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【白黒写真】標準レンズで拾った2024年4月の絵使用レンズのご紹介リンクCOLOR-ULTRON1.8/50(Voigtländer)「2024年4月の、1ヶ月間の印象」の組写真だ。組写真と言ってもトータル枚数が枚数なのだが、画面を適当にスクロールして、「止まったところから5枚が組写真になっている」という方針?でいたりする。カラーでも撮った場所もあるし、カラーでは撮っていない場所もある。気分だ。文章に擬人化という手法があるが、映像にもあると思う。擬人化という
あらたな緑が覆いつくしてゆく場に、姿を見せるエルフたち-水戸市七ツ洞公園使用レンズのご紹介リンクMCROKKOR-PG1:1.4f=50mm(minolta)快晴だ、水戸市の七ツ洞公園に行った。行って仰天した。新緑は新緑なのだが、すでに猛烈に濃密になっていた。4月の変化が大きいのは知っているつもりなのだが、例年こんなだったかなと思う。混沌とした領域は拡大してゆく。そこでこそ見いだせるものがあるだろう。そんな混沌にレンズを向ける。ファインダー像を上下左右+回転
英国からやってきたシークレットガーデンが、異国の地で風を受けている-水戸市七ツ洞公園使用レンズのご紹介リンクMCROKKOR-PG1:1.4f=50mm(minolta)快晴だ、水戸市の七ツ洞公園に行った。七ツ洞公園は、英国人技師が設計した英国式庭園だ。開園が1999年だから比較的新しい庭園だと思うが、緑は急速に拡大し森は深まりつつある。”新しさ”は野生の中に飲み込まれつつあるのだ。七ツ洞公園は周囲を田畑で囲まれており、コンビニなどのショップも見当たらないほどに市
水辺の領域に、急速に拡大してゆくものの斉唱が響く-水戸市七ツ洞公園使用レンズのご紹介リンクMCROKKOR-PG1:1.4f=50mm(minolta)快晴だ、水戸市の七ツ洞公園に行った。行って仰天した。新緑は新緑なのだが、すでに猛烈に濃密になっていた。4月の変化が大きいのは知っているつもりなのだが、例年こんなだったかなと思う。寒い季節、いつもギャーギャー喚いていた水鳥はもういなかった。代りに蛙がギャーギャー喚いていた。七ツ洞公園にはときどき行くから、どの場
左へ90度回転してください広島県庄原市県民の森にある一本の樹…あきらかに周りの木とは違うこの森の主かのような存在感です
里山は伝説と花々の色彩をまとい、川はそこに流れる-日立市から常陸大宮市御前山まで使用レンズのご紹介リンクT-434/40(SMENA-8M)LOMO良く晴れた日、やたらとマニアックなレンズを連れて外出したところ、いつのまにか常陸大宮市の御前山まで行ってしまった。途中では珍しく、ジェラートやてんぷら蕎麦を食べるなど、じつにリッチだったりした。で、最後に到着したのが御前山だった。伝説がいまも残されているエリアだ。伝説とは「御前山」「皇都川」など、独特な固有名詞から
咲きそめる花々が、冷気から日々を解放してゆく-常陸太田市西山荘、西山公園、馬場八幡宮使用レンズのご紹介リンク[CT-135]1:2.8f=135mmBBARMULTIC.(TAMRON)雨の日の翌日、天気は快晴。今年はまだまとまった花撮りをしていなかったので、常陸太田市の西山荘、西山公園、それに馬場八幡宮をめぐった。西山荘は水戸黄門が引退後に暮らした場所であり、桜の名所として知られる西山公園と隣接している。なんだか今回、やたらと撮った。構図メンバーとなる彩
色彩の中、冷えた季節にあったものは覆い隠されてゆく-常陸太田市西山荘、西山公園、馬場八幡宮使用レンズのご紹介リンク[CT-135]1:2.8f=135mmBBARMULTIC.(TAMRON)雨の日の翌日、天気は快晴。今年はまだまとまった花撮りをしていなかったので、常陸太田市の西山荘、西山公園、それに馬場八幡宮をめぐった。西山荘は水戸黄門が引退後に暮らした場所であり、桜の名所として知られる西山公園と隣接している。この季節になると、これまで抑え込まれていた色
