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広瀬氏発祥の廣瀬大社の存在広瀬氏族研究所代表です。40数年の研究で広瀬氏族のルーツと歴史の概要を結集した貴重な情報です。金銭(著作権料一億円以上の評価)に換えられない成果です。記事は著作権法により保護されています。転載は出来ません。著作権侵害を確認しましたら、措置します。大切なことは、ご先祖様が何時もお守り頂いているから今日の私が生かされているということです。何よりもご先祖様への感謝の念が大切です。心豊かに行動します。第1.廣瀬大社の縁起と広瀬の祖(縁起祖、氏祖、初代当主)1.広瀬
信親の子・広瀬康述とその一族40数年の研究で広瀬氏族のルーツと歴史の概要を結集した貴重な情報です。金銭(著作権料一億円以上の評価)に換えられない成果です。記事は著作権法により保護されています。転載は出来ません。著作権侵害を確認しましたら、措置します。清和源氏は藤原鎌足の末裔でもあります1.清和源氏宇野氏族広瀬氏の広瀬信親が、広瀬氏の祖です。A.清和源氏宇野氏族広瀬氏の広瀬信親(1160頃~1230頃)は広瀬氏の祖で、清和天皇と藤原鎌足(大織冠)は共に信親の先祖となります。B.信頼性
杉田翔です。同じ事務所所属の増永樹さん出演の演劇集団アトリエッジ【ちはやぶる神の国異聞・本能寺の変】観劇してまいりました。本能寺の変という誰もが(?)ロマンを感じる題材と絵画のような演出のシーンを感じさせていただきました。和装の樹さんキマってるぜぃ!観劇前にオフィスサカイ所属メンバー四方美古都さん、杉田翔、林光哲さん、柘植純一郎さん仲良ぉさせていただきありがたき幸せでござりまするるるぞ!
遺書を兼ねた戦記書簡すでに広瀬兵庫助史料と異なる部分について長浜城歴史博物館へは、その全てをご連絡いたしましたが、同館の展示解説とHP解説には事績の根幹に誤りがあります。広瀬兵庫助に関する古文書3点を所蔵するN氏(東京在住)から同古文書3点の展示寄託を受けた長浜城歴史博物館は、2015年10月に「広瀬兵庫助に関する秀吉文書の発見」として同館館長のマスコミ発表を行い(広瀬兵庫助の出自についての同館誤発表の経緯は、私のブログで公開しています)、同年11月に同館では3点の内の2点を公開展示しました
親戚の娘は本能寺の変(1582年)を「いちごパンツで本能寺」と覚えていると聞き、燃え盛る寺で自ら槍を取り防戦する織田信長に大変申し訳ない気持ちになりました。************昨日、ホームセンターで安価で購入した杉板を車に積みウキウキして帰宅したら、スマホ紛失に気づきホームセンターに電話。店の買い物用ワゴンに置き忘れた様で店員さんが見つけてくれスマホは無事戻ってきた。ホームセンターを2往復してしまったが見つけて下さって感謝。日本で良かったわ(;^_^
比較歴史学、事実を求めて。日本史は日本人研究者の結果を元に、政府の都合の良い表現で書かれてきた。さすがに、日本最古の貨幣は「和同開珎」とは言わなくなったが、(その百年前から貨幣はあった。)天皇が空から降ってきたとも言わなくなった。弥生人はいなかった。(縄文人が担う、弥生文化は特徴がある。アラブっぽい合理的デザイン。豪快な縄目が無く、のっぺりして面白くない。)まだ嘘、作為がはびこっている。縄文時代は無かったことにしようとしている悪意の集団がまだいる。以前に、戦国時代はスペイン、ポルトガ
勝手口のドアが開くのをひたすら待つ猫のもももともと飼い猫だったのだろう今は納屋で一戸建て一人住まいさて、明智光秀の本能寺の変織田信長は紛れもない天才であるが余りにも潔く⁉️この世を去った後半生の活躍を見てみたかったどのような天下を標榜しただろう秀吉がその意を汲みその多くは信長の着想であるとはよく云われるが果たしてどうか過去の歴史観では家康最高、の時期が長く悪辣非道な信長傲慢不遜な狂気の秀吉的なイメージ光秀も悪の信長を討ったという一面を持ち、変がなければ恐ろしい
