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先日奈良の春日大社を訪ねました。以前渋谷の松濤美術館で開催された「杉本博司本歌取り東下り」に展示されていた「春日大社藤棚図屏風」を見てからいつか現地を訪問したいと思っていました。この作品は春日大社の南門を入って直ぐ左手にある「砂ずりの藤」が舞台となっています。阿波の和紙にプリントされたデジタル作品で、2022年の春、「砂ずりの藤」の藤棚が満開になる直前、朝日が昇った直後に撮影されたもので、杉本氏はそこに「鎌倉時代のような状況が出現し、ご神託が下ったような感じがした」と話されていた
旅の話は一旦置いといて、なんせ、会期が12月14日までなんです。【荏原畠山美術館】へ【「数寄者」の現代__即翁と杉本博司、その伝統と創造】即翁とは畠山一清の号です。数寄者とは語源は『好き』から来ていますが、茶の湯や美術に造詣が深く、茶道具の名品の収集家を指すようです。明治以降、財界人や政界陣などの富裕層が茶の湯を趣味として、優れた茶道具を収集。要するにお金が無いとできない?それはそうですね。利休の茶杓も展示。対峙すると、何やら、身の引き締まるような感じに。
会期終了が近い展覧会を優先しようと荏原畠山美術館へ・・・それだけでは勿体ないのでそこから美術館を渡り歩くかorその周辺のアートスポットを探していたら白金台駅からのルートで駅前に港区立郷土歴史館(旧公衆衛生院)があったので先に向かいました。こうした歴史的建造物は、気になっていたけどどうしても展覧会の方を優先してしまうので“ついで見”ばかりでした。常設展は、有料ですが建物内見学は、無料なので常設展の無料エリアとギャラリーも合わせればかなり見応えありました。(4階フロアを見下ろした所に飾
香川県を初めて訪れたのは「金比羅歌舞伎」「香川県その1『金比羅歌舞伎』訪問編」『全都道府県訪問備忘録#香川県その1〜まずこんぴら歌舞伎編から…』讃岐うどんで有名な香川県数えたら6回訪問⁉️初訪問は2002.4月の「金比羅歌舞伎」アンダンテの歌舞伎元年が2001.5月なので毎年4月に開催される「金比…ameblo.jpこちら以外も訪れております香川って小さな中に見どころがギュッ瀬戸内海の島々も必見まずは「直島」訪れたのは2010.7月おっちゃんと…宿泊は「ベネッセ・ホテ
杉本博司の「シロクマ」は、アメリカの博物館のジオラマを撮影したシリーズです。雑誌では見たことがありましたが、本物の大判は違います。最初展示室が分からず会場から出てしまうところでしたが、もう一周してみたら出会うことができて本当に良かった。【杉本博司】【バーシム・アル・シャーケル】迫力がありました。【ハラーイル・サルキシアン】不思議な造形でした。【札本彩子】【久保寛子】地下2Fの大きな展示です。ブルーシートでできてます。このあと、帰路に着きました。
吹上の帰りに栄に寄り、現代美術展を鑑賞しました。知っているのは、杉本博司、諸星大二郎、山本作兵衛と日本のアーティストばかりでしたが、イラク生まれのバーシムシム・アル・シャーケルの作品が一番のお気に入りになりました。【ムルヤナ】【ダラ・ナセル】【川辺ナホ】【大小島真木】【諸星大二郎】後編に続く。
国際芸術祭あいち2025灰と薔薇のあいまに愛知芸術文化センター2025年10月12日(日)国際芸術祭の名にふさわしい世界をテーマにすえた芸術祭でした。芸術監督フール・アル・カシミがつけた「灰と薔薇のあいまに」とはモダニズムの詩人アドニスの詩に由来します。枯れ木に花は咲くのか灰と薔薇の間の時が来るすべてが消え去りすべてが再び始まるときに灰とは破壊、薔薇とは創造と解釈するとわかりやすいです。灰という言葉の中には、近現代の中東における不幸や悲
