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日本を蝕む”朱子学”の闇その82主君・浅野内匠頭の”敵討ち”を果たしたことで”大義”を示した大石内蔵助に兵学を授けたのは反朱子学の儒学者・山鹿素行であった。山鹿素行が残した言葉には、武士として生まれた者がいかに在るべきかという行動論が列挙されており、山鹿素行の士道に関する思想がよく現れている。そして、その言葉から滲み出るのは、中国や李氏朝鮮の支配者層の生き方とは真逆の生き方をせよというものである。時代劇の映画やドラマによく登場する「武士に二言はない」という格言に代表されるように、武
福島旅♡前回の続きからバス停から歩くこと🐾約20分🐾南湖公園のメインストリートに到着南湖公園🌳の説明版あそこに像が👀…近づいてみましょう♡松平定信公の坐像でした(//∇//)♡やっと逢えた♡定信公は、キリッとした絶世の美男子だったと証言が残っていて…きっと、こんな容姿だったよね「べらぼう」松平定信演じる井上祐貴霊巌寺の墓前で合掌「最後まで走り切らせてください」/デイリースポーツonline俳優・井上祐貴(29)が21日、東京・霊巌寺を訪れ、出演中のNHK大河ドラマ「べら
4月初めの土日観光&イベントで、福島へ(イベントは、ゆうとくんの歌謡ショー^_-)新白河駅で降りたら可愛いご当地ゆるキャラがいっぱい♡お出迎えしてくれました(//∇//)可愛いすぎる〜(///∇///)嬉そして、まさかの、日本酒🍶試飲会まで福島県✦南地方のお酒がズラリ私…日本酒は普段そんなに飲まないんだけど…この日は、全種類💡試飲したよ〜(≧∇≦)b(しかも、朝10時⏰️笑)これぞ、朝酒(by小原庄助)楽しかった〜(//∇//)なんも知らなかったので
結果算数91/100(前回比+30)国語35/100(前回比+2)理科33/70(前回比+10)社会50/70(前回比+12)今回は以下を伝えました。前回より調子は上がってるっぽいのですが、頼みの理科がさっぱり。でもは解くスピードを高めることに挑んだことは良し算数と社会がUPしたのはスピードが程よかったから。算数1.計算ミス1問。最初こそ!落ち着いて!算数は平面図形が得意なのんびりくん。自信を深めたようですが、大問7(2)は解けてほしかった。これが解け
斎藤光正監督を勝手に解説「大江戸捜査網」でテキストとするのは第3シリーズ第71話「音次郎撃たれる」ですその16回目!まだまだ全然終わりそうにないですがこの回が面白過ぎて…悪党一味の黒幕が大物幕閣の「松坂」と判明しかも隠密同心の結成を命じた老中松平定信の腹違いの実弟とあり内藤勘解由は定信に意見具申に赴く隠密同心たちにはしばらく待てと告げるSE「ドォーーーン!」三つ葉葵の御紋で松平家にやって来たというダイナミックな場面転換!定信『なにっ?重明が謀反じゃと?』画面右側に
斎藤光正監督を勝手に解説「大江戸捜査網」でテキストとするのは第3シリーズ第71話「音次郎撃たれる」ですその15回目!まだまだ全然終わりそうにないので端折ります今回は斎藤監督らしいトリッキーな撮影ブロックの紹介です無事に家族が帰ってきた良庵あばら家から移動する悪党一味を尾行する「お紺」を屋根瓦ナメshotでフカンから狙うカメラ画面右に曲がった一味はお紺をやりすごす角に立つ手下侍その前を通り過ぎるお紺お紺が通り過ぎるのを待って手下侍は奥へ歩き壁の向こうへフレームアウ
南湖の借景、那須連峰の残雪もグッと少なくなって春本番。南湖の周囲の桜が見頃になってきました。南湖神社の参道入り口には、松平定信の像が出迎えています。樹齢約200年と推定されるこの桜は、松平定信が南湖を築造した際に植えたものと言われています。「楽翁桜」という名前は定信の号から取られたもので、紅色が濃く小さく可憐な花をたくさん咲かせます。遠くに神社の拝殿が見えます。流れ落ちる枝が、手水舎の屋根にかかって和のコントラストを演出しています。水温む