ひでです。お早うございます。玄蕃尾城は4月12日に行ったお城です。場所:滋賀県城主:柴田氏石高:別称:内中尾山城来歴:この城跡は天下分け目の賤ケ岳の戦いで柴田勝家の本陣となった城です。ことの発端は、本能寺の変で信長が亡くなり、織田家の跡目を決める清須会議でした。そこで主君の仇を売って存在感を高めた秀吉は、信忠の嫡男三法師(信長の長男の長男)を担ぎ出し、正当性を主張しました。当の三法師は3歳でしたが、多数派工作が成功し、三法師が跡目を継ぎ、当面は秀吉が後見することとなりました。その決
刀剣乱舞廻-虚伝燃ゆる本能寺-第5話✨『本能寺の変』へと出陣した山姥切国広・三日月宗近・宗三左文字・不動行光・へし切長谷部・薬研藤四郎✋宗三左文字と不動行光は共に行動していたが、道中ではぐれてしまう💦不動行光を見つけた宗三左文字は刀だった頃の記憶を語るが、そこに時間遡行軍が現れる❗へし切長谷部と薬研藤四郎も合流し迎え撃つ刀剣男士たち👊そこにかつて不動行光と共に在った森蘭丸が通りかかり…。
康述は美濃国広瀬郷40数年の研究で広瀬氏族のルーツと歴史の概要を結集した貴重な情報です。金銭(著作権料一億円以上の評価)に換えられない成果です。記事は著作権法により保護されています。転載は出来ません。著作権侵害を確認しましたら、措置します。広瀬一族の先祖は、広瀬加賀守康述で鎌倉時代初期から代々続く美濃国広瀬郷(岐阜県揖斐郡揖斐川町)の地方豪族の家柄です。清和源氏の末裔と伝えられています。広瀬一族の先祖・広瀬康述は、鎌倉時代初期の1200年に美濃国広瀬郷広瀬村の領地を支配する地位(地頭)が与
今回ご紹介させていただきますのは、コチラです⬇️鯨統一郎さんの、「新・日本の七不思議」です。日本史や世界史の中で、未だに謎とされている諸々の事柄を、主にライターの宮田と研究者の静香があーでもないこーでもないと考察していくシリーズですね。今作も短編集ですが、取り上げられている内容はやはりすごいですよ。原日本人、邪馬台国、万葉集、空海、本能寺の変、写楽、真珠湾攻撃😅何となく、邪馬台国や本能寺の変、写楽などは、確かに謎の多いイメージはありますが、真珠湾攻撃や空海なんてそんなに謎の部分があるの
これは西条の藤棚の隣立派なお城造り個人宅実際に住んでるようだよく見るとアルミのガラス窓が固定資産税、高いのだろうさて、太田牛一信長公記を著した人もともと信長と共に戦場にあり文筆の才を買われ、右筆に本能寺の変以降、秀吉に召され江戸初期まで存命する信長の幼少期こそ見ていないがその後半生は肌身で感じている人これほど確かな歴史書はない太田牛一本人に成って読み解くと数多の真実が見えるようそういう本「信長の棺」加藤廣まだ読了していないが本能寺の変の新説も聞けそうだやは
天海(160)細川忠興は早くから将来を嘱望された武将であった。信長の勧めで15歳のとき、同年齢の明智珠子と結婚したのである。二人の婚礼はまさに美男美女の雛人形のようであったという。忠興は戦国武将としての功名を立てる一方で、利休の高弟としても有名で、まさに文武両道を極めた人物と言ってよかった。しかし一方で、「茶道四祖伝書」では「天下一、気が短い人物」と評されるなど、気性の激しい人物でもあったのだ。本能寺の変が起きて珠子が「謀叛人の娘」になると、忠興は「離縁」し
広瀬郷左衛門景房は、武田家臣から後に徳川家臣40数年の研究で広瀬氏族のルーツと歴史の概要を結集した貴重な情報です。金銭(著作権料一億円以上の評価)に換えられない成果です。記事は著作権法により保護されています。転載は出来ません。著作権侵害を確認しましたら、措置します。広瀬兵庫助の子孫に伝承の広瀬家史料と関連した調査研究から、次のことが判明しています。広瀬康述を頂点とした広瀬一族の活躍が浮かび上がります。この内容は、新情報の公開があります。広瀬兵庫助の先祖となる美濃国広瀬郷(岐阜県)広瀬
昭和の日🎌でした。ハンドボールの告知がなぜか歴史の勉強になる「本能寺の変」が起きた際、織田信長の家臣たちは、どこにいたのかというと、ざっと、全国5カ所に分かれていた、と言っていい。【北陸】柴田勝家、佐々成政、前田利家、佐久間盛政らは、上杉軍を討伐するために、現在の富山県魚津市あたりにいた。【中国】…pic.twitter.com/IbC3WizqBt—動画時代!【公式】(@dougajidai)2024年4月28日本日の結果…楽勝とはいかなかったようだ【試合結果
