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画鬼河鍋暁斎×鬼才松浦武四郎「地獄極楽めぐり図」からリアル武四郎涅槃図まで2024年5月2日静嘉堂文庫美術館絵師・河鍋暁斎と、探検家で好古家、著述家、北海道の名付け親である松浦武四郎との交流とそのや暁斎の作品などが展示されていました。今回は撮影OKな作品も多くありました。木だけど、「ジョジョ」を思い出しました。話題の「武四郎涅槃図」涅槃図の依頼に、暁斎が武四郎を描いたもの。武四郎愛玩の品々とともに展示されていて、を同じ空間で展示し、「武四郎涅槃図」を立体的に再現していました
「GW中の都心は、いかがなものか?」みんながみんな海外へ行っているわけでないし安近短で逆に都内へ遊びに来ている方も多いことだろう。さらに円安の影響でインバウンド消費してくれる外国人の多さは、際立っている。今回1番の目的は、加島美術での「宴Vol.3TheSEITEI」渡邊省亭展。銀座へ出てそこだけだけでは、勿体ないので静嘉堂文庫美術館「画鬼河鍋暁斎×鬼才松浦武四郎」へ最初に訪問省亭もそうだが暁斎も好きな画家だったので観るしかない(骸骨図縫付傘/河鍋暁斎)加島美術での「宴Vo
画鬼河鍋暁斎はよく分かる、自らを“画鬼”と称したから鬼才松浦武四郎のどこが鬼才なのかは知らなかったなぜ「画鬼河鍋暁斎✕鬼才松浦武四郎」かは、展覧会を見たあとでもよくわからなかった…本題の前に、静嘉堂@丸の内のある明治生命館について明治生命館と明治安田生命本社ビル(ネット画像借用)『明治生命館は、1934年(昭和9年)3月、3年7ヵ月の歳月をかけて竣工しました。設計は当時の建築学会の重鎮であった東京美術学校(現、東京芸術大学)教授岡田信一郎氏(※)です。古典主義様式の最高傑作として高く
「画鬼河鍋暁斎×鬼才松浦武四郎」ようやく初めての静嘉堂@丸の内行ってきました。新しい美術館なのに、さすがに歴史を感じますね。展示内容、凄く良かったです。北海道の名づけ親、松浦武四郎。なんといっても、河鍋暁斎の描く、「武四郎涅槃図」は素晴らしかったです。武四郎の愛用品に囲まれる武四郎。愛用品と一緒の展示は最高でした。しっかり、稲葉天目も、展示されていて、大満足でした。「武四郎涅槃図」河鍋暁斎
幕末から明治にかけて、浮世絵に限らず絵を描きまくった河鍋暁斎と、我が故郷の北海道の名付け親と言われる松浦武四郎の関係を軸に、ちょっと変わった展覧会。ワタクシは暁斎を見たくて行ったのですが、武四郎のボリュームの方が大きいかも。帰宅してから夫に話したら、夫は暁斎には関心ないものの、武四郎には大いに興味あるので、いずれ観に行くとのこと。比較的落ち着いた混雑具合の静嘉堂文庫。「骸骨図縫付傘」河鍋暁斎の面目躍如という雰囲気。明治19年のものなので、洋傘ですね。鍋暁斎の「日課天神像」。暁斎の上手さ
丸の内の静嘉堂文庫美術館に行きました。「画鬼河鍋暁斎✕鬼才松浦武四郎」絵師の河鍋暁斎と探検家の松浦武四郎。二人の関りを学びながら、暁斎が描いた《武四郎涅槃図》を中心に鑑賞します。涅槃図に描かれている古物の実物が展示されていて、立体涅槃図の様相でした。描き込まれている神仏や古物を徹底分析している小冊子の図録はおすすめかも。ランチはブリックスクエアの「Suage」へ。北海道スープカレー《ちょっと贅沢カレー》を食べて帰りました。刺激的でした。(笑)
2024年4月16日久々の美術館はしごトーハクの特別展”法然と極楽浄土”と静嘉堂文庫美術館で”画鬼河鍋暁斎✖️鬼才松浦武四郎”当初の予定には日本橋高島屋の”文化勲章三代の系譜美の相伝上村松園松篁淳之”も入っていたのだが、高島屋に行ってみると、なんと翌日からの開催だった。お粗末(後日行きました)。まーでもトーハクでかなり疲れたのでちょうどよかった、とは負け惜しみである。ちなみに当家の宗旨は浄土真宗であって浄土宗とは異なるが、乱暴に言ってしまうと真宗
▲旧花田家番屋日本最北端の国の重要文化財明治38年頃に建築され道内で現存する番屋では最大の規模を有し当時雇い人が200人を超えた大鰊漁家▲道の駅おびら鰊番屋北海道留萌郡小平町字鬼鹿広富2023年度既にカウント済み▲案内図真ん中の食堂は定休日でした▲派手な自販機▲大漁旗🏴▲2階展示室▲1階ショップに駄菓子売ってました▲▼たこの加工品が多いです▲手作り生キャラメル400円▲生キャラメルとヨーグル買いました国道渡ると北海道の名付け親⬇️▲松浦武四郎