県内の桜情報によると、会津の鶴ヶ城で満開になったとか、県内の桜前線は、だいたいが浜通りのいわきから始まり、相馬に北上し、そこから県北の福島、県中の郡山へと進み、県南でも標高の高い白河はその後になり、少し遅れて会津地方に進んでいくのが通例だったのですが、今年は、白河よりも会津の鶴ヶ城が先に満開になるという異常な事態です。県内では、時間差がなく桜前線が訪れたということになり、追っかけカメラマンとしては、追っかけようがないという状況です。南湖神社は、白河藩主・松平定信公(白河楽翁
懐かしい気持ちを思い出した夜でした夜お布団の中でよく朗読を聴いてから眠ってますほとんど途中で寝ちゃうんで数回に分けて聴くことになったり時間がある日中に続きを聴いたり先日はこれを聴きました定信じゃなくて正信だけど大河ドラマ「べらぼう」の越中守松平定信さまを思い出しながら聴いてました内容もとってもいいお話しで泣けて泣けて・・・『もうすぐ終わり』気がつくとNHK大河ドラマもあと残り1ヶ月途中から推していた越中守・松平定信さま真っ直ぐ過ぎてひたすら質素倹約を推し進め一橋治
「正しいことをしたのに、なぜ失敗するのか?」江戸時代、そんな矛盾を体現した人物がいます。それが、松平定信です。天明の大飢饉で崩壊寸前だった江戸社会。その危機を立て直すため、彼は徹底した改革を行いました。しかし——その改革は人々を救うどころか、「息苦しさ」を生み出してしまいます。この記事では、松平定信と寛政の改革の本質をわかりやすく解説しながら、「なぜ正しい政治が失敗するのか?」という本質に迫ります。🧠松平定信と寛政の改革―江戸を救った“正しすぎる改革”の光と影―
令和8年3月7日土曜日。今日の再掲は長谷寺(湘南)。長谷寺へ参りて沖を眺むれば由比の水際立つは白波鎌倉、海光山慈照院長谷寺。現在住んでいる家を買ったのがこの長谷寺の近くの不動産屋なので、売買契約の前にも参拝した、というわけで散々書いている。もはや鎌倉を代表するほど有名だが、すぐ脇の大仏さまと江ノ電の長谷駅のおかげでもある。年中、観光客が絶えないし、今なら蝋梅も見ごろで桜、つつじ、紫陽花…と四季を通じて花の絶えない見事さでも定評があって人気だ。登ってる感覚は無いのに高台で湘
この時期は受験生と塾講師にとって正念場である。そんなクソ忙しい時に、よくもまあ原稿など書いているものだと思ったりもする。何ゆえに「書く」のか。これはどうも「才能」とはちがった何かが作用しているとしか思えない。筆者の趣味である新聞投稿を例にとってみたい。自分の意見と「学習塾講師・中岡秀彰」の活字が紙面をおどるのだ。小おどりぐらいはしたくなる。だが、筆者などよりよほど文才のある同僚や生徒に、この活動がいかに素晴らしいかということを説き、投稿を勧めても「笛ふけどおどらず」となること
藩の命運をかけたセレブ生活職業柄、江戸幕府の三大改革についてはウンザリするほど説明させられている。毎年、しかるべき時期(ちょうど中2の学年末試験)がくると「享保の改革=徳川吉宗」「寛政の改革=松平定信」「天保の改革=水野忠邦」を選挙演説さながらに連呼し、お題目のように質素倹約、質素倹約…。冗談ではなく質素倹約のことを改革というのだと勘違いする生徒も一人や二人ではない。ところで質素倹約を決死の覚悟で断行せねばならぬほどなぜ江戸時代は奢侈・贅沢に傾斜していったのだろうか。それは奢侈・
こちらも、初めての作家さん獅子の目覚め将軍世嗣の剣術指南役であった柳生久通は老中松平定信から突然北町奉行を命じられる一刀流免許皆伝とはいえ市中の屋台めぐりが趣味の男へのあまりに無謀な抜擢に尻込みするが下手人の知れないお城御門近くでの付け火に自らが立ちあがる親の敵に間違えられたり昼行灯と揶揄されもするが能ある鷹は爪を隠す久通の剣の冴えが火付け一味を一刀両断!雪が降らない日が続いて読書三昧でも明日は湿り雪がそれなりに。。。職場では、
