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チェックアウトする頃には雨が上がったので、皆で散策に国指定史跡·名勝「南湖公園」には松平定信を祭神とする南湖神社と美しい池泉回遊式庭園「翠楽苑」とがあります。南湖神社は松平定信を敬愛する渋沢栄一が尽力して大正11年(1922年)に創建されました。写真はありませんが御神木「楽翁桜」は定信によって植えられたと伝わる樹齢や200年の枝垂れ桜で、地面に届くほどの枝振りでした。満開の姿を見てみたいものです。「翠楽苑」は見事に手入れされた美しい庭園で、時期的に花は少ないけれど様々なモミ
田沼意次というと、池波正太郎のライフワークだった『剣客商売』に登場しますよね。老剣客秋山小兵衛の息子大治郎が田沼の妾腹の娘の婿になっている設定でした。『剣客商売』は、さいとうたかお氏や大島やすいち氏の漫画になったり、実写ドラマになったりしています。この中での田沼は、鷹揚で包容力の高い理知的な人物として描かれています。では、本当の人物像はどうだったのか?田沼意次は江戸時代中期の政治家で、9代将軍徳川家重と10代将軍徳川家治のもとで幕政を主導しました。その時代は「田沼
旅の最後の宿は福島県白河市の南湖畔にあるレトロな旅館「偕楽園」でした。明治40年の写真によれば、当時は1軒だけだった鯉料理の割烹旅館でした。その後旅館が2軒増えたのが、東日本大震災以降に廃業し、今はまた1軒だけになったそうです。近くにあった球場が使えなくなり球児の夏合宿がなくなったことも影響しているようです。震災の影響で湖の湧水が枯渇し、鯉もジュンサイも採れなくなり、10年以上湖の掃除をしていないので深度も浅くなりました。下手に湖底をいじると放射能汚染の泥が出てきてしまう恐れがあるというの
『はんぺいたまる』です。前回の続きで、「南湖神社」のある「南湖公園」です。日本最古の公園と、いわれているようですね。こちらにも、「松平定信」公像がありました。レトロなポストもありました。【過去の関連記事】・「南湖神社」へ行きました
2026年の盆は福島県の旅行です。旅行準備中、熊スプレーを室内で誤射して大変な騒ぎになってしまいましたが・・・苦笑。さらに、熊対策の伸縮棒も出発ギリギリに届き、ドタバタの中出発したため、撮影用の道具を数点忘れてしまいました。8日20:15出発23:55淡路SA。0時になる(夜間割引適用)のを待って明石海峡大橋を渡ります。ただし、ルートを間違い阪神高速にのってしまいましたので、夜間割引不適応の箇所が出てしまいました。次回からは、Googleナビ使用の際、少し距離や時間が伸びても、有料
『はんぺいたまる』です。福島県白河市の、「南湖神社」です。とても静かで、いいトコですね。主祭神の「松平定信」公像です。大正11年に、創建とありますね。手水舎です。茅の輪くぐりです。可愛い午干支でしたね。お詣りです。「南湖稲荷神社」もありました。
これまで裏千家5代の不休斎、常叟のことを書いてきたが常叟と同じく、松平家から裏千家に養子に入った方に、玄々斎がいる玄々斎は、三河の奧殿藩大給(おぎゅう)松平家乗友の子だったが、9歳(1819年)で裏千家10代の認得斎(柏叟)の養子となり、16歳(1826年)に認得斎が亡くなり、長女萬地と結婚して、家元を承継江戸時代には大名家は当主が亡くなり相続する男子がいないと、藩が改易となってしまうリスクがあるので末子を養子に出さず、部屋住みとして止めおくことが多かっ
菅沼完二監督による日本の時代劇映画。出演は嵐寛寿郎、河部五郎、香川良介。<あらすじ>江戸城内では田沼意次が権勢をふるい、悪漢ばかりが栄え、庶民は塗炭の苦しみを味わっていた。そんな世を嘆いた松平定信は城内に清廉でなる松平外記を送り込んだ。そのころ旗本の風紀は乱れに乱れ、まっとうなことをいう松平外記は他の若い旗本から疎まれ、陰口を叩かれていた。御前試合で試合を行った松平外記は、戦いに敗れたもののなぜか恩賞を戴き、さらに仲間から疎まれるようになった。そんなおり、父が腹を切らされる事態へと陥り
