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GW旅3日目この日は曇り空でもその分気温も高くならないのでろっちゃん旅をするには丁度いいまずはいつも利用する宿からすぐ近くにあるメルヘンおやべ道の駅メルヘンおやべ/富山県小矢部市michinoeki-oyabe.comこの道の駅の隣には八幡神社があります小矢部に宿を取った時は時々お参りさせていただいてます道の駅では私が好きな干し芋🍠を買いコーヒーなども買ってまずは小矢部に来た時にはいつもお参りする埴生護国八幡宮へ向かいます曇り空だったので義仲
多太神社石川県小松市上本折町72源平合戦で源氏方の木曽義仲が戦勝を祈願したといわれており、義仲の若き頃に恩を受けた斎藤実盛を供養、甲冑を奉納したと言われます。斎藤実盛と木曽義仲斉藤実盛は、源義平と源義賢の戦いで、討ち取られた義賢の子(後の木曽義仲)を助け保護したといわれます。後の源平合戦(篠原の戦い今の加賀市)では、幼い頃助けた木曽義仲と戦い、味方が落ちていく中、最後まで奮戦しますが、最後には義仲軍に討ち取られてしまいます。「この戦いは最後の戦い、最後
Kindle無料キャンペーン‼️5月1日ー5月5日まほろば物語Kindle3月20日に大船のカフェ楽庵で語りの会を開催しました。近くに木曽義高の碑が残されている場所。大姫の🪦と言われるところもあります。招かれたかのような…不思議な会になりました‼️3/10大船楽庵でよっくる一座朗読ライブよっくる一座ライブ大船楽庵作家谷よっくるさんが水曜日,3月202024に開催するイベントfacebook.comAmazonのリンクはこちら。まほろば物語鎌倉編谷
琵琶湖周辺は戦国時代~江戸時代初期の史跡がゴロゴロ、歴史好きにはたまりません住宅街の中に膳所城(ぜぜじょう)総門跡、なんて碑がさりげなくたってたりします膳所城とは・・・関ケ原の戦いに勝利した徳川家康が東海道のおさえとして大津城を廃しつくらせた城。「瀬田の唐橋を制するものは天下を制する」との昔からの言い伝えにより瀬田の唐橋に近いこの地を選んだといいます。明治期になり城は解体されてしまいましたが、この近辺の神社に膳所城の門を移築しているところが多く
こんにちは。今回もこのところ続けてます「春の越中シリーズ」からです。タイトルを見てお分かりかと思いますが、今回は武将すら出てきませんが、よろしくお願いします。大伴家持(二上山)大伴家持さん、まずは二上山の家持さんから。二上山=ここで家持さんが歌を詠んだこともあるということで、二上山万葉ラインの見晴らしのイイところに銅像があるのです。歌人でもカッコイイ銅像ありますよって証明になる銅像です。銅像の名前は「大伴家持卿」像でございます。二上山頂へは家持さん像を越えてから行くのです。
☆主は変わってもそこに咲く桜の花*天下一・高遠(たかとう)の桜(伊那市)高遠城址1500本の「コヒガンザクラ」その美しさと南アルプスを望む眺望は”天下一”二代将軍・徳川秀忠には、三代将軍となる「家光」のほか、側室に男児がいたが、極秘裏に信州・高遠城で育てられていた。家光は、将軍になってから始めて、弟の高遠藩主「保科正之」の存在を知る。
こんにちは。今回もこのところ続けてます「春の越中シリーズ」からです。越中遠征目的のひとつ「源平シリーズの予行演習」≒源氏銅像をおってきましたので、今回はそちらからになります。ということで、戦国武将の銅像、今回も出てきません。申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いします。木曽義仲(埴生八幡宮)これから、しばらく木曽義仲さんの銅像が続きます。富山県西部は旭将軍さまでいっぱいなんです。埴生八幡さまへは銅像を左にしてまっすぐ行ったところに拝殿があります。ちょっとした石段がありま