花々の色彩の中に、わからないままのものは眠る-常陸太田市西山荘、西山公園、馬場八幡宮使用レンズのご紹介リンク[CT-135]1:2.8f=135mmBBARMULTIC.(TAMRON)雨の日の翌日、天気は快晴。今年はまだまとまった花撮りをしていなかったので、常陸太田市の西山荘、西山公園、それに馬場八幡宮をめぐった。西山荘は水戸黄門が引退後に暮らした場所であり、桜の名所として知られる西山公園と隣接している。馬場八幡宮もすぐ近隣にある。水戸徳川家による徹底し
水の流れに沿うエリアが、いつでも新たな姿を見せている-日立市北部使用レンズのご紹介リンクMAMIYA-SEKORZOOMC55-110mm1:4.5N(MAMIYA)天気は曇天。ときどき間違えたように青空が見える。日立市の北部をめぐった、具体的には十王ダム/パノラマ公園、創建が西暦807年とされる法鷲院、それに川尻海岸だ。この三ヵ所は、受ける印象がまったく異なるにも関わらず、互いに近隣にある。ダム湖からの川は、法鷲院の前を経て川尻海岸に至る。始点のダム湖と
ダム湖と海を結ぶ川辺のエリアで変貌し、移り行くもの-日立市北部使用レンズのご紹介リンクMAMIYA-SEKORZOOMC55-110mm1:4.5N(MAMIYA)天気は曇天。ときどき間違えたように青空が見える。日立市の北部をめぐった、具体的には十王ダム/パノラマ公園、創建が西暦807年とされる法鷲院、それに川尻海岸だ。この三ヵ所は、受ける印象がまったく異なるにも関わらず、互いに近隣にある。ダム湖からの川は、法鷲院の前を経て川尻海岸に至る。始点のダム湖と終
【白黒写真】準標準レンズで拾った2024年3月の絵使用レンズのご紹介リンクnewFD35mm1:2.8(CANON)「2024年3月の、1ヶ月間の印象」の組写真だ。組写真と言ってもトータル枚数が枚数なのだが、画面を適当にスクロールして、「止まったところから5枚が組写真になっている」という方針?でいたりする。これまでほとんど標準レンズを持ち出していたが、今月は趣向を変えて”準”標準レンズを持ち出すことにした。使い方は標準レンズに比べると2~3歩踏み込む感覚にな
【白黒写真】モノクロームで描かれた聖域-常陸太田市西金砂神社および周辺使用レンズのご紹介リンクnewFD35mm1:2.8(CANON)そろそろ今月撮影した白黒写真をまとめようと思ったのだが、今月の始めに行った西金砂神社で撮影した写真が、かなり多いことがわかった。そのため、別記事としてこちらに切り分けることにした。つまり写真自体はもう一か月近くも前に撮影したものになる。カラー撮影の方は焦点距離が150mmのレンズを使ったが、こちらの白黒撮影のものは35mmだ。
去年の夏、同じ白い花が二つの城塞跡に咲いていた-東海村石神城跡使用レンズのご紹介リンクSuper-Multi-CoatedTAKUMAR1:2.8/105(PENTAX)ほとんど曇り、ときどき晴れという一日だった。東海村の”石神城跡”をめぐった。前回は快晴で超ハイコントラストだったが、今回は曇天でローコントラストだった。前回、”石神城跡”だけでなく、那珂市の”額田城跡”もハシゴした。東海村と那珂市とは言っても、この二つの城址の距離は直線距離なら約5km程度なの
自分が知らないはずの故郷が、止まることなく展開してゆく-常陸太田市白羽-瑞龍エリア使用レンズのご紹介リンク[02B]1:2.528MMBBARMC(TAMRON)ほとんど曇り、最後の方でやっと晴れという一日だった。常陸太田市の里山をめぐった。具体的には白羽エリアから瑞龍エリアを、風の吹くままに?めぐったのだが、途中、天志良波神社(あめのしらはのじんじゃ)、旌櫻寺(せいおうじ)跡、耕山寺、白鷺神社に立ち寄った。幹線道路に沿っているわけではなく、道はとてつも
