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「熱田神宮正門(南門)」です。景行天皇43年(113)に三種の神器の一つ「草薙神剣」を祀ったのが始まりで、年間700万人もの参拝者が訪問します。正門は此の南門です。約19万㎡の境内は、都会の喧騒から離れ、深い緑に包まれています。正門(南門)を左へ進むと、「上知我麻(かみちかま)神社(摂社)」があります。知恵の文殊さまとされ、「平止興命(宮簀媛命の父親)」を祀ります。「別宮:八剣宮」です。和銅元年(708)に元明天皇の勅命により、新たな神剣を造り、
2025-07-31豊前の寺社めぐり。二兒(ふたご)神社と読みます。読めなかった😅ご祭神は景行天皇、稲日太郎姫、大碓命、小碓命(日本武尊)。長い石段を上がると拝殿があります。拝殿脇の双石が安産に御利益があるようですよ。御朱印いただきました。小笠原神社。小倉藩主の小笠原家の祖霊を祀る神社です。旧県社だけあって境内は広いですね。顕彰碑、記念碑などがいくつかありました。大きな神社なのに社務所は無人でした。御朱印は二兒神社でいただけますよ。豊前国
オオキツネノカミソリ(大狐剃刀)のシーズンなので、御前湧水登山口を起点に御前岳(標高1209m)、釈迦岳本釈迦(標高1229.5m)、釈迦岳普賢岳(標高1231m)を周回しました。福岡県最高峰と第二峰の縦走です。御前岳は、12代景行天皇ゆかりの地です。日本書紀には、景行天皇が九州に行幸した際に前山(御前岳)を越えたと記されています。これに因んで山頂には「景行天皇御遺跡」の石碑が建てられています。景行天皇は九州に下向し、熊襲や土蜘蛛を討伐しますが、戦いで打ち破るのでは
≪浅草文庫跡碑がある!台東区蔵前の第六天榊神社!≫第六天榊神社にやって来ました。御祭神:榊皇大神日本武尊が、景行天皇40年(110)に創建したと伝えられます。もと第六天神社と称し、森田町(現蔵前3丁目)に鎮座していましたが、亭保4年(1719)浅草不唱小名(柳橋1丁目)へ還座しました。住所:東京都台東区蔵前1丁目4-3榊神社石碑神楽殿繁盛稲荷神社!!浅草文庫跡碑明治十四
第十三代成務天皇は大和朝廷初期、記紀の時代の天皇です。御父は景行天皇、御母は八坂入媛命。八坂入媛命の父は、崇神天皇の皇子の八坂入彦命です。景行天皇の第四皇子として誕生。兄には双子の大碓皇子、小碓皇子がいます。小碓皇子は日本武尊のことです。また七十人あまりの弟がいて、それぞれ国や郡に封じられました。御名は稚足彦尊(わかたらしひこのみこと)。景行天皇五十一年の春一月七日より群卿を集め何日も大宴会がありましたが、稚足彦尊と武内宿禰はその宴に参加しなかったので、天皇がわけを尋ねられると、「宴楽の
景行天皇山邊道上陵天理市渋谷町12代天皇
神明社秋田県横手市神明街7ー2景行天皇の御代皇子日本武尊東征に際し上総のくにより随従の者がこの地に留まり神殿を建立御祭神天照大神豊受姫大神猿田彦神須佐之男神菅原大神何の木だかわかりませんが変わった花が咲いてました御朱印山の道を通ったりするので前は電波が圏外でしたが初めてですが衛星につながる?になりましたマークが衛星の形です
〘景行天皇〙けいこうてんのう伝承の古墳時代または、一〜二世紀頃の弥生時代。実在は定かにはあらず、王朝大和の隆盛期に生きた人物だともされ、第十二代天皇にあたる。息子に日本武尊を持ち、彼に東西の国の征討を命じたとされる謂れもある。さてある時、飢饉干魃に喘ぐ、とある村を救済に訪れた景行天皇であるが、村人の容態を案じるが故に、兵糧の奉公をする者一同共に、泉湖で飲み水を汲ませ、また土地田畑を耕し掘り興こしておったところ、深き翳りの山々より大蛇が顔を突き出し、不気味な眼差しを光らせておるでは
