イトウマさんのややややこしい正解はシチなのだけどそのあとに日や回などが付くと、果たしてちゃんと届いているのか心配になる。尊敬する加賀美アナの発するシチでさえイチと感じることがあったくらいだから、一般に流通している7の伝わりかたはまったく怪しい。アナウンサーに限らず7をナナと音読するひとも増えている。そしてそれは安心感を持って、確実にわたしに伝
昆布の砂払いいる手を老人は休め昆布を商い始む今日の一首678下北半島19歌集「田人以後」より昆布の砂払いいる手を老人は休め昆布を商い始む海辺で昆布干しの作業をしている高齢の男性に声をかけたら、その老人は昆布を干す作業の手を休め、干している昆布をお土産に買うよう勧め始めた。#短歌#長野県飯山市#長野県#素晴らしい飯山#田人以後#田人#短歌誌#歌集#出版#箱店屋横丁大家#下北半島#大間岬#青森県#ウニ丼#北海道#恐山#箱店屋横丁大家の店番日記
ドアを開ければ憧れの空間がある。でもそのドアをあける鍵がない。鍵を貰う手立てもない。憧れが酷く滑稽なものに感じてしまうとき、わたしはふたつを失うのだ。けれど。そのぶん空いた容量にせっせと種を蒔こう。それぞれが立っている踊る阿呆に見る阿呆どうせ阿呆なら踊らな損。全員阿呆というところが妙に味わい深い。
民宿も営むらしき食堂に人等あふるる声さまざまに歌集「田人以後」より今日の一首677下北半島18歌集「田人以後」より民宿も営むらしき食堂に人等あふるる声さまざまに民宿も漁業も営むらしい大間岬の食堂は、地元の人も観光客も大勢の客で大賑わいでした。#短歌#長野県飯山市#長野県#素晴らしい飯山#田人以後#田人#短歌誌#歌集#出版#箱店屋横丁大家#下北半島#大間岬#青森県#ウニ丼#北海道#恐山#箱店屋横丁大家の店番日記
《2022年4月29日》ある若い歌人の短歌一首を引用して今日のブログを書き出そうと思っていたのだが、その短歌を思い出せない。ここ2カ月ほど読む本に困って何冊かの歌集を読み返してばかりいた。一週間ほど前、とても疲れた日だったので、早めに風呂に入って、歌集の一冊を読んでいた。ある一首に惹かれてあれこれ思いめぐらせていると、いろんな考えが次々につながってきてきちんと文章化できるような気分になったのだった。このブログとは別立てで読んだ本のことなどを書いているので、たった一首の短歌だけを取
もう冬ですね。わが社の前の公園で。イロハモミジ。カエデと似るも非。2025/12/3(水)曇ひねもす曇り、15℃を超えない模様です。寒くってしょうがねーと言ってた父を思い出すわい。昨夜は探し物をしました。ボクはトートバッグが好きでたくさん持っている。ちょっとしたパーティには使えませんが、安くて丈夫なので観光地やら美術館などでつい買っちゃうし、妹がお土産にくれたりします。気取らず大容量なので本やら書類やら工場と自宅の往復に最適だし、スタジオに行くときにも
丼に潮の香びありこの海のウニ口中にとろけひろがる今日の一首676下北半島17歌集「田人以後」より丼に潮の香びありこの海のウニ口中にとろけひろがるウニ丼には潮の香りがあり、ウニを口に含むとウニは口の中にとろけるようだ~ウニがこんなにうまいと感じたのは初めて#短歌#長野県飯山市#長野県#素晴らしい飯山#田人以後#田人#短歌誌#歌集#出版#箱店屋横丁大家#下北半島#大間岬#青森県#ウニ丼#北海道#恐山#箱店屋横丁大家の店番日記
丼の飯に厚々ウニ盛られ海苔も散らさる岬の店に今日の一首675下北半島16歌集「田人以後」より丼の飯に厚々ウニ盛られ海苔も散らさる岬の店に大間岬の先端に立つと、前方はもちろん左右にも大海原が果てしなくひろがっています。淼淼という言葉は「水面が果てしなく広いさま」を表す形容動詞で、この歌にはぴったりとしています。岬の先端に立つとさながら海に立っているような感じがします。#短歌#長野県飯山市#長野県#素晴らしい飯山#田人以後#田人#短歌誌#歌集#出版#箱店屋横丁