PreciousJapanプレゼンツ第1回「絃月の会」琵琶奏者須田隆久が誘うシルクロードと和の調べ倶利伽羅不動寺西之坊鳳凰殿オフィシャルのお写真が届きました。格別なるご配慮を賜り、内陣にて弾き語ることができました。須弥壇とも。なぜ羽衣を演目にしたのか?種明かしを一つ。須弥山の周りを回っている月にある月天子の宮殿。天道から舞い降りた天女。普段は月宮殿にて舞を勤めているのです。そのように、深く重なり合った作品で御座いましたいた。私の脚本は相当深く仕掛けを散りばめてお
木曽義仲が湯治したという別所温泉。春が来ました。いつも行く大湯。露天風呂が寒くなく心地よかったです。いけだやで、野菜や惣菜を買って帰りました。この旅館、ちょっと泊まってみたくなる雰囲気。大湯の前にある旅館ですが、落ち着いた感じです。春は美しいです。
こんにちは。今回から、今月頭に伺いました春の越中シリーズをしていきたいと思います。旅の目的はコチラ、、、・能登半島地震の様子を伺う。・ご当地ようかんパンをまとめるため、ヒスイパンを味わう。・源平シリーズの予行演習を実施する。今回はその越中遠征のダイジェストをやっていければと思います。ダイジェストなのでコメント短めでいっときます。どうぞよろしくお願いいたします。【前田利長(高岡駅)】毎度おなじみ加賀のお殿様・二代目の利長さん。高岡の銅像はサスガにレベルが高いです。
前稿につづいて、戦場で命を懸ける武士たちの姿を追う。◉鎌倉景正の場合歌舞伎役者の市川團十郎の十八番に『暫(しばらく)』がある。『暫』は、日本のヒーローものの元祖だ。超人的な力を持つスーパースターが主人公。ストーリーは単純明快な勧善懲悪ものだ。善良な男女が悪人に捕らえられて、まさに殺されようとしたときに、し~ば~ら~く~という掛け声とともに現れた正義のヒーローが現れて、大立ち回りで悪役をやっつける。ヒーローの名は鎌倉権五郎景正。鎌倉権五郎景正(1069〜?)は、平安
東信濃の旅の2日目は、重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)北国街道海野宿を訪ねました。これまで訪ねた重伝建の宿場町は、大内宿(福島県下野街道)、奈良井宿(長野県中山道)、妻籠宿(長野県中山道)、関宿(三重県東海道)北国街道は江戸時代、佐渡の金銀を江戸に運ぶ道として整備された脇往還。中山道の信濃追分宿から分かれ、上田や善光寺を経て越後高田に至る重要な街道でした。幹線道路から外れた旧北国街道沿いに江戸時代の宿場町の街並みが残っています。東桝形から西桝形まで約650mの旧海野宿のほぼ全体が
1183年(寿永2年)3月、11歳の時に人質として鎌倉に送られた木曽義仲の嫡男義高。源頼朝の娘大姫の許嫁として鎌倉で過ごしていましたが、翌年1月、父の義仲が粟津の戦いで討死にすると・・・4月、義高も頼朝に誅殺されてしまいました。義高の鯉のぼりは、若くしてこの世を去った義高の供養のために始められたのだそうです。義高終焉の地とされる狭山市の入間川河川敷には、ゴールデンウィークに約300匹の鯉のぼりが掲揚されます。義高の鯉のぼり☆☆☆☆☆
今週の「暮らしの古典71話」は「名告り(前篇)」とします。菜種梅雨を思わせる長雨から脱し、桜も開花し4月になりました。学校では、入学・進級があり生徒たちは新しい友だちと出会います。担任をしていた時、苦労しましたのはHRの生徒どうし自己紹介しあう時間です。写真図学校での自己紹介のイラストいきなり「自己PRをやってください」と要求したところ、最初は白けていました。今、思えば多様な生徒たちがいて、自己紹介すること自体に抵抗感があった生徒もいたことでしょう。今回の「暮らしの