前回の城巡りの次の日に、訪れたお城が残ってました。大河べらぼうで、長く出番のあった松平定信のお城「小峰城」白河駅の真裏にあり、電車を降りると目にはいります。初めて行ったときは、駅(駅も情緒あり)とお城のコントラストに感動しました😊定信関連だと「南湖神社」の方が、人出がありますね。その後、三春城址へ伊達政宗の奥様の愛姫の実家ですね。少しづつ、スタンプが増えて行きます📕今日もご訪問下さり、ありがとうございました✨
こんにちは。福島県白河市とくれば、やはり白河藩。老中・松平定信が「寛政の改革」の後に藩主を務めたことでも知られています。松平定信が築造した南湖に寄ってみました。↓南湖の公園にある南湖神社。↓南湖神社の隣にある日本庭園の翠楽園の手前。↓ここからモンキー125で10分位走って小峰城。↑↓復元中の所から入りましたが、上がったところからまだまだ広いことや暑いので、戻って小峰城歴史館でVRシアターなどで堪能しました。良い散策でした。
なぜか松平定信公にご縁があった一日。たまたま、夫と私の見たいイベントふたつを、同じ日に見に行っただけなんですが。築地市場の発掘調査現場見学会を見終わって、ランチを取ろうということに。『なぜか松平定信公①…築地市場跡遺跡〜明治大正海軍遺構』なぜか松平定信公にご縁があった一日。そもそもは、夫が誘ってくれた一日限りの築地市場の発掘調査現場見学会。展示内容としては、海軍の製鋼・工学ガラス製造工場だった…ameblo.jpせっかくだから築地市場でとも思ったのですが、人混みがすごく、次の目的地清澄
なぜか松平定信公にご縁があった一日。そもそもは、夫が誘ってくれた一日限りの築地市場の発掘調査現場見学会。展示内容としては、海軍の製鋼・工学ガラス製造工場だった場所、レンガやモルタルの遺構、製品や、そこで使われていたらしいお茶碗とかお皿などでした。写真撮影は可だけれども、SNS等掲載不可、配られた資料も無断転載、無断複写(コピー)不可、とあって、なんも画像貼れません。あはは。あんまり公開したくないんでしょうね…公開しましたよ、のアリバイづくり?もう、結構ブルーシートで隠されちゃってる部分
つぎは、清澄白河〜🚇️何気なく乗っていた半蔵門線で目に飛び込んできた、次の駅🚇️これは降りなくては💡💡(その日は用事があったので別の日に再訪して降りた😁)というのも…霊厳寺に行きたかったから銅造地蔵菩薩坐像273m、大きい奥には…松平定信公のお墓がありますそして、横には渋沢栄一さんゆかりの地の掲示が…渋沢栄一さんは、松平定信公が大好きでした『推活初め②江戸城から清澄白河へ(白河編)』今回は前回の続編です💡続きからスタート雲1つない晴天の、清澄白河駅ここの写真撮るの、
こんにちは。星煌学院有松校の花谷です。天明3年(1783年)7月8日は浅間山が大噴火した日です!この噴火の被害は火砕流など直接的なものだけでも甚大でしたが、悲劇はさらに続きます…空高く舞い上がった噴煙が成層圏まで達し地上まで達する日射量は大幅に減少します。北半球の気温は1.3度下がり、凶作が発生。結果として、餓死者20万人と言われる天明の飢饉が起こったのです。日本では松平定信が寛政の改革を行う(1787年~)
十方世界に全身を現しだすことができるか?について〜ラスト1️⃣「竿頭進歩」と2️⃣王昌齢の漢詩と3️⃣林子平の蟄居中の歌「親も無し妻無し子無し版木無し金も無けれど死にたくも無し」の1️⃣から3️⃣をかけて「十方世界に全身を現しだすことができるか」についてブログにしてますがラストになりますのでご拝読いただければさいわいです🙏※ブログが書きやすいので🟥🧑🦲=どこぞの禅僧と🟦🌰=ワタシと対話で書いてます林子平続き〜偉い人にあう🟦🌰?林子平さんについて調べ
