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長男の学校での12月の課題図書でした。ドラマがとても有名ですね!1リットルの涙postedwithヨメレバ木藤亜也幻冬舎2005年02月15歳の夏、恐ろしい病魔が少女から青春を奪った。数々の苦難が襲いかかる中、日記を書き続けることが生きる支えだった。最期まで懸命に生きた少女の言葉が綴られたベストセラー。私はこの本を読んでとても感動しました。この本は、難病を抱える少女、亜也が自分の持っている進行性の病気、脊髄小脳変性症が進んで行くうちに自分と自分の周りの人との間
※BGMでも聴きながらお読み下さい。K『OnlyHuman』皆さんは木藤亜也さんが書いた「一リットルの涙」という本や映画、フジTVドラマをご存じだろうか?かなり前で僕は仕事で忙しくリアルタイムでは映画もドラマも観てはいませんが、映画は木藤亜也さんの書いた本「1リットルの涙」と母親の潮香さんの書いた本を元にして制作されていますが、ドラマの方は著書にない恋人役の男性クラスメート
1リットルの涙は2005年、これは2007年亜也が亡くなった半年後のアフターストーリー麻生くんは医者になり、受け持ちの女の子が亜也と同じ病気女の子は病気受け入れられずリハビリ拒否ある患者から読めよと池内亜也の手記本を渡されるそれを読んで麻生先生と亜也の思い出を話す病院の屋上で、麻生先生が亜也の思い出を回想シーンで見せてくれるそれに感化されてリハビリを受ける気になった女の子最後は「私は生きている」という亜也のセリフで廊下のカットで終わり残された人達の心の中、同じ病気を持つ人た
懐かしいな、本#本#小説#小説本#1リットルの涙#難病と闘い続ける少女亜也の日記#亜也の日記#木藤亜也
※BGMでも聴きながらお読み下さい。「365日の紙飛行機」AKB48皆さんは木藤亜也さんが書いた「一リットルの涙」という本や映画、フジTVドラマをご存じだろうか?かなり前で僕は仕事で忙しくリアルタイムでは映画もドラマも観てはいませんが、映画は木藤亜也さんの書いた本「1リットルの涙」と母親の潮香さんの書いた本を元にして制作されていますが、ドラマの方は著書にない恋人役の男性ク
※BGMでも聴きながらお読み下さい。K『OnlyHuman』皆さんは木藤亜也さんが書いた「一リットルの涙」という本や映画、フジTVドラマをご存じだろうか?かなり前で僕は仕事で忙しくリアルタイムでは映画もドラマも観てはいませんが、映画は木藤亜也さんの書いた本「1リットルの涙」と母親の潮香さんの書いた本を元にして制作されていますが、ドラマの方は著書にない恋人役の男性クラス
こちらのTwitterを拝見致しましたので、ちょっと😊木藤亜也さん!貴女が亡くなって35年が経とうとしてます!1リットルの涙の主人公の人です!14歳の時に脊髄小脳変性症を発症し25歳でこの世を去りました!貴女も一生懸命生きようと頑張ってましたね!私は何のために生きてるのか!貴女の言葉、思いは僕の胸の中で今も生きてますよ!どうか安らかに…pic.twitter.com/v3ODfeSo8j—おじちゃん(@Ogichan19670102)2023年2月12日木藤亜也さんの残した言葉
※BGMでも聴きながらお読み下さい。K『OnlyHuman』皆さんは木藤亜也さんが書いた「一リットルの涙」という本や映画、フジTVドラマをご存じだろうか?かなり前で僕は仕事で忙しくリアルタイムでは映画もドラマも観てはいませんが、映画は木藤亜也さんの書いた本「1リットルの涙」と母親の潮香さんの書いた本を元にして制作されていますが、ドラマの方は著書にない恋人役の男
『1リットルの涙』木藤亜也著脊髄小脳変性症と闘い続けた木藤亜也さんの日記をもとにした一冊。切実に病気と向き合って、最後まで希望と絶望の葛藤の中に生きた人生。ご本人はどう思われるか分からないけど、ほんとに生きる力が強い、最後の最後まで前向きな言葉を書き続けられたことは、並大抵の精神力ではないです。たくさん考えさせてもらいました。会って話がしてみたかったです。ありがとう。亜也さんの言葉は、これからもずっと響き続けます。
皆様、お疲れ様ですやすらぎアロマ整体院併設ボディークリニック千葉中央院長菅原彰朗です(あきら)2005年にテレビ番組でかなりの高視聴率を、たたき出したオバケ番組で1リットルの涙を、覚えておりますか。沢尻エリカさんが実際に脊髄小脳変性症で亡くなった木藤亜也さん役を、演じた毎回涙涙の実話でした。木藤亜矢さんは、15歳で脊髄小脳変性症になり25歳の若さで亡くなりました!!木藤亜也さん役の沢尻エリカさんがとっても可愛いですね☺💕1リットルの涙YouTube動画脊髄小脳変性症は、小脳
