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令和5年5月26日(金)~28日(日)濁河温泉(北陸道経由・飛騨小坂)旅行26日(金)(22:45)自宅発杉津PA福岡PA3:50道の駅雨晴7:00城山の湧き水7:30雄山神社前立社壇8:20すき家大沢野店道の駅細入10:20道の駅スカイドーム神岡江馬氏館跡庭園11:50神岡城13:15飛騨古川散策14:20道の駅アルプ飛騨古川15:45道の駅ひだ
武)直江兼続:勧農治水の才武)柳生宗矩:修身の剣武)井伊直政:栄光の傷痕武)森長可:白衣夜叉の臨武)淀殿:母子密着の結武)虎御前:虎母咆哮©コーエーテクモゲームス
4/1(月)に、残っていた最後の「青春18きっぷ」を使い、岐阜県へ日帰りお城巡りに出かけ、1城目は「久々利城」に登城して、2城目は名鉄「明智駅」から「八百津町方面」へ行くバスに乗車し「城戸坂」で下車してそこから「美濃金山城」(岐阜県可児市)に登城しました。バスで12時37分に着くと、案内板が立っていてそこから切通しになっている車道をひたすら登って行きます。5分位すると左へ入り込む道に「古城山登山口」があり、更に中に入っていくと「大手道」という看板があってそれに沿って上って行きます。かなり登
4/1(月)に、残っていた最後の「青春18きっぷ」を使い、岐阜県へ日帰りお城巡りに出かけました。残っていた最後の「青春18きっぷ」を使用↓大阪駅6時33分の新快速で米原駅へ、そこから「JR東海」で大垣と岐阜で乗換えをして「可児駅」へ10時42分に到着しました。今回は、「久々利(くくり)城」(岐阜県可児市)へ行くのに公共交通機関が利用できないかと色々と調べた結果、可児市では「デマンドバス」という予約システムで運行している移動手段があることがわかり、事前に予約をしました。毎
<速報>本日4/1、最後の「青春18きっぷ」を使い、岐阜県へ日帰りお城巡りに出かけました。大阪6時33分の新快速で米原へ、大垣と岐阜で乗換えて可児駅へ10時42分に到着。そこから予約していたデマンドバス(タクシーでしたが)で、「久々利(くくり)城」(岐阜県可児市)まで行きました。幟がアチラコチラに立てられ、かなり力が入っているようでした。桝形虎口を入ると切岸を施した三段の曲輪が高々と聳えていました。久々利城の虎口↓久々利城本丸から二の丸、三の丸を見下ろす↓久々利城本丸か
期間:2024/03/29〜04/05天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額武)森長可:白衣夜叉の臨薬)徳姫:理非曲直の訴薬)羽柴秀長:豁達大度の仁武)佐々成政:八相山の務め武)前田利家:赤母衣筆頭射)堀秀政:名人久太郎星3射)傑山宗俊:会心撃・弐©コーエーテクモゲームス
期間:2024/03/25天井:100倍率:3倍初回:半額武)森長可:夜叉武蔵の悍薬)妙向尼:森厳なる嫗煦武)森可成:不退の十文字射)森蘭丸:魔王の嬖臣©コーエーテクモゲームス
黙々と続けているFGO。遂にアルクェイドさんが絆レベル15に到達しました我がカルデアではとても貴重な「星5サーヴァント+宝具レベル5」の2体のうちの片方ですからしっかりフル活用しておりましたが、遂に限界に到達したか😆すごいや!そしてアルクェイドさんのパートナーとして活躍していたコヤンスカヤさんも絆レベル15に到達。育ちに育っておりますそしてロリンチちゃんも絆レベル10に到達!バーゲストさんも絆レベル10に到達!(*•̀ㅂ•́)و✧しばらくは絆レベル10に到達するサーヴァントは出な