びょうびょう前左右青き海原淼淼と大間岬の先端に立つ今日の一首673下北半島14歌集「田人以後」より前左右青き海原淼淼と大間岬の先端に立つ大間岬の先端に立つと、前方はもちろん左右にも大海原が果てしなくひろがっています。淼淼という言葉は「水面が果てしなく広いさま」を表す形容動詞で、この歌にはぴったりとしています。岬の先端に立つとさながら海に立っているような感じがします。#短歌#長野県飯山市#長野県#素晴らしい飯山#田人以後#田人#短歌誌#歌
2025.11.30今日の漢字リクエストは、浅井一蓮さまオリジナル短歌より二作を、お借りしました。〔モコまま代理リクエストです。〕書道正師範高須番長の書道ブログ今日の漢字リクエスト目次書道正師範高須番長の書道ブログ浅井一蓮さまオリジナル短歌浅井一蓮さまオリジナル短歌二作「①桃の皮つるりと剥けば赤ちゃんのお尻のような美しさ」MokomamaAI修正画像「⓶弟よ生きてくれよと祈りつつ冷やしタオルを額に当てやる」MokomamaA
未知なれば憧れ強く海隔つ北海道を遠く見ており今日の一首67下北半島13歌集「田人以後」より未知なれば憧れ強く海隔つ北海道を遠く見ておりこの時北海道へは行ったことがなかった。大間岬から北海道を見つめて、行ったことがないだけに憧れの気持ちを強く持って北海道を見ていました。#短歌#長野県飯山市#長野県#素晴らしい飯山#田人以後#田人#短歌誌#歌集#出版#箱店屋横丁大家#下北半島#大間岬#青森県#ウニ丼#北海道#恐山#箱店屋横丁大家の店番日記
「あああれが北海道だ!」本州の最北端の地に吾立てり今日の一首671下北半島12歌集「田人以後」より「あああれが北海道だ!」本州の最北端の地に吾立てり大間岬は本州の最北端の地~その差異北端の地から北海道が見える。その北海道の島影を見て行ってみたいと強く思ったのです#短歌#長野県飯山市#長野県#素晴らしい飯山#田人以後#田人#短歌誌#歌集#出版#箱店屋横丁大家#下北半島#大間岬#青森県#ウニ丼#北海道#恐山#箱店屋横丁大家の店番日記
人生も後半にさしかかり、書籍を少しずつ手放そうと思っている。基本的に本については、また読みたくなれば買えばいいから読んでは売るという考え方なのだけど、そうは言っても、容易に山脈を連ねられるというのが、本のよくないところである。本というか、悪いのは怠惰なわたしなのだけど。こうして書棚を見渡すと手元に残しておきたい本が光ってみえてくる。光に感じる本だけを繰り返し読むこと。やっとそういうときがきた。歳を重ねてきて唯一いいと思えることだ。急がないと。
国立国会図書館デジタルコレクションで細川慶順と検索すると670件、改名後の韶邦で検索すると408件がヒットする。何気なく検索していたら三条実美公の「難四之可他延」(なしのかたえ)なる歌集の如きものに韶邦公の名前を見出した。その一ページをよくよく見ていると、韶邦公及び夫人である妹君に対する歌を発見、維新後のお二人の交友鰤の一端を垣間見る思いがして微笑ましく思えた。維新の荒波は韶邦公の公武合体の想いを打ち砕き、藩政は改革を打ち出した護久・護美の異母弟に委ねられ、韶邦夫妻は東京・今戸の新邸に入ら
際限なく出てくる串。そして奇跡的にすべてが旨い。この日は、娘のような年頃の仕事先の同志との会食。わたしの山は高岳、新栄、金山、浄心、上小田井、植田、更に常滑、といった具合にできるだけ名古屋駅、栄は避けたラインナップ。地味に面がわれているから過去の教訓を鑑みて慎重に飲みの席を選ぶ。愛しい女をもてなす恋人手前の男の気分で店を選ぶのも悪くない。17時から飲みスタート若い友達は何から何まで喜んでくれたのだけどいかんせん、食べる飲める、の二拍子揃ったつわも
夢を売る商売でもあるわけで。夢を売る以上、手を抜いてはならないしいい買い物をした、と感じて貰わないといけない。だから特にお祝いの場面では、無に近い存在に徹っする。無といえばまだ美しさがある。労力に、微々たるものだが報酬というものが乗っかるので(それで日々のパンとワインを買っている)有能なお手伝いさん、といった方がいいかもしれない。非日常が日常的にある無