幹線道路から外れれば、狭い道に沿って広がっているもの-常陸太田市白羽-瑞龍エリア使用レンズのご紹介リンク[02B]1:2.528MMBBARMC(TAMRON)ほとんど曇り、最後の方でやっと晴れという一日だった。常陸太田市の里山をめぐった。具体的には白羽エリアから瑞龍エリアを、風の吹くままに?めぐったのだが、途中、天志良波神社(あめのしらはのじんじゃ)、旌櫻寺(せいおうじ)跡、耕山寺、白鷺神社に立ち寄った。里山を縫う道はとてつもなく狭い。もちろん近くには
雨降る中にひろがる豊かさの中を歩けば、鳥たちは目を覚ます-水戸市七ツ洞公園使用レンズのご紹介リンクSZUIKOAUTO-ZOOM35-70mm1:4(OLYMPUS)朝からバーバーと雨。水戸市の七ツ洞公園に行った。リピーターとなっている場所の内の一つだ。たとえ同じ場所であっても、季節や天候、時間帯などによって、拾える絵は大きく異なってくる。それなら、いくら拾っても拾いきれるものではないだろう。要するにあまりにも豊かだということだ。”豊かさ”にもいろいろ
OLYMPUSSZUIKOAUTO-ZOOM35-70mm1:4オリンパスの標準ズームレンズ、いわゆる”サンゴーナナマル”だ。「SZUIKO」呼称はサードパーティレンズのことで、このレンズの製造元はコシナとのことだ。発売が1980年だから、それまでの単焦点標準レンズが標準ズームレンズに置き換わり始めた時期のものだ。もちろんそれまでもズームレンズは存在したが、単焦点レンズがズームレンズに置き換えられて行くのは、”サンゴーナナマル”レンズが登場したあたりからだ
立ち寄る場所の先にある、なかなか到達できない領域-常陸太田市西金砂神社および周辺使用レンズのご紹介リンクZENZANONMC1:3.5f=150mm(ZENZABRONICA)常陸太田市の西金砂神社に行った。断崖の上に立つ、創建が西暦806年とされる神社だ。撮影エリアはふもとの”赤土”エリアからになる。”赤土”エリアは蕎麦の栽培で知られているが、ここの蕎麦を改良したのが、最近ではブランドになりつつある”常陸蕎麦”だ。そのため、蕎麦屋で”常陸蕎麦”を注文する際
断崖の上に立つ聖域に、春の強い風は吹く-常陸太田市西金砂神社および周辺使用レンズのご紹介リンクZENZANONMC1:3.5f=150mm(ZENZABRONICA)常陸太田市の西金砂神社に行った。断崖の上に立つ、創建が西暦806年とされる神社だ。撮影エリアはふもとの”赤土”エリアからになる。参道横の土手の上に祠があると思って近づくと、そのすぐ後ろが断崖だったりと、何度行っても物凄いと思ってしまう。これは地形的なものだけではない、そもそもこのエリアの”気”
【白黒写真】標準レンズで拾った2024年2月の絵使用レンズのご紹介リンクMCHELIOS-44M-458mm1:2Valdai(Russian)「2024年2月の、1ヶ月間の印象」の組写真だ。組写真と言ってもトータル枚数が枚数なのだが、画面を適当にスクロールして、「止まったところから5枚が組写真になっている」という方針?でいたりする。先月使ったレンズが気に入ったから、今月は続けざまの使用になる。このレンズ、カラーでは気がつかなかったのだが、モノクロで使うと
【白黒写真】色彩を欠落させて浮かび上がるもの-常陸太田市馬坂城跡、稲村神社、佐竹寺使用レンズのご紹介リンクMCHELIOS-44M-458mm1:2Valdai(Russian)今回アップロードする写真は、三週間ほど前に常陸太田市の天神林エリアにある、馬坂城跡や稲村神社を歩いたとき、カラーと同時に撮っていたモノクロ写真だ。そろそろ今月撮ったモノクロ写真をまとめようかと思ったのだが、このエリアでの撮影枚数がけっこう多いことがわかり、独立した記事として切り
名が彩る水辺のエリアに、春の気配は忍び寄る-矢祭渓谷、矢祭神社、常陸太田市根岸の溜池使用レンズのご紹介リンクAFTELE400mm1:5.6MULTI-COATED(SIGMA)福島県の矢祭町まで行った。矢祭渓谷だ。かなり好みの場所で、けっこうリピーターだ。矢祭という地名は、源義家がその景観に感動し、矢を岩窟に奉納したことから付けられたとされる。その後、義家は矢を奉納した場所を神社として勧請し、矢祭神社が創建された。矢祭神社の祭神は太陽神である天照大神だ。