【note更新】伊予の旅、最終章伊佐爾波神社へ⛩️https://note.com/holy_horse8546/n/n43debc64ac7e
〈書評〉『たとえば「自由」はリバティか』『戦中派死の淵に立たされた青春とその後』『未完の名宰相松平定信』〈書評〉『たとえば「自由」はリバティか』『戦中派死の淵に立たされた青春とその後』『未完の名宰相松平定信』[BookReview今週のラインナップ]・『たとえば「自由」はリバティか 西洋の基礎概念とその翻訳語をめぐる6つの講義』・『戦中派 死の淵に立たされた青春とその後』・『未完の名宰相松平定信』評者・神戸大学…toyokeizai.net
白河の「だるまランド」。名物の「白河だるま」をただ土産として売るだけじゃなく、だるま絵付け体験や職人の作業見学に、アーティスト作品展示など百名城のひとつで国指定史跡の小峰城近くにできて4年ほどの施設を訪れた。あ、奥には蔵の中にちいさな神社もあった。いまどきは何処にもガチャわれらがスワローズ達磨や、東北だから楽天のも。地元球団はホームとビジター2体それからルパン三世。不二子、銭形、次元、五右衛門も勢揃い江戸時代に藩主の松平定信が眉に鶴、髭に亀、耳鬢に松、顎髭に竹、顔両側に梅
白河だるま市開催!|白河市公式ホームページwww.city.shirakawa.fukushima.jpなぜ2月なんだろう子供の頃から疑問だった新年の縁起担ぎと農家さんの副業と救済が目的だったと知ったのは大人になってから白河だるまは江戸時代松平定信お抱えの絵師「谷文晁」の考案もとは旧正月のあたりに市が開かれたらしい寒い寒いと言いながら🥶熱々のたこ焼きやお好み焼きおでんや甘酒たくさんの露店が並ぶ娘たちが小さい頃は必ず行っていたけど今はその日のお天気次第かなぜひぜ
働いていると「べらぼう」の松平定信をよく思い出す。質素倹約で民衆を苦しめた定信はそれでも自分の政治を信じ布団部屋で「俺ではないか!」と悔し泣きをした。当店には「K副店長が来ると客足が途絶える」というジンクスがある。(一番ひどいのが社長という救いのなさ。)しかしたくさんのお客さまをさばきながら走り回っても褒められることはない。「(客を入れているのは)俺ではないか!」という気持ち(˘ω˘)商売である以上、ノルマはある。目標人数、目標金額、その他諸々。今日も布団部屋で叫ぶ。
今回は前回の続編です💡続きからスタート雲1つない晴天の、清澄白河駅ここの写真撮るの、私くらいだろうな笑駅から徒歩すぐの霊厳寺に行ってきましたこちらには、大河ドラマべらぼうにも登場した老中、松平定信公のお墓があるんですこの矢印を進むと石碑が門の奥に、お墓があります逢拝してきました渋沢栄一ゆかりの地の掲示が…2021年の大河ドラマ主人公、渋沢栄一は松平定信を、たいへん尊敬していたそうですこのような繋がりがあったとは…老中時代に実施した七分積金は明治に引継れて多くの公
2026年1月21日午後から、仲間4人と錦糸町で飲み会があるので、午前中に江東区の清澄庭園と、松平定信の墓所の霊厳寺、出世不動尊、及び深川江戸資料館に寄りました地下鉄半蔵門線の「清澄白河」という駅名の由来は、隣接する2つの町名「清澄」と「白河」にちなんでいます清澄庭園は、明治時代に三菱財閥創業者の岩崎弥太郎が買い取り、整備しました現在は、都立公園です清澄庭園東京都江東区清澄3-3-3白河は、寛政の改革で
(慈眼院結城家御廟)結城市に行ってきた。結城は結城朝光が市域に拠点を置いてより続く長い歴史を持つ町である。その長い歴史を反映してか史跡はとても多い。体感的に北関東では日光・水戸に次ぎ足利に並ぶ多さである。なので結城市内の興味あるスポットを総嘗めしようとしたがいくつか逃してしまった。今回行ったのは前回のコラムで書いた玉日姫の墓のほか結城城・聡敏神社(水野勝成を祭神とする神社)・慈眼院結城家御廟(結城政勝までの結城家当主の墓所)・山川不動尊大栄寺(平将門の念持仏が本尊)・山川水野家墓所である。その
