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【送料無料】織田一の男、丹羽長秀/佐々木功楽天市場丹羽長秀のことは秀吉が名前をもらった人、としか覚えていませんでした。そして「信長公記」を書いた太田牛一は、武士ですらないと思っていました。本能寺の変の後は、割とあっさりと秀吉が天下を取った、とも思っていたのですが、なかなかの駆け引きがあったことがよくわかりました。信長が既に隠居の身であったこと。清洲会議の際に、三法師が担がれた理由が別の面から理解できました。池田恒興、柴田勝家がそれぞれ、信長だけを信奉していたこと。と
最近、曲作りにハマっていて、曲作りのペースにブログ記事作成ペースが追いついていません。(曲の構想)Introにホラ貝が響き渡る→刀が打ち合う音が鳴り響く→「撃て〜」という怒号で銃が一斉に放たれる→「敵将、討ち取ったり〜」という内容から始まる曲です。一言で括ると、「交響歴史スペクタクル・ファンタジー」だそうです。このように書くと、血湧き肉躍るような内容に見えますが、争いがなくなる世の流れを描く曲にしたいと考えています。実は、史実は逆だという話があります。信長、秀吉、家康
羽柴秀吉は、尼子勝久を擁する、山中鹿介幸盛等、織田家に属していた、尼子氏再興軍に上月城の防衛を任せた。1579年、上月城を巡る毛、利氏との攻防の末に、備前・美作の宇喜多直家を服属させ、毛利氏との争いを有利に進めたが、摂津国の荒木村重が、反旗を翻したため、秀吉の中国経略は、一時、中断を余儀なくされたのである。羽柴秀吉には、1579年代、長浜城主の時代に、最初の子、石松丸が、生まれたとされる。石松丸の母は、側室の「南殿」と伝えられる。石松丸は、羽柴秀勝の名を与えられたが、その生涯は
先日図書館で借りてきてここに載せていなかった本たち。「星の王子さま」2冊は、文庫で読んだ作品がイマイチ理解できなかったのが悔しくて参考になればと思ったのですが、作品そのものが私の感性と違ったかなーと思い始めたので、パラパラめくった程度で返却しました😅本能寺の変は、「本能寺の変431年目の真実」を読了したあと、BS放送で織田信長の事を取り上げた番組で紹介されていたので借りました。『乙夜之書物』という書物に書かれた本能寺の変の出来事についての記述が今まで語り継がれてきた史実とは違っており、新
6月24日(水)喜楽館【桂文太☆人間国宝への道】に出演させていただきます🌸✨以外詳細です(≧∇≦)/桂文りん「studyしまっせ大阪弁(桂三枝:作)」桂文太「へっつい盗人」旭堂南鈴「本能寺の変(講談)」桂文太「愛宕山」仲入り桂文太「袈裟茶屋」※4/24(金)チケット発売開演:18時30分(開場18時)料金:前売2,000円当日2,500円席種:指定席お問い合わせ先:神戸新開地・喜楽館(078-335-7088)注意事項
『本能寺から始める信長との天下統一6』は、戦国時代の戦略と人間ドラマが絡み合う魅力的な作品です。シリーズの第6弾となる本作は、歴史ファンや戦国時代に興味のある読者だけでなく、キャラクターの成長や物語の深さを楽しみたい方々にも十分に楽しめる内容となっています。このブログ記事では、その魅力を余すところなく紹介し、なぜ本作がこれほどまでに多くの読者に支持されているのかを解説していきます。本能寺から始める信長との天下統一6(電撃コミックスNEXT)[常陸之介寛浩]楽天市場
夏日だった昨日と比べ、曇天で気温も高くなくお出かけにちょうど良い陽気でした。京、鎌倉、伊勢を結ぶ交通の要所であった清洲は尾張国の中心地でした。1555年、織田信長が入城。桶狭間の戦いに勝利して天下統一への一歩を踏み出しました。その頃はまだ守護の館でした。信長が本能寺の変で没した後の後継者を決める清洲会議を経て、城主は次男の信雄に。信雄によって城は天守を備え、町も大改修されて過去最大の城郭都市になりました。まず橋を渡って城の反対側に川沿いに少し下ると信長と濃姫の
