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多太神社石川県小松市上本折町72源平合戦で源氏方の木曽義仲が戦勝を祈願したといわれており、義仲の若き頃に恩を受けた斎藤実盛を供養、甲冑を奉納したと言われます。斎藤実盛と木曽義仲斉藤実盛は、源義平と源義賢の戦いで、討ち取られた義賢の子(後の木曽義仲)を助け保護したといわれます。後の源平合戦(篠原の戦い今の加賀市)では、幼い頃助けた木曽義仲と戦い、味方が落ちていく中、最後まで奮戦しますが、最後には義仲軍に討ち取られてしまいます。「この戦いは最後の戦い、最後
◎このブログの目次はこちら夏休みの旅行は、石川県加賀市の片山津温泉に2泊3日で行ってきました!家族5人での旅行だけど、子どもはワガママ中高生で、80代の母もいて、加えて自家用車もないもうね、こうなったら現地別行動っすよ!子どもたちはホテルで過ごし母は徒歩とバスで観光私と夫はレンタサイクルと、各自自由に過ごしたのでした初日は午後に片山津へ到着。夕刻にかけて、柴山潟の周囲をレンタサイクルで一周しましたので、写真レポートをお届けします!柴山潟
埼玉県狭山市柏原新冨士見橋~昭代橋の入間川沿いにて義高の鯉のぼりという五月イベントが開催されました❕❕しかもパンフェスが同時開催されグルメキッチンカーも多数出店🎶GWを楽しみたい家族連れで会場は溢れていました。義高の鯉のぼりという五月イベントですが平安時代木曽義仲の嫡男義高は鎌倉に人質に出され源頼朝と木曽義仲との仲違いにより戦争状態となり自分の命が危うくなった義高は鎌倉から埼玉県狭山市まで逃げたのですが埼玉県狭山市入間川沿いで打ち取られて亡くなりました。源義高氏の弔い
琵琶湖周辺は戦国時代~江戸時代初期の史跡がゴロゴロ、歴史好きにはたまりません住宅街の中に膳所城(ぜぜじょう)総門跡、なんて碑がさりげなくたってたりします膳所城とは・・・関ケ原の戦いに勝利した徳川家康が東海道のおさえとして大津城を廃しつくらせた城。「瀬田の唐橋を制するものは天下を制する」との昔からの言い伝えにより瀬田の唐橋に近いこの地を選んだといいます。明治期になり城は解体されてしまいましたが、この近辺の神社に膳所城の門を移築しているところが多く
こんにちは。今回もこのところ続けてます「春の越中シリーズ」からです。越中遠征目的のひとつ「源平シリーズの予行演習」≒源氏銅像をおってきましたので、今回はそちらからになります。ということで、戦国武将の銅像、今回も出てきません。申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いします。木曽義仲(埴生八幡宮)これから、しばらく木曽義仲さんの銅像が続きます。富山県西部は旭将軍さまでいっぱいなんです。埴生八幡さまへは銅像を左にしてまっすぐ行ったところに拝殿があります。ちょっとした石段がありま
☆主は変わってもそこに咲く桜の花*天下一・高遠(たかとう)の桜(伊那市)高遠城址1500本の「コヒガンザクラ」その美しさと南アルプスを望む眺望は”天下一”二代将軍・徳川秀忠には、三代将軍となる「家光」のほか、側室に男児がいたが、極秘裏に信州・高遠城で育てられていた。家光は、将軍になってから始めて、弟の高遠藩主「保科正之」の存在を知る。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。「比企能員の変(1203年)」「源頼家暗殺(1204年)」と進んだようで。次に来るのは「畠山重忠の乱(1205年)」ですかねー。というわけで、その関連として「畠山氏」の系図を紹介してみようかなと。今日はそんなブログとなりますw畠山重忠@中川大志サン2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』より系図をご紹介する前に、前提として。「坂東八平氏」という言葉があります。房総の豪族となった「上総氏」と「千葉氏」。相模に勢力を持った「三浦氏
2023年の読書活動テーマ”とにかく読了日本の古典『新版平家物語(三)全訳注(講談社学術文庫)』を読み終えました。次々に消えてゆく平氏一門繰り返される驕れるものは久しからず新版平家物語(三)全訳注(講談社学術文庫)「驕れるものは久しからず盛者必衰の理」が平氏にしろ、源氏にしろ関係なく、”法則”として存在することが示され、次々に消えていく第3巻。巻2では、源頼朝が東国で挙兵、源(木曽)義仲が北国で挙兵、各地で反平氏の火の手が上がる中、ついに『平家物語』の最大の驕れる
GW旅3日目この日は曇り空でもその分気温も高くならないのでろっちゃん旅をするには丁度いいまずはいつも利用する宿からすぐ近くにあるメルヘンおやべ道の駅メルヘンおやべ/富山県小矢部市michinoeki-oyabe.comこの道の駅の隣には八幡神社があります小矢部に宿を取った時は時々お参りさせていただいてます道の駅では私が好きな干し芋🍠を買いコーヒーなども買ってまずは小矢部に来た時にはいつもお参りする埴生護国八幡宮へ向かいます曇り空だったので義仲
こんにちは。今回もこのところ続けてます「春の越中シリーズ」からです。タイトルを見てお分かりかと思いますが、今回は武将すら出てきませんが、よろしくお願いします。大伴家持(二上山)大伴家持さん、まずは二上山の家持さんから。二上山=ここで家持さんが歌を詠んだこともあるということで、二上山万葉ラインの見晴らしのイイところに銅像があるのです。歌人でもカッコイイ銅像ありますよって証明になる銅像です。銅像の名前は「大伴家持卿」像でございます。二上山頂へは家持さん像を越えてから行くのです。
☆「木曽御岳」山ろくの春御岳山の麓、開田(かいだ)高原の木曽馬御嶽さんの麓、1100m~1300mに広がる高原は、夏でも平均気温が18度と爽やかな高原で、どこからでも雄大な御岳山を眺めることができ、「木曽馬の里」では、乗馬や馬車に乗るなど、馬との触れ合いが楽しめる。標高の高い「開田高原」は里より遅れ、今が山菜のシーズン山菜の女王コシアブラ