🎤突撃インタビュー景行天皇、本当はヤマトタケルをどう思っていた?くるくる🌀「やっぱり一番複雑な胸の内を抱えているのは、景行天皇よね!兄を殺したヤマトタケルを恐れ、九州へ送り、帰ってきたと思ったら今度は東国へ。結果として息子は命を落としてしまった。でも、その死を知った時には、お妃たちを能褒野へ向かわせ、白鳥となって飛び去る姿を泣きながら追わせた。これは聞いておかないとね!くるくる🌀と海亀🐢は、天の鳥船(あめのとりふね)に乗り込み、宮簀媛に見送られながら、尾張の空へテイクオフ。ヤマトタケル
「逃げる弟タケルを階段のところでガシッ!!と組み伏せた小ウス命。そのままトドメを刺そうと刃を振り上げたその時、下敷きになった弟タケルが、ガタガタと震えながら叫んだ。吉村百耕弟タケル:「ま、待ってくれ!殺す前に、一つだけ聞かせてくれ!我ら兄弟は、この西の国(九州)で我らに敵う者はいないと自負していた。それなのに、あなたほどの恐ろしくも強いお方は一体どこの誰なのだ!?」小ウス命:「(弟の胸元に刃を突き立てたまま、冷たく美しい目で)私は、大和の国の景行天皇の皇子、小ウス命だ。お前た
お詫びと訂正。『アマテラスの「理想の引っ越し先」を探せ!』くるくる🌀はすっくと立ち上がり、骨の腕を組んで海亀を制止した。「ちょっと待った!神社検定必の話をお忘れね!」海亀🐢:「(リクガメの足でハッと自分の頭を叩い…ameblo.jpこの様な記事を書いてしまいましたが、元伊勢外宮の豊受大神社は、倭姫命の巡幸伝承とは別に、丹波の豊受大神が伊勢外宮へ迎えられたという伝承を今に伝える神社。詳しくは、『丹後国風土記』に書いてあるようです。これには、浦島伝説、羽衣伝説、天橋立についての記述もある
はい!奈央です。私は、この夏羽・田油津媛兄妹が朝廷に恨みを抱く原因として以前から考えていたことがあります。それは、金(鉄、銅、金)といった鉱物資源の権益争いにあるのでは?と考えています。天香山からは金(特に銅)が産出したことが日本書紀神代紀および古語拾遺一巻に次のように記載されています。………………日本書紀巻第一神代上以石凝姥爲冶工、採天香山之金、以作日矛。又、全剥眞名鹿之皮、以作天羽韛。用此奉造之神、是卽紀伊國所坐日前神也。現代日本語訳そこで石凝姥(
はい!奈央です。先のブログで、神夏磯姫(かむなつそひめ)の事を調べました。その結果、神夏磯姫とアマテラスとの類似点について、次のような点を書き連ねました。(妄想の類ですが)・神と称される天照大神神夏磯媛・巫女的な女王・三種の神器八咫鏡、草薙剣、八尺瓊⇔八咫鏡、八握劒、八尺瓊・八握剣に纏わる接点今回は、神夏磯姫の後裔である山門(ヤマト)の女王田油津媛(たぶらつひめ)について書いてみたいと思います。北部九州の古代豪族分布図山門
この山形ツアー案内ではいろいろありましたが、大日坊の住職さんに、寄って行きなさいと言われた場所が、大日坊境内なんですけどちょっと歩きます。それは、【皇壇の杉】今から約1800年前、景行天皇の第四皇子・御諸別皇子が奥州を巡錫の折に立ち寄られ、大日坊境内に庵を構えます。皇子はこの地で御遷化され、墓所として造られた円墳に植えられたのがこの杉とされています。もう一つ伝説があるようです。弘法大師が唐より帰朝の際、聖地に向け三鈷杵と五鈷杵を投げ、三鈷杵が高野山の松に掛かった話は有名ですが、実はもう一
富山県【越中一宮高瀬神社】2026年5月30日「越中一宮高瀬神社」の歴史(※ホ―ムぺ―ジ抜粋)御鎮座は遠く神代の昔、また景行天皇11年の御代とも云われています。社伝に御祭神が北国御開拓の折、この地に守り神を祀り、国成りおえて後、自らの御魂をも鎮め祀られ、出雲へ帰り給うたとも伝えられ、のちに延喜式内社、越中一宮として崇められてきました。越中国の人々は勿論、朝廷の崇敬も厚く、天武天皇の御代に勅使を派遣され、光仁天皇の宝亀11年に従五位、文徳天皇の斉衝元年に従三位、
