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この間、静御前について取り上げたので、今回はこのお題でいきます。さて、巴御前というと、木曽義仲こと源義仲の愛人(正妻ではなかったようです)であり、日本史上でも珍しい女武者として知られていますね。ただ、巴御前が登場するのは、軍記物語の『平家物語』および『源平盛衰記』のみであり、当時の一次史料や鎌倉幕府編纂書の『吾妻鏡』には出てきていません。ですから、その存在自体、あるいは女武者であったことを疑問視するむきもあります。さて、ここからは『平家物語』から引用してみましょう。「木曾殿は信
大塩八幡宮の続きです本殿の脇道を行きます落ち葉もかわいい🍁本殿の裏手になります天ハ百萬比咩神社イザナミを祀り、かつては玉依姫、倭姫も祀られていたそうです神社巡りを始めた頃、倭姫の伝承のある神社をあちこち巡っていましたが、しばらくご無沙汰してました😅先々週くらいにみぞかつさんのブログを見て、神館神社に参拝したのですが、神館神社も倭姫の巡行地と知りましたみぞかつさんのブログ『神館神社(三重県桑名市)』立坂神社からすぐの神館神社へ神館神社[こうだてじんじゃ]鎮座の地「本社は
白山比咩神社から歩いて20分ほどで金劔宮に至る。白山七社の一つである。白山七社とは、加賀の白山信仰の拠点となる七つの神社で、本宮、金劔宮、三宮、岩本宮の本宮四社と、中宮、別宮、佐羅宮の中宮三社からなる。ただ、対立する豪族の帰依を受けたため、神社同士で戦いを繰り返した。金劔宮は尚武の神として信仰を集め、木曽義仲が1183年倶利伽羅合戦の大勝した時に鞍置馬20頭を奉納している。社殿はガラス面で覆われていた。防雪のためだろう。
2025年10月29日別所温泉の北向観音が64年ぶりにご開帳になった行かない訳にはいかない!😁再来年に善光寺のご開帳があるから、その時と思ったけど、これは行かなきゃ!🏃🏃近江国巡礼、布施弁天東海寺のご開帳と続いていたので、スケジュールが本当にパンパンこれ以上、留守に出来ないので日帰りで公共機関と徒歩で行ける場所をチョイスしながらの巡礼となりました上田駅に止まる6時28分の北陸新幹線はくたかで上田駅経由別所温泉駅へ〜別所温泉駅に8時50分到着急いで、大湯薬師堂に向かいます🏃🏃🏃(
酒のきまたで購入2000円花の酵母使用の少し流行ったシリーズか花らしい女性的な味はなやか甘さでたなびきはすくなく消えていくなるほど美智子さんね
「中山道歩き改定版上松宿から藪原宿まで①」の続きです。木曽福島宿は中山道を歩くだけでは見落としてしまう名所、旧跡がたくさんあります。宿内が複雑で何度も間違えてウロウロしてしまいました。道標ここを左に坂を下ります。この先の芳香堂さん(白い車が止まっている)でそば饅頭を買いました。海老屋さんの角を曲がりくるまや本店で早めの昼食にします。11時前に店に着いたのですが既に5人程並んでいました。11時開店でしたが予約の人が10人ほどいてすぐには入店できません。5
中山道歩き改訂版野尻宿から上松宿まで②の続きです。令和4年5月14日歩いた時間8時間30分(食事30分を含む)歩数48,918歩6:43中津川駅発、7:33上松駅着上松駅前の「広小路」信号交差点を左折し中山道に戻り出発します。Y字路を右に入ります。この坂を上った右角(枡形)に一里塚跡があります。本町一里塚跡説明板によれば「江戸時代には、本町(枡形の街並み)の角を曲がり、中町に入った所の左右に2基の一里塚がありました(碑より30m下方)。一里塚は土
ハンバーガーショップのドレッドヘアーお兄さんのお勧めで急遽参拝した神社白山比咩神社近く金劔宮(きんけんぐう)石川県白山市鶴来日詰町巳118崇神天皇3年(紀元前95年)創建の古社で、白山七社の一つに数えられている。武の神として仰がれ、寿永2年(1183)には倶利伽羅峠(くりからとうげ)の合戦で勝利した木曾義仲がお礼に鞍置馬20頭を奉納。主祭神:瓊々杵尊配神:大國主神・大山咋命・日本武命・事代主神・猿田彦神社頭社号標狛犬手水拝殿参拝者が途切