最近読んだ本木藤亜也1リットルの涙読了映画とテレビドラマは見ていたのですが、本を読んでみたくなり読みました引き続き関連本を読む予定です
先日から見続けていた「1リットルの涙」のドラマ。全編見終わった時には、原作本である木藤亜也さんの本が読みたくなり、思わずアマゾンで購入!レミオロメンの曲をBGMに聴きながら、読んでいます。20ccぐらいは泣いてしまいました・・・
___┌木藤亜也氏の年齢1962_00昭和37年1963_01昭和38年1964_02昭和39年1965_03昭和40年1966_04昭和41年1967_051968_061969_07昭和44年1970_08昭和45年1971_091972_101973_111974_121975_13昭和50年1976_141977_151978_161979_171980_181981_191982_201983_211984_221985_
はい、続きです。ついに最終回です。<最終回>亜也さん、嫁ぐ1988年(昭和63年)の5月23日、午前0時55分、両親、妹や弟、ラジカセから流れるクラシック音楽に送られて、難病・脊髄小脳変性症と闘い抜いた亜也さんは25歳と言う若さで生涯を終え、電話も通じない、手紙も届かない天国と言う名の遠い国へ、嫁いでいったのでした。慌ただしくも、静かで安らかかつ厳粛な旅立ちでした。はい、これで「いのちのハードル」プチ朗読企画は終了となります。前回読んだ「1リットルの涙」(総集編を除く)に比べる
はい、ここからは朝と昼に録音した、木藤潮香さんの「いのちのハードル「1リットルの涙」母の手記」のプチ朗読練習です。今日を持って、「いのちのハードル」のプチ朗読企画は完結となります。あと総集編は今回からはやらないことにいたしました。色々作業が大変なのが、やってみてわかったので…。それでは、どうぞ。<パート55>葬儀と言う名の結婚式の準備潮香さんの娘・木藤亜也さん(「1リットルの涙難病と闘い続ける少女亜也の日記」の著者)の自発呼吸が止まってしまい、何とか一命はとりとめたものの、
はい、続きです。娘・亜也さんが1日か2日しか生きられないこと、永遠の別れが近づいていることを悟った、潮香さん。潮香さんは、不謹慎となじられるのを承知で、夫・瑞生さんにあることを必死に訴えます。<パート54>娘を送り出してあげたい!潮香さんは亜也さんがまだ元気だったころ、ある言葉を覚えていました。それは「綺麗に咲いた花のじゅうたんに乗って、好きな音楽を聴きながら静かに送られたい」というもの。その願いを叶えるため、潮香さんは不謹慎と言われるのを覚悟して、娘が生きている間に結
こんにちは。先ほど散歩前にちょっと嫌なことがありました…。まあ、詳しくは言えませんが。「あ、何か嫌なことを言われたんだな」とか「嫌な事されたんだな」って思って下されれば幸いです。さて、ここからは気を取り直して!!朝と昼に録音した、木藤潮香さんの「いのちのハードル「1リットルの涙」母の手記」のプチ朗読練習です。潮香さんの長女・木藤亜也さん(「1リットルの涙難病と闘い続ける少女亜也の日記」の著者)は中学3年生の時に治療法が見つかっていない難病「脊髄小脳変性症」と診断され、苦しみながらも
はい、続きです。子供達が寝静まったある日の深夜、亜也さんの衰弱ぶりにどうしていいかわからなくなってしまった潮香さんは夫・瑞生さんに、泣きながら迫ります。<パート52>夫・瑞生さんの励まし潮香さんが泣きながら迫った時、瑞生さんは妻である潮香さんを励まします。瑞生さんも亜也さんの父親として、当時は潮香さんに負けないくらい、とてもかなりつらかったと思います。ですが、それでも気丈に妻を励ます瑞生さん…かっこいいです。この頃から木藤家の皆は、無言のうちにも緊張が走るようになり、各自の行動・
はい、ここからは朝と昼に録音した、木藤潮香さんの「いのちのハードル「1リットルの涙」母の手記」のプチ朗読練習です。中学3年生の時、治療法が見つかっていない難病「脊髄小脳変性症」と診断された、潮香さんの長女・木藤亜也さん(「1リットルの涙難病と闘い続ける少女亜也の日記」の著者)は、10年間も闘い続けました。しかし、「1リットルの涙」出版後の約1年後、亜也さんの病状は悪化していきました。<パート51>衰弱していく娘脊髄小脳変性症は時が経てば経つほど、亜也さんを蝕んて行く一方。食事
はい、続きです。ある日、笠木透さんが増田さんと言う青年と一緒に、亜也さんの病室を訪れます。<パート50>笠木さんと増田さんがやってきた!笠木さんはとても背が高く、頑丈な体つきで、亜也さんがぶら下がってもびくともしないくらいの体格のいい男性だったそうです。ギターを担当した増田さんは優しい目をした青年だったそうですよ。増田さんのギターに合わせて、笠木さんは「生きてゆこうよ」「私は何のために生きているの」を歌います。歌を聞いた亜也さんは大喜びしていて、口を大きく開けて笑っていたそうです
