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名古屋市博物館では2つの特別展「リトアニアバルトの森に響く歌」と「名古屋には秀吉がおるでよ!秀吉と尾張の歴史」が開催されていました。2つの特別展は有料でしたので、無料で撮影できる場所だけ顔を出し。リトアニア共和国は名古屋で少年時代を過ごした外交官・杉原千畝が、ユダヤ人に「命のビザ」を発給した地です。名古屋市博物館のプレオープン無料撮影場所でした。(10月9日撮影)
岐阜とリトアニアの交流事業のコラボモーニングを食べに行って、そういえば、先月、リトアニア展に行ったのだったと思い出したので、思い出して、その記録です。先月、東山荘に長月茶会に行った際に、せっかくなので、近くに寄れるところを探したところ、名古屋市博物館が特別展「リトアニア―バルトの森に響く歌―」というイベントを開催中だったので、茶会の後に寄りました。名古屋市博物館は、現在は休館中で、9月5日(土)から11月1日(日)までの間、プレオープン展として特別展が開催されているのだそう。そして
2日目⑥です。小里川ダムまでは『岐阜県・長野県旅行2日目⑤(恵那市⑥)』2日目⑤です。道の駅おばあちゃん市・山岡までは『岐阜県・長野県旅行2日目④(恵那市⑤)』2日目④です。いわなみ町並みまでは『岐阜県・長野県旅行2日目③(恵那市…ameblo.jp八百津町に向かってます。途中道の駅に寄り道予定より1時間20分遅れ瑞浪市でガソリン給油リッター162円でお安く給油できました480キロ走っているのに16Lしか入らない瑞浪駅に寄りたいの我慢して、八百津町へ八百津町マップハヤブサミ
名古屋市は第二次世界大戦中にナチスの迫害から逃れるためユダヤ人に日本のビザを発行した、当時リトアニアのカウナスにあった日本領事館の領事代理、杉原千畝が過ごした土地であることを縁にして、名古屋市博物館とリトアニア国立博物館は昨年「友好館協定」を結びました。また、名古屋市はつい先日リトアニアの首都、ヴィルニュスと姉妹都市を提携しました。それらを背景として、現在改装中の名古屋市博物館ではアジア/アジアパラ競技大会に合わせてプレオープンし、「リトアニアバルトの森に響く歌」展を開催しています。
リトアニア🇱🇹といえばshirobe達スケオタ界隈ではアイスダンスクリス・リードの妹さんの国2026ワールドリズムダンス2026ワールドフリーダンスリトアニア展中村図書館で見かけたチラシで博物館がリニューアル中で今回は特別に開館し展示イベントです。と、その前に旦那をうまく丸め込んで(言い方)名古屋まで車を出してもらいました。実家への荷物と実家から持ち帰ってもらいたい荷物を差し替え以前トラコと羊ちゃんと行った籠の屋左側へ行くと売店とリトアニア
9/6の岐阜ドライブの6カ所目は第29弾のマンホールカードを配布している八百津町役場です。『岐阜ドライブ』まだお盆の高山観光のブログの中ですが、9/6日曜日は久しぶりに四日市で過ごしていたので、岐阜のマンホールカードをもらいに行ってきました。マンホールカード…ameblo.jp八百津町のマンホールカードは、八百津町情報発信施設「ハヤブサ・ミュージアム」になっているので、途中で変わったのかもしれません。池井戸潤氏の原作小説『ハヤブサ消防団』のモデル地になったので、ドラマ関連
↑ブログランキング参加中です♪クリックしていただけると嬉しいですようやくバルト三国旅行のブログに着手できました!写真多めで長記事となりますが、楽しんでいただけたら嬉しいです1日目NYからヘルシンキ空港に到着。ゲートのすぐそばにミニジムがあって、びっくり!素晴らしい発想だわNYにもあればいいのに。ヘルシンキからリトアニアの首都Vilnius(ヴィリニュス)まで1時間半ほどのフライト✈️空港からホテルまでは、事前に入れておいたBoltというUberのよ
