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前回からの続き、入室です。手水鉢でしょうか。中庭というよりこの右手には、もう一つの入り口、こちらは閉め切り「御成門」と表示が。お殿様専用の入り口ですね。これらは、お殿様がお泊りになられてる時に掲げる看板。ほとんどの方はご存じでしょうか「本陣」とは、今でいうスウィートルームみたいなものでしょうか。参勤交代で宿場町といえば旅籠でしょうが、家来衆はそこでいいとしてもお殿様が庶民と同じ旅籠というわけにはいかず、宿場町(街道)の豪商やら造り酒屋等の地元の名士の家に泊まる屋敷が本陣です。m(
古町にある割烹本陣昨年末でお店を閉めていたそうです寂しいですねここのエビサラダ🥗🦐好きだったなぁ思い出の味
夫婦2人…お雛祭りも有りません🤣味気ない⁉️楽ですよ~😉盆も正月も至って普通🤣🤣さて、しらさぎ本陣でのイベントは来月‼️登り窯を卒業した陶芸部長ですが、卒業生としてお声を掛けて頂きました。微力ながらお手伝い。お祭り大好き人間の私も一緒に‼️お邪魔虫ですが、踊らな損ってね~💞お薬手帳ポーチNo.2完成🎉数日中に委託先のGINNAさんに納品します。来月末には、マリアージュ下関での「花鳥風月」も待っています。ワクワクドキドキです。
街道の西端のドン突き(街並み終了)のところまで来て振り返る。すでに見えてます。ここです、「本陣・石井家住宅」解説板:そこんトコロ人気企画「開かずの金庫」でもそうですが、地場の名士に多いのが造り酒屋どんだけ”ボロい商売”だと。儲かって仕方がない印象。入口です。前出の脇本陣は400円でしたが、さすがは本陣ですね、こちらの入場料は500円、(^-^)入ってすぐ、各大名家から拝領された逸品の展示。よく利用してた大名家、覚えてるのだけ挙げていくと、長州藩毛利家、備後福山水野家松江藩松平家など
南町までてくてくとれび庵はやってないよ〜お知らせ読んでねお目当てはこことり三残念ながら閉店…体調のようですてくてく歩いてここかラズウェル言ってたとこ21時のアイスはさすがに寒くて食べられない本陣も満席で入れずさて
な、ちょっと見ていこうや。本陣やで。次の電車までまだ時間あるし、な。え?ち。せぶう
六大将軍伝説【215第一次西部攻略戦(十一)~特攻~】〔本編〕「ツヴァンソめ!この俺様を、敵将ソヴァジヌを狩るための手段の一つに組み込むとは……。ハッハッ!それはそれで痛快だがな!!」ヌイは戦の最中、副官のシュナーベルに興奮してこう話しかけた。「ヌイ様の昨日の戦いを拝見いたしまして、手を抜いていらっしゃるというのは中途から私は気付いておりましたが……。今日は当然最初から全力で敵中央軍を蹴散らすための昨日の布石と思っておりましたが、昨日と同様の戦い方でしたので
窯出しでした~‼️かなり小さくなったり、色が出なかったり…まぁ、毎度の事です🤣釉薬の乗りが悪かった物はやっぱり失敗でした。しかし、温度計の調子がイマイチだった割には概ね良い結果でしたね。さぁ、4月のイベントに向けてもう一回焼きますよ🔥どんな作品が出来たかはイベントをお楽しみに‼️4/6・4/7しらさぎ本陣陶芸フェスタ4/29マリアージュ下関花鳥風月で、お待ちしてます💞
月々日々に――池田先生の折々の言葉2024年3月1日幸・不幸は、いかなる哲学を根幹にするかによって決定づけられてしまう。御書を依処にしていくなかに福運の軌道がある。※小説『新・人間革命』第17巻「本陣」の章を基にしています。
草津宿脇本陣大黒屋跡滋賀県草津市草津1丁目4−33草津宿とは江戸時代、近江国栗太郡にあった東海道五十三次の52番目の宿場町。古くから東海道、中山道が通る交通の要衝として栄えた。当時、本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠は約78軒あった。中山道は「守山宿」、東海道は「石部宿」、次は「大津宿」がある。