さて、朝と昼に録音した、木藤潮香さんの「いのちのハードル「1リットルの涙」母の手記」のプチ朗読練習です。今回は笠木透さんと言う人と、潮香さんの娘・木藤亜也さん(「1リットルの涙難病と闘い続ける少女亜也の日記」の著者)とのやり取りです。笠木さんとはどんな人なのでしょうか。<パート49>笠木透さんのこと映画や芝居、コンサートも見る暇もなかった潮香さんは笠木さんのことはあまりよくわかりませんでした。笠木さんは劇団四日市によって「1リットルの涙」が舞台化されたときの歌を、作詞・作曲し
はい、続きです。荒木さんがついに、亜也さんのためのパソコンを完成させて、持ってきました。<パート48>荒木さん特製パソコンで初タイピング&その後荒木さんが持ってきたパソコンで、「お、か、あ、さ、ん」とタイピングできた亜也さんは、大喜びしていました。ですが、亜也さんは病気の進行により、パソコンも使う体力も、文字を打つ力もなくなり、最終的にパソコンはベットの下にしまうことになってしまいました。潮香さんは申し訳ない気持ちでいっぱいになり、荒木さんにそのことを話しましたが…「また良く
はい、それでは朝と昼に録音した、木藤潮香さんの「いのちのハードル「1リットルの涙」母の手記」のプチ朗読練習です。今日は潮香さんの娘・木藤亜也さん(「1リットルの涙難病と闘い続ける少女亜也の日記」の著者)と、豊橋市内の病院で務める歯科技工士の青年・荒川正人さんのやりとりです。ある日、潮香さんは「アマチン」の愛称で知られるラジオパーソナリティー・天野鎮雄さんとアシスタントの森本曜子さんが出演している東海ラジオの番組「アマチンのラジオにおまかせ」という番組に出演しました。当時は大人気のラジオ
はい、続きです。ついに山川さんと亜也さんの対面です。<パート46>山川さんがやってきた!亜也さんが入院している病院を訪ねた山川さん。山川さんは子供時代の話、苦労時代の話など、いろんな話をしてくれました。個人的には「魚はたくさんあったけれど、コロッケがなかなか食べられなかったこと」という話に、ちょっと笑ってしまいました。漁村育ちかつ子供時代の山川さんにとっては、もしかしたらコロッケは高級なご馳走だったのかもしれません。亜也さんと山川さんとのやりとりはまるで、本当の兄妹のようです。
はい、今日も朝と昼に、木藤潮香さんの「いのちのハードル「1リットルの涙」母の手記」をプチ朗読練習して、読む力、滑舌、表現を鍛えてました。この練習、絶対やりたいことに生かすんだ。なので、プチ朗読練習は毎日続けます。さて、今日は潮香さんの長女・木藤亜也さん(「1リットルの涙難病と闘い続ける少女亜也の日記」の著者)と、歌手の山川豊さんとのやりとりです。山川さんは、鳥羽一郎の弟さんです。山川さんと亜也さんとの交流はある日、山川さん本人から連絡がきたことから始まりました。<パート45>男
はい、続きです。須永博士さんと亜也さんとのやり取り、その2。<パート44>娘の分まで歩こうと…ある日の夏、「歩けなくなった亜也ちゃんの分まで歩こう」という思いから、豊橋駅から4キロほど離れた病院まで、歩いてお見舞いにやってきた須永さん。私も何回か、夏に愛知を訪れたことはありますが…愛知の夏も結構暑かったのを覚えています。そんな炎天下の中、亜也さんの分まで歩こうとする須永さん…すごすぎます。ちなみに「1リットルの涙」を出版するにあたって、表紙のタイトル文字と女の子のイラ
はい、ここからは朝と昼に録音した、木藤潮香さんの「いのちのハードル「1リットルの涙」母の手記」のプチ朗読練習。今日は須永博士(すながひろし)さんと、潮香さんの娘・木藤亜也さん(「1リットルの涙難病と闘い続ける少女亜也の日記」の著者)とのやり取りです。ある日、いつものように娘の看病のため、病院へ来た潮香さん。すると一枚のカラフルなイラストのパネルが目に止まります。<パート43>亜也さんと須永博士さん家政婦さんの話を聞いて、須永さんがどんな人かを知った潮香さん。須永さんは日本
はい、続きです。次は山本先生が亜也さんに言った、ありがたい言葉です。<パート41>山本先生の言葉・その2「医師をしている限り、決して亜也ちゃんを見離さないからね」という山本先生の言葉に私はぐっ、と来ました。決して見捨てたり、見離したりしない、って言われたら、どれだけの人の心や体が救われるでしょうか。亜也さんもこの言葉にきっと心も体も救われたでしょう。亜也さんは亡くなる前に、信頼する山本先生に「私と同じ病気で苦しんでいる人のために、脊髄小脳変性症の研究をして、病気の原因