※「国史跡松代城跡」石碑と案内板…巨大な石碑が目を引きます!松代城1️⃣100名城No.26松代城には、今回初めて行きました。松代城は、平城に属しますが、「甲州流築城術」が随所に見られる「名城」です。松代城は、元は「海津城」と呼ばれ、川中島を抑える「拠点」として、軍師「山本勘助」によって築かれます。その後、「上杉の抑え」として、武田四天王の智将「高坂昌信」により、ほぼ現在見られる姿に整備されました。豊臣時代、田丸直昌により、「土塁の城」か
「元亀争乱450年」の教訓を糧に、本日早めに「激闘!森長可の小牧・長久手合戦」の抽選を実施しました。対象となるのは、抽選特典となっていた過去の限定異名「鬼武蔵」と「人間無骨」で、それぞれ50名様ずつとなっています。当選されたみなさま、誠におめでとうございます。当選の発表はアプリTOPに表示される異名獲得の通知にて代えさせてもらいます。異名獲得については自分年表などには掲載されませんのでご了承下さい。ところで自分年表といえば、アプリTOPの[自分年表]をタップした画面から
※こちらの記事は、令和3年1月27日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第38弾として、「小牧長久手(こまき・ながくて)の戦い」について、ビジネス的視点で学んでいこうと思います。※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。【ビジネスに活かす戦国合戦術シリーズの過去記事(抜粋)】第1回今山の合戦第5回長良川の合戦第6回桶狭間の合戦第8回金ヶ崎城の合戦第10回二俣城の合戦第11回一言坂の合戦第12回三方ヶ原の合戦
【問題】森長可戦死の地と伝わる場所(愛知県長久手市)は、次のうち何と呼ばれるか?【選択肢】夜叉堂武蔵塚日勝陵森長墳【正解】武蔵塚【解説】森長可は長久手の戦いで戦死したが、現在、戦死の地と伝わる場所には、長可の受領名である武蔵守から「武蔵塚」と呼ばれる供養塚が建てられている。
福知山市を後にし、ひたすら走り続け岡山県を目指す。休憩で立ち寄ったSAが…鳥取県だったwどうやら京都→兵庫→鳥取→岡山というルートだったらしい。約150km走破。史跡津山城跡日本三大平山城(津山城、姫路城、松山城)のひとつ。建物こそ櫓が一つしかないが、とにかく石垣が凄い。無料ゾーンでもこの通り見事な石垣。しかしまぁ…17時過ぎてるんでね…史跡津山城跡無料ゾーンだけでも見ておこうと思ったがこんなもんでした。森忠政現在の津山城へと大改修したのがこの
スポットのひとつ可成寺(かじょうじ)現在開催中の地域限定城めぐり「激闘!森長可の小牧・長久手合戦」について、終了日である2月4日が迫ってまいりました!!あと2週間とちょっとです。昨年、大河ドラマ「どうする家康」の劇中における小牧・長久手の戦いと軌を一にして、合戦イベント「長久手の戦い」と、この地域限定めぐりがスタートしました。長久手の戦いにゆかりの深い地ということで、そのスポットは複数の自治体にまたがり南北に広く所在していますが、これまでに大変多くのユーザーさんにご参加頂いてお
武)直江兼続:勧農治水の才武)柳生宗矩:修身の剣武)井伊直政:栄光の傷痕武)森長可:白衣夜叉の臨©コーエーテクモゲームス
天海㉚美濃国土岐郡久尻村は、土岐川の支流である深沢川一帯にある。庄兵衛の屋敷はその村のはずれにあった。11月下旬、庄兵衛のもとに、従者を連れた初老の武士が訪れる。「これは大殿、お久しぶりでございます。」と庄兵衛は丁重に挨拶をすると、すぐに奥の間に通したのである。「庄兵衛殿、久しぶりである。変わらぬようで何よりだ。」というと、どっかりと腰を下ろした。「本日は、どのような御用でございますか。」と庄兵衛が問うと、「うむ、ここのところ暇だからお茶をごちそうになり