信州下諏訪宿をぶらりとして、先に問屋場跡といったところは見たわけですが、宿場に必ずあるものは当然に下諏訪宿にもあることになりますな。例えば、本陣とか脇本陣とか。でもって、下諏訪宿の本陣は代々続いて二十八代目の現在に至るという岩波家が、今も築220年となる建物を受け継いで、屋敷の一部を公開している…ということでしたので、覗きに立ち寄った次第です。まずもって目を引きますのは、玄関先に並べられた看板の数々(「関札」というらしい)ですなあ。参勤交代などの折、中山道を通った大名家では「この本陣に
今年も本陣のお雛様と吊るし雛の見学をさせていただきました。日野宿本陣は新撰組の謂れのある建物。そういう思いを馳せての楽しみ方もある場所となっています。
草津宿ポケットパーク滋賀県草津市渋川1丁目1西日本旅客鉄道東海道本線、草津線の停車駅の一つである草津駅前にある広場。草津宿とは江戸時代、近江国栗太郡にあった東海道五十三次の52番目の宿場町。周辺には本陣が現存し、国の史跡にも指定。
この日も部下3号とランチを食べにオフィスを出ました。何を食べようか車を走らせながら考えます。何となく北光線を目指しているとこのお店が思い浮かんで食べることにしましたよ~(^。^)そば処本陣本店住所:札幌市東区北9条東8丁目1−5高コスパのメニューが豊富な本陣です(^_^)/前回食べに来たのが1月中旬(こちら)なので約1ヶ月ぶりの入店になります。お店に入るといつもの元気なお姉さんが『あら!いらっしゃい~ホイっ!』と言ってお茶を持ってきてくれました。何食べようかな・・・や
イベントのお知らせ陶芸大好き仲間が展示販売会します。日時2024/04/06・0710:00~16:00(最終日15:00)場所しらさぎ本陣只今絶賛作陶中‼️どんな作品が並ぶやら…🤣皆様のお越しを一同首を長~くしてお待ちしてます。しらさぎ本陣ではお食事もどうぞ🍚早咲きの桜が咲き始めました。梅と桜の饗宴ですね。
「西国街道」とは、京都(東寺口)から大山崎、高槻等、淀川右岸を通り、大坂を経ないで西国(下関、九州まで)へ至る江戸時代の重要な幹線道路のことで、京都から西宮までのルートは別名“山崎通”とも呼ばれていました。令和5年は、神戸三宮から京都(東寺口)まで歩きます。↓ウォーキングマップはこちら↓https://www.rekishikaido.gr.jp/aruku/saigoku/街道をあるく-西国街道-|歴史街道www.rekishikaido.gr.jp進みます。この辺りに瀬川・半
高校生の頃、ここが旨かったのよ。衣笠駅前そば処本陣。何が旨いって、カレーそば。ちょいと衣笠に電車で行く用事がありまして…お腹をすかせていざ、入店。高校生の頃、友人の家やボーリング(今はマンションとなっている場所にAボールってのがあったのよ)に行ったら、寄っていたカウンターだけのお蕎麦屋さん。入ってみたものの、店の雰囲気、全く記憶がない…旨かったのは、ちょっと辛めのカレーそば。その記憶を甦らせるためにもカレーそばのオーダーです。券売機には、肉をプラスしたカレーそばもあったけど、高
瑞光寺から延命寺に向かうと、延命寺の裏から回り込んで山門へ向かうことになるのですが、延命寺の北側に、僕の好奇心をくすぐりまくってくれる潜り戸を見つけてしまって、裏からお邪魔させて頂きました(笑)裏から境内に入ってしまったので、最初に本堂です。こちらの軒下にも大きな幕板が垂れ下がっていて、いつも見る本堂とは違いますね。要塞みたいです(☆∀☆)幕板の裏側と軒下先ほどの瑞光寺と同じく、延命寺の境内にも大きな鬼瓦が梅の木の隣に飾られてます。で、最後に山門です。こちらの山門は川北本陣から移築さ
本陣とは、参勤交代の大名や公家、公用の幕臣が利用した宿泊施設。伊藤本陣跡は、その宿泊施設の店部分だけが残ってるみたいです。今でも宿泊出来るんでしょうか?凄く中を見たいです。
中村区の松原幼稚園に入園→本陣小学校→笈瀬中学校と進んで行った。
東海道五十三次13番目の宿場で、沼津市原に標柱などが建てられ、植松家の庭園だった帯笑園が残るが、市街地化により街道の風情は失われている。因みに、本陣を営んだ渡邊家は阿野全成の子孫とされる。
