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『剣禅話』ー山岡鉄舟●維新覚書✪徳川の使者となるー②「何を弱気で、そんなつまらぬことを言われるのか。それでは、謹慎というのはいつわりで、何かほかに企んでいることでもあるのですか」と、わたしが言うと、慶喜は、「別にそんなことは考えていない。自分は、朝廷の命令に対しては、どんなことでも背くつもりはない、無二の赤心を持っているのだ」と言う。わたしはこう断言をした。「真実の誠意による謹慎であるとおっしゃるなら、わたしがその事を朝廷に伝えましよう。それで朝廷の疑いは必ず解けるに違いありませ
桓武天皇とトランプ大統領は似ていると思えないだろうか!?共に国家繁栄期から衰退期の境目に国家指導者となり、既得権益から政治を切り離す政策を行い(桓武天皇は奈良の仏教勢力から政治を切り離す為に平安京に遷都・トランプ大統領は既存のリベラルエリートから政治を切り離そうとした)、小さな政府政策を実施し(桓武天皇は律令制や官軍を解体し農民の負担を軽減した・トランプ大統領はレーガン政権をモデルとした減税政策などを実施)、異民族への迫害を行い(桓武天皇は蝦夷を征伐・トランプ大統領はメキシコからの難民やイスラ
投稿ネタで/120調べると、豆知識とは、「ちょっとした話。本筋からは外れているが、知っていると役に立つ話」とありました。「豆知識」はあるが「豆知恵」という語彙はないようです。(知恵は、測れる定まった大きさとしてとらえにくいから「豆」が付かないのかな)豆知識とは、たとえば。関西の都市部、京阪神で暮らしていると、「さんのみや」の駅表記は二つ、私鉄や市営地下鉄は「三宮」駅で、JRは「三ノ宮」駅だ、というようなことですかね。(なぜ旧国鉄のJRでは「ノ」を入れたのか。
NHK大河ドラマ『光る君へ』第6回。花山天皇の側近が若手上級貴族を取り込んで兼家・道長一家を排除しようと動きます。それに対抗して道長の長兄道隆が漢詩の会を開き、若手上級貴族を引きつけようとします。会がどんな風に行なわれるのか興味がありました。まあ、大河が当時を正確に再現しているとは限りませんが、そんなに外れてもいないでしょう。出席者は10人程度で、漢詩を詠むのは道長を含め上級貴族の若者数人です。広い座敷にコの字になって座り、中央は道隆で、詠み手は向かい合って座ります。ま
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「光る君へ」見てますかぁ〜前回は最後がショッキングだったね今回はまひろ(後の紫式部)が成人の儀式から始まりました。大人のまひろ、演じてるのが吉高由里子さんだねまひろが文学に通じているのに、弟は…人は向き不向きがあるってことですな一方、まひろが大人になっているってことは三郎は…もちろん、元服して藤原道長となっていました。柄本さんだぁところでドロドロな宮中では、藤原兼家の娘、詮子が円融天皇の子を産んでいましたが、詮子は円融天皇は疎遠…円融天皇は兼家一族を敬
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」……ではなく!!「光る君へ」始まりましたね〜いきなり、決してぷっスマが始まったわけではありません。そんなこと、わかっとるわ!!主人公紫式部はまだ幼少、まひろって名前なんですね。まひろの後ろにいるのが三郎後の藤原道長第1話の率直な感想は…平安とは程遠いドロドロでした。円融天皇はなんか自意識過剰って感じだし、この時代、天皇に力があったのかな?親王…後の花山天皇は、めちゃわがままでアホっぽい。当時の日本の頂点と言うべき天皇がこれでは…