やっと手をつけられる……。先ずは星5武芸長可さん。敵生命上位2体物ダメ0.90×3鬼&機特効+50%自身対敵全体挑発付与(2T)自身防+15%これは面白いものが来た。挑発……ということは、全ての攻撃が彼に集中するということで良いのかな?だとすると、これは中々興味深い。2T継続ということは、とりあえず第一波を凌いだ後に彼にスキルを発動させ続け、更に撤退さえさせなければ、他のメンバーの体力を気にする必要はなくなる!……とも思ったのだが、範囲や全体攻撃がどういった扱いになるのかは不
さて、昨日『【信長の野望20XX噺】戦国一の出世頭(1)』大変申し訳ないが、今週は仕事がベラボーに忙しい故に全て吟味している余裕がない。本来なら全く分ける必要はないのだが、数回に分ける……回数は不明。先ずは星5覇道秀…ameblo.jpの続きである。本日最初は星5呪術秀長さん。横列味方防+40%&麻痺治癒縦列味方溜め付与or攻+70%(既に溜めなら攻バフ)全てが“専門家”には及ばないものの、大変便利にまとまった“太閤の右腕”に恥じない性能。最近のトレンド(?)である、溜め付与が無駄
天海⑤秀満は遠山景行(明智光安)の子として明知城で生まれた。その後、叔父である三宅長閑斎の養子となったのである。若い頃から三宅弥平次として、明智光秀に仕え、その娘を正室に迎えて明智秀満を名乗った。遠山利景は実の弟である。素性から言えば明智氏を名乗るべきであろうが、この時代さすがに明智氏の桔梗紋は憚れたであろう。秀満自身も坂本城で死んでいることになっているので、家紋から出自を問われると困るのである。それに関東の徳川領内で活動するのなら、家康の旗本である明智遠山氏の遠山
美濃金山城跡の麓にある「可児市戦国山城ミュージアム」にも行ってきました。駐車場はこの裏にあるのでそこに停めました。裏から見ると3階建てになっていて、正面入口から入ると3階なので階下へと資料があるのです。この建物は明治18年(1885年)に竣工した、懸け造りの3階建て珍しい形態の校舎を平成6年に解体改修し、資料館として開館し、南面からは2階造り、北面からは総3階という学校建築は極めて稀で、建物そのものが貴重とあります。その後、平成29年(2017年)の耐震改修工事を
一人前ずつ煮込んでいられないので、大鍋で一度に作りました。炊き込みご飯が炊きあがるまでに、きしめんができてしまいました。麺が見えないので何故きしめんがあるかというとスマホの城巡りゲームのイベントで岐阜・愛知方面(可児〜犬山〜小牧)へ行ってきたからです。戦国武将の森長可(もりながよし)に縁のある城や古戦場を廻るのが今回の司令。犬山城観光地は多くの人出がありました。天守の最上部は人がギッシリ。(写真でわかるかな?)人混みは苦手なので城に入らず、早々に退散。その他の地点は、神社
筆者達の自転車には、刀剣の名前をつけています。セーラー戦士の名前だとすぐダメになりました。なので、紆余曲折あって刀剣です。筆者のGT-Rは、その色みから大包平です。なので…。刀剣乱舞のリフレクターで大包平が手に入りましたので付けてみました。さて、ようやく鍵やセキュリティが整ったMUSASHI。当初、輪行=縛るので、亀甲貞宗と付けてました。しかし。そもそもMUSASHI。ちょうどテレビでは城田優さんが大河ドラマで森長可として登場されてました。森長可の別名・鬼武蔵。院長の荒天