【スタンプ】道の駅山陽道やかげ宿岡山県小田郡矢掛町梅鉢紋は、旧矢掛本陣石井家の家紋。矢掛町は、旧山陽道の宿場町。本陣と脇本陣の両方が残るのは珍しい。2021年にできた新しい道の駅です。駐車場の反対側の入口【矢掛町】旧山陽道本陣通り国重要文化財旧矢掛本陣石井家住宅国重要文化財旧矢掛脇本陣高草家住宅本陣と脇本陣の両方残っているのは珍しい。
私の思い出の地玉造が…実は大坂の陣の舞台であり真田丸があった場所だったと知ると…やっぱり見ておきたかったのが…徳川家康の本陣茶臼山⛰️茶臼山は、天王寺駅なので…環状線で行くと玉造駅から、4つ目の距離🛤️天王寺駅は…乗り換えでは時々利用したことがあったけど駅の外を歩いたことはほとんどなかったので…地図を見ながら茶臼山までいきました🚶📖私…知らなかったんですが…冬の陣で…徳川家康の本陣があったこの場所遂に豊臣が倒れてしまった夏の陣では…真田幸村の本陣があ
まだ昨年末のことではあるが、つれあいをとある日、病院に車で送った。別に体が悪いのではなく、予後の検査で定期的に衣笠の病院へ通っているのである。検査が終わるまでの待ち時間、私の楽しみは衣笠の商店街をぶらぶらとすることと駅のロータリィに面している正に「路面店」な蕎麦屋「本陣」で蕎麦を喰うこと。この店はもう私が高校生の時にはあったからおそらく50年近く(以上?)の歴史のある蕎麦屋。駅の立ち食いそばレベルかというとそうでもなく、町の蕎麦屋のレベルかというとそうでもなく・・・いや、手打
最上稲荷の本堂は靴を脱いでかなり離れた場所から入らないといけないのでしかも優良だったと思います。今回は断念しました。代わりに本堂の右横の石碑や建物を見て来ました。前回訪問時も気づいていましたが、戦国時代の秀吉の高松城水攻めの時に最初に陣を張った場所がこの山の方になるそうです。ここを訪問後今回はそちらも訪ねてみたいと思います。妙見堂・秀吉本陣(一の丸)という標識があります。ここもまた次回に見てこようと思います。昔はケーブルカーで山頂まで行けたみ
名古屋市栄中日文化センターの東海道巡り講座で東海道宮宿の街道ウォーキングに参加してきました。現在の名古屋市熱田区の熱田神宮周辺に江戸時代の東海道最大の宿場・宮宿がありました。あまりに大きすぎて本陣も2つあり、そのひとつがひつまぶしで有名な熱田蓬莱軒がある辺りです。本陣の看板熱田蓬莱軒の駐車場に名古屋市教育委員会の案内看板があります。これにも書いてありますが、東海道の最大宿場だった宮宿には赤本陣と白本陣の2つがあり、その赤本陣の跡地に熱田蓬莱軒本店があるのです。蓬莱軒本店
【問題】長谷堂城の戦いで、直江兼続が本陣を置いたとされるのは、次のうちどこか?【選択肢】念力寺小滝館菅沢山馬牽原【正解】菅沢山【解説】慶長5年(1600)の長谷堂城の戦いで攻城軍を率いた兼続は、城の北方にある菅沢山に本陣を置いたとされる。城の北端の帯曲輪群からは、菅沢山を望むことができる。
仕事の途中で寄りました。平日の昼に昼食用に購入です。・菜おにぎり、¥150ネーミングが変わっていて、名前だけだとわからない(笑)と思いました。菜葉にほんのりとした味がついて、つまりこの味は「漬け物」です。この菜はおにぎりに合います。<「菜おにぎり」パッケージ(中の撮影忘れました)>ここのおにぎりは「お米屋さん」のおにぎりということで、お米自体がとても美味しいです。おにぎりで「米が美味しい」ことは当然ですが、他のお店はそうではありませんね。ここのおにぎりを食べるとコンビニのおにぎ
次に向かったのは、道の駅・しんあさひ風車村に向かいます。琵琶湖西岸へ向かって、北上すると到着。所が、道の駅記念切符もカードも取り扱いなし。仕方がないので、とりあえず国道162号線に戻ります。先ほどの地図ですが、たまたま西へ向かってる時に、案内板に〝朽木”という文字が。後から分かったのですが、この青線のルートでした。初めて走るので、峠道はいやだなとは思いつつ先へ先へと。すると
〈あの頃のマッチは素敵でした。その1261〉東海道五拾三次之内関本陣早立株式会社工業組廣重画#マッチ#燐寸#マルカ川島商店#マッチ#東海道五拾三次之内#関#本陣早立#三重県亀山市#鈴鹿の関#三関#立札の画面はみ出し#株式会社工業組#歌川広重#廣重画