朝廷への御馬献上という重要な行事の一行に、定火消同心という下級役人である広重が加わることができたのかという問題があります。しかも、広重が役人を退いたあとのことです。もちろん、同行絵師という身分で参加したとも考えられますが、広重が風景画家として有名になるのは『東海道五三次』が大ヒットしたあとの話です。さらに「藤川宿」が御馬献上の道中のワンシーンを描いたものだったという説も、その一行が持つ鋏箱の紋所が徳川家の「葵」紋ではなく、「笹竜胆」であるのも不自然です。そもそも
安藤広重が風景画家として名が売れ始めたころ、東海道を旅して例の53図の浮世絵(実際には起点の日本橋と終点の三条大橋を含むため計55図)を描いたというのが通説です。明治の浮世絵研究家である飯島虚心が記した歌川一門の伝記の「歌川広重」の項に、「天保の初年、広重(が)幕府の内命を奉じ京師に至り、八朔御馬献上の式を拝観し、細かにその図を描きて上る」とあるからです。広重が幕府の命で朝廷に御馬を献上する一行に加わって上洛し、その際、東海道中をつぶさに観察して描いたというわけで
こんばんは新年初詣に善男善女の祈りで賑わいを見せ、或いは物見遊山な輩連中の喧騒あふれる!何々大師といった大寺院の多くは真言宗であり、そこにお祀りされて尊崇されている御方は真言宗宗祖であられる弘法大師空海様である事を御存知の方たちも多いことでありましょう。またそれは新年初詣に限らずに、年間を通じての光景でもありますね。他方、天台宗寺院に於きましても、何々大師なる大寺院はありますが、そこにお祀りされておられる御方は天台宗宗祖伝教大師最澄様ではなく・・・比叡山延暦寺中興の祖で
本郷和人関ヶ原時点で59歳の家康が、豊臣家を滅ぼすのに「15年」もかけた理由とは…その背後に見え隠れする<圧倒的実力差>(婦人公論.jp)-Yahoo!ニュース松本潤さん演じる徳川家康がいかにして天下統一を成し遂げたのか、古沢良太さんの脚本で描くNHK大河ドラマ『どうする家康』(総合、日曜午後8時ほか)。第44回「徳川幕府誕生」にて、関ヶ原の戦勝報告を行っnews.yahoo.co.jp徳川が関ヶ原から豊臣を滅ぼすまで15年かかった。徳川が豊臣と良好な関係を願っていたが、豊
ある日のことです。「朝廷から、タケミカツチさまとフツヌシさまがおなりです。多数の軍勢も率いておられます」慌てた様子で、お供の者が、オホナムチさまに知らせました。「とうとう、来たか」オホナムチさまは、腕を組みました。「稲佐の浜にて、お待ちとのことです」「うむ。わかった。すぐ参る」オホナムチさまが到着すると、軍勢を従えたふたりの大男が、砂浜に剣を立てて待ちかまえていました。「オホナムチ。右大臣たる者が、いっときの成功に有頂天になり、身の程を忘れ
「坂上田村麻呂」は英雄なのか?踏みにじられた東北先住民の「悲劇の歴史」とは(歴史人)-Yahoo!ニュース坂上田村麻呂の「蝦夷征伐」各地に伝わる鬼退治の伝承に度々登場するのが、平安時代の名将・坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)である。大嶽丸をはじめ、長野県の魏石鬼八面大王(ぎしきはちめんだいおうnews.yahoo.co.jp自然に畏敬の念を持ち、歴史に親しみ、学ぶ。自然に、優しく。他者に、優しく。利他主義に生きる、最後の侍、藤原越中守
見事、近江の領地をホヲ虫から守られたオホナムチさまは、ある日、長男のクシヒコさま(恵比寿さま)を、出雲から呼び出されました。「お父さま、お久しゅうございます」クシヒコさまが、手をついて頭を下げると、オホナムチさまがいいました。「そう、かたくならずともよい。クシヒコ、この近江の地から、わたしが朝廷(三重県・伊雑宮)に出仕している間、よく、出雲を守ってくれた。礼を申す」「かたじけないことでございます」「さすれば、そろそろお前に、この近江の地をゆずり、わたしに代わって、朝