こんにちは猩々暁斎ほ群を抜いてござる。故事と未知なる世界の探究者、松浦武四郎は偉業を残しもうした。丸の内の静嘉堂文庫美術館で『画鬼河鍋暁斎×鬼才松浦武四郎』が開催されています。狩野派の絵師として将来が約束されるかという時に江戸時代が終焉を迎え、安定したくらしを望めなくなり、江戸から東京へ遷り変わる時代をその才能で生き延びた河鍋暁斎。蝦夷地をその脚力を駆使してくまなく歩き、アイヌの人々と文化も調べ上げ、怒りをもって官を辞した松浦武四郎は「北海道」の名づけ親でもあります。▲展
松浦武四郎の東西蝦夷山川地理取調(十)はほぼ現20万分の1地勢図の『留萌』の領域をあらわしたものですが、その中にカマワマナイタプコプという山が記されています。場所は今の新十津川町を流れる徳富川の流域です。近くにカマヤコナイという川があるのでそれからとったものと思います。ヤとコはどちらかが誤記(松浦武四郎は悪筆で有名で書写時に誤りが生じやすいということ)。雪解けも進んで道路上橋もよくなってきたため、行ってみました。下図を拡大して180度回転松浦武四郎の東西蝦夷山川地理取調(十)地
少人数お見合いパーティーのシュガーポットミセスマキコのプラチナ相談室絵鬼・河鍋暁斎×鬼才・松浦武四郎展へ松浦武四郎って幕末から明治を生きた探検家・考古家・著述家とマルチタレント。そして北海道の名付け親。(知らなかった)河鍋暁斎・松浦武四郎の交流と幕末明治の多彩は二人と彼らを支えた人々の文化財への情熱を感じる空間となっている。河鍋暁斎の描いた「武四郎涅槃図」日本で最初の洋傘布製なので雨防げたか疑問。どくろマークは可愛いけど。河鍋暁斎「
現在、静嘉堂文庫美術館で開催中の静嘉堂文庫竣工100年・特別展『画鬼河鍋暁斎×鬼才松浦武四郎「地獄極楽めぐり図」からリアル武四郎涅槃図まで』展を観てきました。河鍋暁斎は幕末から明治に活躍した絵師、松浦武四郎は同時期に活躍した探検家であり著述家です。ちなみに松浦武四郎は北海道の名付け親だそうです。もとは北加伊道だったんですね。そんな二人は仲がよかったらしく、コラボ作品が残っています。静嘉堂文庫美術館がなぜこの二人の展覧会を企画したかと言うと、松浦武四郎ゆかりの品々、古器物を静嘉
今日の休日は千代田線の二重橋前駅に来ています。うきち君と一緒です。初めての美術館静嘉堂@丸の内に来ました。以前は世田谷区岡本の静嘉堂文庫美術館だけでしたが、丸の内にも出来ました。明治安田生命館の一階にあります。国宝『曜変天目』が出品されています。《画鬼河鍋暁斎×鬼才松浦武四郎》展を観てきます。うきち君も一休み河鍋暁斎《地獄極楽めぐり図(部分)》《曜変天目》手のひらの中の宇宙日本には3点しかない国宝です!実際観てみると透明感があり吸い込まれそうな美しさでした。橋本雅邦
春らしい陽射し…というより暑いぐらいだった丸の内の街はにぎわってました。東京駅から徒歩5分。明治生命館1階にあるわりとこじんまりした美術館静嘉堂文庫美術館上野の美術館のような人出もなくゆっくり観れます。今回の企画はこちら画鬼河鍋暁斎×鬼才松浦武四郎「地獄極楽めぐり図」からリアル武四郎涅槃図まで幕末から明治前半の江戸・東京で活躍した狩野派絵師、河鍋暁斎(かわなべきょうさい)探検家で好古家、著述家、北海道の名付け親である松浦武四郎(まつうらたけし
土曜日はこちらへ河鍋暁斎松浦武四郎北海道の名付け親交流があったこの人達の「2人会」その作品や所持していたいろんな小物など第3章と第4章は撮影可能「武四郎涅槃図」武四郎本人を釈迦に見立てての涅槃図なぜか束帯姿の人物もいる(岩倉具視だとか?)いろんなものがごちゃごちゃとありまるで古道具屋の店展示みたいな感じ河鍋暁斎の作品もそれほど多くないし暁斎特有の戯画風の風刺画という「とんがった絵」は今回は展示されていないまあこんな感じかな、で見てみると良いのかも