JamesSetouchi2026.5.26(火)古事記11第14代仲哀天皇神功皇后の夫。急死する。引用・参照した本を記号で示す。(読書会には『古事記』本文を持参。岩波文庫でもよいが注釈が多い方がよい。)I:岩波文庫『古事記』倉野憲司・校注。1963年。2007年改版。S:新潮古典集成『古事記』西宮一民・校注、1979年A:西郷信綱『古事記の世界』岩波新書、青版E23、1967年B:岩波文庫『日本書紀(二)』坂本太郎ほか校注、1994年(岩波古典体系新装版1993年
JamesSetouchi2026.5.26(火)古事記10第13代成務天皇12代景行天皇の補足バージョン?引用・参照した本を記号で示す。(読書会には『古事記』本文を持参。岩波文庫でもよいが注釈が多い方がよい。)I:岩波文庫『古事記』倉野憲司・校注。1963年。2007年改版。S:新潮古典集成『古事記』西宮一民・校注、1979年A:西郷信綱『古事記の世界』岩波新書、青版E23、1967年B:岩波文庫『日本書紀(二)』坂本太郎ほか校注、1994年(岩波古典体系新装
目次【序章】もうひとつの九州入り【第一章】周防灘から豊前へ【第二章】長峡行宮推定地―御所ヶ谷神籠石【第三章】仲哀峠【終章】香春岳へ続く道目次を開く【序章】もうひとつの九州入り『日本書紀』には、仲哀天皇と神功皇后が、熊鰐に導かれて遠賀郡側から九州へ入ったと記されています。けれど、北部九州には、もうひとつ気になる道が残されています。行橋市・京都郡方面から内陸へ向かい、山を越えて田川へ至る道。その途中には、「仲哀峠」「仲哀トンネル」といった名が今も残っている
JamesSetouchi2026.5.22(金)古事記9第12代景行天皇ヤマトタケル登場引用・参照した本を記号で示す。(読書会には『古事記』本文を持参。岩波文庫でもよいが注釈が多い方がよい。)I:岩波文庫『古事記』倉野憲司・校注。1963年。2007年改版。S:新潮古典集成『古事記』西宮一民・校注、1979年A:西郷信綱『古事記の世界』岩波新書、青版E23、1967年B:岩波文庫『日本書紀(二)』坂本太郎ほか校注、1994年(岩波古典体系新装版1993年を文庫化し
目次【序章】記されなかった血筋【第一章】景行天皇と神夏磯媛【第二章】田川に残る系譜【第三章】皇后に仕えた田油津媛【終章】なぜ書かれなかったのか目次を開く【序章】記されなかった血筋歴史には、はっきり書かれていることがあります。そしてそれ以上に、「書かれていないこと」もあります。今回気になったのは、神夏磯媛、夏羽、そして田油津媛をつなぐ系譜でした。日本書紀には書かれていない。けれど、地方には確かに残されている事柄があります。今回は、神夏磯媛から田油津媛へ続く伝承を追いながら、
南洲翁寓居跡がはからずも邇邇芸命・可愛山陵の麓にあったので驚きです。西南の役最後となる延岡、和田越の決戦に破れた西郷隆盛が明治10年8月15日から17日の夜の可愛岳突破まで宿陣した場所である。ここで解散布告を出し、最後の軍議を重ねており、重要書類や当時日本で唯一しかなかった陸軍大将の軍服も焼いたとされている。写真にある資料館には当時西郷隆盛が愛用した硯・船型枕などの遺品の他、種々の戦争資料が展示されている。北川町内にはこの他陸地、矢ヶ内、宗太郎峠など数多くの激戦地跡や宿陣の跡、野戦病院跡、
みなさま、おはようございます♡宇宙の女王ちかこチュベローズです♪倭建命の悲しい物語が始まる古事記ってこんなに面白かった♡そうなんです、絵本や児童書でカットされている場面にこそ古事記の本当の面白さが詰まっているのです今回は中つ巻の7回目倭建命のお話の前編です☆宇宙の女王ちかこチュベローズが銀河目線で詳しく楽しく分かりやすく解説いたします♡第十二代景行天皇の系譜とご業績は小碓命はなぜ征伐の旅に