【べらぼう展】の続きです蔦重が興した書店【耕書堂】1772年吉原大門口の五十間道の茶屋・蔦谷の店先を借りて本屋を開店吉原のガイドブック「細見」や浮世絵、絵草紙を出版奇才・平賀源内、戯作者の豊誠堂喜三二太田南畝、喜多川歌麿などとともに話題作を次々と発表江戸髄一の出版王名プロデューサーへと登り詰めていく日本のダ・ヴィンチ平賀源内が作ったエレキテルどういった仕組みなのかよく分かりませんが…松平定信役の井上祐貴さんブレークの予感!当代一の花魁誰袖(たがそで)
後陽成天皇の子近衛信尋(皇別摂家)の孫基煕は娘婿の甲府徳川家の綱豊(綱吉の甥)が家宣として6代将軍に就任したことから、7代家継に霊元天皇(在位1663-87)の皇女八十宮の降嫁を企てたが、家継の早世(1716)で実現しなかった。近衛基煕は公武合体派の公卿となり、近衛家を徳川の藩屏にしようとして天皇と対立した。霊元上皇が幕府の圧力を苦々しく思っていたのは、父親の後水尾上皇の頃からである。その後、天皇家の分家である宮家からの江戸降嫁がみられた。宮家は後水尾天皇の1625年に高松宮(のち有栖川宮
皆さ~ん、最近歩いていますか散歩っていいですよさあ、散歩に出掛けましょう散歩は大人の休み時間一歩踏み出せば、冒険が始まると言う訳で、今回は八幡様初詣ついでに清澄白河にある”霊厳寺”を訪れてみました創建は寛永元年(1624年)で、明暦の大火により日本橋付近からこちらに移転こちらには、江戸六地蔵のひとつ第5番目の”銅造地蔵菩薩坐像”が鎮座。江戸市中の出入口の街道ごと6箇所に設けられたもので、1717年(享保2年)に造立。
今年の推し活初め🎍は…江戸城🏯からスタート💡💡九段下駅から、北の丸公園へと向かいます門の向こうに、武道館が田安門江戸時代初期の建築(≧∇≦)門に手を当てて、江戸時代に思いを馳せるめちゃ貴重な時間…気持はタイムスリップ武道館の前を通ってしばらく歩き、歩道橋を渡ると江戸城に到着江戸と東京が共存する天守台の眺め、最高歴代将軍も、この辺りを歩いたのかな昨年の大河ドラマべらぼうを見た後だからここに田沼意次や松平定信もいたんだって今までとは違う気持で公園内を歩きました都心
図書館の本を読んで。『マンガ日本の歴史(37)寛政の改革、女帝からの使者』『マンガ日本の歴史(38)野暮が咲かせた化政文化』『マンガ日本の歴史(39)飢饉と兵乱と』(石ノ森章太郎著中央公論社)松平定信、曲亭馬琴、大塩平八郎など。
成覚寺には、恋川春町のお墓があります。大河ドラマべらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜では、岡山天音さんが演じました。恋川春町江戸後期の戯作者、浮世絵師。本名倉橋格、通称寿平。狂名を酒上不埒、別に寿山人と号した。駿河小島藩士で、江戸・小石川春日町の藩邸に住み、留守居役、重役加判などの要職を歴任、そのかたわら浮世絵師を志して鳥山石燕に学び、勝川春章に私淑した。1773年(安永2)洒落本『当世風俗通』の挿絵を描いて文壇に登場、1775年には洒落本を草双紙化した『金々先生栄花夢』を自画作で発表
歴史と経済が好き。皆さん、こんにちは!キムです。いつもブログをお読みいただき、ありがとう御座います。私は経済が好きなのですが、仕事をしているとしばしば「これって、経済でいうあの現象じゃないかな?」と思う場面に出くわします。経済学×日本史で解く!「管理」が強すぎる組織が陥るワナ📉⚖️最近よく考えるのが、「管理部門(バックオフィス)のルールが強すぎると、会社はどうなるのか?」というテーマ。実はこれ、日本史を経済的な視点で読み解くと、非常にスッキリと答えが見えてくるんです。🌊「需