9月17日(木)天気曇りバス移動中強い雨到着前に止むカウナスリトアニア第2の町「日本のシンドラー」杉原千畝記念館第二次世界大戦中の1940年ナチスドイツのホロコーストから逃れるため助けを求めて押し寄せるユダヤ人に日本政府の指示を無視して独断で2139通のビザを発行し6000人以上のユダヤ人を救った外交官日本からビザの発行はだめだと言われて明日強制収容所に連行されるかもしれない殺されるかもしれないユダヤ人に対して独断でビザを発行することを決めた
帰りはビリニュスからバスに乗る予定にしていたので、カウナスからビリニュスへは電車で移動しました。距離的にはカウナスからワルシャワの方が近いのですが、ビリニュス⇄ワルシャワ間の方がバスが安く、電車で移動したとしてもトータルでこのルートの方が安かったです。電車の予約はこちらから↓Ticketsltglink.transport-ticket.comこの日は13:24発の電車がその前後より1-2€くらい安く最安で22.26zl(5€くらい)でした。カウナス駅にも千畝さんがいます。1時間半程
金曜日の23:30ワルシャワ発土曜日5:30カウナス着13:24発の14:56着の電車でビリニュスへ18:40ビリニュス発日曜日0:50ワルシャワ着という、ほぼ24時間で行って帰っての旅。今回は教え子に会う事だけが目的な上、今年のワジェンキコンサート最終日には絶対聴きに行きたかったので弾丸旅行になりました😅カウナスのバスターミナルは割と綺麗で、スーパーも併設、カフェやコンビニ、チケットカウンター、トイレもあります。Wi-Fiやコンセントも。ちょうどメインストリートで大規模なマーケ
なんとハノイ時代の✍️教え子がカウナスにいると言う事で会いに行って来ました。10年の時を経てまさかヨーロッパで再会出来るなんてと驚き😳10時に待ち合わせでしたが、その前に少し時間があったので、リトアニアと言えば、カウナスと言えば!の杉原千畝さんの記念館へ行って来ました。いつもと違う道で行ってみました。今回でここに来るのは4.5回目なのですが、道が違ったからか、これ程までに普通の家と変わらない建物だったっけ?と、旗が無ければ通り過ぎてしまいそうなくらい町並みに溶け込んでいました😅最近ポー
ランポとセンポという音が似ているだけで、何の関係もない小説家・江戸川乱歩と外交官・杉原千畝をどうやって結びつけたのか、疑問と興味を持ったのは私だけではないでしょう。小説なので、2人に本書のような交遊があったのかどうかは問題ではないと思いますが。早稲田大学出身の2人は、若き日に大学に近い三朝庵という蕎麦屋で相席になっていました。ひょんなことから、互いが愛知五中の卒業生であることがわかり、そこから交友が始まります。しかし、本当はそれ以前にも、2人は名古屋の大須の旅館で顔を合わせていまし
ヴィリニュス杉原千畝Sugiharahouse希望の家数千人もの命が救われた場所
CNNの高市首相ビデオ、最高!CNNの高市ニュース、さえています。日本のメディアもこれぐらいはやって欲しいですね。高市早苗さん、海外メディアからは痛烈批判されとる映像のチョイスも素晴らしい👏日本のメディアも働け‼︎『逃げて、逃げて、逃げてまいります』やんな😩pic.twitter.com/JWEBdfYy8x—Kei_Eri(@kei_chad1115)August27,2026なお、この動画の中の「LOL」は「Laugh(ing)OutLoud(大爆笑)」の
もし樋口中将がいなければ、北海道の半分はロシア領だったかもしれない。ユダヤ人を救い「ゴールデンブック」に名を残すも、記載未確認の杉原千畝氏ばかりが有名で、中将が殆ど知られていないのは余りに悔しい。この日本の英雄の功績を、一緒に学びませんか?https://t.co/YTydaX9rSh—小野寺まさる(@onoderamasaru)2026年8月26日