港区白金台2丁目にある荏原畠山美術館この地は江戸時代末期、島津藩25代当主島津重豪(1745―1833)の隠居所であった。島津重豪(しげひで)付近には大名の下屋敷や旗本の別荘が並んでいた。明治には薩摩藩出身の寺島宗則伯爵が邸宅を構えた。昭和12年(1937)荏原製作所創業者の畠山一清が購入し、奈良般若寺の堂宇や加賀藩家老横山男爵旧邸の能舞台などを移築し、自邸「般若苑」とした。第二次大戦後、一時、石橋湛山大蔵大臣公邸となり、売り出され、昭和23年(1948)「料亭・般若苑」開業。
終了しましたが「高橋承一個展」の休廊日に現在開催中の『あいち2025』に行って参りました。(芸術祭は11月30日まで。)まず、愛知芸術文化センター会場へ。今回の目玉??写真家杉本博司氏の代表作が展示されています。おそらく行政関係者や協賛企業の方々?学芸員のガイドツアーにスーツ姿の面々・・写真がちょっと不鮮明ですね😅平日だったこともあり、来館者は少なめ・・今回初めて海外から招聘
杉本博司〈相模湾、江之浦〉松涛美術館にて「海景」を語るときの杉本氏の話が、どうにも自分の「記憶」のように思えてならない。まったく同じと言うわけでは、もちろんない。ただ、神奈川で生まれ育った僕は、自分が記憶している「最初の海」というのが、間違いなく、杉本氏が見た「海」と同じであるという一点においてのみ、揺るがしがたく「同じ」なのである。小田原から熱海方面へと向かう電車の車窓から、とりわけ根府川駅のあたりから眺める海。これに息をのんで、「海」を「海」として認めた、幼いころの記憶。
杉本博司《春日大社藤棚図屏風》来年春に、満を持しての「奈良旅行」を計画している僕ら(*‘∀‘)♪しかし、「奈良」を訪ねるのに、「春」だけがよい季節ということはなく(*'ω'*)「こういう写真見てしまうと、初夏のころもずいぶんと良さそうですよねぇ♪」と、気分はぐらんぐらん揺さぶられる。。。(^▽^;)ま。季節は巡るものでございまして(*'▽')まずは「春」の「奈良」からということで。と決まっているはずなのだが、なんだか「計画」がちょっと先なもので、わりとぐらついてい
杉本博司《月下紅白梅図》「シン・ジャパニーズ・ペインティング革新の日本画横山大観、杉山寧から現代の作家まで」にて。今の自分たちが置かれている状況のことなんて、まだその気配さえ感じていない頃。いや、現在の状況が到来する直前のころ。2023年の夏。このときは、実に気楽なドライブをした。気になっていた「杉本博司作品」を見に、箱根まで。実をいうと、肉筆の日本画の名作、傑作、気鋭の画家の力作が並ぶ中で、「杉本博司」の写真作品は毛色が違って見えた。違和感というのとはちょ
むちゃくちゃ久しぶりに東京観光してきました!たぶん15年ぶりくらい。土曜夜遅くにホテルにチェックインし、日曜朝一番に訪ねたのは浜離宮恩賜庭園でした。ご存じ、日本を代表する大名庭園です。鷹の御茶屋。なかは資料室になっていました。中島の御茶屋。富士見山の上から。ところどころに荒磯の風情。ごつごつした石を組んで荒々しい磯を表現するというのは古代からの日本庭園のモチーフです。東京で一番訪ねたかった庭園を拝見したわけですが、雨のおかげでひとが少なく石もキレイで、朝から大
杉本博司《時間の矢》1987年(火焔宝珠形舎利容器残欠:鎌倉時代[13−14世紀]海景:1980年)タイトルを見て、少し「ん?」と思った。杉本氏の作品の名付け方は、時に言葉遊びに過ぎるところがあって(^▽^;)ほとんどダジャレじゃん(@ω@)っていうようなものから、深すぎてそこが見通せない哲学的なものまで。それだけを取り上げて考えるっていうのでも、楽しかったりするのだが。作品のインパクトに比して、やけにネーミングがあっさりしている。そんな感じを受けました。コンセプ