小諸市の散策を終え、次の目的地は”お隣の街”海野宿”へ向かいます。マイカーで10分ほどの距離ですね。海野宿は寛永2年(1625)に北国街道の宿駅として開設されました。北国街道は、中山道と北陸道を結ぶ重要な街道でした。佐渡で採れた金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代のほか、江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多く立ち寄ったそうです。駐車場がありましたので車を停めます。もちろん無料です。こんなものも吊り下げられていました。そうか、この辺りは“木曽義仲”が活躍したところなんで
「粟津晴嵐」の石碑から京阪石山駅まで一旦バックしてきて、駅の反対側にある今井兼平のお墓へ。京阪石山駅から徒歩12分です。今井兼平は木曽義仲の乳兄弟です。木曽義仲が討たれた後、壮絶な自決をして果てます。「謡曲史跡保存会」の説明書きは、謡跡めぐりをすると必ずあります私は源平合戦の史跡をめぐるので、よく見かけます。源平合戦ネタの謡曲は多いですね…まあ、木曽義仲は同じ源氏の源義経に討たれましたが。。兼平は巴御前の兄という話があります。日が落ちたので滋賀県1日目の観光はここ
誰を可(か)も志(し)る人耳(に)せん高砂の松もむ可(か)しの友ならなく丹(に)樋口(ひぐちの)次郎兼光(かねみつ)ハ木曽殿(きそどの)粟津(あはづ)尓(に)落命(らくめい)の後(のち)摂州福嶋(せつしうふくしま)尓(に)来(きた)り舩頭(せんだう)松右エ門と改名(かいめい)なし義経(よしつね)を討(うた)んと計(はか)りし可(が)畠山重忠(はたけやましげただ)可(が)仁智(じんち)を感じ若君(わかぎみ)を頼(たの)ミ竟(つい)尓(に)義信(ぎしん)の縄目(なはめ)尓(に)かゝる柳下
先日、JR石山駅と京阪石山駅を利用致しました。JR石山駅構内にはこんな貼紙が。JR石山駅前と京阪石山駅前にはこの2つあります。誰か?お分かりですね。↑滋賀県大津市膳所に松尾芭蕉のお墓があります。木曽義仲のお墓すぐ近くにあるそうな。↑これは分かりますね?
和暦葉月廿九日月齢28.3晦日月寒露第五十一候蟋蟀在戸寒露の末候。土用の入り18日後が立冬となります。すっかり肌寒くなりました。一日一日が長く、心底長く。一週間、一ヶ月がその三倍に感じております。晦日月ですから明日が新月。長月に入ります。夜が長くなる月。夜長月で長月。九月でございます。10/18.19は滋賀へお招き頂きました。企業様の勉強にて、2時間の独演会。演奏付きの講演会でございました。早めに滋賀入りし、蝉丸神社にて「蝉丸公」をご奉納。正面の唐門から
『藤娘』の歌に読み込まれた近江八景を訪ねて、滋賀県の大津に行きました。近江八景をまわる前に、義仲寺(ぎちゅうじ)へ行きました。国指定史跡。JR膳所(ぜぜ)駅から徒歩6分です。義仲寺には、朝日将軍と呼ばれた木曽義仲(きそよしなか)の墓所があります。木曽義仲は、源氏である義賢(よしかた)の嫡子です。頼朝・義経兄弟とは従兄弟になります。父義賢は、甥っ子である悪源太義平(あくげんたよしひら)に討たれます。孤児となった義仲は木曽の山中でかくまわれて育ちます。それで、木曽義仲です。
田屋城攻略後の昼餉は越前おろしそばとソースかつ丼を食べに越前国へ乱入。その後に次のとこ攻略しようと企てる駄菓子菓子!?田屋城攻略完了が13時半越前乱入時は15時どんな時間割しとんや!食うてる時間あらへんがなもう飯抜きや~福井県越前市国兼町大塩八幡宮大塩八幡宮二の鳥居天文21年(1552)に越前朝倉氏代11代当主朝倉義景が寄進したと伝わる。一の鳥居はこの手前100mくらいの場所にあり、この右横に駐車場があるので一気にここまで来て本陣を敷きました
