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昨日の読書の続きです1999年12月21日東海村臨界事故で被爆された作業員の方が亡くなられた日誰しも考えられない作業マニュアルだった‥ニュース報道で知り‥これが、日本の中で起きてることなの?と衝撃でしたステンレス製のバケツでウラン溶液の作業してたんですよね安全管理…臨界事故です…この本はNHKが83日間の被爆治療を追いながら取材した内容となっています25年経過したんですね当時の治療映像がYouTubeで観れます治療に関わった東大病院の医師・看護師の臨床現場発する一
===================もう、二十五年も経っています。九月三十日。その日に何があったか、答えられる人は、とても少ないでしょう。日本は二度、原子爆弾を投下されました。そして戦争が終わった後、米軍によるビキニ環礁での水素爆弾の実験で、第五福竜丸が被爆し、被爆から約半年後に、無線長の久保山さんが亡くなられました。劇団民藝の宇野重吉さんが、久保山さんを演じた映画もできました。その映画はDVD化もされ、映画の補足的に、展示館の館長が案内してくださり、
JamesSetouchi2024.9.16『朽ちていった命被曝治療83日間の記録』(再掲)NHK「東海村臨界事故」取材班新潮文庫20061概要:2002年(平成14年)岩波書店から出た本を改題し2006年(平成18年)に新潮文庫から出た。東海村「臨界事故」は、1999年(平成11年)9月30日に茨城県東海村の核燃料加工施設「J・C・O東海事業所」で起きた。核燃料サイクル開発機構の高速実験炉「常陽」で使うウラン燃料の加工作業を上記加工施設で行っ
JamesSetouchi2024.9.16『ヒロシマ・ノート』大江健三郎(再掲)岩波新書青版F271965(昭和40)年1著者紹介1935(昭和10)愛媛県に生まれる。松山東高校、東京大学文学部(仏文科)に学ぶ。渡辺一夫の弟子を名乗る。作家。『奇妙な仕事』『死者の奢(おご)り』『飼育』『芽むしり仔(こ)撃ち』『われらの時代』『遅れてきた青年』『叫び声』『性的人間』『政治少年死す』『日常生活の冒険』『個人的な体験』『万延元年のフットボ
JamesSetouchi『朽ちていった命被曝治療83日間の記録』NHK「東海村臨界事故」取材班新潮文庫20061概要:2002年(平成14年)岩波書店から出た本を改題し2006年(平成18年)に新潮文庫から出た。東海村「臨界事故」は、1999年(平成11年)9月30日に茨城県東海村の核燃料加工施設「J・C・O東海事業所」で起きた。核燃料サイクル開発機構の高速実験炉「常陽」で使うウラン燃料の加工作業を上記加工
一昨日、日立市役所と東海村役場に車が突入する事件がありました。逮捕された犯人は24年前に起きた核燃料加工会社JCOの臨界事故により健康被害を受け、日立市と東海村に恨みを持っていたと供述しているようです。この甚大な被害をもたらした事故について確認すると、事故調査委員会が認定した被曝者は667人となっています。事故当時、車突入犯の男性は避難要請または避難勧告が出された場所に住んでいたようです。事故後、JCOに経済補償を求め、2016年頃からは健康被害を訴えていたそうですが、補償は認められま
【車で突っ込み逮捕の男】“原子力事故で具合が悪くなった”東海村役場に恨みか茨城県の「日立市役所」と「東海村役場」に車が連続して突っ込んだ事件で、逮捕された男の供述が少しずつ明らかになってきました。男は近所の住民には、原子力事故の影響で「具合が悪くなった」などと話していたことが新たにわかりました。この動画の記事を読む>https://news.ntv.co.jp/category/soc...youtu.be「ゴジラ=原爆」による「黒い雨」で被曝する被曝地トーキョー(福島原発事
偶然か必然か...GoogleMapに映ってしまった瞬間がヤバすぎる...【都市伝説GoogleMap地図事故事件異世界UFO異世界】【怪談】死者の声を録音!聞こえた声の正体は!?※本編で音声は再生されます【呪物】日本史上最悪の被爆事故「東海村JCO臨界事故」の全貌。電気を作ってると思わされて来た原発だが・・・?【朗読】奇々怪々より短編まとめ