【木曽義仲】PHP文庫【著】小川由秋イメージとして、調子乗って京でやらかして源頼朝に討伐された人の印象があった。だが、この作品を読んでイメージが変わった人物。源氏再興の為、集ってくれた者たちの為に奮闘した様が熱く描かれている。源義経同様、頼朝にはめられて非業の死を遂げる。そんな事してるから、鎌倉幕府は3代で源氏が消える羽目になる。司馬遼太郎の義経を読んだ際にも感じた、頼朝憎しを読み終わって思う作品。PHP文庫木曽義仲―「朝日将軍」と称えられた源氏の豪将兄弟同然の郎党たちと
諸君、ご壮健かな。木曽福島駅から二駅。宮ノ越駅。誰もいない無人駅。そこはかとなく寂しいこの地になぜ来たか。それは。木曽義仲公、旗揚げの地。「鎌倉殿の13人」を食い入るように見てた私としては、木曽義仲が平清盛のいる京から距離を取り、巴御前とともに隠れ住んだここに来たかった!今ですら豪雪で住むのが大変。平安時代末期、まだ交通網が発達していなかった頃。このような山奥にいたら見つかるはずもなく、また京の人々からは粗暴にしか映らなったろう。木曽義仲の育ちの不幸に思いを馳せる。そして少し歩
石川県復興応援の旅②買って、食べて、観て、北陸の復興を応援しよう!|政府広報オンライン買って、食べて、観て、今私たちにできることで北陸の復興を応援しませんか?北陸応援割の情報のほか、石川県、富山県、福井県、新潟県の各県の見どころ、ふるさと納税、アンテナショップなどの情報を掲載。www.gov-online.go.jp石川県小松市古府の石部神社をお参りした後、多太(たた)神社へ向かう。本殿御祭神は衝桙等乎而留比古命(つきほことおるひこのみこと)出雲国風土記にのみ登場
こんばんは。川の中の島に渡って来ました。2代目大工の三島です。今日は嫁さん、長女と一緒にお出かけ。3人で向かうのは八百津町。なんでも行きたいお店があるのだそう。そんなワケで運転手。家から東へ車を走らせる。でもお店の予約時間まで余裕アリ。なのでちょ〜っと寄り道。ちょうど行きたいトコあったんですよねぇ。ソレは美濃加茂市の飛騨川。その川に浮かんだ岩の島。なんとも面白い風貌。名前は小山(こやま)観音です。川に浮かぶ島なんて楽しそう!見た目だけでもワクワクするじゃないですか
今村祥吾さんの「茜唄」上を読みました。歴史とは、勝者が紡ぐもの――。では、何故『平家物語』は「敗者」の名が題されているのか?『平家物語』が如何にして生まれ、何を託されたか、平清盛最愛の子・知盛の生涯を通じて、その謎を感動的に描き切る。平家全盛から滅亡まで、その最前線で戦い続けた知将が望んだ未来とは。平清盛、木曽義仲、源頼朝、源義経……時代を創った綺羅星の如き者たち、善きも悪きもそのままに――そのすべて。<直木賞作家・今村翔吾が魂をこめて描く、熱き血潮の流れる真「平家物語」!>祇園精舎
※山村氏の墓がある菩提寺木曽興禅寺廟所案内板…かつての主君木曽氏の墓に隣接して建っていますが、木曽氏の墓より「巨大」です木曽代官山村家の墓戦国武将の墓・供養塔シリーズ戦乱の時代は、おおまかに言うと応仁の乱(1467年応仁元年)から大坂の陣(1615年)までで3つのカテゴリに分類されると思います。1️⃣戦国時代応仁の乱(応仁元年1466年)から室町幕府の滅亡、織田信長政権の成立(天正元年1573年)2️⃣安土・桃山時代織田政権(天正元年
※木曽氏の墓3基(中央源(木曽)義仲、右12代信道、左18代義康、19代義昌合葬)と案内板…中央の宝篋印塔は義仲公、右側が興禅寺開基信道公、左側が義康、義昌公合同供養墓となります※源(木曽)義仲公宝篋印塔…後世に補修された形跡がありますが、木曽信道公が建てたものと思われます※木曽信道公中型笠塔婆※木曽義康、義昌中型笠塔婆…信道公、義康公、義昌公供養墓も、元々は五輪塔あるいは宝篋印塔であったと思われますが、何らかの理由で失われ、江戸期に木曽家一族(義昌の妻、真理姫