9月5日から名古屋市博物館で開催。プレオープン記念。「特別展リトアニア―バルトの森に響く歌―」特別展リトアニア―バルトの森に響く歌―バルト海沿岸に位置するリトアニア共和国は、名古屋で育った外交官・杉原千畝(すぎはらちうね)が、ユダヤ難民に「命のビザ」を発給した地である。その縁に導かれて、同館は昨年8月、リトアニア国立博物館と友好館協定を結んだ。本展でartexhibition.jp
杉原千畝(ちうね)この方はリトアニア日本領事館で働いていました第二次世界大戦中ユダヤ人が日本通過ビザを発行してくれないかと訪ねてきたのです電信で日本に許可を求めましたがもちろん許可はおりませんでしたしかし杉原氏は日本通過ビザを発行することに決めました始めは手書きでしかしここならビザが発給されるという噂が広まり大勢のユダヤ人が毎日並びましたスタンプ形式に改良し来る日も来る日もビザを発行し続けました杉原氏のおかげで多くのユダヤ人が助かりました一家族につき一枚
家族と気比神宮にも寄りました。こちらはまだ数年前に参拝にお伺いしていると思いますが、家族は初めてと言うことで一緒に。ここまで来ると、私は敦賀港にも寄りたくなります。杉原千畝さんの人道の港と記念館があるからです。第二次世界大戦で自分の命を顧みず、ユダヤ難民に命のパスポートを書き続け、多くの命を救った日本のシンドラーとして知られています。そして敦賀の皆さんは、命からがらこの地に辿り着いたユダヤ難民の方を手厚く歓迎されたと言うことで、私はこの地がとても好きです。今回は、寄れなくて残念でした
帰省旅行で、夫の実家に来ています。昨日は、岐阜県八百津町の杉原千畝記念館に、お義母さんと一緒に行きました。杉原千畝は八百津町出身で、第二次世界大戦中、リトアニアの領事だった時、ポーランドから逃げて来たユダヤ人に日本通過を許可するビザを発行して、6000人の命を救いました。記念館は、ホロコーストの説明や、第一次世界大戦に負けたドイツがナチスを支持した理由から丁寧に説明があり、展示がとても充実していました。領事館執務室で、パスポートにスタンプを押しました。八百津町には初めて来たのですが、趣
岐阜県八百津町を訪れた続きです8月1日~7日までのマンホールカード配布場所八百津町役場1階の水道環境課には展示蓋がありました八百津町の町章を中心に町の花「ササユリ」が4等分に描かれたデザインカラーの蓋は、展示蓋のみで町内では、カラーでない蓋が多く見られます役場の東側には、八百津小学校校舎は、昭和34年(1959)に竣工学校の南側に注目杉原千畝実家跡です昭和15年(1940)、リトアニアの日本領事館でナチス・ドイツの迫害
7月に美濃加茂市へ小さな一泊二日旅行をしたことはブログに書きました。『近場ビジホ一泊観光プラン-28キロもはなれて-』二週間くらい前になるかな。岐阜市からおよそ28キロ離れた(およそ28キロしか離れてない)美濃加茂市に泊まり、そこを拠点に観光をしました。・車で一時間く…ameblo.jpその際、初日に訪れた場所は杉原千畝記念館でした。>杉原千畝とは、第二次世界大戦のさなかリトアニアの日本領事館で領事代理を務めた外交官であり、ナチスドイツから逃れてきたユダヤ人に大
*8月1日エントリーの続きです。R大学文学部史学科の院生・あんみつ君と近現代史のしらたま教授との歴史トーク、今回のテーマは昭和戦時中の外交官・杉原千畝です。本日がシリーズ最終回、モスクワの杉原千畝のおはなし。あんみつ「しらたま先生、ルーマニアのブカレスト郊外、ゲンチャ収容所で終戦を迎えた杉原千畝一家は、1947年(昭和21)4月、日本に帰国がかなった直後に外務省から退職勧告を受けました。自宅の藤沢市で雑貨店を出したり、短期の委託契約で役所
人は狂気の沙汰だと思うだろう。夫には何度も止められ、呆れられ、「狂ってるにも程がある」と言われた。しかしひよこよさんはずっと後悔し、思い出しては気を揉んでいたことがあるのだ。やり残したり、出来なかったことがあることが非常に嫌な性分なのである。夫に狂っていると言われようが、決めたことは達成するまで追求したい。そんなクレイジーひよこよさんは朝3時ワルシャワのバスターミナルにいた。3時20分に出発する長距離バスに乗る。行き先は、リトアニア•カウナスだ。目的はただひとつ。杉原千畝博