今日は雨だってそんな朝ごはんさて老夫婦の旅目的地に向かう途中義仲館という看板が見えて寄り道したよ義仲館|公式サイト義仲館は、木曽町にゆかりを持つ木曽義仲公や巴御前の存在を後世に継承することを目的に平成4年(1992年)に開館した資料館です。開館から30年近くが経過する中、地域内外からの要望を受け、これまで以上に地域に愛され郷土に誇れる施設となることを目指し、令和3年(2021年)にリニューアルオープンする運びとなりました。yoshinakayakata.com車を降りて「静
よりみちパンに、それこそ寄り道した後、はたまたときめき坂を下っていった。しばらくすると、成瀬と親友島崎がM1出場に向けて漫才の練習をしていたとする「馬場公園」が見えた。思っていたよりも小さい公園だった。加え、なんだか整備が行き届いてない感じで、まるで土木の資材置き場のようであった。作中から醸し出されていた「いきいきわくわく」という感じがなく、少々がっかりした。が、そこに思わぬ副産物を見た。公園脇に一つの句碑(上の写真左)があったのだが、それがなんと松尾芭蕉のものだったのだ。草の戸や
君可(が)堂(た)め春能(の)野尓(に)いでゝ王(わ)可(か)なつむ我衣手耳(に)雪盤(は)ふり津(つ)ゝ木曽義仲(きそよしなか)平家(へいけ)と合戦(かつせん)の節(せつ)陣中(ぢんちう)尓(に)病(やみ)発(はつ)春(す)巴(ともへ)ハ此時(このとき)先陣(せんぢん)尓(に)在(あり)し可(が)斯(かく)と聞(きく)より駿足(しゆんそく)尓(に)鞭打(むちうち)降積(ふりつむ)深雪(みゆき)を馬足(ばそく)尓(に)散(ちら)し本陣(ほんぢん)へ急行(いそぎゆく)尓(に)平家(へいけ
以前、滋賀の義仲寺や長野の木曽を巡る記事をご覧になった方はお分かりかも知れませんが、木曽義仲公とはご縁があるような気がしているんですよね。※詳しくは割愛します先日のこと、母と秩父へ向かう途中。今回は下道を行きたくて初めての道を通っているうちに発見したこちらの神社。木曽義仲公・幼名「駒王丸」生誕の地。駒王丸が二歳のとき、この地で父は殺されてしまう。通りからチョイと横に入ったトコにあります。
今井四郎兼平⑴地元のお母さん曰く地元のお母さんに聞いたら、「今井」という地名の由来は「今井四郎兼平」だよおって、事らしいんです。⑵今井四郎兼平という方時代は、平安末期、鎌倉幕府の1190年あたり。今井四郎兼平は、木曽義仲(源義仲)の臣です。平安末期に平氏と戦った人で、源頼朝や源義経の従兄弟なのだそうですが、いろいろあって、最後は源頼朝の軍勢によって討たれます。⑶木曽義仲と乳兄弟今井四郎兼平は、源頼朝時代の、あの「木曽義仲」と乳兄弟(ちきょうだい)であったとされていて、
おはようございます8/10(2日目)・レンタカーで道の駅雷電くるみの里(東御市A)・海野宿(歴まちカード、シルクカード)(今ここ)・ゆきむら夢工房(上田市B)・上田市観光会館(上田市A、シルクカード)・上田城(日本100名城)・上田市立博物館(歴まちカード)・武石ともしび博物館(上田市C)・道の駅ほっとぱーく浅科(佐久市B)・道の駅ヘルシーテラス佐久南(佐久市C)・佐久十三くら(佐久市D)・佐久平駅(佐久市A、北斗の拳カラー蓋)・小諸→長野・ホテルメトロポ
「4歴代ノ総理大臣(その37)」今日は、木曾義仲みなさん、おはようございます二十四節気の白露朝に露が降りる季節ですまた月替わりです新しい季節を楽しみましょう旧暦のお盆ですからご先祖様のメッセージもいただけるかもしれません(笑)何をしたいのか長月、九月いろんなことが起こります(笑顔で)9月7日は頼朝と義経の従兄弟の木曾義仲が挙兵しました初代の征夷大将軍となりますが後白河法皇と対立し一年後に討たれました天才・百田尚樹代表の名文です