松濤美術館「杉本博司本歌取り東下り」では、杉本博司氏の作品というよりは、作品を作り出すにいたる発想の大元みたいな、考え方のヒントとか、概念の取り扱い方を見ているような気分になった。作品の背景と言うには、背景の方が主役と言うか。。。その「概念」が作品化するとこうなる!的な。氏の蒐集してきたコレクションが展示そのものでありつつも、作品とコレクションとの間に流れている同じ感覚というか、ある種の地平を確かなものにしているようにも思えた。コレクションに氏の発想そのものの原点をみるとか、そ
松濤美術館「杉本博司本歌取り東下り」にて。
杉本博司《数理模型025クエン曲面:負の定曲率曲面》なにを表しているのか、さっぱりわからない。奇態ななにか。なのに、美しいと思ってしまうのはどうしてか?「模型」であるからには当然かもしれないが、「数理」を3次元で滑らかに表せること以上に、なにがしかの運動をカタチで表せて、そこに陰影がついているっていうことに、新鮮に驚く。
お読みいただきありがとうございます😊10月の、墓参と東京・鎌倉旅4日目の午後は、お世話になった恩師を訪ねました。午前中に五反田から地下鉄で一駅高輪台へ住宅街の中にある荏原畠山美術館当館について-荏原畠山美術館www.hatakeyama-museum.org40年以上前初めてのお茶会はこちらでした。(根津美術館だと思い込んでいたのですが🤔当時「般若苑」と呼ばれていたこちらが最初。)何度かの改修・増築工事を経て現在の姿になっています。令和6年に新館が完成した
3年に1度行われる瀬戸内国際芸術祭11/7までですね私は10月18、19日に直島だけ行ってきました3回目のセトゲイです岡山まで新幹線🚄JR高松行きに乗ってフェリー乗場の宇野港へこれ👇新しいです1時間に1本のフェリー⛴️で宮浦港へ宮浦港到着草間彌生さんこのかぼちゃさん3年前は台風🌀で流されてなかったんですお風呂屋さん♨️入浴しない人は入れなくなっていました今回も旅館は「ろ霞」さんにお願いしたのですが、いやぁ、バスに乗ることなくどこへでも送っていただきましためちゃく
ずっと行きたいなと思っていた杉本博司さんの江之浦測候所。10月中旬に、気になっていた箱根の宿での2泊3日にくっつけて、行ってきました。(Nacoさん!やっと行ってきました!)「江之浦測候所」という名前から気象庁の施設かと思いますが、杉本博司さんが設計した壮大なアート施設です。古代から続く時間の重なり、太陽の大きな恵み、その中で自分の存在を再認識する、そういう空間だと私は思いました。小田原の2駅先のJR根府川駅からバスで無料送迎していただけます。JREBANKの特典でグリー
直島に行くと必ず向かう場所そのひとつがこの神社地下に入るよ本殿地下のガラスの階段3年ぶりに再会すあー、なつかしかー崇徳さんの神社も近い
今日からアートの旅です。名古屋市を中心に3年毎に行われているアート・フェスティバル「国際芸術祭あいち2025」。今年のサブタイトルは、灰と薔薇のあいまに。まずはメイン会場の愛知県美術館から。美術館が入る愛知芸術文化センターのビルの10階のエントランス。インドネシア人のムルヤナの作品。赤道に近い南の海の中を再現したようなインスタレーション。まるでサンゴ礁みたいだな。続いて杉本博司の絵画。床に散りばめられた造形物と詩。アラブ人のアフラ・アル・ダヘリの大型インスタレーション。
荏原製作所の創始者で、実業家・茶人でもあった畠山一清(即翁)。その収集品を展示する畠山美術館が、杉本博司らの建設事務所・新素材研究所に新館の設計を依頼。落成1周年を記念した展覧会が開催中。たしか大昔、横浜に住んでいた時に根津美術館の展覧会と間違えてこちらを訪れた記憶あり。落ち着いた佇まいの本館。本展「数寄者の現代」では、近代数寄者の最後世代と称された即翁のコレクションを、新館の設計に携わった現代美術家であり、現代の数寄者と呼ぶべき杉本博司の芸術を通して、「数寄」の在り方を探る…という事