本当は水曜日予定だった美濃金山城跡へのハイキング。天気が怪しそうなので前倒ししました。ここは、もう、ずーっと行きたかった場所。↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓まだ万全ではないカラダの調子をいたわり滋養強壮にもってこいの自然薯とろろめし定食(並)をいただきました。なんだか、十字架光線に守られてちょうど着いたら駐車場が空いてうん。ラッキー☆混むのは覚悟の上。Kerry《地元情報誌》に載っていたので。ちなみに11時半ごろに着きました。食後の運動にはもってこいのハイ
明智秀満(78)「信長公記」『信州川中島表、森勝蔵働きの事四月五日、森勝蔵、川中島、海津に在城致し、稲葉彦六、飯山に張陣侯処、一揆蜂起せしめ、飯山を取り巻くの由注進侯。即ち、稲葉勘右衛門、稲葉刑部、稲葉彦一、国枝、是等を御加勢として飯山へさし遣わされ、三位中将信忠卿より、団平八、是又差し越さる。然るに、御敵山中へ引籠り、大蔵の古城拵え、いも川と云う者一揆致し、大将立て籠る。四月七日、御敵長沼ロヘ八千ばかりにて相働き侯。即ち、森勝蔵駆けつけ、見合せ、噇と斬り懸か
明智秀満(75)「信長公記」『御国割りの事三月廿九日、御知行割り、仰せ出ださるる次第。覚甲斐国、河尻與兵衛へ下さる。但し、穴山本知分これを除く。駿河国、家康卿へ、上野国、滝川左近へ下さる。信濃国、タカイ、ミノチ、サラシナ、ハジナ四郡、林勝蔵へ下さる。川中島表在城、今度、励先陣粉骨につきて、御褒美として仰せ付けられ、面目の至りなり。同、キソ谷二郡木曾本知。同、アツミ、ツカマ二郡木曾新知に下され、同、伊奈一郡毛利河内へ下さる。同
明智秀満(68)「啓蒙日本外史」『信長初メ武田氏ノ諸将ヲ誘ノテ叛カシム、勝頼死スルニ及ンデ皆之ヲ誅ス、令ヲ下シテ逮捕シ遺類ナキヲ期ス。少将潛カニ之ヲ庇フ、免ルルヲ得ル者多シ。依田信蕃久シク田中ヲ守ヲ以テ我ガ兵ニ抗ス、少将最モ之ヲ嘉シ収テ部下ニ隷ス』武田家信濃先方衆・依田信蕃は天正3年父・芦田信守と共に二俣城にいた。長篠の戦いの後、二俣城は徳川勢の包囲を受けて窮地に陥る。信守は僅かな手勢で徳川勢の猛攻をしのぐが、城中で病死してしまうのである。守将となった
明智秀満(63)「信長公記」『家康公駿河口より御乱入の事家康公、穴山玄蕃を案内者として召し列れ、駿河河内口より甲斐国文殊堂の麓、市川ロヘ御乱入。』信忠勢の信濃乱入を受けて家康は浜松城を出立し、天正10年(1582年)2月18日には掛川城に入った。2月20日には依田信蕃が籠る田中城を包囲したが、先を急ぐ家康は抑えの兵を置くと駿府城に進出した。家康は北条家に先んじて駿河を抑えるため、江尻城の穴山梅雪を調略していたのである。梅雪は勝頼の寵臣・長坂長閑、跡
期間:2023/09/08〜09/15天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額呪)滝夜叉姫:魍魎の呪姫武)戸沢盛安:甚雨の提灯武)森長可:夜叉武蔵の悍武)浅井長政:秀外恵中の将武)原虎胤:夜叉美濃星3武)鍋島清久:心眼・参星2呪)足利頼氏:妖特効・弐©コーエーテクモゲームス
明智秀満(59)「信濃史蹟」『木曽方にては、新たに苗木の遠山父子が、加勢として加わりたるにより、衆皆勇気倍加、(中略)小木曽川に沿いて牧原に陣を布く。而して、苗木の遠山父子は遊軍として別動隊を率ゆ。』義昌の人質を殺害したことで、光秀は手筈通り、朝廷に正親町天皇の勅命を出してもらう。これに大義名分を得た信長は勝頼の討伐を決定した。信長の決定を受けて、いち早く苗木城の遠山友忠・友政父子は、木曽の援軍に入った。これまで単独で武田の遠征軍と戦っていた木曽勢は友忠の