*7月24日エントリーの続きです。R大学文学部史学科の院生・あんみつ君と近現代史のしらたま教授との歴史トーク、今回のテーマは昭和戦時中の外交官・杉原千畝です。本日は、ブカレストの杉原千畝のおはなし。あんみつ「しらたま先生、1941年(昭和16)6月の独ソ開戦は、日本の対ソ方針を混乱させました。4月に<日ソ中立条約>を締結したのは、アメリカによる石油など対日禁輸を受けて、ソ連との関係を静謐に保ち、日中戦争継続のための資源を南方に求めよう
★★★1-4テリィを浮上させられる人物は世界にただ一人。「とりあえずさ、家族に手紙を書きなよ」キノコが生えてきそうな暗い男にカールは提案した。「・・知ってるだろ?イギリス行きの船はUボートに撃沈されている」「でも、全てじゃない。10通書けば何通かは届くさ」船舶に頼っている郵便事情が、戦時下でスムーズにいくとは限らなかったが、アメリカにいてできることは、これくらいしかなかった。「あんたに手紙が来てるよ!」朗報は秋の終わりに届いた。「キャンディか!?」はやる
S・スピルバーグがメガホンを取った映画『シンドラーのリスト』に因み〝東洋のシンドラー〟と呼ばれる人物といえば、ちうね杉原千畝氏今日は第二次大戦中に多くのユダヤ人の命を救った、この元外交官の命日・没後40周年にあたります。杉原氏は、1900年元旦という実にキリのいい日に岐阜県賀茂郡で生まれました。税務署職員だった父は、幼少から頭脳明晰・成績優秀だった息子を医者にしようと、自ら京城医学専門学校の受験手続をします。しかし英語に関
7月31日が命日・忌日の有名人・著名人1784年満70歳没(肺気腫)ドゥニ・ディドロさん哲学者、作家百科全書派『百科全書』⇒『ドゥニ・ディドロ(1713年10月5日生~1784年7月31日没、哲学者)』1875年満66歳没(脳梗塞)アンドリュー・ジョンソンさん第17代アメリカ合衆国大統領1886年満74歳没(肺炎)フランツ・リストさん作曲家、ピアニスト⇒『フランツ・リスト(1811年10月22日生~1886年7月31日没、ピアニスト、作曲家)』1944年
明日の28日が川村カオリさんの命日です・・2023.08.16アネスタ!川村(かわむら)カオリさんはロック歌手として38年という短い人生を走り抜けました。私生活では一女を授かっていますが、結婚していた男性とは離婚をしていたそうです。川村カオリさんの娘、るちあさんの現在や旦那、弟など迫って行きます。⇩ロシア正教式で営まれた葬儀(埋葬式)には、ロシアに滞在していたカオリさんの父・秀(すぐる)さんも緊急帰国し献花から参列。昨年10月のがん転移公表から、カオリさんを支援していた
*7月18日エントリーの続きです。R大学文学部史学科の院生・あんみつ君と近現代史のしらたま教授との歴史トーク、今回のテーマは昭和戦時中の外交官・杉原千畝です。本日は、ユダヤ難民の運命のおはなし。あんみつ「しらたま先生、独ソ開戦と時を同じくして、ナチスによるユダヤ人最終的解決、すなわちホロコーストが激化。ヨーロッパ中に約980万人いたユダヤ人総人口のうち、約586万人が殺害されます。国別最大はドイツに占領されたポーランドの300万人」
「当記念館は、1939年11月から1940年8月までリトアニアの日本領事館として実際に使われていた建物です。当時まさにこの場所で、杉原千畝は日本政府の明確な許可を得ることなく、ソ連の弾圧や迫りくるナチスの迫害から逃れる人々に日本への経由ビザを発給しました。」詳細は、各種メディア、財団の資料に委ねます。リトアニアは、カウナスの「杉原記念館」を訪問しました。思ったよりこじんまりしていて意外でした。20分のドキュメンタリーを拝聴しました。「当博物館は、戦間期の家屋を忠実に再現