こうして事物の真の本質があらわれ、その本質はいまやつぎのように規定されていることになる。すなわち、当の本質は直接に意識に対して存在しているのではなく、意識は内なるものに対して間接的な関係にある、ということである。つまり意識は悟性として、力のたわむれというこの媒語をとおして、事物の真の背後を窺っているのだ。この媒語が、ふたつの極つまり悟性と内なるものを推理的に連結する。この中間項が力の展開された存在であって、当の存在は悟性自身にとってもいまや一箇の消失することにほかならない。この存在はそれゆえ現象