直伝史料は置き手紙40数年の研究で広瀬氏族のルーツと歴史の概要を結集した貴重な情報です。金銭(著作権一億円以上の評価あり)に換えられない成果です。高齢化により療養中です。記事は著作権法により保護されています。転載は出来ません。著作権侵害を確認しましたら、措置します1.広瀬兵庫助から直伝の「広瀬家史料」は、後継の広瀬家一族への「置き手紙」です。広瀬兵庫助の苦難と活躍のリアルな一生が記されています。兵庫助本人しか知らない生の記録です。この広瀬兵庫助の事績の解明には約40年の年月を費やし
英傑の日本史激闘織田軍団編(角川文庫)Amazon(アマゾン)英傑の日本史激闘織田軍団編井沢元彦あらすじ「本能寺の変」で得をした前田利家、徹底して秀吉に逆らい「悪人」となった佐々成政、信長を残忍な男に変えた浅井長政――。波瀾に満ちた男たちのドラマに迫り、勝者が敗者を書き記す歴史の虚実を読む!グッときたポイント井沢元彦の歴史シリーズ。今回は織田信長を取り巻く人物を解説する。人物毎に解説すると、その裏の歴史が見えてきて大変面白い。本書を見るに、勢いの良かった『織田軍団』
どん底から生き残る強い心広瀬氏族研究所代表です。40数年の研究で広瀬氏族のルーツと歴史の概要を結集した貴重な情報です。金銭(著作権一億円以上の評価あり)に換えられない成果です。記事は著作権法により保護されています。転載は出来ません。著作権侵害を確認しましたら、措置します。心豊かに行動したいと思います。大切なことは、ご先祖様が何時もお守り頂いているから今日の私が生かされているということです。何よりもご先祖様への感謝の念が大切です。広瀬兵庫助の祖父から三代(祖父の康利・父の康則・兵庫助)
週に一回、山へ行く日。できればトレランで!2回目ですが、いつまで続くかわかりません💦こちら京都のヨーゼフです。今日は太閤道!この道は本能寺の変のあと、豊臣秀吉が明智光秀をうつため、通ったとされる道です。時間がないので、一部を視察。ゆくゆくは天王山から高槻まで、行く予定です。スタートは阪急水無瀬駅。予定では水無瀬駅から反時計回りで水無瀬駅に戻ってくるはずでしたが、時計回りに行って、大山崎町、そして、あわよくば自宅まで帰るに予定変更。ガーミンに、反時計回りのコ
■本能寺から始める信長との天下統一https://comic-walker.com/detail/KC_000176_S/episodes/KC_0001760000100011_E※期間限定1~3話無料漫画Amebaブログの広告から飛んだのですがうまく貼れてない…リンク先の漫画は題名通りの内容なのですが、陰陽師の家系で剣術も免許皆伝の現代高校生が旅行先でタイムスリップして本能寺の変に遭遇。信長の命を救って…というお話ですね。まぁ現代知識や俺強ェで戦国成り上がりハー
続きましては創作芝居「本能寺の変」をご紹介します。時代劇ファンなら一度は信長になりたいという夢を見ることでしょう。写真好きな私にはこのまたとないチャンス。モノクロームで黒沢映画のように撮ってみたいと。桔川さん、熨斗さんのご紹介はこちらをご覧ください。『初公演の出演者桔川範之さん熨斗ひかりさん』今回は2020年からレッスンに参加していただいている桔川範行さんをご紹介します。お歌やサックス、三線といった音楽が趣味の桔川さんが通い始めたきっかけは歌の…ameb
先日、日本代表として、マレーシアで開催された世界大会『Mrs.InternationalGlobal2024GrandFinal』に参加された、山内京子さんが出演された舞台を拝見しました《ちはやぶる神の国》明智光秀が、織田信長を倒す、『本能寺の変』についての舞台ですが、こちらの脚本では、織田信長が、内密に明智光秀に自分を殺すように依頼し、明智光秀が、信長のお願いであれば、引き受けようと言う事でこの大きな戦をお越すというストーリー…よく、度々耳にしますが、学校の教科書に
【祭GALA4/25夜】信長本能寺の変なのかなー?記憶の欠落が酷い殺陣が言うまでもなくかっこよかった。みぁちゃんのSANEMORIを思い出したり奈落に堕ちるシーンも歌舞伎を思い出したりしたキレや余裕や華やかさなどなど素晴らしかったちかりん@chawanmushi130:23