中川郡音威子府村の筬島実績は少ないものの好きな釣り場です川のほとりでキャンプにはもってこいのロケーションです国道40号から“北海道命名の地”の案内を目安に脇道へ高低差があるので下るだけでも予想以上あります毎回行くたびに熊居ませんようにと祈りながら坂を下ります川の『コチラ側』では姿はおろか足跡すら見たことありませんが気を付けるに越したことありませんなのでココでキャンプや炊飯は避けておりますそれでも時期になるとカヌーとかカヤックの人たちが多く訪れます(コレを書くの
『求めるな!問題を作りたければ絶え間なく答えを求め続ける事だ。求める事を止めその状況下でいかに自分が苦しい思いを抱えているかを感じる事だ!!』魂の隊長と勝手に呼んでいる北見の大川さんのお話会&セッションが春分の翌日東京で開催されていちばん最初に降ろされたメッセージでした。御魂の隊長大川さん👇このメッセージだけで今回わたしが受け取りたかったものは終わった🥹🙏✨生まれ育った家庭で…学校で…社会で…真逆を教えられてきた世代のわたしに精神世界を学び始め
夕日と夕焼けの撮影で幣舞橋に行きましたが、今回は新しい場所を探して幣舞公園に陣取りました。初めて来た場所です。釧路駅から幣舞橋を渡ったところにロータリーと花時計がありますが、花時計の上にある公園です。日没の1時間くらい前からスタンバイをしていましたが、少し霧がかかっていました。日没が近くなるとあっというまに霧がかかり、撮影を中止し、自宅に戻りました。松浦武四郎の銅像北海道と名付けた江戸時代の探検家ですね原田康子の記念碑写真中央の奥が釧路駅です
牢屋敷跡江戸時代今でいう刑務所を牢屋(ろうや)といったがそれを構えた一区域の土地が「牢屋敷」で幕末の古地図に箱館にあった牢屋敷の場所が示されているその場所は今でいえば護国神社坂下の高田屋嘉兵衛銅像に向かって右の一帯である松浦武四郎の「蝦夷日誌」には「四面土手にしてよく構へたり」と記し千二百五十坪(約四〇〇〇平方㍍)としている今は跡形もないのだからどんな構造だったか不明だが古記録による限りでは揚屋(あがりや)と一般牢とが分かれていたらしく揚屋というのは士
2024年-令和6年3月15日スタート最寄り駅は南が丘駅、雲出橋の常夜灯(北)、チェックポイント、雲出橋、常夜灯(南)、松浦武四郎生誕地、チェックポイント、市場庄公会堂、チェックポイント、ゴールの松ヶ崎駅、チェックポイント、約13kmで160分でした。デジタルスタンプが5個増えました。今年度の踏破証も79個目。
蝦夷富士と呼ばれ、日本百名山の一つ羊蹄山(後方羊蹄山)の標高は1898m。円錐形の成層火山で最後の噴火は約2500年前といわれている。富士の名が付く山は各地にあるが、もっとも富士山の山容に近いのは羊蹄山だと思う。山名の由来は「日本書紀」に斉明天皇5年(659年)、将軍阿倍比羅夫(あべのひらふ)が百八十艘の軍船を率いての北征の際、「後方羊蹄(しりべし)」に郡領を置いたとある。幕末の探検家松浦武四郎は、この山のある地こそ斉明朝の「後方羊蹄」に違いないと考えたのである。明治2年8月、明治政
松浦武四郎さんの誕生日(1818年)の今日、皆さんいかがお過ごしでしょうか?少し体調が戻ってきましたが、昨日仕事で東京往復したらとてもくたびれてしまいました。今日は、天気も悪いので1日家で過ごしましたが、仕事がそれなりに忙しかったのでまたくたびれて、としですなーさて、今日の出来事をチェックしていると松浦武四郎さんの名前が引っかかりました。なんだっけなと調べなおすとこの方今の「北海道」という名前の元を作った人でした。その名前を知ったのは2019年のNHKのドラマ「永遠のニシパ北海道と名
2月25日(日)武四郎まつりPart①松阪三雲【第29回武四郎まつり】にピリカポックル初出演させていただきました。足元の悪い中たくさんのお客様で賑わいました。ピリカポックルが武四郎まつりに出演が決まったのは昨年の11月でした。北海道から三重に帰ってきて武四郎まつりに出るのが夢だっためぐみん。10分という限られた時間の中でめぐみんが厳選した3曲を説明をしなくても見てくださった観客の皆様に武四郎への想いが伝わるよう。。。初出演の
嬉しいねやっぱり浜松市にも潤くんからの特別な贈り物が☆これは岡崎にも贈り物が届きそう💜そのお心遣いが嬉しいです「永遠のニシパ」長崎市立図書館で上映☆久しぶりの松浦武四郎様!お近くの方は是非ゴジラやっと観れた!お茶して帰る~!