明智秀満(89)光秀を見送った後、長秀は再び信長を訪ねた。「惟任殿は生真面目なので、あまりおからかいになるのは如何なものかと存じます。」と長秀は珍しく苦言を言う。「からかってなどおらん。オレは何も朝廷を全て潰すとは言ってはおらぬ。オレは世俗の皇帝と宗教上の皇帝を並立させ、互いに掟を定めるべきだと言っている。今のままでは政治を行う者が朝廷の秩序の下に組み込まれてしまう。それではダメだと言っているのだ。」と信長は言う。「海外派兵はどうなさるおつもりですか。」と長秀が
八幡神はもともと異国の神でした。それでは、異国とはどこなのでしょうか。『宇佐八幡宮託宣集』(前出)に記載される「辛国」は「韓国(からくに)」だとされ、その国出身の人たちが営む城(支配地域)に天降ったのだから、八幡神は、朝鮮半島から日本へ渡来した氏族の神ということになります。八幡はもともと「やはた」と訓(よ)まれ、「はた」は代表的な渡来氏族秦氏の「はた」と関連するともいわれています。実際に八世紀初めの記録(戸籍)には、宇佐八幡宮のある豊前国に「秦」に属する部民(豪
2泊3日の小旅行の最後は鬼無里へ🚌長野駅前から路線バスで1時間くらい🕑山間にひっそり佇む村という感じです🏔🏔🏔住所は村ではなくて、長野市内だけど😲ここに行って何があるというわけではありません🆖鬼伝説の残っている集落だというのに、資料館がある終点の停留所が「旅の駅鬼無里」という名前で興ざめしました😅「旅の駅鬼無里」には、美味しくない蕎麦屋(仕方なく食べた)と、地元農家の野菜直売所がありました🍆🍅🥒それから、旅の駅の前にレストランがあって、出
6代将軍を籤引きで決めた理由として、『建内記(けんないき)』(内大臣万里小路時房の日記)には、3回とも籤は「義円(足利義教の出家名でその後還俗)」とでたことから、籤はイカサマだったとしています。つまり、神意を借りて諸大名らを心服させるためにイカサマを仕組んだというのです。しかし、今では『建内記』の内容の真偽が問われ、イカサマ説は否定されています。それでは、義持の真意はどこにあったのでしょうか。謎を解く手がかりは、彼が家督を継いだ当時に隠されています。その
アマテルカミさまが、無事に岩室からお出ましくださったものの、それで、ソサノヲさまが、おとがめなしになるわけではありません。ハナコさまのこともあり、もはや、死罪もまぬがれないと思われたときです。セオリツ姫さまから、お手紙が届きました。「ソサノヲの命をうばったとて、妹のハナコが浮かばれるわけではありません。ソサノヲには、生きて、罪をつぐなってほしゅうございます。こうなったのも、ソサノヲの命がやどったときに負った汚れによるものなのですから、ソサノヲに罪があるわけではないのです」
黒田官兵衛黒幕説は変わらないですが、もうひとつ気になる点。信長は商工業を飛躍させたが、百姓との関係はどうだったのだろうか??て言うか、信長の直轄領ってどこ??岐阜城くらいまでは治めていたかもしれないが、安土城できてから戦ばかりしてるイメージ。明智光秀は丹波を手中にして領国支配して善政のイメージがある。が、信長は戦ばかりのイメージで兵糧米により、米価が高騰していたのではないだろうか?それを憂いた、朝廷や公家または鞆の浦にいる足利義昭が明智光秀をそそのかしたと言う線もある。
足利義満は将軍、すなわち幕府のトップとしてより、天皇家および朝廷と一体になった政治を断行しようとし、皇位簒奪の疑いをかけられています。応永13年(1406)に後小松天皇の母が亡くなった機会をとらえ、義満は正妻の康子を准母(天皇の母に準じる地位)とすることに成功しました。これで「准父」(天皇の父)となった彼は、義持の2番目の弟義嗣を皇位に就けるべく画策したとされています。実際、義嗣を親王に准じ、内裏で元服の儀式が行われたところまで話が進みましたが、その年に義満が急死し、本