岩本屋は康述末裔の惟然の実家40数年の研究で広瀬氏族のルーツと歴史の概要を結集した貴重な情報です。金銭(著作権料一億円以上の評価)に換えられない成果です。記事は著作権法により保護されています。転載は出来ません。著作権侵害を確認しましたら、措置します。1.美濃国広瀬郷(岐阜県揖斐郡揖斐川町)に在住した広瀬一族の初代当主・広瀬加賀守康述の末裔にあたる第14代当主は広瀬康平です。康平の弟・安周(号・安近)は甲斐国(山梨県)の八代郡小石和の地へ移り、広瀬村を形成して活躍した人物です。2.康平の
朝から車を庭で手洗いしました。シエンタになってから、車を洗ったのは初めて。独身時代は手洗い当たり前の時代で、ワックスもせっせとかけたものですが、最近はコート仕上げとかで、ワックスいらずです。、4ヶ月ぶりのお風呂にかりんちゃんはビカビカになりました。あちこち小さい傷まみれですけどね。😂当然ですが。。。ぐったりなわけで。。。疲れすぎてリセット昼寝のあとも回復せず。あまりにもカビまみれな洗面器とバスチェアが酷くて、オキシ漬けしても、落ちない😭更にカビキラーまいて、たわしでゴシゴシ。。。夕方で
こんにちはー晴れてますー暑い💦週間天気予報では今週土曜日に雨降りそうだなーなんとか耕せるくらいに収まるとよいねー畑のことは特にないので信長さん情報ですね。『信長公記』の筆者は太田牛一さんです。信長さんの家来なので同時期にリアルタイムで信長さん情報を見聞きし記録しているのでかなり確度が高い資料です。なんならこれ以外の資料は今の所あやしいということです。江戸時代の歌舞伎で取り上げられていた題材とか、大河ドラマや映画、ゲームなどで今の信長さんイメージがついた感じですね。それで本能寺で
源有治の長男広瀬信親は大和国へ40数年の研究で広瀬氏族のルーツと歴史の概要を結集した貴重な情報です。金銭(著作権料一億円以上の評価)に換えられない成果です。記事は著作権法により保護されています。転載は出来ません。著作権侵害を確認しましたら、措置します。1.広瀬氏発祥の神社・廣瀬大社(奈良県北葛飾郡河合町)の存在は、源(宇野)有治の長男・広瀬信親が統治者から拝領支配した大和国広瀬郡(奈良県北葛飾郡河合町)にありますので、広瀬一族の研究当初から注目していました。廣瀬大社との縁について次の通り
誤認記事がインターネット上で拡散されており残念すでに広瀬兵庫助史料と異なる部分について長浜城歴史博物館へは、その全てをご連絡いたしましたが、同館の展示解説とHP解説には事績の根幹に誤りがあります。1.長浜城歴史博物館は、2015年10月に広瀬兵庫助に関する報道発表をしましたが、伝聞に基づく記述の文献(豊鑑、東浅井郡志)や歴史学者や歴史家の推定仮説を引用したための誤発表でした。2.私は、2008年頃から長浜城歴史博物館へ情報提供をしていますが、広瀬家代々の直伝の史料を信頼せず、提供情
安土城跡滋賀県近江八幡市令和5年(2023年)12月27日㈬撮影安土城跡である標高198mの安土山に登っています。安土城中枢部への入口である黒鉄門跡、天主跡・本丸跡は近い*コチラの記事の続きです。『安土城跡2️⃣滋賀県近江八幡市安土町』安土城跡滋賀県近江八幡市令和5年(2023年)12月27日㈬撮影安土城跡の大手口に来ました。この先の安土山へ向かう道へは拝観料が必要、奥に見えるのは拝観受付…ameblo.jp『安土城跡1️⃣滋賀県近江八幡市安土町』安土城跡滋賀県近江
本能寺の変光秀は本能寺にいなかった殺人者つまり加害者は、殺された人間の、殺された現場にいなければならないことに、<密室の殺人>という例外を除いては推理小説でも、これは決まっている。ところが、信長殺しに限っては、被害者の側に光秀がいた形跡は全くないのである。殺害された日時は、今の暦なら七月一日だが、当時は太陰暦なので六月二日に当たる。時刻は、夜明け前というから、午前四時とみて、それから出火炎上する午前七時から七時半までの間。推定で計算すると、およそ三時間半の長時間であるが