今回はこういうお題でいきます。怖い日本史のカテゴリですね。ただこれ、いちおう言葉の定義はされてはいるものの、その事件の解釈は学者によっても微妙に違うし、けっこうあいまいなものなんです。ただ、曖昧ではまずいですよね。それで無理矢理に決めたという一面もあるんです。これについては後で自分の考えを述べます。まずはそれぞの定義を見ていきましょう。「乱」というのは「壬申の乱」が一番有名なのかな。それとも「応仁の乱」かな?それはわかりませんが、基本的には大規模な内乱のことを指します。また
「中国大返し」は奇跡のように言われますが、実際には、秀吉と少数の親衛隊のみが馬で駆けて戻ってきただけで、大半の兵は後ろに置き去りにされていたんです。じゃあ、山崎で決戦した兵隊はどっから沸いて出てきたのかというと、四国征伐に出発しようとしていた織田信孝、丹羽長秀の率いる部隊を、途中で吸収しただけなんです。なので、山崎合戦の名目上の大将は信孝です。しかしここが秀吉の宣伝戦の絶妙なところで、まるで毛利と戦っていた軍団がまるごと戻ってきたかのように見せかけることによって、「秀吉はスーパーマンか」と人
西山本門寺にある織田信長の首塚京都府京都市上京区鶴山町14(阿弥陀寺)静岡県富士宮市西山671(西山本門寺)コロナ禍、2冊の本に出会った。織田信長、「本能寺の変」の背景、亡骸の行方、推理本デス。この分野、楽しい。亡骸の行方は今以て謎・・・通説:「本能寺の変」での織田信長。寝込みを襲われ、宿舎の本能寺が明智光秀軍に包囲されたことを悟ると、寺に火を放ち、自害した。明智勢は信長の遺体を探したが見つからず、捕虜を尋問しても行方知れず。数日間、生存説も(故意に?)流れていた。以後、ネタ
月に一冊の司馬遼太郎。今月は「太閤記(下)」を読了しました。一言でいうと、やっぱり秀吉は面白い。まさに人たらし的な部分が一番読んでいて楽しい。下巻では、前半に本能寺の変で信長が殺されます。ときに、秀吉は高松城で戦っています。毛利と向き合う日々。水攻めにして戦わずして勝つ、その終盤に変報が入る。そこから、毛利側には信長が殺されたことを漏らさずに、実に巧妙に対応します。やっぱり読み応えあります。次の人たらしは、信長亡き後、誰が信長の跡目になるか、ここでも三歳の三法師を
先日…リサイクルショップに…またまたお買い物に行ってきましたっ!の続き…先日といっても…またまた…2か月ほど前の2月下旬のお話だけど…時は2月下旬…そろそろ春物とかがあれば欲しいかな…っと…燃えるような深紅のワンピースを見つけて…つい…こゆのをイメージしてしまった…いや…アリスメイドは関係ないんだけど…そっ!このワンピース…Gジャンと合わせれば着れないこともないんだけど…そう…もう少しスカートが短かったら…550円って…めちゃ安な
14人目穴山玄蕃頭信君あなやまげんばのかみのぶただ読み方が難しすぎる上に変換できない名前です。この方は当初武田家に支えていたようですが、長篠の戦い前後から少しづつ離反していったようです。この戦で敗退した武田勝頼を救った高坂弾正は、のちに「五箇条の献策」と呼ばれるものの中に穴山氏の切腹を述べている所から、このころは武田家に仕えていたとはいえないかもしれません。その後徳川に付いた穴山氏は、本能寺の変の折、大阪から京都への移動中、殺害されてしまったようです。
🔶第9回はれほぐ琵琶の会ひとつの謀反から、連なっていく最期――明智光秀、本能寺にて織田信長を討つ。やがて羽柴秀吉が中国大返し。山崎の戦いで光秀を討ち、時代は大きく動きます。その報を受け、光秀の重臣・明智左馬之助は留守を守っていた安土城を出て、坂本城へ――主の妻子を守るためか、あるいは共に果てるためか。城に火をかけ、自らもその炎の中へと消えていきます。「本能寺」そして「湖水乗切」終わりが、次の終わりへとつながっていく二つの物語。琵琶の音とともにお届けします。⸻📅令和8