大内さんがクリーンルームに入った10月5日、出血を止める働きをする血小板の数が危険なほどに減少していた。白血球の数もわずか900。造血幹細胞移植は急を要した。翌日、血液の中に微量に含まれている幹細胞を薬で増やして移植する「末梢血幹細胞移植」の手術が行われた。拒絶反応を防ぐには幹細胞の提供者と患者の白血球の型が適合していなければならないが、全国の骨髄バンクなどに照会して、適合したのはたった一人。大内さんの妹だった。妹さんは「兄を助けるためには、いくらでも血液をとってください」と言った。手
ウラン235など核分裂を起こす物質の質量が一定の条件下で一定量を超える(臨界を超える)と核分裂が連鎖反応で爆発的に増加し、大量の放射線やエネルギーを放出する。臨界を制御できなかったら大惨事は免れない。1999年9月30日、茨城県東海村にある核燃料加工施設JCO東海事業所では、大内久さんともう一人の作業員がバケツに入ったウラン溶液を大型の容器に移し替える作業をしていた。突然、大内さんは青い光を感じた。それは大内さんらが大量の放射線(中性子)を浴びた瞬間だった。隣の部屋にいた上司が「逃げろ
東海第二原発、避難計画進まず「5キロ圏内だけでバス400台必要」国の方針で公立病院のベッドを減らしておいて、感染拡大で足りなくなったら国民に行動の自粛を要請、電気自動車だオール電化だと電気を使わせておいて、震災と寒さで足りなくなったら国民に節電を要請。これをアホと呼ばずして何と呼べばいいのでしょうか。東電による首都圏一帯への節電要請前。周辺自治体の避難計画の不備を理由に、茨城県にある日本原子力発電東海第二原発の運転差し止めを命じた水戸地裁の判決から1年、9市
今日は寒いわ〜(;´д`)風も冷たいし、一気に冬になったみたい…先週末まで夏だったから、いきなりの気温急降下はツライわ〜(T^T)それにしても、もう10月とはね…1年の4分の3がもう終わってしまったわけですか…(−_−;)あとたった3ヶ月で一体何をしたらいいのかしらとりあえず、少しづつ始めていたプチ断捨離を続けます…第5波は収束したようですが、重症者が減っているのはワクチン接種が広まったのも一因のようです新型コロナ第5波を振
2021年9月30日今日は何の日か世界翻訳の日国際翻訳家連盟が制定。キリスト教の聖職者で、聖書をラテン語訳したことで知られるヒエロニムスが亡くなった日。交通事故死ゼロを目指す日日本政府が「生活安心プロジェクト」の一環として2008(平成20)年から実施。1年に3回あり、2月20日と、春・秋の全国交通安全運動の期間中の4月10日・9月30日。クレーンの日日本クレーン協会とクレーン・ボイラ安全協会が1980(昭和55)年に制定。1972(昭和47)年の
昨日、本放送見ましたなぜ、今になってと思ったけど記憶が薄れつつある東海村臨界事故改めて意識するよいきっかけになりました臨界事故などありえないからの役場や日本政府の動き大量被ばくした作業員は染色体バラバラにちぎれ破壊されたことで新しい細胞が造られなくなり(中学校理科)白血球が生成されず内臓出血、皮膚も再生せず塗炭の苦しみののち83日後、亡くなるあまり深くはないけど画像も交えて放送再放送は2019年12月9日(月)午後11時45分(60分)NHK
ネジ山が、つぶれている東海村JCO臨界事故のチェレンコフ光?
東海村臨界事故への道(七沢潔)、を読むhttps://ameblo.jp/ohjing/entry-11484587109.htmlおそるべき裏マニュアル~東海村臨界事故への道その2
1945年のこの日、第二次世界大戦が終了しました。毎年、この時期になると戦争に関する番組が多くなって…。それを観る度に、戦争はダメだなぁ、核兵器ってマジで悪!って思う。↑これ東海村臨界事故で被爆した、大内さんの治療記録の本。少し前に読んだのだけども。事故の原因や治療の様子の他に、看護師や担当医師の心の葛藤、被爆された大内さんとの会話、そして大内さんのご家族の様子などが記されてる。大内さんは、被爆して約2ヶ月ぐらいの時に心停止してしまい医師が
原発や放射性物質の恐ろしさが分かるニュース今回の事故で被ばくされた方の姿や症状の写真はまだ公開されていません。忘れてはならない大事故。1999年、東海村のJOCで起きた臨界事故。Yahoo!画像検索で『東海村臨界事故』と検索すると、皮膚が焼けただれたような酷い姿になった方の姿が見れます。原発・放射能がいかに怖いものか伝わる写真です。※画像はグロいので自己責任で観覧してください。今回の事故で被ばくされた方に健康被害が出たのなら東海村臨界事故と同様に、包み隠さず世間に写真を公表し、原発や放射