三重県に引っ越し丸3年✨いちばんの夢だった『第29回武四郎まつり』に出演させていただきました松浦武四郎さんは北海道の名付け親幕末の時代アイヌの人権を守り北海道の開拓に貢献した偉人です札幌に住んでいた時は北海道神宮の中に開拓神社がありそこに武四郎さんが御祀りされているので月に一度は必ず御礼参りに伺っていました長い北海道生活の中では何度も武四郎さんの御導きを感じる事があり北見に住んでいた時は運転中に武四郎さんの当時の思いが溢れ出し涙が止まらず車を
昨日は1日フリーDAYでした。予定も無くどこにも出かけず自宅でのんびり😊そして今週末の3連休は。。2月23日【金祝】伊賀上野のクローズイベント2月24日(土)滋賀県水口の商業施設で初の忍者マジックショー2月25日(日)松阪市三雲松浦武四郎記念館にて【第29回武四郎まつり】にピリカポックルで初出演‼️第29回武四郎まつり第29回武四郎まつり~令和6年2月25日(日)-松阪市観光協会松阪市の観光は本居宣長や松阪牛や松阪木綿から小
本居宣長「さとし歌」秋津し滿やまと能國盤神なから佐可しら世ぬ國志飛事世怒國飛拳世ぬ國さ飛徒るやもろこし能から國盤志こ能し古くに志こ王さ越志那免かく春と毛能かさ利事いつ者利天いふ事能こち多き國春る王さ能志し多る國をい可さ滿におもひまとへ可お可しくミ春毛うつ世ミ能与人毛路こし能しこ事由免よゆ免与那まとハ飛そ年うつ世ミ能世人本居宣長(さとしうた)(あきつしまやまとのくにはか
エゾリスが歓迎・北海道神宮を参拝まずは地下鉄を使っての観光。札幌は明治期に人工的に作られた計画都市で、地下鉄に慣れてしまえば、大雪の状態でも効率よく移動ができるはず。さらには地下道と地下街が発達していて、この組み合わせを記憶できれば、かなり効率よく行動できそう。こういうのは転勤生活ライフっぽくて、わくわくする。札幌駅から地下鉄・南北線の乗り換え東西線で円山公園。そして歩いて北海道神宮へ。北海道神宮の歴史は、明治2年に東京で「北海道鎮座神祭」が開かれたのが始まり。明治4年に現在の
どうも。こんにちは今日は曇り空東京は夜から雨予報です翔潤展覧会に行かれるみなさま、あったかくしてね両方に行かれる方もいるのかな会場は別々だけど翔潤だけど重なるのは明日まで←言い方全然話変わるけど、最近忘れものが酷い一昨日は職場にスマホを忘れて、バス停で気づいたからまだ良かったのだけど昨日はお昼に買った食パンを忘れて、駅から取りに戻りました忘れものというよりボケが始まってるのかもまたまた話は変わり、お友達から地元のお菓子をいただきました💜縁起物の福豆に武四郎さんのお菓子も
わたしはこの日の為にずっと歌って来た❣️と断言出来るほどに出演したかった『第29回武四郎祭り』にピリカポックルで初出演させていただける事になりました🥹🙌令和6年2月25日(日)松浦武四郎記念館14時20分から10分間の出番ですがいいのいいの出演させていただけるだけでホント‼️有り難いですだって魂の望みの中でもトップに君臨しているひとつなのでぜひお越しください😊全力で!魂込めて!!歌い終わってわたしが死んでいなくなっても良い!!!と思えるほどに命懸け