昨日は建部大社を参拝し、コッペパンのランチを食べたことを記事にしました。『瀬田の唐橋&近江国一之宮建部大社~ふわこっぺ』昨日は石山寺参拝の記事をアップしました。『紫式部が参詣し「源氏物語」を起筆した石山寺[滋賀県大津市]』昨日は『光る君へびわ湖大津大河ドラマ館』の記事をア…ameblo.jp続いて向かったのは、2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第16回(4月24日)放送最後の紀行コーナーに登場した義仲寺(ぎちゅうじ)。頭には残っていて、いつか大津市に行ったら寄ってみたいと思
レイラインがつなぐ「太陽と大地の聖地」413岩谷堂観音堂(本堂)・まず「木曽義仲史跡」「戦勝祈願の岩谷堂」と書かれた説明板が表れます。・義仲は、平家追討の令旨を受けこの地の依田城に入り挙兵します。出陣に際しこの堂に戦勝祈願の為参拝したそうです。・巴御前は、義仲死後に菩提を弔うためこの堂に日参したそうで
おはよ〜(*´∀`*)ノ"♡神奈川県小田原市にある巴御前ゆかり「善栄寺」の御朱印です。ご住職はお忙しい様子でしたので、書置きをいただきました。いただけただけでありがたいです。では、(*^-^*)ノ~~マタネー
おはよ〜(*´∀`*)ノ"♡神奈川県小田原市にある巴御前ゆかり「善栄寺」に行ってきました。巴御前が木曽義仲と和田義盛の菩提を弔うため創建されたみたいです。北条の家紋と三つ巴お寺参りの心得があります。弁財天堂本堂。仏様を拝めませんでした。鐘楼巴御前(左)と木曽義仲のお墓二宮尊徳生家近くでもあるのでお墓もあります。この墓石の中のどれかです。二宮家本家として墓石があります。また、北条氏康夫人のお墓もあります。住宅街の中にあり、地域に溶け込んでいるお寺ですが見どころいっぱい
レイラインがつなぐ「太陽と大地の聖地」408岩谷堂・木曽義仲史跡☆戦勝祈願の観音堂☆義仲桜・断崖に向かい急な石段を登らなくてはいけません。・今まで桜やライトアップの写真を撮ってきましたがこの階段に阻まれて登らずじまいでした。つづく追記・桜、ライトアップの写真は、最後に載せます。
レイラインがつなぐ「太陽と大地の聖地」405巴と山吹の五輪塔・日米神社を参拝した後見逃してしまった巴と山吹の五輪塔です。・見逃した訳です。なんと道脇に有る共同墓地の中だったんですね。・(上田市富士山(ふじやま)という地名)・左塔は、完品ですが右塔は、空風輪が後補だそうです。・一番下の方形(立方体)、その上の円形(球体)、更にその上の三角形(四角
このブログでは、静岡県浜松市天竜区熊石打という集落の場所に、木曽義仲(源頼朝の従兄弟)の子孫が移り住んだ話を紹介する。木曾義仲(Wikipediaから引用)とは、、、。今回見ていただきたい資料は、これ。(静岡県伝説集前編から引用)今回紹介したい記事は、国立国会図書館から探し出しました。昭和2年に発行された様です。拡大すると、、ーーーーーーーーーーーー解説1:「木曾義仲の子孫」について。その名前は「義度」。磐田郡熊村石打(現・浜松市天竜区熊の石打)に住む様になった。
こんちわ!DTMミュージシャン"にのきん"です!昨日から中津川市の落合という地区に仕事に来てます車が停めるところが小さな神社⛩️の横しかないので、そこに止めてたら、今その立看板を読んでたら、、、な、な、なんと木曽義仲の家来のゆかりの神社⛩️じやあーりませんか実は、俺のお袋は長野県駒ヶ根市出身で、旧姓は今井で、先祖は木曽義仲の家来で、今井兼平だと聞かされています。その兄弟の神社⛩️じや、アーリませんかこれは必然的に、ここへ来る事になっていたのではないでしょうか?因果応報といいますか、ま