境界の外側から見えた、内側に広がる絵-矢祭渓谷、矢祭神社、常陸太田市根岸の溜池使用レンズのご紹介リンクAFTELE400mm1:5.6MULTI-COATED(SIGMA)福島県の矢祭町まで行った。矢祭渓谷だ。かなり好みの場所で、けっこうリピーターだ。矢祭に行った目的はアユの塩焼きだけではない。ここの地形はかなり気合が入っており、ときどきめぐりたくなるのだ。矢祭渓谷は久慈川に沿った場所にある。矢祭付近の久慈川の川床は、土や砂ではなく岩盤だ。火山性の岩盤だか
育てる者と育てられる者によって、街は築かれる-会津若松市飯盛山、七日町周辺使用レンズのご紹介リンクAFNikkor35-105mmF3.5-4.5S(NIKON)しばらくぶりに遠出をしたいと考え、福島県の会津若松市に行った。高速道路を使って2時間半と言ったところだ。具体的には、飯盛山と七日町周辺だ。七日町は古い街で、あちこちに蔵が残されている。蔵を改装した洒落た店が通りに並び、街自体が一つの観光地であるかのような景観を見せている。あちこちにポスターが貼ら
歴史というものが、巨大に成長し続けたエリアにて-会津若松市飯盛山、七日町周辺使用レンズのご紹介リンクAFNikkor35-105mmF3.5-4.5S(NIKON)しばらくぶりに遠出をしたいと考え、福島県の会津若松市に行った。高速道路を使って2時間半と言ったところだ。具体的には、飯盛山と七日町周辺だ。飯盛山は”会津白虎隊”の終焉の地として知られている。そこに、おおよそ100年ほど前にローマ市から贈られた石柱が立っている。石柱には大まかに、次のようなことが
伝説の残る水辺の道に春風は吹き始める-高萩市花貫渓谷使用レンズのご紹介リンクFD85mm1:1.8S.S.C.(CANON)高萩市の花貫渓谷、名馬里ヶ淵に行った。伝説の残る名馬里ヶ淵は、花貫渓谷の下流に位置する。上流方向が本格的な渓谷域となるのだが、名馬里ヶ淵をめぐるだけのことも多い。名馬里ヶ淵伝説は、TVアニメ”日本昔話”にも出てきたらしい。木に登って遊ぶ子馬を見て、村人は「この子馬は川の大蛇の子どもだ」と恐れ、川の淵に沈めてしまった。その日の内に大嵐が
伝説の水辺に散りばめられるささやかな不思議-高萩市花貫渓谷使用レンズのご紹介リンクFD85mm1:1.8S.S.C.(CANON)高萩市の花貫渓谷、名馬里ヶ淵に行った。伝説の残る名馬里ヶ淵は、花貫渓谷の下流に位置する。上流方向が本格的な渓谷域となるのだが、名馬里ヶ淵をめぐるだけのことも多い。今回、あまりない出来事に遭遇した。名馬里ヶ淵を歩き始めると、見知らぬ男が人懐こい笑顔で声をかけてきた。「なに撮ってんの?鳥?」。これはときどき聞かれる。少し話した
境界の地は海に接し、時の流れは命を名乗る-日立市赤羽緑地、南高野史跡公園使用レンズのご紹介リンクMD28mm1:3.5(minolta)先に常陸太田市の、阿武隈山塊と関東平野の境界をめぐったのだが、それならと今回は日立市南部の、阿武隈山塊と関東平野の境界をめぐった。縄文時代の貝塚が残る南高野史跡公園と、そこにほぼ隣接する湿地、赤羽緑地だ。南高野史跡公園からは関東平野が一望できる。赤羽緑地には崖を彫り込んだ古代墳墓が残されている。この一帯は、縄文時代から長く人が
境界の地に、いまも古代人の生活圏の気配は残る-日立市赤羽緑地、南高野史跡公園使用レンズのご紹介リンクMD28mm1:3.5(minolta)先に常陸太田市の、阿武隈山塊と関東平野の境界をめぐったのだが、それならと今回は日立市南部の、阿武隈山塊と関東平野の境界をめぐった。縄文時代の貝塚が残る南高野史跡公園と、そこにほぼ隣接する湿地、赤羽緑地だ。南高野史跡公園からは関東平野が一望できる。赤羽緑地には崖を彫り込んだ古代墳墓が残されている。この一帯は、縄文時代から長く