確かに「数寄者」でないとできません。現在、荏原畠山美術館で開催中の『新館開館一周年記念「数寄者」の現代―即翁と杉本博司、その伝統と創造』を観てきました。荏原畠山美術館は荏原製作所の創業者、畠山一清氏のコレクションを収蔵した美術館です。前身の記念館から改装し昨年オープンしたばかりです。氏は生涯をかけて集めた茶道具の数々を若い世代に観てもらいたい、日本の文化に誇りを持って次の世代に継承したいとの思いで記念館を開いたそうです。今回その記念館が従来あった本館に新館を増築して美術館として
畠山記念館から荏原畠山美術館へ。昨年10月にリニューアルオープンして、1年が経ちました。それを記念して現在開催されているのが、“「数寄者」の現代―即翁と杉本博司、その伝統と創造”という展覧会です。(注:展示室内の写真撮影は、特別に許可を頂いております。)荏原製作所の創立者にして畠山記念館の設立者、近代最後の数寄者であった畠山一清(号・即翁)と、荏原畠山美術館新館の基本設計を担当した杉本博司さん。2人の「数寄者」が時代を超えて競演を果たすスペシャルな展覧会です。
昨日…U2を聴いたり…映像観たりしてた…U2を聴いてると…その曲を聴いていた頃が…すぐに浮かんでくる…というか…アルバムで…覚えてるという感じかな…U2のデビュー時から…聴いてるから…U2聴きながら…人生歩いてきた…って感じか…それと…U2は…アイルランド出身…そして…20代の頃…アイルランド出身の…ケビンとアシュラと出会った…偶然とはいえ……アイルランドという国と…U2を…深く知ろうとしたよな…アイルランドの兄弟分…ケビンとアシュラのおかげで…アイルランドにも…行くこ
つづき「国際芸術祭あいち2025」3年に1度の旅、2泊3日の弾丸ツアーの記録。愛知芸術文化センターA011アフラ・アル・ダヘリ「髪をほどいて」泥や砂にまみれて風雨にさらされたようなロープたちは美容師であった作家にとって身近なモチーフ、「髪」を表現。アラブの女性たちの髪を揺らしてきた乾いた熱い空気。ハサミを入れても入れても生き続けるかぎり伸びていく髪、繰り返される日々長い長い女性た
2025年10月5日日曜日東京・高輪にある荏原畠山美術館とカトリック高輪教会を訪れました。最初に荏原畠山美術館の事を書きます。荏原畠山美術館については今年に入ってから行こうかと考えていました。昨年新館が出来た事で美術館が活性化したらしいことがFBのグループの投稿にもうかがえました。今回行くことにしたのはこの記事がきっかけです。国宝・法隆寺金堂釈迦三尊像の旧部材を発見美術展ナビこの記事を見て驚きました。どうしてかと言うと先月16日、まさにその法隆寺
法隆寺釈迦三尊像の一部か美術家の収蔵品から発見(共同通信)-Yahoo!ニュース美術品の保存や公開などを目的に現代美術家の杉本博司さんが設立した小田原文化財団は3日、法隆寺(奈良県斑鳩町)金堂にある国宝・釈迦三尊像の一部とみられる金具が見つかったと発表した。同財団によるnews.yahoo.co.jp
碌な画素の画像も満足にないのに寝言で何を言ってるのか?という感じですが、アー写、商材、プロフィール写真そういったものの重要性って今は小学生でも理解してる。クオリティの高い画像は100膳いけるご飯のトモ。誰だって良質のヴィジュが欲しい。ヨウジノミエイもそういうことでしょう?だから諦めません、勝つまでは。(結構復活はやいよねwでもフォロワー様なんて推しと結婚して身の回りの世話を甲斐甲斐しく焼くという厨二全開の妄想を楽しんでるんですから😆、相対的に