今日の歴史の一幕1612年僧天海が徳川家康と会見天海は、徳川家康の側近として、江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策に深く関与した。その出自の曖昧さもあり小説等で出てくる説として天海が足利将軍家12代足利義晴の子という説や本能寺の変で織田信長を討ち、山崎の戦いの後土民の落ち武者狩りに遭い自刃したとされる明智光秀と同一人物という説がある(墓所である日光に「明智平」という場所があることなどが根拠に挙げられることが多い)。この説は明治時代の作家、須藤光暉が唱えだしたもので、明智光秀の子孫と称する明智滝
3/4。名古屋市、清須市の歴史散策で、清須城の中に入って、さらに上の階へ登りました。3階覇者たちのルーツ・清須ゾーン・・・清須が育んだ先人達の偉業にふれる楽市楽座かぁ。いろんな商品が流通したんですね。岐阜の町は栄えたんですね。スポーツ新聞の記事のように書かれれているんですね。あらら、こんな記事もありますね。わぁー!本能寺の変も当時、新聞があったら、こんな風に書かれたんでしょうね
B662−006豊臣秀長についてサーチ透視!豊臣秀長についてサーチ透視!2026年(令和8年)1月3日公開新年明けましておめでとうございます!本年も宜しくお願い致します。今年から霊視→サーチ透視と名称変更しました。はじめに明日1月4日から始まるNHK大河ドラマ”豊臣兄弟”主役の豊臣秀長についてサーチ透視調査。サーチ透視とはニュータイプ(霊能者、超能力者)のテレパシーによる調査の事。織田信長と豊臣兄弟が出会った勝幡城織田家三代が
京阪奈国宝まつり1622025年6月13日『唐獅子図屏風』の歴史的背景は桃山時代の豪華絢爛な文化や、戦国大名たちの権威の象徴としての役割を深く反映しています。この屏風は安土桃山時代を代表する画家、狩野永徳によって制作されました。彼は織田信長や豊臣秀吉など当時の天下人たちのために多くの障壁画を描きました。特に『唐獅子図屏風』は、大阪城や聚楽第などの城や豪邸の内部を飾るための障壁画の一部であったと言われています。その圧倒的なサイズと金箔の華やかな背景は、相手に威圧感を与え、大名の力を
京都寺町の本能寺。法華宗の総本山。本能寺の変であまりに有名ですが、開山以来実に5度の火災に遭っています。よく見ると本能寺の能がヒじゃないでしょう?何度も火災に遭っているのでヒ(火)を嫌いこの字に変えてるのだそうです。阪急河原町駅、地下鉄京都市役所前前から徒歩で行くことが出来ます。
愛知県・知多市城址は、大草公園内に有ります。帰り道に立ち寄った圭那です。と言うことで・・・知多半島の伊勢湾側の北部にある平城。佐治氏の本拠・大野城とは矢田川を挟んで北に位置する。織田信秀の11男で織田信長の弟である織田長益(有楽斎)が築城をしようとして途中で断念した「幻の城」。天正2年(1574年)、この地を有していた佐治信方が長島一向一揆で戦死し、跡継ぎの佐治一成が幼少だったためか、織田信長の弟織田長益(有楽斎)が知多郡を与えられ、大野城を
信長「何故じゃー!天下を…」明智光秀(千葉真一)「織田殿、御覚悟!」と刀を振り抜く信長の刀が折れる!その時の表情。「あ、あ…」情け無い、嘆きの声。信長「うぬに、天下は取れぬ」光秀、一振り。信長「あ、あ、あー」と叫びながら、絶命…その一報を聞いた、秀吉「嫌じゃー、嘘だー!」子供のように泣きじゃくる、秀吉。今までに見たことない本能寺の変の描き方…面白い。↓押してくれたら嬉しいです↓にほんブログ村
4月7日火曜日大河ドラマ「豊臣兄弟」主要登場人物宮部継潤(ドンペイ)宮部継潤(みやべけいじゅん)戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。近江国宮部城城主、のち但馬国豊岡城城主、因幡国鳥取城城主。宮部中務卿法印、中務卿法印。土肥真舜の子として生まれる。天文5年(1536年)、比叡山に登って行栄坊という僧に師事し、剃髪して善祥坊と称した。その後、比叡山を下りて近江国浅井郡宮部村の湯次神社の社僧、宮部清潤のもとに身を寄せて継潤と称した。その名