前回、黒字続きの徳洲会病院の理事長に片山財務相がその秘訣を聞いたという話を紹介しました。理事長は、誰も気が付かないことに気がつき、それ実行した!という片山財務相が喜びそうな話ではなく、『医療者として当たり前のことをやったまで』と言ったそうです。片山さつきさん、残念!徳洲会創業者の徳田虎雄は、『貧富の差を問わず、都会や農村・離島といった環境に関係なく、治療を必要としているすべての人が、いつでもどこでも最善の医療を受けられる社会の実現を目指す』として徳洲会を立ち上げましたが、わざわざ立ち上げた
(江戸六地蔵第四番から続く)東京都内にある「江戸六地蔵」を巡拝していく一日。『【江戸六地蔵】第四番・東禅寺(東京都台東区)』(江戸六地蔵第三番から続く)東京都内にある「江戸六地蔵」を順番に訪れていく巡拝の一日。『【江戸六地蔵】第…ameblo.jp第四番の最寄り駅だった南千住駅から地下鉄を乗り継ぎ、この日最後に訪れる第五番・霊厳寺の最寄り駅である清澄白河駅へと向かいました。南千住→→→(東京メトロ日比谷線)→→→人形町人形町→→→(徒歩)→→→水天宮
【8/82日目②】さてさて。次にやってきたのは…福島県白河市の南湖神社。あの寛政の改革の松平定信が御祭神なのだ。自分が卒業した高校は、遡ると寛政年間の藩校にたどり着くみたいだから、なんだか親近感(笑まずはお詣りして…御朱印。ここまではいつもと一緒。違うのはここら先。この南湖名物に南湖だんごってのがあるんですよ。ここに来て、初めて知ったんですけどね。でも、名物と言われれば買うでしょ~ってことで買ったわけ。ならすぐ食べたいってのが人情っ
十方世界に全身を現しだすことができるか?について〜その81️⃣「竿頭進歩」と2️⃣王昌齢の漢詩と3️⃣林子平の蟄居中の歌「親も無し妻無し子無し版木無し金も無けれど死にたくも無し」の1️⃣から3️⃣をかけて「十方世界に全身を現しだすことができるか」についてブログにしておりますがご拝読いただければさいわいです🙏※ブログが書きやすいので🟦🌰=ワタシと🟥🧑🦲=どこぞの禅僧との対話形式で書いてます林子平さんについて🟦🌰林子平(ハヤシシヘイ)さんについて調
しらかわ語りの会会長の鳴島あやこさん会員の佐藤みさこさんと須藤さちこさん三名の方にご出演頂けることになりました地域に語り継がれているお話し松平定信公の白河史話そして乙女桜伝説乙女桜の伝説はとても哀しいお話しです。今回は鳴島あやこさんの歌も発表します。フルートのために作った私のオリジナル曲そこにアンソニーKが歌詞をつけました懐かしい曲です。私の伴奏で歌う生演奏はかなり久しぶりなんです。今回はフルートも入ります。一部のみの出演になります(15:20予定)お時間は前後
幕府えの忠誠心が高かったので、色々な施策をやっても特に何も言われなかったそうです例えば家老の鈴木武助が飢饉対策として色々動き、郷倉制度ってのを藩内に設置天明の大飢饉の時に一人の餓死者を出さないことに成功し、松平定信に報告書を出したそうです…鈴木武助が勤王派と繋がりがあったのが幕末にまるで藩内が水戸藩のような雰囲気につまり尊王派になってしまうってのが歴史の流れのミステリー…ちなみに栃木県の藩はだいたい防衛に特化した藩です原因としては、かつて江戸城が火事になったとき
超難関試験前回は旗本の筒井政憲が昌平坂学問所の学問吟味で甲科及第したのをきっかけに、昇進をかさねてとうとう旗本のトップの役職である江戸町奉行になったという話をしました。学問吟味の内容について、国立公文書館のホームページには次のように書かれています。学問吟味は初場(予備試験)と本試(本試験)に分かれ、「初場」で四書五経や小学の試験を行い、合格者が「本試」に進み、「経義科」「歴史科」「文章科」の試験を受けました。試験は数日間にわたり、成績優秀者には褒美が下賜されました。昌平