第12代景行天皇上山邉道勾岡上陵即位西暦71年退位西暦130年皇位年数59年古事記によると、景行天皇は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の父上で、日本武尊の活躍でヤマト政権の支配領域が拡大したらしい。ま、コレも神話的要素が強いんで、信憑性は低い。御陵印所在地崇神天皇陵のすぐ南に位置している。
伊勢神宮/ISE-JINGUonInstagram:"令和8年5月1日(金)神御衣奉織始祭を執り行い、清く美しく織り上がるように祈念した後、神御衣祭に奉る和妙は(にぎたえ・絹布)は神服織機殿神社、荒妙(あらたえ・麻布)は神麻続機殿神社のそれぞれの八尋殿(やひろど)のにおいて織り上げられます。#伊勢神宮#内宮#神御衣祭#isejingu#jinja"5,742likes,110comments-isejingu.officialonMay7,2026:"令和8
大國魂神社御神木大イチョウ樹齢約1000年武蔵国の守り神としてお祀りした神社です。景行天皇41年(111年)の創建御祭神は、出雲の大國主神と御同神です。縁あって初めて、お参り。くらやみ祭り、大太鼓を打つバチが野球のバット🏏のように見え音がまた凄い!!出店の焼きそばがてんこ盛りでビックリ〜食べたかった!(笑)全てが大きく!安い!
伝説時代の斎王倭姫命(垂仁天皇の娘)やまとひめのみこと初代斎王・豊鍬入姫命(第十代崇神天皇の皇女)が奉斎することになったとき、天照大神の鎮まるべきところを求めて、各地を巡幸し、伊勢国に辿り着き、伊勢神宮の御祭神である。母は日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)が老齢となり斎王を退いたことから、天照大神の祭祀を引き継ぐこととなります。倭姫命宇治山田陵墓参考地飛鳥の北、三輪山の北西に崇神天皇陵があり、隣には第十一代景行天皇陵があります。日本
最近週末忙しくて神社仏閣にいけない💧今やらなければいけないことを淡々とこなしているがやはり時々は心が落ち着く場所に行きたくなる今までたくさんの場所に行かせてもらったがこれから先興味があるのは香川県の白鳥神社⛩️ヤマトタケルの尊がお祀りされてる神社⛩️ヤマトタケル…その響きに興味津々である。調べると…第12代景行天皇の皇子であり、第14代仲哀天皇の父。幼名:小碓命(おうすのみこと)。名前の由来:九州の「熊襲(クマソ)」を討った際、敵の首領からその武
栃木県益子町大沢にある御霊(みたま)神社古墳群、続きです。2基の円墳からなる古墳群です。↑高さがあまりないので、写真だとハッキリわからない御霊神社古墳群1号墳。昨日アップした2号墳のすぐ北側。直径13メートル前後、高さ1.5メートル前後の円墳。↑御霊神社古墳群1号墳、墳頂の様子大きく抉れています。これは盗掘孔のようです。益子町の古墳って、このような凹んだ盗掘孔をよくみかけます。↑北東側から盗掘孔が大きくて墳丘がドーナツ状になっています↑御
創建は景行天皇の御代のころ西暦110年頃とされている都内でも屈指の古社ヤマトタケルが東征の際に薬祖神であるオオナムチノミコトとスキナヒコナノミコトを上野の忍ケ岡に祀ったのが始まり<主祭神>オオクニヌシノミコトスクナヒコナノミコト(医療と健康の神様)狛犬は拝殿前に1対青銅製1926年(大正15年)生まれ大きさは鎮護型にしては小さめだが迫力はあるそして鳥居と拝殿の間に狛犬1926年(大正15年)生まれ拝殿前の狛犬より少し先に鎮座したとのこ
近江八幡市長光寺町長光寺不二滝別名/金水の滝国道8号線の六枚橋交差点から県道14号線に進みます。580mで長福寺町交差点を左折します。100mで右の道に進みます。500mで突き当りに滝の入り口があります。入口付近の邪魔にならない所に駐車して、立派な入口の中に進みます。滝の解説板です。(2022.05.14撮影)奥に進むと石碑そして、人工の滝があります。こちらは落差3mそして、奥に5mの人工滝があります。不動明王が祀られております。