初めて源氏の武将として、平家の軍勢を破り、征夷大将軍に任命されながら、同族の源氏に討たれた木曾義仲は、歴史の教科書に少し載る程度です。ただ、僕のように妙に義仲の男気に惚れている人も少なくない様です。義仲と頼朝は従兄弟同士です。挙兵は頼朝の方が1年早いものの、源氏としての戦果は義仲に分がありました。義仲と頼朝は同じお爺ちゃんがいたのです。義仲は、木曽郡日義村で育ち、頼朝は京都で育ったとのちの研究が教えてくれます。✳️最近は、上のような二人の比較が書物になっています。グランドデザイ
どもはまるとんです✨️今日は源平合戦のヒーロー(?)、ちょっと破天荒な武将木曽義仲について紹介します。平家物語や大河ドラマでも登場する人物ですが、「頼朝のいとこにして、義経の兄弟分」…というだけでは終わらない、とてもユニークなキャラなんです。山奥で育ったサラブレッド義仲は源氏の血を引く武将ですが、父(源義賢)が早くに討たれたため、信濃・木曽谷の山奥で成長しました。そのため「木曽冠者(きそかじゃ)」と呼ばれ、貴族的な教養よりも山育ちのワイルドさ全開。現代で言えば「都会のエリート親
NHKEでやっていた能の番組を録画しておいた。「鳰の浦(におのうら)」は琵琶湖のことだったのか!!舞台は琵琶湖半、木曽義仲の愛人、巴御前の幽霊が、旅の僧侶のところに現われ、木曽義仲とともに死ぬことができなかったことを恨めしく思うと語り、後半では、薙刀を持って現われ、女武者としての闘いぶりを披露する。Wikipediaはこちら▼https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%B4_(%E8%83%BD)#%E9%96%93%E7%8B%82%E8%A8%8
Kindle電子書籍版まほろば物語Kindle24年3月10日に大船のカフェ楽庵で語りの会を開催しました。近くに木曽義高の碑が残されている場所。大姫の🪦と言われるところもあります。招かれたかのような…不思議な会になりました‼️3/10大船楽庵でよっくる一座朗読ライブよっくる一座ライブ大船楽庵作家谷よっくるさんが水曜日,3月202024に開催するイベントfacebook.comAmazonのリンクはこちら。まほろば物語鎌倉編谷よっくる著『まほろば物
短期集中連載!現代の書籍の挿画から、巴御前のイメージを読み解こうという意欲的?企画です。***********#今日の巴御前『疾風怒濤木曽義仲〜文書と絵画で見る義仲の一生〜』長野県立歴史館2024p66.p70.p76『平家』に留まらず、様々な史料から人間・義仲を読み解こうという企画展図録。巴は江戸時代の図屏風に登場。「木曾義仲合戦図屏風(左隻)17世紀前半国立歴史民俗博物館蔵「木曽義仲最期図」江戸時代中期山形市最上義光歴史館蔵「巴御前木曽義
木曽町福島にある老舗菓子店「御菓子司田ぐち」さん。木曽名物「ほうば巻」を買いに行きましたが、すでに販売終了していました。ならば、木曽にちなむ、木曽ならではのお菓子を…ということで、今回購入したのは、お店のオリジナル商品「木曽義仲パイ饅頭」です。名前についている木曽義仲(源義仲)は、木曽ゆかりの歴史上の人物です。平安時代末期の武将で、源頼朝・義経とは従兄弟にあたります。パッケージには木曽義仲が描かれています。外側はパイ生地になっています。
8月14日神奈川からやって来た孫一家今回は末っ子の孫1人と両親の3人だけお兄ちゃんは北海道から戻らずお姉ちゃんは部活とテスト末っ子の中2女子は「絶対に行く!🤣」と言って近所の従姉妹達と約束してたようです14日未明に🚗着いてひと寝入りして朝ごはん、昼ごはんを食べて大津の名所?に出かけました娘が今「木曽義仲」にハマってるらしい「どーしても行きたい!」とじじばば含めて7人で🚗🚗💨木曽義仲の墓がある国指定史跡「義仲寺」へ!(ぎちゅうじ)湖岸道路「膳所」付近です(
田川をしばらく遡り、少しそれて豊郷、岩曽方面をぐるっと走り、再び田川の河川敷に戻り、帰宅した。平将門の続き、八幡太郎義家、木曽義仲の途中まで。「木曾の最後」は平家物語の中でも感動的であることを思い出した。