現実に於て朝廷は虚器であり、足利将軍は老蝮の松永弾正の一存によって生かしも殺しもされ、天下の政務は老蝮の掌中にある第1話https://youtu.be/RsUh5NyCw4U第2話https://youtu.be/nv4aCVbfUPg朗読:岩倉洋子たおやかインターネット放送HP:http://taoyaka.at-ninja.jp/
八咫烏シリーズの3作目。1作目はややこしくて読むのがタイヘンだったが、2作目から読みやすくなっている。今回は八咫烏の世界に大猿が侵食してくる話。金烏の定義みたいなものも描写されており、よくできた話だと感動する。色々と難しいストーリーを読みやすくなっていく作家さんの成長も感じることができるシリーズだと感じます。
初めて読んだ作家さんでしかもシリーズ2作目と知らずに読んでしまった。それでも、このファンタジーというか異世界の話にすっかり入り込んでしまった。八咫烏の宗家などがあるとは思えないが、人間の世界の朝廷のような話で物語が進んでいく。金烏と呼ばれる絶対的な権力者になる条件などはわからないが、若宮と雪哉の関係は面白かった。このシリーズの他の本も読んでみたいと思った。いい作家さんに出会えました。以下、文庫本解説人間の代わりに「八咫烏」の一族が住まう世界「山内」で、優秀な兄宮が廃嫡され、日嗣の御
天下布武という印章をつくって愛用し、天下一の情熱を日常の友としているが、その野心は彼に限ったことではない。第1話https://youtu.be/RsUh5NyCw4U朗読:岩倉洋子たおやかインターネット放送HP:http://taoyaka.at-ninja.jp/
新撰組で好きな隊士はいる?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう周は、幕末維新好きで、山口県民なので、朝敵の新撰組は、心情的に嫌いですね。「ならず者集団」との位置づけだよん。おはようございます今日は月曜日です。昨日より寒い朝です。今日もがんばって・・・いや、寒いっす・・・
故郷には(旧天竜市)遠い昔、『壬生』と呼ばれる【朝廷】に纏わる場所があったそうです。そんな昔話、知らないそもそも関心がない日本の重要な歴史は日本中の中山間地域が森と化すことで消滅しようとしています。真実を知ることは崩壊を極めるのではなくひとりひとりの【生きる選択肢】【生まれてきた喜び】の体験を知ることへと繋がります。【天皇となる者を養育する場所】私のこの10年の歴史探究は、この壬生という場所探しでもありました。ただ、区切りを迎えた今は一人一人の中に神様は存在するので、私達
死のふは一定いちじよう、しのび草には何をしよぞ、一定かたりをこすよの立入左京亮が綸旨二通と女房奉書をたずさえて信長をたずねてきたとき、信長は鷹狩に出ていた。朗読:岩倉洋子たおやかインターネット放送HP:http://taoyaka.at-ninja.jp/
OKT48(小野小町4+8)とは秋元康氏の作ったアイドルグループではないですよ!?小野小町のレジェンダリー4とセカンダリー8を足した小野小町の構造を表現した私の造語です。(笑)(笑)(^0^)(イメージ?)小野小町の伝説の多くは初代から四代目までで生まれています、五代目も特定はされていますが、伝説となると四代目までの様には扱われていない事が分かりますので、やはりセカンドラインのファーストと見るべきだと思います。当時の貴族や民衆は初代から四代目までの小野小町達の活躍に一喜一憂
岩倉具視がした戦略その1「幕府の中でも朝廷側の水戸藩から将軍を輩出し邪魔な存在を排除」朝廷は表だって権力はありませんでしたが承認権(最終決定権)という大きな権力を持っていました今までは幕府の言うことを素直に聞いて承認していましたが承認権を持っているので意見を言ったほうがいいと岩倉は天皇に伝えましたそのことで朝廷に権力を持っているという自覚を与えましたそして岩倉は尊王の考え方が強い水戸藩に近づきました