小満(しょうまん)蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)おはよう、こんにちは、こんばんは。そして、ありがとうございます。『【食べ活(外飯)】母の日のプレゼントは、高くついたラーメン。』立夏(りっか)竹笋生(たけのこしょうず)おはよう、こんにちは、こんばんは。そして、ありがとうございます。少し遅れた母の日のプレゼントは、福島県は白河市の白河ラ…ameblo.jp先日、福島県白河市のとら食堂に行って、その行き帰り2回、南湖公園で観光して来た。なぜ行ったかというと、南湖公園には、「南
只今「城スキーのお城紀行」は、「日本100名城」のお城を順次紹介しています。「日本100名城」とは、財団法人「日本城郭協会」が専門家や城郭ファンによって、「優れた文化財・史跡」「著名な歴史の舞台」「時代・地域の代表」という3つの基準に基づいて選んだ100城で、2006年に発表されました。発行されている公式ガイドブックに付随するスタンプ帳を使い、各城のスタンプを集めるスタンプラリーも人気となっています。「日本100名城」を紹介していくに当たっては、そのお城の「歴史と城主(藩主)」
先日の連休、ブラアラキ白河遠征2日目、5月3日(日)の続き白河関・白河神社を訪れた後、バスに乗車し約30分南湖公園所在地:福島県白河市南湖江戸後期の1801年、時の白河藩主松平定信が身分の差を越え庶民が憩える「士民共楽」という思想の元に造営「日本最古の公園」と称される公園(東京の飛鳥山公園の方が古いんちゃうの?)元々湿地帯だった場所を湖に造成し、その周りに桜や楓や松を植林取り敢えず湖を歩いて一周してみた様々な伸び方をした松が圧巻!元々湿
前回の続きです郡山ブラックラーメンを食べた翌日は…郡山駅から電車🚟に乗って…とある場所へ…そう、ここは…白河駅(≧∇≦)レトロな駅舎が素敵〜前日の新白河とは違う駅で(新白河の隣の駅)南湖公園や南湖神社からは約3km位の距離昨日は雨で断念したもののどうしてもあきらめきれず…翌日に来てしまいました晴れてよかった(めちゃタイトスケジュールだったけどね^_^;)(なぜなのかは次更新の記事で分かります…笑)こちらは…脇本陣柳屋戊辰戦争の際は新選組が宿営し、ここから白河
先日の連休、ブラアラキ白河遠征の続き初日は新白河駅前のホテルに宿泊し2日目の5月3日(日)ホテルから望む白河市街天気は曇りだけど、雨は降らなくて程良い気候駅前からバスに乗車し、約45分白河神社所在地:福島県白河市旗宿創建:135年社号標松平定信ゆかりの地ということでPR旗内容が不明の石碑境内入口そしてこの地は白河神社が鎮座するだけでなく白河関の跡奈良時代から平安時代にかけて設けられた関門の跡地下野国と陸奥国の国境、
5月2日ブラアラキ白河遠征の続き全記事でお訪れた鹿嶋神社からまた徒歩で白河駅に戻り駅に隣接する場所には小峰城(白河城・白河小峰城)所在地:福島県白河市郭内築城年:1340年築城主:結城親朝南北朝期に結城氏が築城豊臣政権により結城氏は改易その後は会津を治めた蒲生氏→上杉氏と領主は移り関ヶ原後に会津に戻った蒲生氏が再び治めるも転封その後は会津領とは切り離され、独立した白河藩として丹羽長重が入城この丹羽長重は、あの有名な丹羽長秀の長男そ
連続で書いている福島旅ですが…『Ōse!推せ?ふくしま逢瀬旅②やっと逢えた編』福島旅♡前回の続きからバス停から歩くこと🐾約20分🐾南湖公園のメインストリートに到着南湖公園🌳の説明版あそこに像が👀…近づいてみましょう♡松平定信公の坐像でし…ameblo.jp(↑↑福島旅②やっと逢えた編)今回はその続き、③を綴りますね🌸楽翁様(松平定信公)🌸また逢いに来ます南湖神社を後にするタイミングでちょうど雨が降ってきて…しかも、本降りポツポツ…どころではなく突然、ザーッ☔🌀っと、強めに降り