🦋本能寺の変は朝廷の陰謀だった❣️2026/04/07高校生のブログ壬申の乱(じんしんのらん)で蘇我一族を排除したのも朝廷の陰謀だとわかりました❣️※壬申の乱は外国要人を招いて行事を行なっている最中に刃傷沙汰(にんじょうざた)をやらかしました。教科書のイラストにあります。朝廷の支配者の椅子を狙う者は悉(ことごと)くやられます。斎藤道三もやんわりとやられましたね。織田信長は安土城に天皇家(朝廷)を持ってくる予定でした(ネット情報)
こんばんは、mmm(まーママ)です。3月12日(木)滋賀県近江八幡市の観光を終えて次の目的地へ。スーパーマツモト荒塚店でペットボトルのお茶を購入して、18:00こちらに到着しました。道の駅ガレリアかめおか京都府亀岡市余部町宝久保1-1駐車場のうち、平面駐車場の一部および地下駐車場は、22時から翌朝9時まで閉鎖です。尚、こちらの道の駅は、道の駅と生涯学習の複合施設となってます。トイレ横は、物産市場、建物正面は亀岡
✨泉雄典さん・あすかさん主催✨脳改革講座THEGATE1期生✨泉あすかさん主催✨投資コミュニティRevolution5期生めぐむですどうぞよろしくお願いします裏切られた…と思う瞬間、ありませんか?自動販売機でお茶を買って「あったか〜い」を押したつもりが出てきたのは、まさかの冷たいお茶「やられた!」思わず舌打ちしそうになる、あの感じでもこれ、本当はただの自分の思い込み💦ちゃんと確認しなかっただけなのにそのミスを認めるのがちょっと悔しくて「裏切られたこと」にして
19時にお客さんと待ち合わせ。他に用事あり、早めに着いたは良いんだけど…17時半、めっちゃお腹空いて…いや尋常じゃないくらいの空腹で…発見したたこ焼き屋。12個入りを発注。柔らかい…生地?の旨みも控えめで、何個でもイケる系。いや!腹減ってたからカモしれません。店の中で食べれてしばらくして散策した。美味そうなハンバーガー屋を発見!おお、チャオメンの前に更にハンバーガーはアカン…っと…ここの麻婆豆腐が気に入ったと…辛いのは得意じゃ無いが…突き出しのワカメのナニモノカ。汁が美味い。へ?
TVer配信「仮面の忍者赤影」横山光輝原作の同名コミックのドラマ化いうまでもなく私が子供の頃大ヒットしたテレビ時代劇のリメイク版正直。びっくりするほどよかったリメイク版というのはたいてい違和感が残るもの金目教編を本能寺の変と絡めて書き直した脚本主人公赤影、青影、そして甲賀幻妖斉のキャラが立ってる凝っているのは傀儡陣内という甲賀忍者が明智光秀にすりかわって本能寺で信長を殺すというプロットこの番組を見るきっかけになったのは山本千尋さんが闇姫を演じると知っ
誓願寺の次は東寺に移動しようと思い、商店街を歩いていると…そうだ…この商店街には本能寺があるんだった!😳閉門12分前だったけど、寄らせて貰う事に…山門前に行き、入り直します本能寺の山門と日蓮聖人像本能寺の寺号標縁起案内板本堂法華宗本門流大本山の本能寺は、本能寺の変の舞台で知られ、天正19年(1591年)豊臣秀吉により現在の地へ移転させられました天正20年(1592年)伽藍が落成された時は広大な寺領でした元和元年(1615年)江戸幕府より40石の朱印を賜り、末寺は92もある大
歴史のif歴史にifはありえないけれど、もしそうだったらと考えると楽しくなります。今回のifは織田信長が徳川家康のように譜代の家臣を大事にしていれば、本能寺の変は起こらなかっただろうと思います。そして老いることを知っている人が側にいて、それを教えていれば、やはり起こらなかったのではないでしょうか。まぁ、あの天才にそのifを望むのはバカな事だと思いますが、家康にはそれがあったから、長期徳川政権を持つ事ができたと思います。1580年信長は突然佐久間信盛に「19ヶ条の折